幼女とマルチ①
「ご注文の品は全て揃いましたでしょうか?」
「はい」
「それではごゆっくりどうぞ」
その後、俺たちはホテル近くにある個人経営のこじんまりとした喫茶店に入店した。
トースト2枚とサラダ、目玉焼き、ベーコン、飲み物にコーヒー。
どこかノスタルジックでベタな喫茶店の朝食セットも、2日ぶりの食事ともなれば美味いものだ。
2枚目のトーストに手を付けようとした時、不意に甲高く明るい子供の声が聞こえた。
浄御原から『ロリコン』などといわれのない汚名を着せられている手前、あまりあからさまに反応するのは如何なものかとも思ったが、店のけだる気な雰囲気とのミスマッチもあって、自然と目が吸い寄せられてしまう。
断じて、邪な何かがあるわけではない……。
「おじちゃん、トイレおそーいっ!」
6~7歳くらいだろうか。
低めの位置で結ばれたツインテールのせいか、やや大人びた印象を受ける。
とは言え、満面の笑みでパンケーキを頬張る姿はどこにでもいる普通の少女だ。
「おじちゃんって呼ぶんじゃねぇ! まだギリギリ20代だ!」
さて、ここまで見た情報を一旦整理してみよう。
この〝おじちゃん〟なる男性。やたら俺と顔の造形が似ている。
加えて、ギリギリ20代と言っていたので、彼は俺と同年代であることに間違いはなさそうだ。
また〝おじちゃん〟という言葉は、一般的には大きく2つに分類される。
一つは両親の兄弟に当たる人物という意味。
そして、もう一つはそれ以外の年配の男性を差す。『知らないおじちゃんには、ついて行ってはいけない』というアレだ。
もし彼が俺と同じ一人っ子だと仮定すると、前者は必然的に選択肢から排除される。
まとめると、俺に非常によく似た成人男性が、見ず知らずの幼女を連れ歩いている、ということになる。
「近江さん、現実を見て下さい。完全にこの世界線の〝近江さん〟ですよ」
「……知ってたよ。2日連続で犯罪者呼ばわりされる自分の姿を見せられるのが辛くてな」
「痴漢に、幼女誘拐に……、リーチですね」
「痴漢は冤罪だっただろーが。つーか、また世界線間違えたのかよ」
「実はここだけの話、私、手引きが苦手なんです……」
「は?」
「入職試験でも座学は高得点だったんですが、実技の方がイマイチでして……」
「よくそれで理事なんかになれたな」
「人手不足、売り手市場。素晴らしい言葉ですね……」
何ノミクスの恩恵かは知らんが、好景気そうで何より。
しかし、それなら疑問がある。
俺、帰れんの?
「……それでこれからどうする? すぐに手引きし直すことはできないのか?」
「手引きの可否は、対象となる人間のメンタル面とフィジカル面に左右されます。近江さんは一度睡眠をとったことで、心身ともに安定してしまったので……」
「要するに一旦疲れないとダメってことか。んじゃジョギングでもしてくるかな」
「ちょっ!? 待って下さい! 連続幼女誘拐犯を放っておくつもりですか!?」
「だから勝手に回数を増やすな! ココの〝俺〟が本当に幼女誘拐犯だったとしても俺自身には影響ないんだろ? じゃあいいじゃねーか」
「本気でそう思っているんですか!? 言っておきますけど、仮にココの〝近江さん〟に特典が付与された場合、あなたは名実ともに幼女誘拐犯になり得るんですよ!」
「それは脅してるのか!? 現状、お前しか与えるヤツいねぇだろ!」
大声で言い合いをしている内に、俺と浄御原は店内の衆目の的になっていた。
その中には当然ココの〝俺〟も含まれる。
「……お前は?」
〝俺〟が怪訝な視線をこちらに向けてくる。
万事休すか。痴漢とは比較にならないほどの面倒ごとの匂いが、プンプンと充満してきた。
「あぁ、よ、よぉ!」
〝俺〟と目が合ったので、とりあえず挨拶を試みた。
「『よぉ!』じゃねぇよ! は!? え!?」
「ま、まぁとりあえず一緒にメシ食わないか? な? ちゃんと詳しいこと話すから!」
〝俺〟は、かなり警戒をしている様子だ。
とは言え、渋々だが相席を了承してくれたので、〝俺〟の席まで移動する。
店内と俺たち4人のテーブルに歪な雰囲気が流れる中、その空気を断ち切ったのは〝俺〟の横に座る少女だった。
「おじちゃんが二人いるー!」
「「おじちゃん言うな!」」
不本意ながら、気が合う。
やはりこの年齢になると、おじちゃんというワードにはナーバスになるものだ。
「んで、これはどういうわけか説明してくれるか?」
