第18話 リナジェインの両親
――もしかしたら両親は、義理で育てていただけで、本当の娘だとは思っていなかったのかもしれない。そんな風に一瞬でも彼らの愛情を疑ってしまった自分が情けない。土下座して懇願する姿は、娘を思う親そのものだった。
シュナをちらりと見上げると、彼は少しだけ難しい表情をしていた。これは、困っているような、あるいは同情するような表情だ。以前なら僅かな表情の機微から感情を読み取ることはできなかったが、今なら少しだけ彼のことが理解できる。
「もうよい。顔を上げてくれ。彼女に危害を加えることは決してしないと誓う」
「それは……本当ですか」
「ああ。二言はない」
両親は僅かに安堵しつつ、続けた。
「娘はこの田舎でのびのびと育てて参りました。ですから、貴族の常識や礼儀を知りません」
「ああ、知っている」
「ですが、利発で思い遣りがある優しい子です。本当に、自慢の娘なんです」
「……それも知っている」
シュナは片膝を着いて両親と目線を合わせた。
「聖女の力を無闇に行使させることはしない。そしていずれ、お前たちの元に帰す。だから、ご息女をいましばし預からせてはいただけないか」
皇帝が賤民を相手に下手に出て、頼みごとをするなど本来であれば考えられないことだ。しかしシュナは、妃の育ての親に対して最大限の敬意を示した。父はシュナの誠意に折れて、肩を竦めながら言った。
「数々の非礼をどうぞお許しください。あなた様になら、安心して娘を預けられます」
シュナの心は、両親に届いたようだった。リナジェインもシュナに並び、両親の前にしゃがんだ。
「父さん、母さん……沢山心配かけて、ごめんね」
「リナジェイン……。ずっと騙していてすまないね。本来ならもっと豊かな人生を生きられる身分なのに、母さんたちが不甲斐ないばかりに苦労かけちまったからねぇ」
「私、ずっと幸せだったよ。騙されたなんて思ってない。父さんと母さんの子どもで嬉しいよ。あのね……私、陛下のお役に立ちたいって思ってる。なんの取り柄もないけど、私が役に立つなら、頑張ってみようって」
「お前がやりたいことなら、父さんは何でも応援するぞ」
両親は何度も「ごめんね」と言いながら泣いていた。何一つ悪いことなんてしていないのに、生みの親でないことを隠してきたのを、後ろめたく思っていたのだろうか。リナジェインは両親と抱き合いながら泣いた。彼らを責める気持ちなんてこれっぽっちもない。血の繋がっていないリナジェインを引き取り、これまで愛情を注いで育ててくれたことに感謝しかなかった。
「父さん、母さん。ひとつ言わなくちゃいけないことがあるんだけど」
「なんだ?」
「外に待機している傭兵、私のことを――殺すつもりみたい」
「……!」
両親は顔を見合せた。傭兵は、リナジェインを両親に預けた者が送ってきたらしい。「もし娘が再び実家に訪れたら、傭兵に引き渡すように」と。それから、ヴァーグナー家がいかに危険な一族であるかということと、彼らが聖女の力を持つリナジェインを陥れようとしていることを説いたらしい。
実の両親は、これまでリナジェインを預けておいて、身分を明かさず、まともに報酬も払わなかったとか。風邪を引いても怪我をしても、見舞いのひとつもなしだったそうだ。
(もしかしたら私は、厄介払いされたのかもしれない。聖女の力を持つ娘は、本当の両親にとって、不都合な存在だったとか?)
いずれにせよ、実の両親の方は、リナジェインを殺してでも皇家に引き渡したくなく、更に自分たちの手元にも置いておきたくないようだ。もしかしたら、リナジェインのことを愛してはいないのかもしれない。大切に思っているなら、劣悪な環境で暮らす賤民に預けたりしないだろうから。
すると、シュナが尋ねてきた。
「それは本当か?」
「ええ。微かに死の匂いを感じました」
シュナはつき従えていた護衛たちに、家の裏口で控えている傭兵を拘束し、宮殿に連れ帰るように命じた。護衛たちは「御意」と答え、扉を出ていった。薄壁の向こうから、男たちの呻き声と打撃音が漏れ聞こえた。ほんの数分で、傭兵は拘束されたようで、音は収まった。
(私の本当の両親は、なぜこんなことをするの……?)
◇◇◇
「それじゃあ、行くね」
「ええ。気をつけて。たまには手紙を送るのよ」
「分かった」
「風邪、引くんじゃないぞ」
「うん。父さんもね」
別れ際、リナジェインたちは両親と強く手を握り合った。
「兄さんが来たら、私の無事を伝えてね」
「分かったわ」
両親に尋ねると、兄ユーフィスも実の息子ではないと答えた。リナジェインを預けられたとき、ユーフィスはまだ子どもだったが、リナジェインとは血の繋がりはなく、自分は監視役を任されていると言っていたそうだ。彼はその他のことはほとんど語らず、ただ兄として傍で過ごすことを望んだという。リナジェインが物心つく前に、「すまない」と泣きながら話しかけているユーフィスを何度か見たこともあったとか。
残念ながら、両親も兄の行方は知らないままだった。
(両親だけでなく、兄さんまで赤の他人だったなんて……)
よくよく考えてみたら、ユーフィスとは見た目も性格も全く似ていない。似ているところなんて、好きな食べ物が母の焼いたライ麦パンというところだけだ。血の繋がりがないと言われても普通に納得できる。
兄が賤民なのに公用語を流暢に話し、気品があって礼儀正しく、勉強までできたのは、相応の場所で学んでいたからと考えるのが妥当だろう。もしかしたら、兄は貴族の家に奉公に行っていたのではないのかもしれない。
帰りの馬車の中で、ジュナが心配そうに言った。
「大丈夫か? 色々と明らかになり、当惑しているだろう」
「驚いてはいますが、大丈夫です。両親が元気そうな姿を見れたので」
けれど、依然として兄の行方は分からないままだし、家族だと思っていた人たちは、ことごとく血の繋がりがないのだと分かった。多少の戸惑いはある。
そして、聖女の力を行使すると、命さえ危険になることが分かった。これまで力を使ったのは、計四回。一度目は、幼いころ母の火傷を無意識に力を発動させて治した。それ以来母から力の使用を固く禁じられたが、流行病に伏せったユーフィスをこっそり治した。そして、三度目は常民に捕まって折檻を受けたとき、怪我を治そうと自分に使った。しかし、聖女の力は自分に対しては無効で、左足に惨い怪我の跡が残ってしまった。
「まさか、聖女の力にこんな恐ろしい代償があるなんて思いませんでした」
四度目は、毒に侵されたシュナを助けた。あれでどの程度自分の寿命が縮んだのかは分からないが、後悔はしていない。
「すまない。あのときの私は、聖女の力について詳しくは知らなかった」
「い、いえ、謝らないでください。あのときの選択に後悔はありません。それに、代償を知っていたとしても、力を使っていたと思います」
毒に侵されて苦しんでいるシュナを見たとき、本能的に彼を助けたいと思った。最悪の出会い方だったが、彼を救うための運命だったのかもしれない。
「ああ。お前のおかげでこうして生きながらえてる。感謝してもしきれないな」
「陛下が私に感謝なんて……恐れ多いです」
「私が言える立場ではないが、もう力は使うな。他人にも知られないようにしろ」
「はい」
聖女の力を知られれば、それを利用する者が出るだろう。そして、リナジェインが旧皇家の末裔なら、リナジェインを担いで政争を起こそうと画策する輩もいるかもしれないのだ。
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