トラウマの正体⑦

「近江さん! どうして急にそんなこと言うんですかっ!?」


 経理部長の葬儀が終わり、数日が経った。

 突然の訃報に、皆初めこそ戸惑いを見せていたが、社内はすっかり日常を取り戻していた。

 人間は残酷なまでに、立ち直りが早い生き物だ。

 どんなに人が悲しみに暮れようとも、物や金は動き続けている以上、当然かもしれない。

 そして今。外回りの帰りの喫茶店で、俺は飛鳥にある話を切り出している。


「この前のスタートアップに共同出資した会社で、新しくキャピタリストを募集しているらしい。話だけでも聞いてみたらどうだ?」


 唐突にもほどがあるが、現状一刻の猶予もない。

 仮にも社会人として初めて出来た後輩だ。

 ただ一言『辞めろ』というよりも、先輩として少しでも先の道を示してやるのが、俺の責任だろう。

 彼女のキャリアに傷をつけ、今後の人生を台無しにするわけにはいかない。

 そんなことを考えている自分がいた。


「……私、何か近江さんに失礼なことしちゃいましたか?」

「違う。そういう訳じゃない」

「近江さん、最近変ですよ? 何かあったんですか?」


 飛鳥にそう聞かれた時、俺はまた迷いが生じた。

 本来、彼女は知るべきだ。

 こんな勝手な提案をしている以上、詳細を話さないのはルール違反だろう。

 実際、この数日何度も言おうとした。

 だが、喉元まで出かかったところで、彼女が話したあの時の言葉がちらつき、身体がそれを拒む。

 恩返しをしたいとまで言っていた会社に、ある意味で裏切られていたことを知れば、彼女はどうなってしまう?

 半ばくじ引きで就職先を決めたような俺では、想像もし得ない。


「話して、くれないんですね……」


 黙り込んでしまった俺を前に、飛鳥は深々と溜息を吐いて、そう言う。


「……分かりました。では一つ条件があります」

「……何だ?」

「近江さんも、一緒にその会社に入社して下さい」


 彼女の意外な言葉に、二の句を詰まらせる。

 果たして、俺に許されるのだろうか。

 元凶はどうあれ、沈みゆく船に止めを刺したのは紛れもなく俺自身だ。

 ……いや、違う。そういう意味じゃない。

 俺はあることに気づいてしまった。

 俺の表情を見て、飛鳥は察したようだ。


「近江さん、気づきましたか?」

「そうだよな……。すまん」

「いえ。何があったかは分かりませんが、私だけ悪者にしないで下さい。私たちは一蓮托生じゃないですか!」


 社員は飛鳥だけではない。

 確かに彼女にだけ伝えるのは、フェアではなかった。

 それに彼女に退社を促したところで、いつかはメディアを通じて事実を知ってしまうだろう。悪戯に罪悪感を植え付けるだけかもしれない。

 参ったな……。近頃、全く自分を制御出来ていない。


「この話はここで終わりです! さぁ、帰って日報をまとめましょう!」

「あぁ。そうだな」


 席を立ち、会計へ向かおうとすると、飛鳥が急に動きを止める。

 すると、ゆっくりと言葉を紡ぎ出した。


「もし……、もしもですよ。近江さんが『自分のせいで私に何か不都合が起きるかもしれない』と考えているのであれば、それは違うと思います」


「…………」


「近江さんはいつも周りを見てくれています。今、近江さんが悩んでいるのも、私たちのことを考えてくれているからこそ、なんだと思います。だったら近江さんだけでなく、皆でそれを乗り越えていくべきです。だって私たち、一緒に働く仲間じゃないですか!」


「……仲間? ふざけんな。お花畑なこと言いやがって。世の中にはな。その仲間を利用してたんまり儲けてやろうって輩が、山ほどいんだよ。仮にも社長目指してんなら少しは人を疑え。お前は仕事は出来るが、人が良すぎる。だからあんな嫌がらせを受けるんだろうが」


 しまった、と思ったが一度放った言葉は元に戻ってはくれない。


「っ!? すみません……。私、先に戻ります」


 そう言うと、飛鳥は会計を済ませ、喫茶店を出ていった。


 その後、俺と彼女の間に生まれた不協和音を払拭することは出来ず、時間だけが過ぎていった。

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