三度目の正直
「近江 憲はいるか?」
久慈方さんが電話を切ってから、数秒のことだった。
待ち合わせていたかのように理事長室の扉が開き、威圧的な声が響き渡る。
遠慮のない彼の態度に、俺や陣海さんは眉を顰める。
「何だよ、こんな時間に」
連日の残業によるストレスも相まって、俺は敢えて聞きたくもない声に対して嫌悪感を隠すことなく反応する。
そんな俺の顔色を気に掛ける素振りすら見せず、新加は淡々と続ける。
「ポストに一つ空きが出来た。参事官だ。予定より少し早いが来月からいけるか?」
新加は用件だけを早々と告げ、俺の意志を確認してきた。
「……俺に聞くな。久慈方さん次第だ」
俺がそう言うと、新加は心底煩わしそうに久慈方さんの方へ顔を向ける。
「どうなんだ?」
「えっ!? そうですね……。陣海さん、どうですか?」
「……まぁ正直、近江さんにはそこまで重要な仕事はお願いしていませんから、大丈夫と言えば大丈夫ですね」
えっ!? そうなの!?
何だか地味にショックなんですけど。
確かにこれまで簡単な書類の作成とか電話対応しかやっていなかった気が……。
こういった小さな自信喪失の積み重ねが、社内ニートを生み出すのだろうか。
「あっ、勘違いしないで下さい。近江さんは期間限定の在籍ですからね。あんまり仕事のウェイトを上げ過ぎると、後々引継ぎが面倒になるんですよ」
と、陣海さんはすかさずフォローを入れるが、一度疑念が生まれればとことんまで疑心暗鬼に陥ってしまうのが人間というものである。
「いや、大丈夫だ。気にしていない。あんまり力になれなくて悪かったな」
「いえ。それよりも近江さんは向こうで大切な役目があるじゃないですか」
「……まぁ、そうだな」
そう。俺には仕事がある。2年前に誓った約束を果たすために。
いや、贖罪と言った方がいいかもしれない。
はっきり言って、アイツの言葉を借りるところの自己満足だ。
別に誰かに対して赤裸々に明かしたわけではないが、ここにいる誰もが大凡感づいているのだろう。
しかし、いざ心の内を見透かされていると感じると、何だか落ち着かない。
俺は居心地の悪さを隠すために、話題を逸らすことにした。
「はぁ。それにしても来月から辛気臭い男の部下か。今から気が滅入るな」
「馬鹿野郎。参事官つったら課長クラスだぞ。何処の馬の骨とも知れん男をいきなり捻じ込むのに、どれだけ苦労したと思ってんだ」
「あぁ、悪かったよ。今後とも末永く宜しくお願い致します。新加審議官」
「……少しは吹っ切れたのか?」
新加は新加なりに気を遣ってくれてはいるらしい。
だが、俺が言うのも何だがそれは杞憂だ。
この手の葛藤は意味を成さないと、2年前に既に結論付いている。
誰が悪いとか、運命を恨むしかないとか、きっとそう言った次元の話ではない。
敢えて言うなら、多分全ての人間が少しずつ悪いのだろう。
その中で、俺たちは何かの拍子で矢面に立たされるリスクを常に負っている。
「さすがにな……。もう2年も経つんだ」
俺はもう腹を括れている。
だが、新加は納得がいかないのか、ジトっとした視線でこちらを見下ろしている。
無理もない。
どんなに心の中で理論武装しようとも、結局他人にとっては強がりにしか見えないのだろう。
俺はそれすらも理解した上で、『もう大丈夫だ』と周囲に伝えている。
しかし、こうして見ると人は汚くもあり、優しくもあるものだ。
一つの〝可能性〟を奪った人間のために、これだけ心を砕いてくれるわけだから。
「……なぁ、近江 憲。お前、
「浄土真宗……、だったか? それがどうした?」
「〝善人なおもて往生をとぐ。いはんや悪人をや〟。まぁ要するに、『お前らどうせ厳しい戒律とかムリだろ? だったら黙って阿弥陀如来にでも縋っとけ。思い上がんな』ってコトだ」
「スゲェ意訳だな……。親鸞ブチ切れんぞ」
「だが、実際この言葉は色々な受け取り方が出来るからな。だから、何かとトラブルの種になったんだろうよ。ほら、戦国時代も信徒たちが暴れて、信長も随分と手を焼いていただろ?」
「まぁある種、無秩序を推奨しているようにも聞こえるからな」
「でも俺は思うんだよ。そんな過激な組織の中にも、教団の在り方に疑問を覚えている奴もいたんじゃないかって」
「そうだろうな。実際、信長に協力する勢力も居たって話だしな」
「まぁ色々と利害関係があったろうから、一概には言えんがな」
要領を得ない新加の話に俺は痺れを切らしかけていた。
イチイチ予備知識を披露しないと、気が済まないのか?
頭が良すぎるというのも、庶民サイドとしては困りものだ。
「で、結局何が言いたいんだ? アンタはいつも結論までが長すぎんだよ」
「要するにな。そういう奴らが一番苦しんだことって、自己矛盾だと思うんだよ。口では自力で徳を積めない愚者こそが救済の対象と言い、それならこうして真面目に教えを説こうとしている自分は何なんだ? って具合にな」
「まぁ、そう言われれば確かに……」
「ここからは俺の勝手な見解だ。親鸞の言葉の本質は、愚か者こそ救われるべき対象ってところではなくて、そんな愚か者を許容できない自分すらも許せるかってところにあると思うんだよ」
やはり、この男はいつもどこか遠回しだ。
だが、不思議と腑に落ちてしまう。
俺は6年前のあの日以来、ずっと後悔していた。
しかしだからと言って、あの時俺は他に何か手が打てたのだろうか?
