家族②
施設から来た道を引き返し、〝俺〟が待つ公園へ急ぐ。
果たして養老は見つかっているのだろうか。
公園と言えども、釣り堀や体育館、テニスコート、植物園なども併設された複合型施設だ。
闇雲に探していたのでは時間がかかる。そもそも公園にいるとも限らないわけだ。
しかし〝俺〟は確信に近い何かがあったからこそ、あの時そう言ったのだろう。
初めに来た喫茶店から施設とは逆方向へしばらく進むと、右手に円筒状のモニュメントが見えてきた。
それが公園のシンボルになるので、そこを目指して進めば目的地に着く。
公園の入り口までもう少しというところで、入り口付近に〝俺〟の姿だけが見える。
「見つからないのか?」
「スマン、怪しいところは一通り探したんだが……」
「警察には連絡しましたか?」
「いや、まだだ」
「最悪そうするべきだとは思うが。できれば俺たちだけで探した方がいいだろうな」
ただでさえ、今は頭の中がグチャグチャしているはずだ。
事態を大ごとにして、彼女に余計な罪悪感を植え付けるのは得策ではない
それから俺たち三人は手分けをして公園中を探し回ったが、何も成果を得られぬまま、時間だけが過ぎていった。
「見つかったか?」
浄御原と〝俺〟と合流し、成果を聞き出すが、二人の切羽詰まったような顔色から察するに、収穫はゼロのようだ。
「いや……」
「こちらも、です」
「しかし、公園でないとするとどこにいるんだ? 子供の足だしそう遠くへは行っていないとは思うんだが」
「こういう時は頭を冷やして冷静になれる場所へ行くものです。民香ちゃんがよく行く場所って他にどこかありますか?」
「そう思って公園に来たんだがな。アイツとバッタリ会うのは、大体ココだからな」
「そうですか……。いや、私も小さいころ親と喧嘩した時に決まっていく場所がありましてね。年に1回家族で紅葉狩りをする小山なんですが。行こうって思わなくてもそういう時は何故か自然と足が向かうんです。そこで色々と考えるうちにやっぱりこのままじゃイヤだ、仲直りしたいって思うんですよ。ですから、民香ちゃんにもそういった思い出の場所とかあったりするんじゃないかなと思いまして」
「思い出、か」
浄御原の話に〝俺〟は少し考えた後、ハッとした表情を見せ、何かを思い出したかのように勢いよく走り出す。
「おいっ! 何か思い出したのか!?」
「あぁ! とりあえずついて来いっ!」
「ちょっ!? 待って下さいよーっ!」
〝俺〟の後を追いかけ、公園の敷地内へ向けて進んでいく。
テニスコートや体育館などのお馴染みの施設を横目に園内を進み、途中、滑り台やブランコ、ターザンロープなどが組み込まれた巨大な複合型遊具のある広場が目に入る。
考えてみれば今日は休日か。親子連れが目立つ。
そんなことを考えながら走っていると、不意に〝俺〟が足を止めた。
「ハァハァ……、着いたぞ」
ここは、園内にある市営の動物園か。
俺自身は入ったことはないが、入園料が無料のため、この付近の親子連れにはちょっとした人気スポットになっているらしい。
「ここは養老にとって特別な場所なのか?」
「〝俺〟も詳しくは知らん。だが、ここはアイツにとって数少ない家族との思い出の場所だ」
家族か。
そうだ。彼女もついこの前まではごく一般的な家庭で幸せに暮らす普通の少女だった。
それがある出来事をきっかけに亀裂が走り、悲惨な現状に身を置くことになってしまった。
人生は本当にどう転ぶか分からない。
「そうか。じゃあ早速入ろう」
中に入ると、まず正面に噴水が目に入る。
その噴水の右手は池があり、ガチョウやアヒルといった水鳥が展示されていた。
池を過ぎると、リスザルやシマリスなどの小動物のコーナーになっている。
また、噴水の左手にはウサギやヤギ、モルモットなどの動物と直接触れ合えるスペースもある。
全体的に大きいとは言えないが、休日に親子が時間を潰すには十分な内容に思える。
入り口付近に養老がいないことを確認した俺たちは、園内奥にあるポニー乗り場へと足を進めた。
すると、広場を囲むように張られている柵に掴まりながら、今にも泣き出してしまいそうな物悲しい表情でポニーを見つめる養老の姿があった。
「あっ、おじちゃんたち……」
