「鉄血の令嬢」と呼ばれた超カタブツのドイツ人美少女留学生・ビスマルクさんをコタツに入れてあげたら、うっかりコタツと俺なしでは生きていけないカラダにしちゃったラブコメ
nach Hause gehen(帰宅)
nach Hause gehen(帰宅)
職員室から出て教室に戻り、帰り支度を始めようとした途中、やっぱりというかなんと言うか、田中舘秋に捕まった。僕は首を竦めて逃げ出そうとしたのだけれど、秋に首根っこを掴まれてしまった。
どんなお小言が待っているかとおっかなびっくり秋の顔を見ると、秋はニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべていた。
――いや、なんでや。
僕が思わずそうツッコミたくなると、秋が低い声で言ってきた。
「何アンタ、マジで進路希望調査表にUberEatsって書いたん?」
「書いたよ」
「それでホリヤマさんにお説教?」
「お前みたいなやつはチベットで出家しろ、って言われたよ」
「何それ」
「ホリヤマさんの大学の同窓がチベットで出家したらしいんだよ。お前も将来絶対そうなるってさ」
「アンタが? チベットで? 坊さん?」
それを聞いた途端、秋は校庭で練習していたマーチングバンドのスーザフォンが奏でる爆音より大きな声で笑い始めた。
「似合わないけど面白いわ、ソレ。アンタが黄色と赤の坊さんの格好して托鉢とかやっちゃうの? いいね、春樹と私で飛行機乗り継いで絶対見に行く。んでアンタから有り難い教えを聞くわ」
「人を勝手に坊さんにすんな。そうなるって言われただけだよ。そうなる予定は俺の中にはない、今のところない」
「ああ、わかったわアンタ。坊さんしながらUberEatsしなさいよ」
「副業で?」
「それが一番清潔な生き方じゃない。今みたいに部屋帰ってからずっとネットしてるよりはいい、絶対いい。Uberボーズ、これね」
「俺の将来で遊ぶな」
「遊びたくなるのよ、アンタの場合は。ホリヤマさんだってそう思ったからそんな話したんだろうし」
秋は目尻に溜まった笑い涙を細い指で拭って、ずい、と顔を覗き込んできた。
「よし、めっちゃ笑わせてもらったし、久しぶりに一緒に帰るか」
「は?」
「小学校の時みたいにさ、馬鹿話しながらちんたら帰りたくない? なるべく寄り道してさ、帰りたくない帰りたくないって念仏唱えながら、さ。ウダウダ帰るアレ。やりたいだろ? やりたいって言え」
「家反対だろ」
「アンタが一方的に私を私の家まで送るの。そしてアンタはそれからキッチリ逆方向に帰る」
「俺に得がないだろ」
「たまには損しなさいよ」
秋はそう言うなり、しゃなりと細い身体を翻し、カースト上位の連中になにか一言二言話しをしてから、さっさと自分のスクールバッグを取り上げてしまった。どうにも拒否権が無いらしい、とわかった僕も、やがてのろのろと帰り支度を始めた。
◆
今、秋が住んでいる家は、学校を中心とするなら、歩いて二キロぐらい離れた住宅街だ。僕と秋はほとんど会話をすることもなく、ようやく雪も消えかけてきている歩道を歩いた。
急に美しく、大人になってしまった幼馴染を意識してしまい、僕は何だか胸が苦しくなるような気持ちで道を歩いた――というのは嘘で、なんというか、帰りの道中の空気は湿っていた。公園の日陰にひっそり立つ公衆トイレの暖房付き便座の上に座っているかのような、もうすぐ銀婚式を迎える熟年夫婦が茶漬けを啜っている食卓のような、何だか奇妙に落ち着いてしまった空気が僕ら二人を包んでいた。僕が押す自転車のタイヤはカラカラと力なく回るだけで、それがまた寂しさを煽った。
「マサムネ」
「あん?」
「私ね、進学するよ。多分、県外の大学」
「おー、そうなん? どこ?」
秋はとある地方国立大学の文学部の名前を挙げた。そこそこの名門校だった。
「文学なんかに興味あるの、お前」
「ないよ、全然ない。でも文学部って言ったらなんか華やかじゃん。バイトでカフェでギャルソン着てさっそうとなんちゃらフラペチーノ作ってそうでさ」
「華やかのイメージが貧しいなぁ」
