探偵
「さぁ、とっとと写真を渡しな!」
〝俺〟の住むアパートに着くなり、女子高生は早速本題を切り出した。
「その前に一つ聞きたい、
元和木、とはこの女子高生の名前か。
出会い頭に盗撮犯だの何だの因縁つけられたせいで、大事なことを聞くのをすっかり忘れていた。
「しっかり名前まで知ってるし……。ただのストーカーじゃん!」
「ストーカーじゃねぇ! で、いつから知ってんだ?」
「一週間くらい前。あんたがウチの住んでるアパートの前ウロチョロしてた当たりから」
「割と最近だな。初めてだ、こんなこと……」
ここでの〝初めてだ〟という言葉は、自分がいかにその道の手練れであるかを暗に示している。
〝俺〟に盗撮できない女子高生はいない、とでも言いたいのか。
さっきは何かの依頼みたいなことを言っていたから、違うか。
いや、むしろ違って欲しい。
しかし、そこまで仕事に自信と誇りを持っているのだとすれば、それはそれで羨ましい限りではあるが。ある意味で。
「じゃあ早いとこ写真渡してくんない?」
「そいつは無理な相談だな。少なくとも〝タダ〟では」
「あんた自分の立場分かってんの!? こっちは今すぐ警察に突き出してもいいんだけど」
「あぁ別にいいぞ。こっちは仕事でやってるだけだからな」
なるほど。
警察以外で、尾行や張り込みが許されている仕事は、アレしかない。
パーカーにデニムなどというラフな服装だから、またニートではないかと勘繰ったが。
「お前、探偵やってんのか?」
〝俺〟はハァと溜息を交えつつ、観念したかのように話し始める。
「そうだ。〝俺〟は探偵事務所で働いている。そいつを追っていたのも依頼の一環だ」
やはりか。
しかし、こうして実際の探偵を前にすると、勝手にハンチング帽にトレンチコートなどといったベタな格好を想像していた、自分の浅はかさが露呈してしまう。
「でもどうして元和木さんを追跡していたんですか?」
「……その女子高生、既婚者と援交してんだよ」
すると、元和木の表情はみるみるうちに青ざめていった。
〝俺〟の話を聞くに、元和木と調査対象の男は所謂〝パパ活〟掲示板を通して、出会ったらしい。
男が休みの度に目的を告げずに外出する様子を不審に思った彼の奥さんが、1ヶ月程前に〝俺〟が働く探偵事務所に依頼を持ちかけた。
担当となった〝俺〟は早速調査に取り掛かり、男と元和木が利用していた喫茶店やホテルの特定に成功する。
そして、1週間前に元和木の身辺調査を行っているところを本人に目撃されてしまっていた、というのが今回の話の流れのようだ。
ちなみに無人販売所にいた件についてはまた別件の調査らしい。
兎にも角にも、野菜泥棒の疑いは晴れたので、一先ずは安心した。
「なるほど。でも大丈夫なんですか? 調査内容をこんなに話してしまって」
「いい訳ないだろ。だから、そいつと交渉しようと思ってな」
浄御原の質問に応えた〝俺〟は、元和木に向き直り、厳しい面持ちで語り掛ける。
「なぁ元和木。お前、これからどうする気だ? このままあの男と関係を続けるのか?」
「あんたには関係ないでしょ……」
「そうか。じゃあこいつらを証拠品として奥さんに差し出すしかないな」
そう言うと〝俺〟はバッグの中から封筒を取り出し、元和木に見せた。
どうやら、ホテルへの入出時のものなど証拠となる写真数点のようだ。
それを見た元和木は、より一層表情を険しくし、身体を震わせる。
「高校生だろ。学校側にバレたら最悪退学だ」
「分かってる……」
「それにお前はまだ未成年だ。慰謝料は誰が払うんだろうな」
それは少し言い過ぎだ。
不倫相手が未成年で学生だった場合、責任能力はあっても支払い能力はないと判断されるケースが多く、慰謝料を請求すること自体が難しい場合もある。
だからまぁ、恐らくブラフだろう。
「それだけは、絶対にダメ……」
元和木は消え入るような声で、〝俺〟の脅しに反応してみせた。
「じゃあもう男と会うのはやめておけ」
「……でも、そしたらどうやって稼げばいいんだし」
彼女はコンビニのアルバイトもしているはずだ。
何かと入り用の年頃であるのは分かるが、それほど切迫しているのだろうか。
