トラウマの正体①
新卒で入社した、ある企業に居た頃の話だ。
そこは政府が規制緩和を行った分野の企業を中心に投資し、利益を回収していくビジネスモデルのいわゆるベンチャーキャピタルで、一学生ながら出資した企業と一体になって既得権益を打破していくスタイルに、何となく感銘を受けたことは覚えている。
……いや、それは飽くまでも面接用の建前だったな。
実のところ特にやりたいこともなく、就活サイトを適当に徘徊して辿り着いた会社だ。
だから特段思い入れはないし、明確なビジョンを持って選んだわけではない。
ただ、そんないい加減な動機でもやってやれないことはなく、面接・筆記試験を無難にやり過ごし、何とか内定まで漕ぎつけることが出来た。
当時は不景気とは言えないながらも、長かった買い手市場を抜け出して間もない頃だったので、新興市場とは言え上場企業に就職出来たことは素直に嬉しかったと記憶している。
今思えば、何ともまぁ浅はかだったろうか。
しかし逆に言えば、俺にとって所詮この程度の会社だったということになる。
そんな愛社精神の欠片もなかった俺でも、入社して半年もすれば仕事はある程度覚えるし、社畜根性だって育つ。
元々、器用貧乏さには定評のあった俺だ。
若者特有の〝何者かになりたい願望〟を早々に捨て、社会の歯車となる覚悟が出来たのも、きっとそれなりに仕事に対して手応えを感じていたからなのかもしれない。
まぁそうして会社にしがみ付いた結果、人生最大級のトラウマを生み出すことになるのだが……。
話は俺が入社3年目を迎えた頃に遡る。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「本日からこちらでお世話になります、飛鳥令那と申します。大学では経営学を専攻していました。学生時代に学んだことを活かしながら、一日でも早く戦力になれるように頑張りますので、ご指導・ご鞭撻のほど宜しくお願いいたします!」
春と呼ぶには些か抵抗がある、ひんやりとした風とともに、入社式は訪れた。
この恒例の冒頭挨拶に外野として立ち会うのは2度目だが、いつまでたっても慣れる気がしない。
皆、今後の社内での立ち位置を見据え、少しでも爪痕を残そうと必死で、見ているこちらがヒヤヒヤしてしまうのだ。
実際、初日の自己紹介を張り切りすぎたあまり、その後悲惨な末路を辿ったヤツを何人も見てきた。
だが、目の前の彼女はそんな俺の懸念を嘲笑うかのように、これでもかと言う程に完成された定型文を、曇りのない真っ直ぐな瞳で、とうとうと述べる。
決して、手を抜いているわけでないことは分かる。
恐らくこれが、何の含みもない、彼女の等身大の意気込みなのだろう。
そんなどこか拙い挨拶ではあったが、彼女の初々しく華やかな雰囲気に絆され、一同期待の眼差しを向けている。
……まぁ結果オーライ、といったところか。
所詮は、入社初日の挨拶など、通過儀礼だ。
ある意味、これが正解に近いのかもしれない。
無難が一番だ。
下手に頑張りすぎると、後々辻褄が合わなくなって自分の首を絞めるだけなのだ。
彼女が挨拶を終えると、予定調和の拍手が鳴り響く。
「はい、宜しく! じゃあ飛鳥さんは……、近江!」
「えっ? あ、はい!」
「お前この子の教育係な。立派な社会人に育ててくれよ!」
「はぁ……、分かりました!」
唐突に課長に教育係に任命され、一先ず俺は彼女とコンタクトを取ることにした。
「えっと、飛鳥さん? 今日から宜しくな。とりあえず何かあったら色々と聞いてくれ」
「はい! 近江さんの足を引っ張らないように全力で頑張ります!」
うーん、やはり固い……。
だが、猫を被っている可能性もある。
特に社会人1年目なら、自分の会社が実はブラックではないかと相当センシティブになるはずだ。
下手に目を付けられないようにと、しばらく無難にやり過ごすのも、立派な処世術と言っていいだろう。
真面目なんだか、不真面目なんだか分からんが。
「……まぁ、初日からそんなに飛ばさなくてもいいぞ。こう言っちゃなんだが、大人なんて俺含めてそんな大したもんじゃねぇよ。だから変に構える必要もない」
「分かりました! 肝に銘じておきます!」
軍隊さながらの返事に、彼女の今後を案じてしまう。
もしかしたら、彼女は超がつくほど純粋なのかもしれない。
別に悪いことだとは言わないが、実際生き辛いとは思う。
こういった人間は、要領の良い奴に何かと出し抜かれやすい。
そして、残念ながら、上司からも好かれにくいのだ。
正直な話、礼儀正しさや真面目さだけで言えば、現時点でも社会人として及第点だし、その点ではむしろ俺よりも優秀だ。
だが面倒なことに、社会人はそれだけでは心許ない。
彼女の場合、この辺の折り合いを如何につけるかが、今後の課題なのかもしれない。
とは言え、折り合いをつけられているかどうか怪しい、俺が言えることではないのだろうが。
「そうか……、とりあえず無理はすんなよ。じゃあまずは各部署に挨拶回りに行くぞ」
「はい!」
こうして、俺と彼女の初日が過ぎていった。
しかし考えてみれば、彼女は俺が社会人になって初めて出来た直属の後輩だ。
別に先輩風を吹かすつもりは更々ないが、クールに構えていてもやはり心のどこかでは嬉しかったのだと思う。
だから、俺なりに彼女が一人前に育ってくれることを祈った。
俺自身の未熟さは一先ず棚に置いて、な。
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