トラウマの正体③

「お前、今日も遅いな」


 その日、俺が20時頃投資先から会社へ戻った時、まだ飛鳥はデスクで作業をしていた。


「は、はい……。ちょっと先輩方から書類の整理を頼まれまして……」


 飛鳥は苦笑いを浮かべながら、デスクに雑に置かれた書類の山と格闘している。

 大方、成績を抜かれた腹いせに、面倒ごとを押し付けられているってところか。


「ちょっと貸せ。手伝うよ」

「いえ! 私が頼まれたことなんで! 近江さんはお帰り下さい!」

「バカ。教育係の俺がお前より先に帰ると、課長にどやされんだよ。あの人、お前のこと大好きだからな」

「そうですか……、すみません。ありがとうございます」


「……なぁ、ちょっと聞いていいか?」

「はい?」

「お前、どうしてこの会社を選んだんだ?」

「何ですか、それ? 面接かなんかですか?」


 フフッと悪戯な笑みを浮かべながら、彼女は言う。


「いや、お前って他のヤツらと明らかに違うからな。ポテンシャルもモチベーションも。ホラ、享保とかスゲェいい加減だろ? だから、何がお前を突き動かしてんだか気になってな」


 彼女の働きぶりを見れば、仕事だから頑張るの領域を超えているのは明らかだ。

 特段、深い意味はない。純粋な興味だ。


「……私、夢があるんです」


 飛鳥は、少し戸惑いながら言う。


「ほー、それは?」

「……笑いませんか?」

「内容によるな」

「じゃあ話しません!」

「分かった分かった、安心しろ! 総理大臣だろうが世界征服だろうが笑わねぇよ」


 俺がそう言うと、彼女はゆっくりと語り始めた。


「……私、いつか自分の会社を持ちたいんです。だから、この会社で沢山勉強して、早く一人前になりたいなって」

「そ、そうか」


 どんな突拍子もないワードが飛び出すかと思い身構えたが、あまりにも王道な回答に拍子抜けし、思わず微妙な反応をしてしまう。


「あれ? ちょっとがっかりしました?」

「い、いや。そういうわけじゃねぇよ。でも、それなら何でウチなんだ?」

「……2年前、資金繰りに行き詰っていたある小さな喫茶店を、この会社が救済したことは覚えていますか?」

「スマン、あったかもしれんが覚えてないな」


「……そうですか。実はその喫茶店、私の地元のお店で、個人的にも凄く思い入れがあったんです。あの時、この会社が資金提供をしてくれたおかげで、難を逃れることができました」


「そうか。まぁ、そういう仕事だからな」

「はい。だから私、思ったんです。現状、実績や業績は思わしくなくても、世の中に確かな価値を提供している企業は、山ほどあります。そんな企業を見抜いて、手を差し伸べられる会社なら、きっと私が得るものも大きいんじゃないかなって。もちろん、思い出のお店を助けてくれた会社に恩返ししたいって気持ちもありますが。……って、なんかホントに面接みたいになっちゃいましたね!」


 自分の想いを赤裸々に語った彼女は、どこか誤魔化すように苦笑いを浮かべる。


「そうか。まぁ、応援してるよ。早く独立出来るといいな」

「はい! あの……、近江さん」

「ん? なんだ?」

「近江さんは、その……、どうしてこの仕事をしているんですか?」

「俺か? 俺のことなんて、それこそどうでもいいだろ?」

「教えて、くれないんですか?」


 飛鳥は眉尻を下げ、露骨に寂しそうな顔をする。

 そんな彼女を見て、いくらか罪悪感に苛まれる。


 実際、彼女の問いへの答えはない。

 ただ、流れのまま行き着いた先で、日々をやり過ごしているだけだ。

 まぁ恐らくだが、世の大半はそうだろう。

 とは言え、彼女の崇高な仕事観を聞いてしまった手前、あまり適当なことを言うのは憚られる。

 

「……まぁ実のところ、大した理由なんてねぇよ。ただな」

「ただ?」


「こういう仕事してると、見たくなくても見ちまうんだよ。それこそ、企業経営の裏側にあるドス黒い部分とか……、までな。まぁ、命の次に大切な金を預けるわけだから、当然っちゃ当然なんだが。そういうの一度見ちまうと、業績とか以前に放っておけないっつーか、寝覚めが悪くなるっつーか、な。こればっかりは俺の性分だ。そんだけの話だ」


 俺が答えると、飛鳥は黙り込む。


「あの……、飛鳥さん?」


 俺が飛鳥の顔を覗き込んで聞くと、彼女はハッとした表情を浮かべる。


「い、いえっ、何でもありません! 流石だなって思っただけなので! さ! 早く終わらせて帰りましょう!」

「あ、あぁ。そうだな」


 飛鳥のその態度に違和感を覚えないでもない。

 だが、俺はそれ以上、彼女に踏み込むことはなかった。

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