「こんなところで何サボってやがんだ。勉強はどうした?」
養老を見つけ安堵した様子の〝俺〟は、ぶっきらぼうな物言いで近づいていった。
「おべんきょうの時間なんて、もうおわっちゃったよ……」
辛うじて苦笑を保ちながらも、養老は答える。
「……養老。悪いが施設でのこと、聞かせてもらった」
「っ!?」
俺は養老に近付き、彼女にとってやや残酷な事実を突きつけた。
当然のことながら、養老は酷く動揺してみせる。
無理もない。これまで心配をかけまいと散々気を遣っていた相手に、事の真相を知られるわけだ。
「お前が〝俺〟に気を遣って暴言や暴力を受けていることを黙っていたのは知っている。だが、もう限界だ。それでお前が壊れちまったら元も子もないだろ」
「はぁ!? お前っ! 暴力はないって言ってたじゃねぇか!」
暴力、という言葉に条件反射した〝俺〟が、口を挟んでくる。
「うん……、黙っててごめんなさい……」
養老は素直に謝る。だが違う。謝るべきはお前じゃない。
「言えなかったんだよな。誰かさんが自己陶酔的な罪悪感に浸っているせいで」
「……何が言いたい?」
煽るような口ぶりでそう言うと、〝俺〟は不快さを全面に押し出した顔で応える。
「だってそうだろ? ヒールになり切れるわけでもなく、中途半端にアンニュイぶってんだからな。それは誰に向けての反省してますアピールなんだ?」
「お前……、立場分かって言ってんのか?」
「全部分かった上で言ってんだろうが。俺がそれを指摘する資格がないこともな……」
「…………」
「なぁ、もっと合理的に考えたらどうだ? マルチでたらふく儲けたんだろ。いいじゃねぇか。今度はそれを誰かのために使えよ」
「さっきは倫理的にどうとか偉そうなこと言ってたじゃねぇか……」
「そうだな。もう俺自身、何をもって倫理、だとか分からなくなってきてんだよ。だがな。力があるのにも関わらず、救える人間を救わない。それは世間一般的に見て、非道徳的って言えるんじゃねぇか? 知らんけど」
よくもまぁ、ここまで偉そうなことを言えたものだ。
我ながら関心してしまう。
「でもだからって何が出来るんだよ。〝俺〟はそいつの親でも何でもない」
「……親になればいい」
〝俺〟は目を見開き、こちらを見た。
「なぁ養老。家族がいた頃に戻りたいか?」
少し考えた後、彼女は答える。
「もどりたいよ。でも、もうもどれないのも知ってる……。おかあさんも死んじゃったし、お父さんだって……」
「じゃあ聞き方を変える。新しい家族は欲しいか?」
「っ!? ……欲しい、欲しいよっ!!」
「そうか」
再びポニーのいる方向を見つめながら、彼女は続ける。
「ココね。昔おとうさんとおかあさんとよく来てたの。それでね。あたしがいつもポニーに乗せてもらうんだけど、その度におとうさんあたしが落ちないかスッゴイ心配してさ。それを見てたおかあさんが『飼育員さんがいるから大丈夫だ』って笑ってた。なつかしいなぁ」
養老の話を聞き、これから俺がする提案がいかに残酷であるかを再認識する。
思い出を捨て、新しい人生を歩む。
それが、この年齢の子供にとってどれだけ負担であるかは想像もできない。
「正直に言う。お前の父親が犯した罪はそれなりに重罪だ。初犯で実刑食らってんだから、裁判所からはよっぽど質が悪いと判断されたんだろ。だからまぁ……、長けりゃ10年だ」
「……そっか。そうだよね」
「だからってその間、お前が我慢することはないんだ。第一、刑期を終えた親父さんがお前を迎えにくるとは限らないぞ」
「もう! おじちゃん、正直に言い過ぎ!」
さすがに容赦なく言い過ぎたようで、養老は少しむくれてしまった。
「だから、一応保険を探しとけ。ココに都合の良い男がいるだろ。好きな時に好きなだけ食わせてくれるメッシー君がよ」
「めっしーくんって?」
通じるわけない、か。
と言っても、俺も世代ではない。
「おい、お前正気か?」
〝俺〟が戸惑ったような表情で問いかけてくる。
「なんだ? 不服か? 金あんだろ?」
「いや、そういうことじゃなくてだな……」
「おじちゃんが新しいおとうさんになってくれるってこと? それだったら全然良いよ!」
「っ!」
養老は嬉々とした声で言った。
とりあえずはこれで話は付いた、か?
