第17話 隠された出生の秘密

 

 夢から覚めたとき、頬に涙が伝っていた。そして、自分がシュナの膝に頭を乗せて熟睡していたことに気付く。


「はっ……!」


 瞬く間に意識が覚醒し、慌てて半身を起こしたら、ごつんと鈍い音がした。額に鈍痛が走って反射的に目を瞑り、再びそっと瞼を開けると、シュナが間近で眉をひそめ、顎を抑えていた。


「ご、ごごごめんなさいい!」

「全く。お前はどんな石頭をしているんだ。岩でも激突したかと思ったぞ」

「……すみません」

「まぁいい。よく眠れたか?」

「おかげさまで」


 この国最恐の膝枕は、肉厚でなかなか寝心地が良かった。


 リナジェインが乱れた髪を手で調えていると、窓の外から異臭を感じた。シュナはそれに気付いていない。リナジェインだけが感じるその匂いは――


(――死の匂いがする)


 はっとして窓の外を見ると、馬車が貧民街を通過していた。昔は豊かな市街だったが、ある飢饉をきっかけにすっかり廃れてしまい、今は落ちぶれた街並みが広がっている。痩せ細った貧民らが道の脇に座り、物乞いをしている様子は痛ましい。乞食の子どもたちの中には、手や足がなかったり、顔に大きな火傷痕がある子どもがいる。


「なぜ、乞食のあの子どもたちに、手足がなかったり、目につくところに傷跡があるか、陛下は分かりますか?」

「悪漢に暴行を受けたのだろうか」

「それもあります。でも、大半は――親や自ら傷つけるのです。道行く人の同情を誘い、食べ物を恵んでもらうために」


 ここに集まってくるのは、私生児や寡婦、家を持たない者など、賤民の中でもことさら賎しい民たちだ。餓死や病死は日常茶飯事。いつでも"死"というものが隣り合わせなのだ。その日生きていくため、彼らはなんだってするのだ。


「言葉を失ってしまうな。……民衆の窮状を目の当たりにするのは、何度経験しても慣れない」

「陛下の労りのお心が、民の救いになるはずです」

「彼らに必要なのは、同情などではなく物質的な支援だ。ここまで支援の手が伸びていないのは、私が不甲斐ないせいだ」


 シュナは路上の民をまっすぐ見据え、切なげに眉を寄せた。


「帰りに……市場で食べ物を買って配りませんか? そうすれば、市場の経済を回すことにもなりますし、賤民は今日という日は飢えを凌ぐことができます」

「……瑣末な支援だな」

「貧民にとっては、たった一欠片のパンすら救いになるんですよ」


 リナジェインはそれをよく知っている。たった一欠片のパンの価値を。貴族にとってはなんの価値も見いだせない瑣末なものでも、賤民にとっては、その日生きられるという希望そのものだ。


「では、そうしよう」


 二人は約束し、貧民街を抜けた。



 ◇◇◇



 そしてまもなく、実家に到着した。周りには建物がほとんどなく、うらぶれた漆喰塗りの建物がぽつんと佇んでいる。玄関の薄いドアを叩くと、母が開いてくれた。久しぶりに見る母の顔に安心する。


「ただいま、母さん」


 しかし、彼女から返ってきたのは、思いもよらぬ言葉だった。


「……どちら様、でしょうか?」

「え……」


 シュナの報告通り、他人面をする母。


「な、何言ってるの? 私だよ、リナジェイン」

「さぁ……初めてお会いしますが」

「そんな、急にどうしちゃったの!? おかしいよ、こんなの……」


 後から出てきた父も同じ対応を取った。本当に初めて会う相手を見たかのように首を傾げる父に、茫然自失となっていると、シュナが「落ち着け」と耳打ちした。彼の声にようやく平静さを取り戻す。


「お前たちに話があって参った。少し上がらせてもらうぞ」

「あなた様は一体……」

「シュナ・ヴァーグナーだ。皇帝の名くらいは分かるな」

「……! 狭いところですが、どうぞ」


 両親は顔を見合せて驚いた反応を見せた。二人は揃って慎ましく頭を下げて、中へと促してくれた。家の中は、リナジェインが住んでいたころと随分変わっていた。四人で囲っていた居間の大きな円卓は、こじんまりした二人用のものに。椅子の数も二つ減っている。まるで、最初からリナジェインとユーフィスが存在しなかったような工作だ。両親はリナジェインとシュナに椅子に座らせ、自分たちは床の上で頭を垂れた。


