第5話 賤民の奇特な娘


 ある日、公務中のシュナの元に臣下が寄ってきてこう囁いた。


「陛下、そろそろお妃様をお迎えしては……。もしよろしければ、わたくしのところの娘がちょうど適齢期を――」

「要らぬ世話だ。当分妃を娶る気はないと再三言っている。どいつもこいつも外戚権力を欲しているだけだろう。ああ、名もない賤民の娘を妻にするのも手だな」


 そうすれば、家同士の勢力問題で悩むこともないだろう。


「なんと……! 高潔な一族の血を下賎の血で穢すとおっしゃるのですか」

「口を慎め。貴賤に関係なく、等しくこの国の人間だ」

「も、申し訳ございません、陛下」


 いつものように、婚姻を急かす臣下の進言をあしらう。先代の皇族たちが散財を繰り返し、皇室の経営状態は火の車だった。そんな状態で、下手に妃を迎える訳にはいかない。


(国母となる者は、分別のある者でなくてはならない。先の妃たちは、妃たる自覚がなかった)


 先帝には、外国出身の正妃と二人の側妃がいた。シュナの母である正妃は早くに逝去し、残った妃たちは毎日遊び呆けて高慢に振る舞っていた。その二人は、先帝が崩御した後に、国費の横領や数々の罪をシュナが暴き、皇宮から追い出したのだった。ようやく膿出しを終えたのに、新たな面倒を招きたくない。


「次の皇座は、私の子ではなく相応しい者を据える」


 血筋にこだわるつもりはない。

 今のヴァーグナー家も、かつての皇族レジスニア家を皆殺しにして、皇位を奪ってこの地位を築いたのだ。国の創始から脈々と続いた一族を葬ったのに、どの面下げて血筋を重視するだなんて言えるだろう。


「もう二度と私の前でその話をするな。分かったな」

「……御意のままに」


 臣下は不服そうな顔をして頭を下げた。シュナがこれまでの慣習を無視した主張ばかりをするせいで、大臣からは傲岸不遜で厄介な皇帝と囁かれている。それでも、自分の信念の元、国の民のために奉仕すると誓っている。


(婚姻を結ぶ気はない。――誰ともな)


 ……と思っていたのだが。


 馬車での移動中、かつて反乱を企んでいた勢力の残党による襲撃に遭ってしまった。


(くっ……。毒が塗られていたか)


 腕を掠めた剣に毒が塗布されており、その晩は七転八倒の苦しみを味わった。よくよくのことで、代々皇家が傾倒する占い師を宮殿に招いた。その女は、先代の崩御や、大臣の策謀をズバリ言い当てており、シュナが皇位を継承するにあたって世話になった人物だ。



「死相が出ております。明後日までに結婚しなければ、一年以内に命を落とされるでしょう」



 彼女にはこう言い渡された。一年以内もなにも、既に満身創痍だった。数日以内にばったり逝ってしまってもおかしくない程度に。


(結婚すれば助かるのか? 馬鹿げているな)


 聞いた直後は全く信じられず、現実に則した方法で解決しようと躍起になった。何名も医者を呼んだが、いかなる高名な医師たちも、できることはないと匙を投げた。

 内側から何かが爆発するような苦しみが絶えず付きまとい、坂から転げ落ちるように憔悴していった。



 ◇◇◇



 そして、占い師に告げられた三日目。シュナはまたしても別の刺客の襲撃に遭った。しかも、今度は宮殿内に侵入された。この数日で三度も死の危機が起きている。運が悪いという言葉では片付けられない強い導きを感じ、遂に決意した。


(ええい、もう誰でもいい。五十七人目に目に止まった女を妃にする)


 もはや、完全にやけになっていた。生き延びるためには、占い師の言葉に賭けるしかない。まだ国のためにやるべきことがあるのに、くたばる訳にはいかないのだ。戦闘で血で汚れた礼服姿で、重い体を引きずりながら宮殿の舞踏会に参加した。


「皇帝陛下! わたくしと踊ってくださいま――っきゃああっ、お召し物に血がっ! 大丈夫ですか?」


(……一)


「誰か宮医を呼ばぬか! 陛下、麗しいお顔に怪我が……っ。お労しい……」


(……二)


「陛下、私のハンカチをお使いくださいませ。この百合の花は、あなた様を想い刺繍を施したのです」


(……三)


「お顔色も優れないようですわね。それに酷い汗……。心配です」


(……四)


 目に止まった女を、一人一人数えていく。


 度々開催される宮殿の舞踏会は、臣下の計らいにより、皇妃を決めるために催されている。鼻を刺すような甘ったるい香水の匂いは、ただでさえ具合が悪いのに一層気分を悪くさせる。


 まとわりつくような女たちの視線を集めながら、その群れを抜けていく。その内に、どうしても気分が悪くなり、最後の最後で外の庭園に出た。




「……五十七」


 五十七人目の女が、視線の先にいた。――衛兵に両腕を拘束された状態で。暗くてはっきりと姿は見えないが、ぼろ布のような衣服を着た卑しい女が、衛兵の腕の中でじたばたと暴れている。


「離してくださいっ、嫌、離して……っ!」

「駄目だ。宮殿への侵入は、死罪と決まっている。卑しい賤民が高貴な場所に土足で踏み入るとはなんと愚かな。――お、おいっ! 手に噛み付くな! 痛い痛いっ、離さんか!」


 どうやら自分は、くじ運も悪いらしい。彼女は、見るからに粗野で礼儀がない様子。妃を選ぶのではなく、躾のなっていない野良猫を拾うような気分だ。


「兄を探さなくちゃならないんです! ……もしかしたらこうしている間にも酷い目に遭っているかもしれません……っ。お願い、兄を見つけるまでは待って。兄が無事と分かったら、私の命なんてどうなってもいいから……っ」

「うるさい。何を言っても無駄だ」


 しかし、ひたむきに兄を慕い懇願する女に、なぜか心を打たれた。これまで、特定の女に対して特別に心が動いたことなどないのに、目の前の女を、助けなくてはならないと本能的に思った。


「お前たち。この女人を解放しろ」

「で、ですがこの者は不法侵入した賤民で――」

「私の言葉が聞けないのか? 下がれ」

「はっ」


 衛兵は恭しく礼を執り、女を解放した。


「おい、平気か?」


 そう声をかける。そして、潤んだ瞳でこちらを見上げた女に、息を飲んだ。髪は乱れきっていて、顔も身体も薄汚れているし、みすぼらしい装いをしている。なのになぜか目が離せない。ウェーブのかかった亜麻色の長い髪に、鮮やかな真朱色の目。その目の色は、旧皇家レジスニア家の血を引く者にしか現れないという、神秘の証だ。


「はい。助けてくださって、本当にありがとうございます。……お優しい方」


 彼女は心底安心したように目を細めた。白い頬に涙が伝ったのを見て、そのいじらしさにまた心臓が騒がしくなる。


(なんだ? なぜ胸がざわめく)


 いつでも冷静沈着な自分の心に波を立てたのが、年端も行かないこの女だということに困惑する。ついに毒が回っておかしくなったか。


「……あの、私、これ以上ご迷惑をかけないように、早くここを去りますね。お世話になりました」


 シュナの困惑をよそに、お辞儀をして離れようとする彼女。五十七人目だからか……いや、本能が彼女を逃したくないとシュナに訴えた。そして気付いたら――剣を抜いていた。もはやそれは、軍人の性だった。


「へっ?」

「貴様。私と結婚しろ」


 彼女は血に濡れた剣を一瞥して、身を竦ませた。先程までの無垢な真朱色の瞳が、恐怖に染っていき、消え入りそうな声で答える。


「は、はひぃ……」


 我ながら、最悪の求婚である。世の中に、こんなにロマンに欠けた求婚をした男はシュナを除いていないのではないか。




 リナジェインと名乗った彼女は、賤民でありながら文字の読み書きができ、利発な女だった。婚姻宣誓書の署名を済ませ、形式上の夫婦となったのだが――



「私なら、あなたのお命を救うことができるということです」



 思いもよらぬ言葉を告げられたかと思えば、摩訶不思議な力で彼女はシュナの体を完全に治癒してしまった。


 あらゆる怪我や病を癒すという――聖女の力。それは紛れもなく、シュナの先祖が滅ぼしたレジスニア家の血筋しか現れない力だった。リナジェイン自身は、レジスニア家とは縁がないと言っていたが、シュナの元へ導かれたのは、何かの因果があるのだろうか。


 下手をしたら目を付けられるかもしれないのに、弱った者のために力を惜しみなく使う度胸も、見返りを求めない奉仕精神も、シュナの関心を引いた。


「兄は捜す。私は必ず約束は果たす主義だ。……それより、お前に興味が湧いたぞ。――リナジェイン。お前のような奇特な娘には初めて会った」

「はい!?」


 目を皿にするリナジェインの顔を見たのを最後に、意識がぷつりと途切れた。



 ◇◇◇



 目が覚めると、ソファでシュナとリナジェインは寄り添い合いながら眠っていた。どうやら、怪我が癒えて身体が楽になり、寝落ちしたらしい。


(こんな状況で、よく眠れるな)


 リナジェインはシュナの腕を両手で顔に引き寄せて熟睡している。小さく開かれた形の良い唇は、規則的な寝息が立てている。無防備すぎではないか。だが、彼女の頬は温かくて柔らかく、なぜか心が癒された。


 彼女が足まで絡ませて引っ付いていて身動きが取れないので、しばらくリナジェインの寝顔を観察することにした。頬杖を着いて、彼女を眺める。


「ん……兄さ、ん」


 切なげに彼女の唇がそう漏らす。出会ったときも、何度も兄のことを口にしていた。


(よほど恋しいのだろうな)


 涙で滲んだ目を見て、なぜかまた胸が締め付けられる。


「きっと見つけてやるから、安心して眠れ」


 そう囁いたときだった。


「陛下、こちらにいましたか……って、お、お取り込み中、失礼いたしました!」


 部下が扉を開けて、皇帝が女と添い寝している光景に体を硬直させた。口元に人差し指を立てて、「静かにしろ」と示した。せっかく気持ちよさそうに眠っている彼女を起こしてしまっては悪い。


 シュナは、上着を彼女を掛けて応接間を後にした。それから、謁見室に集めた部下たちに、賤民の娘と結婚する旨を報告するのだった。

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