「そうか。じゃあ決まりだな」
「でも法律的に大丈夫なんですか? ココの〝近江さん〟も独身ですよね? 養子縁組は配偶者がいる人にしかできないって聞いたことがあるんですが」
「それは実親との親子関係が解消される特別養子縁組だな。実親との関係が途切れない普通養子縁組の場合は、養親が成人さえしていれば独身でも可能だ。後は実親の同意が得られれば問題ない。まぁ養老の場合、親父さんが服役中で親権が停止されているだろうから、施設長の同意が必要だな」
「なるほど……、養子にも種類があるんですね」
「後は里親って手もある。ただそっちは飽くまでも一時的に預かるって名目だからな。新しく親子関係が生まれるわけじゃない。正直俺はどっちでも良いとは思う。どうする?」
「……あたし! おとうさんが欲しい!」
養老は、訴えかけるように叫ぶ。
「そっか。そうだよな……、じゃあそれでいこう」
「おい、〝俺〟をおいて話を進めるな!」
「おじちゃんは、あたしのおとうさんになるの、イヤ?」
「っ!? イヤってわけじゃねぇけどよ……」
「じゃあキマリだね!」
「……お前は〝俺〟なんかが父親でいいのか?」
「なんで? おじちゃん優しいし、大好きだよ!」
誰かに心から肯定されることなど、久しくなかったのだろう。
迷いなくそう言い切る養老を、〝俺〟は目に涙を浮かべつつ、抱きしめていた。
「……ねぇ、おとうさん。あたし、久しぶりにポニーに乗りたい!」
「あぁ行ってこい。落ちんじゃねぇぞ」
「ふふ。飼育員さんがいるんだから、大丈夫だよ」
養老は、はにかんだ笑みでそう言った。
寛永さんの他にも、探せば現状に疑問を抱いている職員もいるのかもしれない。
だが、こうしている間にも養老の時間は動いている。
さっさと逃げちまった方が養老のためだ。
「今日のこと、お前から施設に言っておけよ。諸々の手続きもお前がやるんだ」
「分かってるよ、その、ありがとな」
「もう一人のおじちゃん、ありがとう」
「おう、ま、元気でやれよ」
新しい関係を始めた二人を見届け、俺と浄御原は公園を後にした。
さて、またもや無駄な時間を過ごしてしまった。
俺自身に影響がない以上、この件に踏み込む義理はない。
でも何故か出来なかった。
きっと不器用にも必死で生きようとしている養老と〝アイツ〟をどこかで重ねていたんだと思う。
そして、それはココの〝俺〟も同じだ。
だから、欲しかったのだろう。養老を救うための大義名分を。
「今日はお疲れ様です。何だかんだ時間が経ちましたね。もう夕方ですよ」
そもそもコイツが手引きに失敗していなければ、今頃殺人鬼の〝俺〟と何らかの接触をしていて、上手くすると帰れていた可能性もある。
……いや、それを言うのは反則か。
人には得手、不得手があるのだ。
皆が皆、そういった極当たり前の事実から目を背けてきたからこそ、失敗の許されない、どこかギスギスした生きづらい世の中が生まれてしまったのだろう。
そんな取り留めのないことを考えつつ、俺は生ぬるい視線で浄御原を見た。
「えっと……、何か?」
「い、いや! 何でもない! でも、そうだな。おかげでだいぶ疲労困憊だわ。でもこれで手引きが出来るんじゃないか?」
「まぁそう焦らずに。〝近江さん〟がロリコンから一児の父親にグレードアップした記念にどうです? お食事でも」
「別にいいけどよ」
「決まりですね! いやー、実は今期の予算が微妙に余っていてどうしようかと悩んでいたんです。回らないお寿司にでも行きましょう!」
「いいのかよ、それで……」
「使い切れないと、来年度以降交付金を減らされてしまいますからね。これは飽くまでも経営戦略です!」
独立行政法人ということは、交付金は市民の血税から来ているのだろう。
とは言え、せっかくの申し出だ。ご相伴に預かるとしよう。
それから俺は、浄御原の奢りで人生初となる回らない寿司を思う存分堪能した。
「さすがにクオリティが違いましたね」
「そうだな。人の金で食う大間産の本マグロがこんなに美味いとは知らなかったよ。ご馳走さま」
「近江さんが完全に開き直っていて、安心しました」
「こういう流れで奢られる時は、罪悪感を持った方が負けだ」
「清々しいほどのクズ発言ですね」
それにしても、もう夜の9時か。
思ったよりも長居してしまった。
早いところ、次の世界線に……。
「あのー、少しお話を伺ってもよろしいでしょうか?」
〝俺〟と養老を新しい道へ導いた安心感からだろうか。
それとも、人生初の高級寿司に心を満たされ、隙が生じたからだろうか。
俺は、すっかり失念していた。
ここは夜のホテル街で、浄御原はセーラー服姿であることを。
どうやら俺たちは傍から見れば、ただの援交カップルだったようだ。
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