「まぁお前のことは色々調べさせてもらったから事情は分かる。遊ぶ金欲しさってわけでもないんだろ?」
「当たり前だっつーの……。他の子と一緒にしないで」
「まだ男には〝俺〟のこと、言ってないんだろ? 黙っていてくれるなら、この場で写真を渡してやる。こっちも信用商売だからな。調査期間内に証拠を集められないならまだしも、トラブルで調査がおじゃん、なんてことになっちまったらこれから先、立ちいかないんだよ」
「そんなのあんたの都合じゃん……」
「そうだな。でもお前にもメリットがある。だろ?」
「……分かった。あんたの言う通りにする」
「交渉成立だな。安心しろ。あまり関心はできんが、パパ活自体は違法じゃない。ただ現状はリスクが高いから卒業してからにしておけ。それなら、ちゃんとしたマッチングアプリにも登録できるしな」
「それじゃ、今がしんどいんだってば……」
元和木は、何をそんなに焦っているのだろう。
自分の体を傷付けてまで、彼女は何を守りたいのか。
赤の他人の俺たちが踏み込んでいい問題とは到底思えないが、気にはなるのが人情というものだ。
「あの……、元和木さんはどうしてそんなにお金が必要なんですか?」
うん、キミならやってくれると思ってたよ。
一周回ってこれも浄御原の良いところなのかもしれない。
「あんたたちには関係ないでしょ」
「その通りなんですが……」
妥当な返答だ。
とは言え、元和木は俺たちにとってもはや乗りかかった船だ。
一度関わってしまった以上、このまま捨ておくのは、やはり寝覚めが悪い。
「……関係ならあるだろ。お前は俺に濡れ衣着せるだけ着せて帰るつもりか。何があったか事情くらい話してくれてもいいんじゃないか?」
「…………」
元和木はやや渋る様子を見せたが、最後には観念し、ぽつりぽつりと話し始めた。
彼女の家はどうやら母子家庭らしい。
というのも、数年前に彼女の父親はある事業で失敗し、多額の借金とわずかな財産だけを残し、自殺してしまった。
相続放棄も考えたそうだが、既に父親名義になっていた先祖代々の田舎の土地を手放すことを嫌った彼女の祖母が、それを拒んだ。
やむを得ず遺産を相続した彼女の母親は、今も残りの負債の返済を続けている。
彼女自身もコンビニの他、アルバイトを2つ掛け持ちし生活費の足しにしているそうだ。
中学時代にやっていた部活動の陸上も辞め、毎日学校と自宅、バイト先を往復する日々。
学業の方も疎かになり、留年寸前らしい。
完全にジリ貧だった。
そこで、辿り着いたのが今回の掲示板だったようだ。
初めは食事だけに留めていたが、逼迫する生活の中で魔が差し、客の一人に肉体関係を持ちかけてしまう。
そこから先はタガが外れたように、様々な男性と関係を持つようになった。
今回の調査対象の男も、その一人、ということらしい。
「そう、でしたか……」
浄御原は苦しそうな表情を浮かべ、そう溢す。
「男の方もよく話に乗るよな。女子高生と関係持つとかリスクしかねーだろ」
「そんなの隠してたに決まってんじゃん……。バレたら速攻で逃げられちゃうし」
それは、そうか。
女子高生との淫行で逮捕、なんてことになれば、例え不起訴であっても社会的信用は地に落ちる。
ましてや今回のように既婚者であったら、余計に拗れてしまう。
「本当は高校なんか行かずに働こうと思ったんだけど、お母さんがせめて高校だけは出とけって……。お母さん、私を高校に行かせるために仕事増やしてさ」
次の言葉を言い淀み、掠れた声を必死に絞り出そうとしている。
やはり、彼女は既に限界を迎えているようだ。
「だから退学だけは絶対に無理。全部ウチの自業自得だって分かってるけど、お願いします。奥さんには黙っていて下さい。お母さん、お父さんが死んでからほとんど一日も休んでないんだよ? 今ウチが退学したら、お母さんの努力が無駄になっちゃう。慰謝料だって絶対払えないし……」
元和木は〝俺〟に深々と頭を下げ、懇願した。
「そりゃお互い様だ。お前が調査のことを黙っていれば、こちらから何かをすることはない。今回の依頼は失敗だ」
「ありがとう。えっと……、そろそろ次のバイトの時間だから、ウチ行くね」
