第29話 恋に悩むのは私だけ?

 

(兄さんが、私を――好き?)


 執務室で兄とシュナの会話を盗み聞きしてから、頭の中はその事ばかりを占めていた。食事もろくに喉を通らず、寝不足気味で無気力になった。


「リナ様……。一体何があったのですか? 最近ご様子が変です。今日もまたほとんど食事に手をつけられていませんし……」


 食事をする傍らで、ジニーが心配そうに言う。ナイフを動かす手を止めて、皿の縁に置いた。


「ジニー、ヴィクトリアさん。少し、相談に乗ってくれないかな」

「もちろんです!」

「その……私の友達の話なんだけどね、ずっと家族みたいだと思っていた相手が自分に恋愛感情があると分かって、悩んでるみたいなの。彼女は、どうするべきだと思う?」


 ジニーとヴィクトリアは顔を見合せた。


「それって殿下とユリウ――むぐっ」

「無粋ですわよ」


 ヴィクトリアはジニーの口を塞ぎ耳元で囁く。ジニーは顔を青白くさせながらこくこくと頷いた。ヴィクトリアがこほんと咳払いする。


「そのご友人が、お相手のことを異性として意識し始めたのか、はたまた気持ちがないのかで話は変わってきますが」

「それは……」


 兄のことは世界一大好きだし、尊敬している。けれどユリウスはあくまで兄だ。急にい異性として見れるかと聞かれても正直、分からない。

 それに、ユリウスの想いに向き合おうとする度、頭の中にシュナのことが浮かぶ。


「そ、その友だちには、もう一人大切に思っている人がいて……。その相手に命を救われたことがあるんです。性格は強引で、少し不器用なところがあるけど、本当は優しい人で……。その人のことを想うと、胸が苦しくなるんです」

「なるほど。殿下……ではなく、そのご友人は二人の殿方の間で揺れていらっしゃるのですね」


 その問いかけに、おずおずと頷く。


「これって華の貴公子と氷の皇帝の禁断の三角関け――んぐ」

「あなたはお黙りなさい、ジニー」


 主人に聞こえないところで、侍女二人が揉めている。リナジェインが悶々とした気分で俯いていると、ヴィクトリアが言った。


「今のお話しぶりだと、二人目の方に思い入れがあるように感じましたがいかがでしょう。そして、家族だと思っていたお相手の方は、家族にしか過ぎず、気持ちに応えられないから負い目を感じていらっしゃる」


 俯いたまま、スカートを握りしめて「……その通りです」と答えた。


 ユリウスはずっとそばで守り続けてくれた。惜しみなく愛情を注いでくれて、彼がいたから今の自分がいる。

 けれど、兄の想いには――応えられない。どんなに悩んでも、兄は兄だから。


「その人のことが大好きなんです。もし彼が怪我をしたとして、治すためなら臓器でも腕でも足でも、喜んで差し出せます。その人を助けるためなら死んだって構いません。でも、でも……その人が一番望むものだけは、あげられないんです」


 気がつくと、両目からとめどなく涙が溢れていた。

 ユリウスに対する思いは家族愛で、覆りようはない。妹にはなれても、恋人にはなれないのだ。


「申し訳なくて……っ」


 両手で顔を覆い、肩を震わせて泣いた。ヴィクトリアとジニーが背中をさすって宥めてくれたが、涙は治まってくれない。


「殿下。男女のことは理屈ではどうにもなりません。できることは、自分の気持ちにも、相手にも誠実でいることだけです。どうかご友人にそうお伝えください」

「ヴィクトリアさん……」

「あの、私は恋愛経験とかはないんですけど、リナ様が命を賭してもいいくらい大切なお相手は、同じようにリナ様を愛して、幸せを願っていらっしゃるのでは……ないでしょうか。恋人になることだけが、愛の形じゃないと思います」


 兄がリナジェインの幸せを願ってくれていることは、分かっている。

 自分が傷ついたとしても、それを隠してリナジェインの幸せを手放しに喜んでくれるだろう。そういう優しい人だからこそ、胸が苦しいのだ。


 おもむろに、右耳に着けている彼とお揃いの耳飾りに手を伸ばした。



 ◇◇◇



 最近、リナジェインに元気がないから励ましてほしいと、専属侍女ヴィクトリアに言われた。さっそく文を出し、リナジェインを散歩に誘った。


 とある日の午後、色付く庭園を二人で歩いた。


「珍しいですね。陛下が散歩に誘ってくださるなんて」

「お前の顔が見たくなってな」

「……そう、ですか」


 切なげに目を伏せてしまう彼女。いつもと様子が違う。

 普段なら、花を見れば楽しそうに笑顔を浮かべる彼女なのに、今日はかなり気落ちしている。よく見ると頬がやつれている。

 ヴィクトリアに、食欲もなく寝不足という話も聞いているので、彼女の体調が心配だ。一体何が、彼女の心を悩ませているのだろうか。


(思えば、私が無理に妃にしてから苦労をかけてばかりだった)