〝俺〟が当然の疑問を投げかけてくる。
「その前にあなた、その子は一体誰ですか!? まさか誘拐してきたわけじゃないでしょうね?」
「は? アホか? コイツはこの辺に住んでるガキってだけだ。たまにこうして遊んでやってんだよ。つーか、女子高生と援交してるヤツにとやかく言われたくねぇっつーの」
〝俺〟は何も言い逃れできない正論を滔々と説いてくる。
そして、浄御原。
テメェは女子高生と言われて、露骨に嬉しそうな顔してんじゃねぇ。
まぁ、まずは安心といったところか。いや、もちろん信じてはいたよ。
「ちがうよー! あたしがおじちゃんと遊んであげてるんだよー!」
「生意気言ってんじゃねぇ、このクソガキが」
「えー、でもおじちゃんときどきスッゴイさみしそうな顔するじゃん!」
「…………」
〝俺〟が誘拐犯でないことは分かった。
だが、それ以上の闇を感じずにはいられない。
「〝俺〟のことはどうでもいい。お前らについて話せ」
俺たちは特典についてだけは触れずに、平行世界や現在の目的について話した。
「また随分とぶっ飛んでんな、お前ら」
〝俺〟は呆れるように、そう呟いた。
「信用してくれるのか?」
「どーだろうな。妄言にしてはリアルだしな。それかガチのヤバい奴か」
「まぁどっちでもいい。とりあえずお前に何か危害を加えることはしないから安心してくれ。もうすぐ俺たちもココから消えるつもりだしな」
「そうか。〝俺〟としてもややこしいから早く消えてくれると助かる」
気のせいか。警戒するのは無理もない。
〝俺〟の抱えている後ろ暗い何かを明らかにせずにはいられなかった。
「……なぁ、お前今何してるか聞いていいか?」
「仕事的な意味で、か?」
「あぁ」
「お前なら分かると思うが、前の会社があんなことになっちまっただろ? だからもう組織ってモンに嫌気が差してな。起業したんだよ」
起業、だと……。
俺にそんな〝可能性〟があったとは俄には信じがたい。
「そ、そうか。そりゃスゲェな……。具体的にどんなことしてるんだ?」
「まぁこれに書かれているようなことだな」
そう言って〝俺〟は1部のパンフレットを渡してきた。
俺と浄御原は目を通す。
そこにはシャンプーやボディーソープといった日用品や、その他生活雑貨の写真が数点掲載されていた。
察するに、輸入雑貨の代理店だろうか。
そう思い、読み進めていくと俺はあることに気づく。
「……一応聞くが、お前これってマルチじゃねぇのか?」
「そうだが。だからなんだ?」
「いや。だから、って……」
「お前弁護士志望なんだよな。だったらわかるだろ? マルチは特定商取引法で連鎖販売取引として明確に合法と定義されている。ネズミ講と一緒にすんな」
先出しするように、〝俺〟は自身の正当性を主張してくる。
確かに〝俺〟の言い分に間違いはない。
両者の大きな違いは、会員費等の配当金で稼ぐのか、販売ネットワークを作って稼ぐのか、ということだ。
確かに実体がないネズミ講と違い、実際に特定の商品の販売で収益を上げていくマルチ商法は一応合法ではある。
とは言え、規制も厳しい。
例えば、勧誘目的であることを告げずに顧客にアポイントを取るのはアウトだ。
しばらく連絡のなかった友達から急に食事に誘われ、怪しいビジネスを勧められたなどといった話はよく聞くが、このやり方は厳密に言えば違法である。
法律で合法と定義されているとは言え、グレーな部分も多いビジネスモデルだ。
「いや、法はともかく倫理的にって話なんだが……」
「倫理ねぇ……、そんなこと気にしてて弁護士なんかなれんのか?」
何も言えまい。
国選で回ってくる仕事の中には、反社会勢力絡みの刑事事件もある。
もちろん実際に依頼を引き受けるかは自分次第だが、弁護士会との関係もあるのでそうそう断れるものでもない。
頭では理解しているつもりだったが、改めて言われるとやはり自分には荷が重い仕事なのではないかと思ってしまう。
「そうだな。確かにお前の言う通りだ、な……」
「……お前の言いたいことも分かるよ。でも、お前も〝俺〟なら学んだはずだ。人間、切羽詰まれば倫理だとかヌルいことは、すっぽり頭から抜け落ちちまうことくらい」
「まぁそれは、な……」
「一部の上層がそうして好き勝手に動いた結果、巻き添えを食らうのは、いつも末端の人間だ。社会の縮図を早めに知れて良かったよ。だから今じゃあの会社に感謝すらしてるさ」