そう言うと、彼女は帰り際にチラリと俺の方を見てくる。
「おう、またな」
元和木は俺に対しても軽く会釈をし、部屋から出て行った。
彼女はこの先どうするのだろう。
退学は免れたとしても、現状に変わりはない。
こんなことがあったからには、パパ活を続けるのは難しいだろう。
かと言って、これ以上バイトを増やすのも無理がある。
「……探偵失格だな」
不意に〝俺〟が呟いた。
蚊の鳴くような声だったが、確かにそう聞こえた。
そして、俺たちに向き直り、強い口調で言い放つ。
「……で、平行世界から来たお前らは一体〝俺〟に何の用なんだ? また例の特典でも押し付けに来やがったのか?」
俺も浄御原も言葉を失った。
「……いつ、誰からそのことを?」
浄御原は、顔面を青くさせながら〝俺〟に問いかける。
「昨日だな。確かクジカタ? とか言う背の小さい女からだ」
「っ!?」
浄御原は急に立ち上がった。
「すみません、近江さん。急用が出来ました。失礼します」
「ちょっ!? おい! どこ行くんだよ!?」
俺の問いに応えることなく、彼女は急いで部屋を出ていった。
「何か悪いな」
「……あの女はどうでもいい。で、お前は何しに来たんだ」
今更何かを隠す意味もない、か。
俺は今の身の上も含め、包み隠さず話すことにした。
「だいぶ話が違うじゃねぇか……。まぁどうでもいいが。つーかあの女が浄御原だったのかよ」
「お前、アイツのこと知ってんのか!?」
「詳しいことは知らん。ただ色々と成り行きでな。心底どーでもいいが」
「……そうか。まぁそんなわけだからお前に用があるわけじゃない。すぐに帰るから安心しろ」
「分かった。いや、それにしても弁護士とはな」
〝俺〟は滑稽そうに笑いながら話す。
含みのある言い方に、自然と身構えてしまう。
「……まぁ、まだ試験にパスしてないから、今はただのフリーターだけどな。目指している方向性はそうなんだが」
「いや、すげーよ。前の会社であんなことがあったのに、まさか奴らを庇う側に回るとはな。どんな心境の変化だよ」
俺は何も言えなかった。
傍から見ればそう映っても仕方ない。
再度、俺は心の中で自問自答した。
どうして、俺は弁護士になろうとしているのだろうか。
「〝俺〟はもう二度と〝アイツ〟のような悲劇を繰り返したくない。だから、そうなる前に暴いてやるんだ。不誠実な奴らの横暴を」
「それが探偵になった理由か?」
「そうだ。時々思うんだよ。もっと早く探偵になってたら、〝アイツ〟が入社する前にあの決算書類を表に出せたんじゃないかって」
それは結果論だ。
探偵は依頼があってから動くものだ。
そもそもあの会社に入らなければ、〝アイツ〟と出会っていない。
ただそれについては〝俺〟も百も承知の上でだろう。
「それに比べてなんだお前は? 見方によっちゃ〝アイツ〟への裏切りとも取れるぞ」
「……俺だってそんなつもりはねぇよ。分かるだろ? さっきから黙って聞いてりゃ偉そうに。お前も人のこと言えるのか? 自分だけはフェアみたいに言っているが、お前だって結果的に元和木を見逃しているじゃねぇか!」
「分かってるよ、そんなこと……。〝俺〟の行動は依頼者に対しても事務所に対しても、明確な背信行為だ」
「……なぁお前、ひょっとしてわざと」
〝俺〟は少し動揺した様子を見せた。
「……そんな訳ないだろ」
「だよな。野暮なこと聞いてすまん」
どこまで言っても、俺は俺、といったところか。
巻き込まれ体質に加え、妙なところで潔癖症。
自身の性分を、今まざまざと見せつけられたような気がした。
そんな自分の至らなさに絶望しかけた、その時だった。
無機質な電子音が部屋に鳴り響く。
「すまん、相方からだ」
〝俺〟はそう言って、雑な手つきで電話に出る。
「悪い。ちょっと急用が出来た。出てくる」
「そうか。分かった」
電話に出た直後から、〝俺〟の顔色はあからさまに変わった。
平静さを装いきれないのか、慌てた様子でバタバタと部屋から出ていった。
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