 命を助けてもらったのに、「兄の捜索」という安い条件で皇宮に拘束した。使用人たちが彼女を不当に扱っていることにも気づかず、家庭教師や宝石商の横暴も後から知った。夫として不甲斐ないばかりだ。


 そして、彼女のことで悩んでいる自分自身に戸惑っている。これまでは政治や軍事のことばかりで、心を凍らせて生きてきた自分が、たった一人の若い娘のことで悩み、惑わされている。


(氷の皇帝と畏れられた私も、焼きが回ったものだ)


 契約期間が終われば、リナジェインとは他人になる。彼女を解放し、家族の元に返してやらなければならないと分かっているのに、どうも胸がざわめく。


「少し痩せたようだ。食事はしっかりと摂った方がいい」


 彼女のしなやかな頬に手を伸ばし、けれど触れずに戻した。


「ご心配なく。一食はきちんと食べているので」

「足りんな。食べれそうなものがあれば遠慮せずに言え。用意させる」

「……大丈夫です」

「そうか。では他に何か欲しいものはあるか?」


 彼女にしてやれることはないかと思考を巡らせて尋ねるが、冷たくあしらわれてしまう。


「何も要りません。本当に大丈夫ですから、お構いなく」


 心遣いをにべもなく拒絶され、少し戸惑う。

 彼女らしくない冷たい態度から、余程心に余裕がないのだと察する。


(やはり、兄と何かあったか)


 彼女が心を悩ませるのはいつだって兄のことだ。いつもいつも、彼女の心はユリウスのことで埋め尽くされている。きっとそこに、シュナの入り込む隙はない。

 どんなに呼び掛けても、振り向くはずがない。出会ったときから一途に一人を見ていた彼女だ。


 ユリウスが赤の他人だと知ったら、彼を男として愛するようになってもおかしくはないのだ。そう思うも、また心が乱れそうになる。


「ユリウスのことで悩んでいるのだろう」

「……! どうしてそれを……」

「図星か。お前の心をそこまで追い詰めるほど、何があった? 喧嘩でもしたなら私から代わりに言ってやろうか」

「大したことじゃありません。……だから、心配しないでください」


 他人の悩みに必要以上に踏み込むのは無粋と分かっていつつ、口から勝手に言葉が出る。


「心配するのは当然だ。お前は私の妃なのだから」

「……ただの契約妃じゃないですか」


 彼女は泣きそうな目でこちらを睨みつけた。


「一年したら、私のことを簡単に手放すおつもりなのでしょう? 興味があるとか、気に入ったとか、そういう言葉で散々私のことを振り回していたくせに。私に優しくしないでください……っ。思わせぶりな態度で、これ以上私の心をかき乱さないで……!」


 そこで彼女ははっとし、青ざめる。


「ごめんなさい、私……陛下に八つ当たりなんかして……」


 後ずさっていく彼女を逃すまいと、咄嗟に腕を掴んでいた。彼女はびっくりして肩を跳ねさせる。

 なぜ、そんなに切なそうな顔をするのだろう。なぜ、シュナに手放されることを悲み、シュナが優しくすると心がかき乱れるのだろう。

 恐る恐る、尋ねていた。


「リナジェイン。お前まさか……私に惚れているのか?」

「…………!」


 リナジェインは顔を真っ赤に染めて、頬に涙を伝わせた。


「ごめん……なさい」

「謝るな、質問に答えろ」

「ごめんなさい、今のは、忘れて――」


 腕を振り払い、逃げようとしたその拍子に後ろに転び、片足の靴が脱げた。靴を拾い、彼女に履かせてやろうとしたとき、凄惨な左足の古傷が目に入った。指二本が欠損し、骨が歪に変形している。よく転ぶし、歩き方が少しぎこちないとは思っていたが、ずっとこの左足を庇っていたからだったのだ。


 痛ましい傷跡だが、何も言わずに靴を足に履かせた。彼女の方を一瞥すると、顔面蒼白で言葉を失っている。他人に見られたくなかったのだろう。何も言わずに逃げていく彼女を追いかけることはできなかった。


 庭園に一人取り残されたシュナは、呆然とした。

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