結局、今の自分が全てだ。
衝動的であったとは言え、自分の中の価値観に従って動いたことに間違いはない。
至極当然の道理だ。
まぁ要するに身も蓋もなく、冷酷な言い方だが、成るように成った結果、だと新加は言いたいのだろう。
思えば、新加は随分と早い段階から、俺が抱える問題の本質に気づいていたのかもしれない。
「ムチャクチャだな……。それならもう何でもアリじゃねぇか」
「何でもありだろ。実際、親鸞は阿弥陀如来さえ信じれば、全ての人間が救済の対象になると言っているわけだからな」
「……そうだな。まぁ改めて他人に言うことでもないが、俺の中でもうフェーズが変わったんだよ。次に何が出来るかを考えた方が生産的だろ?」
「だから、あんなことを言い出したのか? 2年前にお前が官僚になりたいとかほざいた時は耳を疑ったよ。だがまぁ……、久慈方たちがいらん約束しちまったみたいだからな。いや、それにじてもあの時の久慈方の全力土下座は、今思い出しても白飯3杯はイケるな」
「っ!? だって仕方ないじゃないですか!? そんなこと頼めそうな人なんて、新加さんくらいしかいませんでしたし……」
珍しく楽しそうに話す新加に対して、久慈方さんは慌てて弁明に走る。
俺はあの一件の後、自分に何が出来るかを考え抜いた。
その結果、俺は最低限浄御原が果たすはずであった責任を引き継ぐべきだと考えた。
まぁ本来なら、久慈方さんの後継として理事長になるというのが既定路線だったのだろうが、さすがにそれは遠慮した。
というより、自分に適性があるとも思えないし、単純に久慈方さんの方が適任だと考えたからだ。
だから俺は、アイツの代わりに新加の片腕になってやることにした。
奇しくも、アイツや久慈方さんが約束した『全てが終わった後に、何か一つだけ願いを叶える』という報酬を利用することになったが、別段損した気分ではない。
むしろ、何のコネも能力もない、しがないフリーターを国家公務員にしろというわけだから、一般的に言えば高望みもいいところだ。
さらに、それなりのポストをご所望ともなれば、反発も免れないだろう。
その点を考えれば、やはり新加には頭が上がらない。
だがそれでも、ある程度のポジションでなければ、アイツと同じ責任を果たせない気がした。
例え、アイツが組織の中で指折りの秀才であったとしても、俺にとっては後輩の一人だ。
いつまでも先輩風を吹かせるつもりは毛頭ないが、それでも自分が空けてしまった穴の責任くらいは自分でとりたい。
そんなつまらないプライドを守るため、俺は多くの人を巻き込んでしまっている。
「まぁとにかく、来月からよろしくな。お前から言い出したんだからキッチリ責任感持ってやれよ。まだまだ機構を潰そうとするお偉いさんは沢山いるんだ」
「親父みたいなこと言うな! 分かってるよ。その……、色々ありがとな」
「…………」
新加は何も答えない。
結果で返せ、ということだろう。
「でも、政府との窓口が近江さんになるのは良いことですね。これから随分と仕事がやりやすくなりますよ!」
俺と新加の間に沈黙が生まれると、久慈方さんがその間を取り繕うように話し出す。
久慈方さんが言うように俺の仕事は、機構と政府との橋渡し役。
端的に言うと、これまで新加がやってきたようなことだ。
そのために俺はこの2年間、久慈方さんや陣海さんの元で機構や平行世界について学んできた。
まぁ陣海さんに言わせりゃ、戦力外もいいところだったようだが、それでも何も知らないよりはいいだろう。
「今までがやり辛いみたいな言い方だな」
「いやっ! それは……」
思わず口を滑らせた久慈方さんは慌てふためく。
彼女のこういうところは本当に安心する。
「あぁ、それとな。お前の面倒を見るのは俺じゃない」
「はぁ? 入って早々放置プレイかよ」
「生憎、お前にだけ構っていられる状況でもなくなったんでな。悪いが、今後の流れについてはそいつから聞いてくれ」
「分かったよ……。で、そいつはどんな奴なんだ?」
「口の利き方がなっていませんね。未来の上司に向かって」
理事長室の入り口から懐かしい声が聞こえた。
「新加。アンタ、マジで性格悪いな」
「心外だな。転職祝いのつもりだったんだが」
俺はこの先、何度も間違える。
その度に後悔をし、きっと彼女ともぶつかる日が来るだろう。
彼女がどんな〝可能性〟であるかはどうでもいい。
だが、こうしてまた引き合わされた以上、俺でも特別な何かを感じてしまう。
パラレルメイトだとか、忌々しいものではない。
だからこそ、俺はこの繋がりを維持していきたいと本気で思っている。
そんな俺の心境を知ってか知らずか、彼女は涙でクシャクシャになった笑みを浮かべたまま佇んでいた。
俺が彼女を二度殺した理由。 AT限定 @nomi_shirami
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます