トラウマの正体⑤

「今日も遅くなっちまったな……」


 深夜の会社のトイレから出るなり、俺は恨み言のようにそう溢す。

 時節柄、残業は良しとされないが、それでも終わらないものは終わらない。

 セキュリティー上、家に持ち帰れない資料が多いのも理由の一つだ。

 だから、今日も今日とて残業だ。

 トイレから出てデスクに戻ろうとすると、途中会議室の明かりが点いていることに気づく。


 アレは……、経理部長か?


 恐る恐る部屋を覗いてみると、何やら書類を見つめながら、頭を抱える経理部長の姿があった。

 考えて見れば、もう12月だ。

 四半期末は事務方にとって修羅場なのだろう。


 マズイ! こっちに来る!


 何故か、咄嗟に物影に隠れてしまった。

 俺は深夜のオフィスで何をやっているのだろうか……。

 経理部長は開け放たれていた扉を出て、喫煙ルームへ向かっていった。


 ……妙な胸騒ぎがする。

 同時に、先日の違和感が頭を過った。

 彼は何に悩んでいたのだろうか。

 単純に忙しいだけとも思えない。

 俺は意を決し、書類に目を落とす。


 これは……、海外投資家向けの決算書類、か?

 売上高や営業利益であろう数字の羅列、その内訳を説明する英文。

 そして、四半期末という時期を考慮しても、その線に間違いはなさそうだ。

 だが、社名の欄に書かれていたのは、大凡見覚えのないものだった。


 ココで止めるべきか?


 怖いもの見たさとは少し違う。正義感と言うとおこがましい。

 だが、もしこの会社が投資先企業に対して、従業員に対して何か不義理を働いているのであれば、どうしてもその真実を確かめておきたい。

 俺は、その決算書類を読み進めてみることにした。


 何だよ、これ……。

 10億以上も債務超過を起こしているじゃねぇか。

 そして、代表者の名前の欄に目を移すと心胆寒からしめる文字が並んでいた。


「何で前の社長の名前が書いてあんだよ……」


「そこで何をしているんだっ!?」


 振り向くと、鬼気迫る形相で経理部長が立っていた。


「……見たのか?」


 否定も肯定もせず黙っていると、経理部長はハァと深い嘆息をついた。


「重要な書類を放置していたのは、私の落ち度だ。どうかこのことは内密にして欲しい」


 そう言うと、目下である俺に深々と頭を下げた。


「……一つ聞いていいですか?」

「何だ?」

「どうして、前の社長の名前が書いてあるんですか?」

「君は確か3年目だったか? じゃあ前社長とは入れ違いでの入社、ということか?」

「そうなりますね」

「そうか。まぁ、あまり気持ちの良い話ではないぞ」


 話は俺が入社する2年前まで遡る。

 当時も景気は回復基調だったが、海外の銀行の不良債権問題が露呈し、一時的に世界的な株安が起こった。

 その影響は当然この会社にも波及し、当時設立されたばかりの海外子会社が運用していたファンドで、巨額の含み損(株などの有価証券の価格が取得単価よりも下がった状態)を出してしまった。

 それは経済状況が上向いても解消されることはなく、遂には上場維持すら危ぶまれる状況にまで陥った。


 そこで前社長は、苦肉の策として禁じ手を使用してしまう。

 知り合いの経営者に形式的に子会社の株式を譲渡することで議決権比率を下げ、連結決算の対象から外してしまった。

 所謂〝連結外し〟と呼ばれる典型的な粉飾決算の手口だ。

 これにより会社は一時的に窮地を脱することになる。

 その後、前社長は雲隠れするかのように役職を後任に譲り、自身は海外の子会社へ。

 ほとぼりが冷めた今では、再び子会社の役員として復帰し、影響力を行使しているらしい。


「私もどうかと思ったよ。だが、決定を下すのは飽くまで社長だ。それに黙っていてくれたら役員の椅子も用意すると言われてな……」


 人は誰かに、何かに同調しながら生きている。

 だからこそ、例え自分が乗っている船の進んでいる方向が間違っていることが分かっていても、それを指摘することは許されない。

 頭では分かっていても、改めてこういった話を聞かされると、気分が悪くなる。

 そして、その泥船に乗っているのは俺も同じだ。飛鳥も享保も。


「……もう一つだけ聞いていいですか?」

「…………」

「そんな財務状況にも関わらず、どうして株価は上がっているんですか? 現場にいても業績が順調という感じはしませんが……」


 俺がそう言うと、経理部長は露骨に顔色を変えた。

 そして再び溜息をついた後、ゆっくりと話し始める。


「……2年前に会社が第三者割当増資(安く新株を購入する権利を第三者に付与することで資金を調達すること)をしたことは知っているか?」

「はい」

「それでな……、実は割当先に粉飾の事実を握られてしまったんだ。そして脅された。増資を引き受けるかわりに短期間で株価を上げろ、さもなくば告発する、と」


 基本的に上場企業の増資の場合は、引き受けた新株を市場で売り抜けることで、初めて割当先は利益を得ることが出来る。

 だから当然、出資した額よりも高値で取引されている時に売らなければならない。

 そう考えると、何としても株価を上げてもらわないと困る、というのは理解できる。

 とは言え、損することも含めての投資だ。

 損失を抱えるリスクを負いながら、やっとの思いで利益を出す。

 それが真っ当なベンチャーキャピタルの姿だ。

 そう考えれば、割当先の中小ファンドの要求が、どれだけ身勝手で無茶苦茶なものか分かる。

 それにしても、中小企業を支援する立場のはずのベンチャーキャピタルが、中小ファンドからの資金援助がなければ立ちいかないとは、皮肉な話だ。


「無茶な要求ですね……、結局どうしたんですか?」

「前社長の伝手でな、ある仕手筋(人為的に株価を吊り上げることを目的とする投資家グループ)を紹介してもらった。おかげで株価だけは順調さ。だが、もう時期新株の行使期間も終わる。新株を売り切ればもう上げる理由はないから、バブルもおしまいさ」


 まるでヒールに扮したかのような笑みで、経理部長は答えた。

 つまり、裏で仕手筋に株価操作を依頼して、吊り上げたところに割当先が粛々と新株を捌いていた、というわけか。

 飛鳥の頑張りに触発されて、なんてお目出度いことを考えていた自分がバカみたいに思えてくる。

 気持ちが悪い……。どいつもこいつも、自分のことしか考えられないのか?


「全てを知った以上、君も同じ穴の貉だ。就活もそれなりに苦労したんだろ? 会社が潰れて困るのは君も同じはずだ」


 一緒にするな。

 役員の椅子に目が眩み、不正に手を貸すアンタと俺や飛鳥、享保とでは断じて違う。

 俺は気付いた時には書類を奪い、自分の鞄に詰め込んでいた。


「何をする気だ?」

「……決まっているでしょ。んですよ」

「やめなさい。きっと後悔するぞ」

「その言葉、そっくりそのままお返しします。真面目に頑張っている社員がいるのに、良心が痛まないんですか?」

「……では人生の先輩として一つだけ言っておく。人は綺麗なだけじゃ生きられないんだ」

「っ!? 知ってますよ! でもそんな次元の話じゃないでしょ!」

「もう君は同類なんだ。この話を知った、いや、この会社にいる時点でな」

「俺は……、アンタとは違う!」


 それだけ吐き捨てるように言い、俺はオフィスを後にした。

 経理部長は、何故か追っては来なかった。


 その夜、俺はすぐに一連の書類をデータ化し、SESC(証券取引等監視委員会)にメールで提出した。

 証拠として受理されれば、後日会社に検察の捜査が入るらしい。

 通報にかかる作業を終えると、熱くなった頭を冷やすため自室のベッドにダイブした。



『人は綺麗なだけじゃ生きられないんだ』



 経理部長から投げ掛けられた言葉が、いつまでもリフレインする。

 やめろ……。

 悪いのは、前社長や経理部長だろ?

 それに飛鳥のことだってある。

 アイツが目指すもの、欲しいものはこの会社にはない。

 アイツはこの会社に居るべきではない。

 飛鳥ならきっと、ここでなくとも新しい可能性を模索できる。

 怒りに任せ動いた自分を正当化するべく、一晩中頭の中で言い訳を繰り返した。

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