「陛下、私共は貧しい賤民にございます。あなたのような方が、我々に一体なんの用件があるのでしょうか」

「お前たちの娘を側妃にしたゆえ、挨拶に来たのだ」

「……ですが、そちらのお嬢様は、私たちの娘ではありません」


 シュナは小さく息を吐いた。


「私の前で虚偽を申せば、不敬と取るぞ」

「とんでもございません……! やましいことなど何一つ。戸籍を調べていただければ、私共に子がいないことはお分かりいただけるはずです」

「戸籍の繋がりだけが、家族を証明する方法ではないと思うがな」

「…………」


 リナジェインは両親の姿を眺めながら思案していた。……両親に嘘をつかせたのは、一体誰の差し金なのかと。新しい家具を揃える経済力は我が家にはない。それなのに、カーテンからテーブルに至るまで総入れ替えしている。記憶喪失なんて可能性も考えていたが、これは何らかの意図があって、娘の存在をなかったことにしているのだ。


 そっと椅子を立ち上がり、シュナに話しかける。


「陛下。私、自分の部屋を見てきます」


 自分の部屋には、リナジェインが過ごしてきた形跡が沢山残っているはずだが、それさえ隠されているだろうか。すると、母が「勝手に行かれては困ります!」などと言いながらついてきた。


 予想通り、かつて兄と共に使っていた狭い部屋は跡形もなく片付けられており、母の寝室になっている。見たことのない家具や雑貨が並んでいた。けれど、小さなころからユーフィスと身長を印として刻んでいた柱はそのままだ。ここは確かに、少し前までリナジェインの部屋だった。柱の元まで歩き、切り付けた傷を指先で撫でる。そのとき、母が切羽詰まった様子で言った。


「リナジェイン! あんた、これを持って今すぐここから逃げなさい!」

「え……?」

「裏口にこれからあんたを守ってくれる護衛の方が待機しておられるから。さ、早く……!」


 渡された皮袋のなかには、とても両親が用意できるはずがない大金が入っていた。


(だめ。外にいる傭兵は信用できない)


 母が指差した窓の向こうから、死の匂いがほのかに香る。匂いは微弱ではあるが、彼らの目的はリナジェインの庇護ではなさそうだ。


「母さん、言っている意味が分からないよ」

「あんたはね、私たちの本当の子どもじゃないの。皇家から遠ざけるために、生まれたとき偉い方から預かっていたの。とにかく、あんたは皇室に入っては駄目。皇帝に近づけば、あんたは――死ぬのよ」

「…………!」


 母は並々ならない剣幕で、嘘をついているようには思えない。


「私は誰の子どもなの?」

「分からないわ。詳しい事情は私たち夫婦は聞かせてもらえていない。けれど、あんたの瞳の色は高貴な身分の証で、人を癒す神聖な力は、皇家が喉から手が出るほど欲しがるものなんですって」


 リナジェインの力が、聖女の力であり、旧皇家の血筋の女にしか現れないのだとシュナから聞かされている。病や傷を治す力は、権力者でなくとも喉から手が出るほど欲しいだろう。


「それに……兄さんは?」

「分からない。急にいなくなってから、私たちのとこにも音沙汰がないから。もう話してる時間はないわ。早く行きなさい!」


 母が手を引いて扉の外へ導こうとする。あの傭兵たちは危険だと伝えようとしたとき、扉が開いた。


「なるほどな。やはりリナジェインは旧皇家の末裔だったか」

「へ、陛下……!」


 母はシュナを目の当たりにして顔を青くした。シュナの後ろには顔面蒼白の父もいる。シュナの立ち姿は峻厳としていて、ただ立っているだけでもそこはかとなく威圧感がある。彼は母に詰め寄り、玲瓏と話しかけた。


「新皇家の初代は、旧皇家レジスニア家を根絶やしにすることで政権を奪取した。しかし、調査したところ、実際にはフォンディーノという姓と公爵位を叙爵し一部を生かしていたのだ。聖女の力を持つ者を、代々妃として新皇家に差し出すことを条件に。フォンディーノ公爵家との密約を聞かされる前に先代が崩御したゆえに、私もこれまでずっと知らなかったが、契約書を発見した」

「リナジェインが……レジスニア家のお姫様……なのですか?」

「そういうことになるな。フォンディーノ公爵家は、聖女の力を持つ娘を皇家に取り上げられるのを恐れ、お前たちに預けたのだろう。皇家に入った聖女たちは皆、早くに死んでいる。聖女の力には代償があるからだ。無闇に行使すれば、寿命が縮むという――な」


 両親は悲しそうな顔を浮かべた。リナジェインは代償については聞かされたことがなかったが、力を使ってはならないと幼いときから言われていた。両親は代償があることを知っていたのだろう。


「どうか、どうかこの子だけは見逃してやってください。どうか、リナジェインだけは……。代わりにどんな罰でも受ける覚悟です」

「何卒娘だけは、お助けください……。小さいころから賤民として生きることを強いられ、不自由しながらも逞しく必死にここまで頑張ってきた娘です。彼女からこれ以上何を奪おうというのでしょうか。どうか、この通りです……」


 母と父は、シュナの前で額を床に擦り付けて懇願した。自分のために涙ながらに懇願する両親に、リナジェインまで泣いてしまった。


(父さん、母さん……)

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