第35話 再会

 

 火事は皇都中に広がることなく鎮火された。強い東風が吹いていた上、乾燥した日だったため、下手をしていたら都市が壊滅する大火災になっていたかもしれないが、『氷の皇帝』の迅速な対応により、延焼する前に消火が完了した。被害も、建物が六棟全焼したのと、軽傷者が数名出ただけだった。


 新皇家ヴァーグナー家も、旧皇家レジスニア家が聖女の力を賜ったのと同じように、長きに渡りアンデルス皇国を統治したことで、神から力を授けられた。それが――氷を操る力。あらゆるものを凍結させる能力者は、一代につき一人生まれ、シュナは生まれたときからその特別な力を有していた。


 火事に際して迅速に対応し、民に避難を促して自らを消火活動に参加した皇帝は、民衆に高く評価された。

 そして、火の中に飛び込み、身を呈して救出活動にあたったユリウスと賤民の側妃も、人々から英雄のように賞賛された。



 ◇◇◇



 そして。燃えた街の復興が終わったころ。宮殿のシュナとリナジェインの元にひとりの客が訪れた。


「厄難は全て過ぎ去りました」


 応接間にて、ソファの向かいに座る彼女は、厚みのある唇でそう告げた。彼女はロゼット・モアレ。旧姓はフォンディーノであり、今は皇都で最も有名な占い師をしている。兄を探すときに世話になった相手でもあり、シュナが傾倒していた占い師も彼女だ。そして、リナジェインの生みの親である。


「お二人共、よくこの厳しい試練を乗り越えられましたね。大儀でした。これから運気は上昇し、安寧の日々が続くでしょう」


 シュナに訪れる死の危機とは、まさにこの火災のことだったそうだ。早くに手を打たなければ、火は強風に煽られて皇都中に広がり、氷の皇帝の力を持ってしても鎮火しきれず、皇都を壊滅させたという。


 ロゼットは突然ふらりと宮殿に現れて面会を要求し、素性を打ち明けてきた。

 以前世話になったときはベールを被っていたが今は外しており、面立ちはリナジェインやアージェリアとよく似ている。


「……生まれたばかりのあなたを夫に取り上げられ、遠方に預けられた時から、全ての未来は見えておりました。あなたは遠い地でもしなやかに逞しく育ち、いずれこの国が太陽――皇帝陛下の妃になると。賤民として苦労することも、妃として必要な精神を築くために必要な経験だったのですよ」

「……」


 ロゼットは眉を寄せて、続けた。


「アージェリアの数奇な未来も知っておりました。愛の執着に溺れ、身の破滅を招くと。私はそれを防ぐため、あの子の傍で愛情を注いでいましたが、彼女が物心つく前に、夫に屋敷を追い出されてしまったのです」


 アージェリアは大逆罪を問われて国外追放となった。もう二度と、この国の土地を踏み歩くことさえ許されない。


 未来が見えても、運命は変えられなかったのだろう。


「彼女の人生はまだ長い。再起することもできよう」

「陛下……。ありがたきお言葉、痛み入ります。私はこれからあの子と共に、皇国を離れ心の浄化の旅をしようと考えております。だから最後に、もう一人の愛する娘であるあなたに会いに来たのです。リナジェイン」


 ロゼットはこちらを見据え、切なげに微笑んだ。


「今更母親面しようだなんて、虫がいいことは分かっております。けれど、一日たりともあなたを想わない日はありませんでした。最後に一度でいいから、母親としてあなたに会って言いたいことがあって……」

「……なんでしょうか」

「生きていてくれてありがとう。母親らしいことを、何もしてあげられなくて……ごめんなさいね」


 労りに満ちた表情は、母親の表情だった。

 まだ二度しか会っていない相手なのに、彼女の深い愛情を感じて、鼻の奥がつんと痛くなる。


 産まれたばかりの子どもを取り上げられて、残された子どもとも引き裂かれた彼女の心中は、想像を絶するものだったはずだ。


 そっと、首を横に振る。


「お母様こそ、ずっと私のことを心にかけてくださってありがとうございます。お母様が宮殿に導いてくださったから、兄に再会し、陛下にも巡り会うことができました。感謝しています」


