第6話 使用人の職務放棄

 

 

 リナジェインは、賎民にして初めて皇帝の側妃に成り上がった。家格が重視される正妃は不在のため、彼女こそ唯一の妃である。


 女に一切の興味を示さなかった皇帝の突然の婚姻は、ラブロマンスとして大衆の間で語られた。『不幸にも賎民落ちした大貴族の隠し子が、皇帝に見初められて地位を取り戻した』とか。『幼いころに身分差の恋をし、陰謀により引き裂かれていたが、月日を経て再会を果たした』とか。あれやこれやと推測されていた。しかし、こんな面白おかしな噂をする物好きはごく一部。賤民が皇家に入ることを是としない人が多く、批判的な意見の方が圧倒的に多かった。


 そして、二人の馴れ初めにおとぎ話のようなロマンスはない。リナジェインは、ちょっと不思議な力を持ち、ちょっと皇帝の命を救っただけの平々凡々な少女で、無作為で選ばれた――ただのお飾り妃である。彼女は皇帝ではなく、行方不明の兄ばかりを想っているのだった。




 側妃になってから一週間が経過した。正妃は家柄が重視されるので、リナジェインはあくまで側妃という肩書きだ。国母という重荷も、公務を行う義務もないので、気楽ではある。ひっそりと形式的な挙式を終え、ようやくひと息ついたものの――


(完っ全に嫌われてる……)


 リナジェインは今、宮殿でめちゃくちゃ敬遠されている。卑しい賤民の分際で皇帝に見初められ、唯一の妃となったのだから、風当たりが良くないのは当然ではある。


 まず、部屋に侍女が来ない。シュナに専属侍女を三名与えてもらったが、完全に職務放棄されている。実家にいたころは、家事全般を自分で行っていたが、後宮暮らしは勝手が分からないので苦労している。特に、一度も袖を通したことがなかったドレス。着方が分からないので、いつもみっともなく着崩れている。食事は毎日定刻に届けられるが、家畜の餌と見間違うようなメニューだった。


「……たんぽぽの葉っぱに、ドクダミ……」


 一応火は通してあるものの、アクが強く単体で食べるには不向きだ。


(苦っ!)


 ひと口食べて、思わず顔をしかめる。ドクダミを刺したフォークを皿の縁に置き、ため息をついた。下剤の効能があるドクダミを三食出されているせいで、お腹が緩くなっている。いくら身分が低いとはいえ、実家でももう少し良い物を食べていた。


(困ったなぁ。これじゃ私と胃と腸が可哀想)


 何度か会った専属侍女は、皆上流階級の令嬢たちで、リナジェインに対して不遜で横柄な態度を取った。彼女たちだけでなく、使用人たちはリナジェインを完全に見下している。リナジェインには名家の後ろ盾もないので、誰も守ってくれはしない。シュナに相談して注意してもらっても、リナジェイン自身が舐められていたら、根本解決に至るとは思えない。


(自分の力で、妃として認めさせるしかない、か)


 自由気ままな田舎で生きてきたリナジェインにとって、ギスギスした後宮の人間関係は手に負えない気がするが、一年間快適に過ごすための最低限の地盤を固めなくてはならない。……前途多難だ。多分自分には、畑を耕している方がよっぽど性に合っている。


 そこでリナジェインはある妙案を思いつき、着崩れたドレスのスカートを引きずりながら、シュナの執務室を訪れた。



 ◇◇◇



「しばらくの間、ここで働かせてください」

「は……?」

「――という訳で、お仕着せを貸していただきたいのですが」

「待て、どんな訳だ」


 シュナは「何を言っているんだ」といぶかしげな表情を浮かべた。リナジェインは、使用人としてメイドたちを観察し、自分自身で専属侍女を選抜したいという意志を伝える。すると、彼の横に控えている側近の男ロイゼが口を挟む。


「妃殿下、あなたね、ご自分のお立場を分かっていらっしゃるんですか? 妃自ら労働するなど……皇室の品位に傷が付きます」


 ロイゼは、初日に宮殿の案内をしてくれた人物だ。しかし、性格が悪く、リナジェインに対してとにかく口うるさい。身分のことをやたらと引き合いに出し、側妃に選ばれたからといって図に乗るなと何度も念押ししてくるのだが……正直鬱陶しい。


