初めてのパトカー

 と、さすがにこのまま終わるわけにもいかないので、一応弁明はしてみることにしよう。

 これは、間違いなく冤罪の類だ。

 人生燻っている自覚があるとは言え、そこまでハイリスクなことをするまでには至っていない。

 まだまだ俺は、娑婆に未練があるのだ。


「あのー、何かの間違いでは?」

「詳しくは署の方で聞きます。このまま同行願います」

「いいから来いっ!!」

「ちょっ!?」


 有無を言わせず、と言ったところか。

 抵抗する暇も与えられず、俺は二人の男に取り押さえられた。

 そのままパトカーが停車しているアパート前の路肩まで連れていかれ、後部座席に無理やり押し込められる。開幕早々手荒な真似をされ、俺の疑心暗鬼は最高潮に達した。

 バタンと乱雑にドアが閉められる音が聞こえた後、車内は静まり返る。

 三人がすぐに車内へ乗り込んでくる気配はなく、何やら外で話し込んでいるようだ。


 密閉された空間に一人閉じ込められたことで、俺は少し冷静になる。

 車内はすっかり底冷えしており、結露で曇った窓からはイルミネーション用のLED電飾の光や、パトカーの赤色灯につられて出てきた野次馬数名がぼんやりと見える。

 考えてみればもう12月、か……。

 日々、決まったルーチンを過ごしていれば、時間が過ぎるのもあっという間だ。

 呑気にもこんな感傷に浸ってしまうのは、今直面している現実に対しての拒否反応か。

 はたまたシンプルに、加齢に伴う生理的な現象か。


 殺人、ね……。

 俺の身は潔白だ。それに間違いはない。

 だが『殺人』と彼女に言われた直後、頭のどこかで形容しがたい後ろめたさのようなものを感じたのも事実だ。

 いかん、いかん!

 一度、4年前の〝あの出来事〟が頭に浮かぶと、ズルズルと泥沼に嵌るようにいつまでも考え続けてしまう。

 そして、何も手に付かなくなる。

 近頃、特にこのループに陥ることが多い。

 奇しくも季節はあの時と同じ12月である。

 もうやめよう……。全部、終わったことだ。


 全く……。

 弁護士を目指しておきながら、弁護される側に回るとは、何のブラックジョークだろうか。

 皮肉なもんだぜ、チクショウ。


 俺の脳内会議が終わる頃、彼らの話も片付いたようで、ゆっくりと車に近づいてくる。

 男二人はそれぞれ運転席と助手席に陣取り、女は俺のいる後部座席に乗り込んできた。


 女と目が合う。


「何かありましたか?」

「い、いや、何でも」


 くっ。間近で見るとやはりイイ女だ。こりゃ出会う場所を間違えたな。

 そんなやり場のない気持ちを抱えながら、俺たちは夜の帳を走り抜けていった。




 パトカーが走り出し10分程経った頃、俺はある疑問が頭を過ぎった。

 俺は、隣に座る女性警官に問いかける。


「あの……、一つ聞いてもよろしいでしょうか?」

「何でしょう」

「警察署に、向かっているんですよね?」

「………」


 女性警官は何も応えない。

 そんな彼女を見て、俺は更に疑念を強める。


 この街には警察署が二つある。

 一つは北警察署。今俺が住んでいるアパートのわりとすぐ近くにある。

 もう一つが中央警察署。こちらは同じ市内ではあるが、俺のアパートの最寄り駅から東側に二つ隣に行った駅の近くにある。

 だが今走っているのは、西側の隣町と結ぶバイパスだ。完全に方向が違う。


 ……あっ、そうか。そういうことか。


「事件って隣町で起きたんですか?」

「……なぜ、そう思うのでしょう?」

「いやっ。こういう場合って被疑者が逮捕された場所じゃなくて、事件が起きた現場の自治体の警察署に連行するのが基本なんじゃないかなーって思って……」

「詳しいですね。まさか再犯ですか?」

「違うっつーの! いや、そもそも一発目もまだですから!」

「なるほど。殺人童貞、と言いたいのですね」

「表現はともかく、そういうことですね……」 


 何なんだこの女。

 容疑をふっかけてきたのはそっちだろうが。

 さっきから軽口に終始するばかりで、話を逸らしているだけだ。


「そうこう言っている間に着きましたよ、に」


 頭の中を疑問符に支配されそうな俺に構うことなく、彼女は淡々と告げてくる。

 俺は促されるまま後部座席の窓に顔を向けるが、目の前に広がる景色に言葉を失う。



 間違いない。



 あぁ、間違いない。



 完全にラブホテルだ。



 純度100%のラブホテルだ。



 童貞云々はこの伏線だったのだろうか。

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