「だから……、お前はそっち側に回ったのか?」
俺の問いかけに、静かにうなずいた。
「……でもな。お前、〝アイツ〟のこと忘れたわけじゃないだろうな?」
「忘れるわけねぇだろ。〝俺〟が〝アイツ〟を潰したようなもんだしな……」
「っ!?」
分かっていた。この男は紛れもなく、俺なのだ。
これから俺は嫌でも閉じ込めていた記憶と向き合わなければならないのだろう。
「でもだから何だっていうんだ? 〝アイツ〟は夢に付け込まれた。ただそれだけのことだ」
「…………」
「人は夢とか未来とか、ふんわりとしたポジティブワードが大好きだからな。それを上手く利用して勧誘すると皆スゲェ食いついてきやがる。会員なんてあっという間に増えていったよ」
「…………」
「自己実現とか大層な言葉でパッケージしておいて、その実、権利収入で楽して儲けたいってのが大方の本音だろ。世の中どいつもこいつもクズばっかだよ」
「…………」
「結局人は大義名分が欲しいだけなんだ。疚しい気持ちを隠す何かが欲しいだけなんだ。〝アイツ〟もそうだったんじゃねぇのか?」
俺は気付けばテーブルから身を乗り出し、〝俺〟の胸倉を掴みかかっていた。
「……どうした? 殴んねーのかよ」
ジトっとしたと目つきで此方を覗き込んでくる〝俺〟を見て、興が醒める。
全く。下手な芝居打ちやがって。
「……いや。生憎、殴られたがってる奴相手に慈善事業するほどコッチは暇じゃねーんだわ」
これまで饒舌だった〝俺〟は、一気に黙り込む。
疚しさを隠しているのはどっちだ。
結局、コイツも俺なんだ。あの時、正義を履き違えてしまったことをずっと後悔している。そして今、己の中にある正義を全て否定し、かつて自分が悪と定義付けていた存在に成り果てた。それこそが贖罪だと言わんばかりに。
我ながら不器用というか。本当に俺という人間はつくづく救いようがない。
「おじちゃんはさー、何でべんごし? になりたいのー?」
少女が沈黙を破り、何の悪気もなしに核心をつくような質問をしてくる。
言葉に詰まってしまった。
司法試験合格、弁護士という肩書。
いつの間にか、それら自体が目的になっていた。
「本当の正義を知るため、では?」
答えに窮する俺に、浄御原は助言するかのように言い放つ。
確かに浄御原の言う通り、そんなことを考えていた時期もあったのかもしれない。
「まぁ……、そんなところかもな。そう言えば君のことを聞いてなかったな。名前とか年齢とか聞いてもいいか?」
「
「養老か。どこでこの〝おじちゃん〟と出会ったんだ?」
おじちゃん、というワードに〝俺〟はピクリと反応した。
バツが悪くなり、むくれていた表情はさらに曇っていく。
気持ちは分かるが、もう諦めて欲しいところだ。
「すぐそこの公園で会ったんだよ!」
「……あの公園釣り堀がついてるだろ。そこで会ったんだよ」
「あの時、ぜんぜんつれてなかったよねー」
「うるせぇ、俺の場合は考え事がメインだから別にいいんだよ」
単純な疑問がある。
浄御原が俺を連れ出したのは、木曜日の夜だ。世界線が違うとはいえ、時間は平行に進んでいるはずなので、計算上今は土曜日の朝で間違いない。
なぜ休日の朝から、〝俺〟と養老は会っているのか。
親御さんから一日面倒を見て欲しいとでも頼まれたのだろうか。
しかし、話を聞く限り養老の両親と面識があるようには思えない。
「そう言えば、民香ちゃんのお父さんとお母さんはどこにいるんですか?」
浄御原、お前って奴は……。
いや、そりゃ俺だって気になってはいたが。
「……そいつ親いねぇんだよ」
嫌な予感は的中した。
「今はこの近くの児童養護施設にいるんだが……、まぁ、なんだ、色々あって施設に居辛いんだと」
「あたしね……、センセイたちにあんまり良く思われてないみたいなんだ」
痛々しい苦笑を浮かべながら、養老は答える。
「あっ、ごめんね。10時からおべんきょうの時間だから帰らなきゃ……。おじちゃんたち、またね! ごちそうさま!」
俺はスマホに表示される時間に目を移す。9時50分か。
ここから施設まで子供の足でどれくらいかかるのだろうか。
数分程度の場所であっても、時間ギリギリであることに変わりはない。
それだけで彼女の施設内での立場が窺い知れる。
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