Begegnung(邂逅)

「とりあえずなにもないけど入ってよ。今片付けるから」


 僕はそう言いながらコタツの周りに散らかっていたティッシュの箱や雑誌を乱雑に積み上げ、何とかユーディトさんが座る面積を確保した。


 ユーディトさんはその間、所在なさげに部屋の入口に立ち、泣き腫らした目のまま、鼻の頭を掻いたりしていた。


「ささ、寒いでしょ? 入ってよ」


 僕がコタツへと促すと、彼女の頭の上に幾つもの「?」が浮かんだ。


「入る? どこに?」

「えっ、知らない? コタツだよコタツ。日本の暖房器具だよ」

「知らない……。テーブルに布団を掛けたもの、なのかしら……? どうやって使うの?」

「それは……ほら、こうやって足を突っ込むんだよ。中は赤外線が出てるから暖かいんだよ」


 僕が座椅子に座って実践してみせると、ユーディトさんは実に珍妙な表情を浮かべた。


「ちなみに聞くけど、素足で?」

「いや別にそうでなきゃいけないってことはないけど――」


 僕はそこでユーディトさんの足元に視線を落とした。ユーディトさんも自分の足を見て、あっ、と声を上げた。どうやら、そこで初めて、自分が素足で部屋を飛び出してきたことに気がついたようだった。


 ユーディトさんの白い足は、冷たい玄関のタイルに冷やされたのか、痛々しく真っ赤に腫れていた。


 僕はそれがなぜだか辛いもののように見えて、ぽんぽん、とカーペットを叩き、多少強引にユーディトさんをコタツに誘った。


「ほら、とりあえず座ってよ。嫌なら足は入れなくていいから」


 僕の声と表情に観念したのか、ユーディトさんは少しまごついたような素振りを見せた後、カーペットに座った。


 それから多少迷ったような表情でコタツの布団をめくりあげ、中をしげしげと覗き込んだ。


「あ、赤いわね――。これが赤外線?」

「そうだよ。とっても温かいよ」

「た、確かに、なんとなく温かいわね――」


 それでも――ユーディトさんはまだ何かを迷っていた。ずっと後で知ったことだけれど、海外では素足を人前で晒すことは不潔で下品な行為である場合もあったらしい。おそらくユーディトさんはそのことに抵抗を感じていたのだと思う。


 まだ迷っているユーディトさんに、フゥ、と僕はため息をついた。




「ちなみに、日本人は地震が起きた時、テーブルの下に隠れるように訓練されるんだよ。上からガラス片とか時計とか落ちてきたらケガするだろ? テーブルの下に隠れれば安全だ。――いざという時のために入っておいた方がいいと思うんだけど」




 言い終わらないうちに、ユーディトさんの血相が変わった。慌てた様子でユーディトさんは布団に両足を突っ込み、ガタガタと震えた後――ほっ、とその表情がほころんだ。


 形の良い眉が上に持ち上がり、おっ、と形のいい唇から声が漏れる。


「あ――」

「どう?」

「あ、暖かい、暖かいわね、これ……」


 さっきまで凍りつきっぱなしだったユーディトさんの表情がほころんだ。まるで誰かに優しく抱き締められた時のような、穏やかな表情に。


「でしょ? この地方だとエアコンを暖房機として使うと馬力が足りないし、お金もかかるし。テーブルとしても使える分、コタツの方が経済的なんだよ」

「そ、それだけじゃないわ」

「え?」

「な、なんて言うのかしら……えっと……」


 ユーディトさんはしばらく考える表情になり、次に神妙な表情になった。


「なんと言うか……暖かいだけじゃない。まるでこれは何かに護られているかのような……」

「あー」

「ううん、そんな月並みな感覚じゃないわね。もっとこう、なんだろう……」


 ユーディトさんは瞬時、眉間に皺を寄せ、数秒間沈黙した。


「――そうね、まるで母胎に回帰したかのような、人間とはこうあるべきものなのだという安心感があるというか……帰るべきところに帰れた安心感に包まれてるというか……」


 ユーディトさんは両腕までを布団に突っ込み、ほぅ、と熱いため息をついた。


 そして天板に頬を寄せ、実に魅力的な、うっとりとした表情を浮かべた。


「とにかく、不思議な心持ち……なんだろう、凄く、凄く落ち着くわ……」


 ひとつ、僕はそのとき発見した。


 『鉄血の令嬢』ことユーディトさん、意外にこの人はモノの言い方がロマンチストだ。


 コタツに入って十秒で即堕ちした外国人美少女を、僕はなんだか呆れたような得意なような気持ちで見つめた。




 後になって思えば、これは歴史的な瞬間だった。


 ユーディトさんはこの時、ひとつ運命的な出会いを果たしたと言える。


 そう、これは『鉄血の令嬢フロイライン』と呼ばれた伝説的な美少女だった彼女が、コタツという魔法の暖房器具に魅入られ、その虜になってしまった瞬間だった。


 今後、ユーディトさんは女郎蜘蛛の巣に引っかかったアゲハ蝶のように、「日本文化」という糸にじっくりと篭絡され、どろどろに溶かされてゆく羽目になるのだけれど――この時の彼女は、のちに自分がそんなことになるとは露とも思っていなかったに違いない。

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