 ロゼットはそれを聞いて、はらはらと涙を流した。泣いた姿さえ、貴族の夫人らしく淑やかだ。


「……私のことをお母様と呼んでくださるのですか? こんな私のことを……」


 リナジェインは、ふっと目を細めて微笑んだ。


「私は幸せ者ですね。大切なお母さんが、この世に二人もいるのですから。旅先でも、どうかお体に気をつけてください」


 自分のために泣いてくれる彼女は、紛れもなくリナジェインの母親だ。たとえ今まで離れていたとしても、それは純然たる事実だ。


 手をかざして、『――精霊の祝福と加護を』と祈りを口にする。すると、淡い金色の光の粒が、ロゼットの身を包んだ。彼女は祝福の光を受けながら、しばらく泣いていた。


「これで最後になりますから、何か聞きたいことはありませんか? 私はこれでも、皇都一の占い師です。どんな悩みごともたちどころに解決して差し上げますよ」

「まぁ……そうですね……」


 好きなことを何でも占ってくれるというので、考えてみる。シュナは断ったが、リナジェインはせっかくなので何か依頼することにした。

 あっと思いつき、尋ねる前にシュナの方を振り向く。彼の両手を誘導し、耳を塞がせた。


「これは何のつもりだ」

「陛下はしばらくそうして耳を塞いでいてください。聞かれたくないので」


 彼は不思議そうに頷いた、ロゼットがその様子を見て、くすくすと笑いながら「内緒話ですね」と言う。リナジェインは顔を赤くさせて、膝の上でスカートを握り締めながら、彼女に聞いた。


「聖女と、ヴァーグナー家の血族では、子どもを授かることができないと伺いましたが、私たちの場合もそう……なのでしょうか」

「まぁまぁ。そんなに恥ずかしがることではないのですよ。かしこまりました。少々お待ちくださいね」


 テーブルの上に大きな水晶を置き、両手をかざして目を閉じる。数分間の沈黙の後、彼女は顔を上げてにこりと微笑んだ。


「お子さまを抱いて、幸せそうに笑っておられるお姿が見えました。そうですねぇ、恐らく性別は――」

「わっ、ま、ま待ってください!」

「……どうかなさいましたか?」

「それは……言わないでください」

「ふふ。分かりました。お楽しみにしておきましょうか」


 希望のある回答をもらえて、ほっと安堵した。もしかしたら、そんな素敵な未来があるのかもしれないと、ふわふわと浮ついた気分になった。


「それから、聖女の力の代償について、聞きたいです。力を使ったことで、私の寿命は……かなり縮まっているのでしょうか」


 ここまで何度か力を行使し、瀕死の状態の人も助けている。自分の生命にどの程度影響があるかは確認しておきたかった。

 覚悟して答えを待っていると、彼女はまた柔らかく微笑む。


「特に影響はないように視えます。それほど恐れることなく力を使っても問題ないそうですよ。何百人、何千人単位で回復させたり、体力が底を尽きているのに酷使すれば、身体に障るそうですが」


 歴代の聖女たちは、戦争や災害の度に駆り出されて力を搾り取られていた。聖女でなくとも、多忙のせいで倒れていてもおかしくはないだろう。


「これまでの聖女の方々は、聖女の力の代償ではなく、過労により早くに亡くなられていたようです」

「……気の毒な話ですね」


 けれど、聖女の力が、自分の認識より危険度が低いものだと知って安心した。


(水晶に何が視えるんだろう?)


 目を凝らして水晶玉を覗いて見たが、リナジェインには何も見えなかった。食い入るように水晶に顔を近づけているリナジェインを見て、ロゼットは楽しそうに笑った。



 ◇◇◇



 ロゼットが帰って行った後、ずっと仏頂面だったシュナが、なぜかやけに頬を緩めていることに気づいた。そして彼は、リナジェインの肩をぽんと叩いて囁く。


「私はどちらでも歓迎だ」


 どちらでも歓迎とは。

 藪から棒に何だと思い、首を傾げて考えた後、はっとした。


(どちらでもって、性別のこと!?)


「へ、へへへへ陛下っ、まさ、まさかさっきの鑑定を聞いて……!?」


 シュナは大きな手でリナジェインの両耳を塞ぎながら言った。


「ほら。丸聞こえだろう?」


 丸聞こえだ。少しこもっているが、何を言っているかははっきり認識できる。耳を手で塞いだ程度では、大した防音にはならないようだ。


 迂闊だった。自分は考えることがなんて浅はかなんだろう。

 リナジェインは恥ずかしくて半泣きになりながら、「何も聞こえません」と嘘をついた。そんな彼女をシュナは、愛おしげに見つめるのだった。

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