「田舎民にとってはおハイソでしょ、バイト先がスタバの店員」
それきり、僕たちの会話は途切れた。県交通のバスが物凄い排ガスを上げながら僕らの傍を通り過ぎた。排ガスの鼻を突くような異臭が消えた辺りで、秋がまた口を開いた。
「春樹はね、地元の大学に行くんだって。奨学金目一杯借りるってさ」
「あー、そうなんだ。ま、それらしい話してたしな、ずっと」
「本当にアンタ、興味ないんだね。私たちの進路に」
「ないな」
「ふーん」
「寂しい?」
「うん、ちょっとね」
秋は素直にそう言い、何かを仕切り直すような視線で僕を見た。
秋がこういう風に一対一で話をしたがるときは、必ず秋が何かを迷い、僕か春樹かのどちらかに相談しようというときなのはわかっていた。
てっきり、僕にしても仕方がない進路のことでも相談してくるのかと思ったけれど、秋は意外な話を切り出した。
「ねぇ、マサムネ」
「うん」
「昨日、ちょっと手紙貰ってさ、男子に」
「ほー、また? どんな内容?」
「うわぁ、それ聞いちゃう?」
「聞かせるために言ったんだべ?」
「まぁ、そうなるかなぁ」
ハァー、と、秋はしぼむようなため息をついて、まことに悩ましい、という表情を浮かべた。
「私、こういうのホント困るんだわ。『今、僕はあなたをモデルにした主人公が出てくるライトノベルを書いています。ジャンルはSFロボットもので、あなたは超古代のエルフの血を引いている設定です』なんてさ、マジで書かれてたんよ。どう思う?」
本川君……と僕は前の席に座る本川君の丸顔を思い出していた。あの気弱な文学青年にとって、それは精一杯の告白だったのだろうが、それにしてもあまりに意味不明だ。普通に「好きです」とでも書いておけばいいのに、彼のようなタイプは自分が選ばれないかもしれない側に回ることを嫌がる。常に傷つかない場所からあわよくばと何かを得ようとする、彼はそういう小さい人間なのだ。
「読ませて、っては……言えないよな」
「正直、ストレートに付き合ってくれ、って言われたらゴメンって言えるけどさ。これはどう返事したらいいかわかんないわ」
「美少女は大変だな」
「うん、美少女は大変なんだ」
秋は寂しそうな、味方によっては、酷く疲れたような苦笑顔を浮かべた。
自分でも言う通り、秋は美少女だ。高校に入るなりすぐにクラスでも有数の人気女子になり、今に至っている。僕の知らないところで、ラブレターなんか机が一杯になるぐらいもらっているはずだった。
でも、秋は誰にもなびかなかった。誰に言い寄られても、誰に誘われても、秋はそう言ったことになると、すぐさま身を翻して相手との間に一本間に線を引く。線を引かれた側はその秋の動作にショックを受け、離れていく。その度に秋は今浮かべているような、酷く疲れた表情を浮かべる。今も二ヶ月にいっぺんぐらいは、秋のそんな表情を時折見ていた。
大人になった今だからよくわかるのだけれど、あの当時の秋が恐れていたのは変化そのものだったように思う。昨日はこうだったものが今日はああなってしまう、そういうことに秋はとても敏感で、変化があるとぐったりと疲れてしまう。その当時の秋の願いは今がずっと続くことで、未来など来てほしくなかったのだと思う。
何を馬鹿なことを、人間は常に変化していかねばならないのだ、と賢しらなことを言う人がいるかもしれないけれど、秋は誰もがはっとするほどの美少女だ。こんな美少女が心からそう願うことを、この世の誰が頭から否定できるというのだろう。そして、未来など来てほしくない、今この瞬間がずっと続けばいいと、その時の僕だってそう思っていたのだ。
「秋さ」
「何?」
「手紙の相手、本川君、だよな?」
「正解。なんでわかった?」
「それは置いといてさ、お前、本川君ともし何かの気持ちの間違いで付き合うことになったとするじゃん」
「うん。多分有り得ないけどな」
「有り得たとしたら、の話だよ。そして仲良くなって、手とか繋いで、とんとん拍子に同棲とかまで始めたとしたらさ、本川君のパンツとか洗える?」
「なにそれ」
「いいから答えろよ」
秋はしばらく切れ長の目を明後日の方向に向けて――それから首を振った。
