家族①

「着いたな……」


 〝俺〟の言う通り、喫茶店のあった通りをまっすぐ進み、二つ目の信号を曲がるとかなり傾斜の強い坂道だったため、正直なところ少し堪えた。

 つくづく体の衰えを感じてしまう。


「着きましたね……」

「お前はここで休んでていいぞ」

「ちょいちょい年寄り扱いしますよね……。まだ若いので問題ありません! ていうかあなたより若いです!」


 肩で息をしながら、言われても説得力に欠ける。

 膝に手を置き、息を荒げる浄御原を横目に、俺は辺りを見渡して職員らしき人物を探した。


「あなたは……」


 俺に向けられたであろう声のする方へ、顔を向ける。


 俺と同年代か、やや上か。大胆に顔に掛かった前髪が印象的な前下がりのショートボブ。

 片目が隠れているとは言え、彼女の鋭い視線は敵へ向けて送るソレであることは容易に分かる。

 胸元のネームプレートには寛永ひろながと書かれていた。

 風貌から察するに、恐らくこの施設の職員の一人だろう。


「あっ、えーっと、俺は……」

「もう、民香ちゃんに関わらないでもらえますか!?」

「っ!?」


 やはり向こうは〝俺〟の存在を認識しているようだ。


「私たちには……、私たちのやり方があるんです」

「やり方って……、何のだよ」

「私たちの教育方針、です」

「育ち盛りのガキにロクに飯も与えず、挙句赤の他人に集らせんのが、そちらさんの教育方針なのか? あぁ、アレか? ココは物乞いの専門学校か何かなのか?」

「……あなたに何が分かるんですか」


 俺の皮肉を込めた言葉に、彼女は俯きながら呟く。


「分からねぇよ! 分かりたくもねぇ。あんたのところのな教育方針なんざ」

「では伺いますが、あなたならあの子を救えるんですか!?」

「……何が言いたいんだよ?」

「彼女は何も悪くない……。そんなことは分かり切っています。でも、ダメなんです! この施設には彼女を排除する空気が蔓延しています!」

「それは、あんたたちが勝手に作ったモンだろうが……」

「はい、もちろん私にも責任の一端はあります。ですが、私一人が動いたところで状況は何も変わりません……」


 寛永さんは、養老の現状について話し始めた。

 どうやら、現実は〝俺〟が話していたよりも深刻らしい。

 養老が入所して間もなく始まった嫌がらせは、日に日にエスカレートしていった。

 その光景に心を痛めていた彼女は、一度職員たちの前で養老の迫害を咎めたらしい。

 だが、結果として、事態はさらに悪化しまう。

 最近では彼女がいないタイミングを見計らい、養老に直接暴言を浴びせたり、暴力を振るう職員も出てきたそうだ。

 また、それに輪を掛けるように施設の子供からのいじめもより激しさを増した。

 今日の一件も、他の子供たちとの諍いが原因らしい。

 何でも『お前の味方は不審者同然のあの大人だけ』といったニュアンスのことを言われ、養老が反論した結果、〝俺〟を中傷する数々の言葉が返ってきたそうだ。彼女はその心無い言葉に耐えかね、施設を飛び出した。

 それが今回の事件の真相のようだ。


「私のせいで……、私の中途半端な行動のせいで、民香ちゃんは傷ついてしまいました。だからあなたにも、中途半端な覚悟で民香ちゃんと関わって欲しくないんです。現に彼女はあなたと関わることで傷ついているんですから……」


 養老を迫害する空気は大人たちがつくり上げたものだが、寛永さんもまたその空気に飲まれている一人なのだろう。

 違和感を、違和感と指摘できない。

 指摘したとしても、数の暴力でその声はかき消されてしまう。

 しかし、これは明確な虐待だ。十分に立件に値する事案である。

 とは言え、それだけで根本的な解決になるとも思えない。

 養老が心に抱えた傷やトラウマはそう容易く消えるものではないのだから。

 彼女もそれを分かっているのだろう。


「……あんたは、今後どうするのがアイツのためだと思う?」

「本音を言えば、転園を考えた方が良いと思っています。ですが、施設の数が足りていない現状、引き受け先が見つかりません。私も探してはいるのですが……」


 確かにこの施設に留まるのは、一番の愚策であることは分かる。

 それにしても、ココの〝俺〟は一体何をしているのだろう。

 今にも壊れそうなほどに傷付いている少女にまで気を遣わせて、何が大人だ。

 自分のことながら実に情けない。ここは、やはり……。


「寛永さん、でいいのか? その、今まで申し訳なかった。中途半端にアイツと関わったことも、あんたにだけ負担を押し付けちまったことも」

「いえ。こちらこそ感情的になってしまい申し訳ありません。ただ、彼女の現状をきちんと知っていて欲しかったんです」


 養老のあの性格だ。

 〝俺〟に対して、現状をありのまま伝えるのは、やはり抵抗があったのだろう。

 実際、暴力の件も黙っていたわけだ。


「それにあなたには感謝もしているんです。例えわずかな時間でも、あの子の心の休まる場所を与えてくれたんですから」

「なぁ、今日の一件も含めて、一度俺に任せてくれないか?」

「近江さん、やっぱり……」


 浄御原は、やはり気づいているようだ。

 この話の流れなら、当然と言えば当然かもしれない。

 とは言え、最終的に決めるのは飽くまでココの〝俺〟だ。


「あなたが何をされるつもりかは分かりません。ただ、これだけは言わせて下さい。彼女のためにあなた自身を犠牲にすることはありませんよ」

「そんなつもりはねぇよ。それに世の中には犠牲っつぅか、ある種の罰を受けたがっている奇特な人間もいるんだよ」

「民香ちゃんを助けることは罰ですか。酷い言い草ですね」


 そう言いながらも、寛永さんの表情は穏やかだった。

 何となくは俺の意図を察してくれたようだ。


「結果的に養老が救われればそれでいいだろ。動機や過程にこだわる意味はない」

「……そうですね。本当にその通りです。民香ちゃんのこと宜しくお願いします」


 深々と頭を下げた寛永さんの姿には、会って最初に感じた敵意のようなものはなかった。


「あぁ、また改めて報告に来る」


 さて、ここからが本番だ。

 俺の提案をこの世界線の〝俺〟が受け入れるか。

 そして、養老が今日の一件をきっかけに塞ぎ込んでしまっていないか。

 越えるべきハードルはいくつかある。

 まずは〝俺〟と合流するのが先決だ。

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