過去からの解放
「飛鳥は……、死んだはずだろ」
享保の思いがけない一言に、俺は戸惑う。
久々の再会に何を言い出すのかと思いきや。
それで俺からどんな反応を引き出したいんだ?
無神経で質の悪い冗談とも取れる享保の言葉に、怒りすら覚えてしまいそうになる。
だが、彼らしからぬ神妙な表情を見てしまっては、話を聞かないわけにもいかない。
「っ!! ですよね……。急にスンマセン!! やっぱ俺帰りますっ!」
「あー、待て待て。話くらいは聞かせてくれ」
慌てて引き返そうとする享保の腕を掴み、引き止めた。
振り向いた享保は、一瞬顔を強張らせる。
数秒躊躇する様子を見せるが、すぐに観念し、少しずつ言葉を漏らし始めた。
「じ、実は昨日、隣町で連れと飲んでたんすけど、うっかり終電逃しちゃって、カラオケで寝てたんすよ」
「お、おう。なんか、若ぇな……。で、それがどうしたんだ? そのカラオケが心霊スポットだったってオチか?」
「違いますよ! それで……、朝方帰っている時に、途中で寄ったコンビニの前でアイツの姿を見たんです! 眼鏡かけてたんで、一瞬分からなかったんすけど」
「いや、そう言われてもな……」
「マジで居たんすよ! 髪型は変わってたんすけど、顔とか声は間違いなくアイツでした! 向こうはずっと否定してましたけど!」
享保は、必死に訴えかけるように話す。
仮にも、それなりに世話になった後輩だ。
信じてやりたいところだが、あまりにも突拍子がない。
それに、俺は彼女の顔も、声も既に忘却の彼方だ。
例え、確たる証拠があったところで、俺では立証できない。
……いや、待て。
「なぁ、お前が飛鳥と会ったのって、ホテル街の入り口近くにあるコンビニか?」
「はい! そうです!」
まさかとは思うが。
「そうか……。久慈方さん、ちょっと聞きたいことがあるんだが」
「何でしょう?」
「死ぬと他の世界線の自分ってどうなるんだ?」
「死ぬと、ですか? 基本的に他の世界線には何も影響はありませんよ。何かの拍子で時間軸が交わることがない限り、違う自分が違う世界線で生き続けるだけですね」
「じゃあ例えば、死ぬ直前に〝可能性〟が分岐して、そこの自分に意識が引き継がれることってあるのか?」
「それはあり得ません。先ほども申し上げましたが、何かしら外部からの介入がない限りは……」
「逆に言えば、外部からの介入があればあり得るんだな?」
俺が問いかけると、久慈方さんはハッとした表情になる。
「近江さん、もしかして……」
確信は持てない。
現状、真実を確かめる術がない以上、いくら考えたところで仕方ない。
「……アイツの正体が誰であろうと関係ねぇよ。今は浄御原を拘束することだけを考える。そうだろ?」
「そうですね……。その、申し訳ありません」
久慈方さんに妙な気を遣われたことで、却って居心地が悪くなる。
これも享保のせいだ。
「えっと……。あの、他の世界線ってどういう」
「あぁすまん、こっちの話だ。お前の話は信じるよ。つーより信じざるを得ない材料が揃っちまった」
「はぁ」
「享保、その……、悪かったな」
「いやっ! 俺が突然現れて変なこと言ったのが悪いんすよ!」
「そうじゃなくてだな! ほら、俺のせいでお前は職を失ったようなもんだしな……」
「あー、そのことですか。そもそも近江さんが悪いわけじゃないでしょ! それに俺、元々あの仕事向いてなかったし。今、先輩がやってるアパレルショップ手伝ってるんですけど、毎日楽しいっすよ。給料はちょっと下がっちゃたけど、やりがい第一っす。だから、その……、気にしないで下さい! むしろ転職のきっかけくれて感謝してるくらいっす!」
気を遣われているというのは分かる。
だが、享保が嘘を吐いていないことも分かる。
がさつに見えるが、実は周囲にかなり気を配っている。
今の言い回しも、享保なりの配慮なのだろう。
建前に取られかねない言葉でも、相手にとってそれがポーズに映ろうとも、その姿勢を崩すことはない。
コイツは昔からそういう奴だった。
だから俺は、享保の言葉を素直に受け取ることにした。
「そっか……。ありがとな」
「はい! あの……、近江さんがどう考えてるかは分かりません。でも、アイツはアイツなりの哲学? って言うんすか? そんなのがあったと思うんすよ。だから、近江さん。忘れろとは言わないっす。でも、そろそろ近江さんも過去から解放されてもいいんじゃないっすか?」
「…………」
結局そうだ。俺は誰かにこう言って欲しかった。
さっき享保の言葉を突っぱねてしまったのは、そんな自分に気づきながらそれを許せなかったからだろう。我ながら幼稚だ。
「今日は久しぶりに会えて嬉しかったっす。今度飲みにでも行きましょう!」
「あぁ。あんまり高いところは無理だけどな」
「はい、ではまた!」
後輩相手に恥ずかしげもなく金がないアピールを決めたところで、享保と別れた。
もっと早くこうしていたら、もっと早く彼と向き合っていたら、俺はどうなっていたのだろう。
黙って享保の背中を見送る俺に、久慈方さんは話しかけてくる。
「その……、色々と苦しいお立場だとは思います。ですが、それでも協力していただけると助かります」
「……さっきも言ったろ。誰が相手とか関係ないって。仕事に私情は持ち込まねぇよ。社会人の基本だ」
俺がそう言うと、久慈方さんは目を丸くさせる。
そして、フフッと笑みを漏らす。
「それは頼もしい限りです。では、行きましょうか!」
「そうだな」
過去を清算する覚悟が出来たのか。
それともある意味で吹っ切れたのか。
ただ享保と会い、心の奥につっかえていたものが動き出したことだけは確かだ。
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