 しかし、兄にどこか面立ちが似ているので、恐怖心を抱くことはなく、どこか憎みきれない。リナジェインは彼を挑発するように言った。


「……ロイゼ様、そんなに怒ってばかりでは老けますよ?」

「なっ、ななななんですかその口の利き方は……!?」

「ほら、また眉間に皺が」

「賤民の分際で生意気な……。陛下! どうしてこんな無礼で生意気な娘をお選びになったのです!?」


 ロイゼはムキになって、眉間の縦皺を深くした。こういう人を見下した相手には、このくらい強気に出なければ蔑まれたままだ。


「騒がしいぞ」

「申し訳ございません。陛下」


 主人の言葉にはあっさりと従う。シュナは部下を窘め、ペンを机の上に置いてこちらを見た。


「リナジェイン」

「は、はいっ!」


 威圧的な呼びかけに、びくっと肩が跳ねてしまう。……相変わらず、シュナに対しては畏怖がある。背筋を丸めて警戒していると、彼が言った。


「そう萎縮するな。まるで私が悪人のようではないか。側近には心を許しているらしいが」

「……」


 ロイゼに警戒心がないのは、ただ兄によく似ているからだ。リナジェインからすると、現状シュナは半分恩人で、残りの半分は悪人認定だ。物言いたげな眼差しでじっと彼を見つめる。


「不服そうな顔だな。言いたいことがあるなら言ってみろ」

「め、滅相もありません。陛下は海よりも慈悲深く、空より寛大なお心をお持ちあそばされて……」

「心にもない賛辞はよせ。私を馬鹿にしているのか?」


(ひいっ……! 失敗した失敗した!)


 目の前にいる相手は、気に入らない相手は女子どもも関係なく斬るという冷酷無慈悲の皇帝。決して不興を買ってはならないのだ。リナジェインは自分の失態を償うべく、額を床に擦り付けて懺悔した。


「後生です、ご気分を害するつもりはなかったのです。どうぞお許しください……」


 すると、頭上でため息が聞こえた。


「簡単に土下座などするなと言ったはずだ。顔を上げろ」

「申し訳ござい――」

「謝るな」


 リナジェインは沈黙し、彼を見上げた。シュナは頬杖を着きながら気だるげに漏らす。


「少しは学習しろ。別に、お前を取って食ったりする気はない。それで、話の続きだが、後宮で側妃を冷遇する不届きな者がいる訳だな」

「……不届き者といっていいか分かりませんが……はい」


 不届き者というより、賤民に冷淡なのはごく普通の対応だ。それがこの国に染み付いた常識で、変わっているのは蔑視される賤民を妃にしたシュナの方である。


「お前が直々に探さずとも、不届き者は罰し、適当な者を新たに任命すればいいだろう」

「いいえ。罰を与える必要はありません。まかり間違っているのは、使用人の方々ではなく、この社会に根付いた固定観念と制度そのものですから」


 シュナをまっすぐ見据えてそう告げると、それまで黙していたロイゼが、「無礼者! 口を慎め!」と叱責した。しかしリナジェインは続ける。


「賤民だってあなた方と同じ人間のはずです。なのに……身分が低いという理由で虐げられ、不当に扱われる仲間を見てきました。もう、簡単に人を信用できないのです。自分の傍に置く人は、自分の目で選ばせてください」

「……」


 アンデルス皇国は、貴族、良民、常民、賤民と複雑な序列が存在している。賤民は、人々の優越の対象であり、鬱憤の捌け口である。時に、奴隷として従属させられることも。


(……兄さんも、もしかしたらどこかで人買いに拐われて……)


 ユーフィスはある日突然帰ってこなくなった。何も言わずに出ていくような人ではないので、何らかの事件に巻き込まれている可能性が高い。容姿端麗で優秀な人だ。彼はどこに売られるにしても、引く手あまただろう。


 失意の念に押し潰されそうになり、俯きながら拳をぎゅうと握る。


「分かった。メイドとして使用人たちを観察することを許す」


 思わぬ返答に、リナジェインは顔を上げた。

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