「無理だわ」
「無理だろ? 答え出てると思う」
すぅ、と深呼吸して、僕は一息に言った。
「多分本川君のことだから白のブリーフだと思うぞ。そのちょっと黄色く黄ばんだ、トイレットペーパーの切れ端が貼り付いてて、言えない部分の毛がポロポロ落ちてくる本川君のパンツを掴んで洗濯機に放り込むときの気持ち、それが秋の告白に対する答えだと思う」
「あー、なるほど、アンタが何を言いたいのか、ちょっとわかった」
「さて、なんて答える?」
「『気持ち悪い』……かな、悪いけど」
秋はヘラヘラと笑った。そうだよな、と僕もヘラヘラ笑った。
「よし、ぶっちゃけるわ。気持ち悪いことしないでって言うよ、私」
「一応、あんまり傷つけるなよ。あんまりひどい言葉使うと、それこそチベットで出家しちゃうぞ、本川君」
「わかってるって。あー、やっぱりマサムネに相談して正解だったわ」
「なんだよそれ」
「だってマサムネは、絶対悩まないから。もうアンタの考えも生き方も価値観も、アンタの中で完全に決まってるし」
キヒヒ、と秋は気味悪い声で笑った。
「アンタがそういう奴だってわかってるからこっちも気軽に相談できるの。アンタ、この時期になっても幼馴染の進路に全く興味を示してくれないじゃん。うんうん、アンタってそういう奴だよねって、私も春樹もある意味で安心してるから」
「褒められてんのかけなされてんのかわかんないな」
「いいも悪いもないわ、そういう奴だ、って、この間二人で」
「その通り、俺はそういう奴だ」
「アンタ、本当にちょっと検討してみたら? チベットで坊さん。意外にハマるかもよ?」
「冗談じゃねぇよ」
僕たちは同時にヘラヘラと笑った。
笑いながら、車通りの多い道を黙々と歩いていると、秋がポツリと言った。
「パンツ」
「はぁ?」
「私、マサムネと春樹のパンツだったら、洗っても嫌じゃないかな」
「そうか」
秋は不意に、そんな事を言った。僕はそれについて何も言わなかった。
プッ、と、秋が吹き出した。同時に僕も吹き出した。
笑う度に、僕らは足を止めた。三十分で歩き通せる道なのに、学校を出て既に一時間が経過していた。
「マサムネ」
「んー?」
「実はね、この間はあんなふうに説教したけどね、私、アンタが将来UberEatsになるって言ったとき、アンタは小さい頃からなんにも変わらないんだなって思って、ちょっと嬉しかったぞ」
「そうか」
「アンタがもし将来本当にUberEatsの配送員になったらね」
「うん」
「私、週一でアンタに注文するわ。サラダとか」
「うん」
「んでね、たまにはラーメンとかも注文するから」
「おー」
「んでね、更にたまには、はんぶんこしてあげる」
秋は何故なのか楽しそうにそんな事を言った。
「昔、プリンアラモードとか分け合って食べてたとき、アンタはさくらんぼがついてこないと半日ぐらい口利いてくれなかったじゃない。そういうことがないように、煮玉子はアンタにあげる、これは約束ね」
「悪いな」
僕は涙が出るほど有り難いと思い、秋を見た。
「春樹と秋で俺をなんとか餓死しないように面倒見てくれよ」
そう言うと、秋は口元をチェックのマフラーで隠し、テレテレと音が聞こえそうなほど真っ赤になった。
いや別にそこは真っ赤になるポイントじゃないと思うよ、と指摘しようかと思ったけれど、やめた。昔から秋はこういう女の子なのだ。僕らと手を繋ぐことには全く抵抗がないけれど、一緒に星空を見上げるようなことをしてしまうと途端に照れて黙ってしまうヤツなのだ。秋は相変わらずだった。相変わらず美少女で、そのくせ気にしいで、度し難くズレていて、救い難くアホだった。
ふと、秋が呟いた。
「みんな、卒業してバラバラになる前にさ」
「うん」
「ジンのとこ、私ら全員で行こうよ」
僕は無言で頷いた。
ジン――いつまでも変わらないはずの僕らの中で、最も大きく「変化」してしまったものの名前だった。
それから僕らは秋の家まで、さらに三十分を掛けて帰った。
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