第23話 宝石商には騙されません
まともに働かない家庭教師問題が解決した後は、宝石商の対応だ。
「我が商店をご利用くださり誠にありがとうございます」
商人は気さくな中年の男で、第一印象は悪くなかった。賎民だからといって嫌な顔をせずに愛想よく接客してくれている。もしかしたら良い人なのかもしれないと安堵したのも束の間、彼が宝石を並べた布をこちらに見せてきて絶句する。
「どれも熟練の職人たちが作った一級品でございます。お気に召されるものがあれば教えてください」
(ええと、これは……)
並んでいる宝飾品は、素人目でも分かるほどの粗悪品だらけだった。完全に騙す気満々、舐められたものだ。リナジェインは指輪のひとつを手に取った。
「あの……これ、欠けているように見えるのですが」
「
田舎から来たばかり、という言葉に妙に悪意を感じる。というか、どこからどう見ても、落として欠けたようにしか見えない。しかし、時流や宝石の知識に疎いのは事実なので、騙されてこの中から選ぶしかない。
すると、宝石商の応対をしている部屋に、シュナの側近のロイゼがふらりと入ってきた。
「ロイゼ様、どうしてこちらに?」
「陛下のご指示です。殿下は宝石選びに慣れていないので、様子を見てきて来るように、と」
そういえば、ロイゼの弟は宝石関係の仕事をしていると聞いたことがある。彼は宝石を一瞥して、渋面を浮かべた。宝石のひとつを手に取り上げ、「これはなんですか」と尋ねる。商人は額に汗を滲ませながら頭を下げた。
「ピンクダイヤでございます。"不滅の愛"という意味があり、上流階級の貴婦人方に大変好まれておりまして。そちらのお品は、ご覧いただいて分かる通り、紫がかっているため希少性が高く、上の等級に指定されています」
「そうですか」
彼は手に持った宝石を床に落として、あろうことか踵で踏み付けた。踏まれたピンクダイヤは、パリンと音を立てていとも簡単に砕けた。希少な石を踏んで割ってしまうなど、リナジェインの目には奇行に見えた。
「ダイヤは鉱物の中で硬度が最も高いとされています。こうも容易く割れるということは、ガラスか何か――紛い物だったのでしょう」
「そ、それは……」
「側妃殿下の御身につけるものに偽造品を差し出すとは、ただの詐欺罪では済まされませんよ」
「も、申し訳ございません、どうかご勘弁ください……!」
謝るくらいなら最初から騙そうとしなければいいのに、と思う。心にもない謝罪はもう聞き飽きている。ロイゼは忌々しそうに、衛兵に咎人を捕らえさせようとしたが、リナジェインはそれを止めた。
「ロイゼ様。その方を咎めないでください」
「は……? この者はあなたを馬鹿にしたのですよ。皇家を愚弄したのです」
「まぁ。私はロイゼ様には皇族として認めていただけていたのですね。意外です」
この国では、不敬罪は重く罰せられる。偽物の宝石を売ろうとしたのは悪かったが、その程度で身に余る罰を受けさせるのは不本意だ。
「何を呑気な……。見くびられて腹が立たないのですか?」
「馬鹿にされるのは慣れています。この程度のことで処断していたら、その内に皇都から人がいなくなりますよ」
「……」
リナジェインが蔑視されないようにするなら、もっと根本的な改革が必要だ。元賎民である以上、理不尽な目に逢うことは受け入れていかなければならない。
宝石商は、お咎めがなくなりほっと肩を竦めている。リナジェインは男の前に出て、悠然と顔を見上げた。
「情けをかけるのは今回限りですよ。人を騙せば、必ずどこかで露見します。これに懲りたら真っ当な商売をなさってください」
「……はい、殿下」
本当に反省しているのかは分からないが、男はしゅんと肩を落とした。
ふと、男が指に嵌めている黒色の石の宝石が目につく。目についた、というより匂いに気づいた、という方が正しい。石から発せられるのは死の匂い。微弱だが、確かに死の匂いだ。稀に、人からだけではなく、死と強い関係のある物体からも匂いを感じることがある。
「あなた、その指輪はどなたかの遺品では?」
「分かりません。人から譲り受けた物ですので」
この石には、成仏できていない悪い霊魂が宿っていた。死の匂いを発しているということは、身につけている男に、将来的に何かの危機をもたらす可能性があるということだ。
「少し見せていただいてもよろしいですか?」
「は、はい。……どうぞ」
警戒しつつも指輪を外して渡してくれた。やはり、死の匂いがする。霊の浄化はリナジェインの領分ではないので何もできないが、このまま指輪を返却する訳にもいかない。
「この指輪、譲っていただけませんか?」
「それは……! ――い、いえ、構いません。お代も結構ですので……」
今、かなり嫌そうな顔を一瞬された気がする。身につけていた程だから、よほど愛着があるのかもしれない。リナジェインは指輪を貰い、宝石商を帰した。
「なかなかお目が高いですね、殿下」
「へ?」
ロイゼがリナジェインの手のひらに転がる指輪を指差した。
「その指輪の宝石は、彼が持ってきた中で最も高値なんですよ。あの男、予想外の損失にがっかりしていましたが、まぁ自業自得ですね」
高価な代物をただで貰ってしまって、申し訳ない。嫌味っぽく笑っているロイゼに、リナジェインは言った。
「これ、川か湖に捨ててきてください」
「はぁ!? あなた何馬鹿なこと言っているんですか!? 貴族家の屋敷が建つほどの品を、川に捨てろですって……?」
「はい。できるだけ早くお願いします」
「いやいやいや、どうして手間をかけて宝石を捨てて来なければならないのですか」
「その石には、非常にネガティブな霊魂が宿っています。私には浄化できないので、自然の力で癒してもらおうと思ったんです」
ロイゼはため息をついた。
「全く……。人使いが荒いお方だ」
「お手数おかけします。あ、ネコババしないでくださいね? 障りを貰ってしまいますから」
「見くびらないでください。私はそのような卑しい真似はしません!」
ムキになって怒るロイゼを見て、リナジェインはくすと笑った。怒られているのに笑っているリナジェインに対し、彼はいぶかしげに言った。
「なぜ私にはこうもあけすけなのです? 他の者に対してはかなり遠慮しておいででしょう。陛下しかり」
「ロイゼ様は、少し兄と雰囲気が似ているんです」
「まさか。下賎の者が私ほど高貴な雰囲気であるはずがありませんね」
「少なくともあなたのように性根は曲がっていませんでした」
「なっ!?」
性格は似ても似つかないが、眉を寄せた表情も、よく兄に似ている。だからつい、無意識に警戒心を解いてしまうのだ。
それに、ロイゼも悪いところばかりではない。宝石商の対応の助っ人に来てくれたのは、シュナの指示ではなく自身の意思だ。シュナは公務で出先におり、リナジェインが宝石を買うことすら知らない。ロイゼは口も態度も尊大だが、ちゃんと良いところもある。完全な悪人だったとしたら、シュナも側近に重用したりしないはずだ。
「まぁ、私があなたの兄上に似ているというのは、あながち間違っていないかもしれません」
「え……?」
「あなたの兄上と予想されているユリウス様は、私の又従兄弟です。周りからは本当の兄弟のように似ていると言われます」
「そんな偶然もあるんですね……」
同じ先祖の血を引いているのだから、又従兄弟でも似ることはあるだろう。
「それは置いておいて。陛下にも、私や兄上に接するようになさっては? 陛下が寂しがられておりますよ。私もこれ以上あのお方に妬まれるのは面倒ですので」
「無理ですよ……だって、陛下は兄さんとは、違うもの」
ユーフィスは兄だが、シュナは身内ではない男だ。皇帝に対する畏怖だけでなく、妙に気恥ずかしくて慣れた態度を取るなんてできない。頬を朱に染めるリナジェインを見て、ロイゼは忌々しそうに言った。
「全く……。鈍感なあなたと陛下の板挟みになる私の苦労を考えてほしいですね。恋愛指南は私の専門外なんですが」
やれやれと首を横に振り、そのまま部屋を出ていった。
(結局、アクセサリーは何も買えなかった……)
目的を果たせず時間を潰しただけになってしまい、大きなため息が漏れた。
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