Qual(煩悶)
ユーディトさんは完璧な美少女のポーズでそう言ったが、次の瞬間、その顔を覗き込んで納得した。目が全く笑っていなかった。これを断ればあなたの部屋に火をつけるわよと、そんな脅迫の文言が続きそうな、かなり本気の目をしていた。その目の真剣さに、僕は色気よりも恐怖を感じた。
一方、そのときの僕は少々拍子抜けする気分を味わってもいた。確かに、この東北の地方都市の冬は寒く、エアコン程度ではとても間に合わないし、コタツはテーブルとしても寝床としても使えて便利だ。こんなとんでもない美少女が部屋の片隅でありったけの防寒具を身体に巻き付け、ぶるぶる震えながら眠れぬ夜を過ごすなんてシーンは、いくらなんでもお隣さんとして想像したくない光景だった。
しかし――僕はまだぐじぐじと悩んでいた。懸念はただ一点だけ、このホームセンターデートが僕の掲げるサスティナブルな日常生活に違反するかもしれない、という点である。
何しろユーディトさんは校内外に名前を轟かせる美少女で、その品行方正さと規則正しさで更に有名なのだ。この天然の金髪姿はただでさえ目立つ。特定個人が一緒にデートなんかしたらそれこそ噂の種になる。当然質問攻めにも遭うだろうし、付き合っているのかもしれない、という鬱陶しい疑惑が付きまとうようにもなるだろうし、知らないところで二人の馴れ初めは……などと捏造されるかもしれない。日常がサスティナブルではなくなるかもしれない。
「チヨダ君――?」
無言の僕を、ユーディトさんは不思議そうに見つめた。僕は顔をしかめ、歯茎を剥き出しにし、下唇を突き出して、悩んでいた。
どうしよう、本当にどうしよう。ただでさえ今、ユーディトさんに話しかけられてしまっただけで相当に面倒な事態であるというのに、その上放課後デートまでしろというのか。間違いなく噂になる。話題になる。流言飛語も飛ぶだろう。教師たちに呼び出されるだろう。マスコミも来るだろう。ユーディトさんに懸想している連中などは確実に僕のことを羨ましがるに違いない。憎らしく思うに違いない。あいつさえいなければ俺だってワンチャンネコチャン――などと思うかもしれない。
「チヨダ君、何考えてるの? 顔が変よ?」
そう思われたらどうしよう。僕は全校の男子生徒から目の敵にされるだろう。全世界の男を敵に回すことになるだろう。上履きに画鋲を入れられるかもしれない。教科書の間にカッターナイフの刃を仕込まれるかもしれない。僕とユーディトさんの不純異性交遊を告発する怪文書が出回るかもしれない。家に実弾を送りつけられるかもしれない。電話に盗聴器特有の変なノイズが混じるようになるかもしれない。駅のホームでぼーっとしてたら電車が来るタイミングで背中を突き飛ばされるかもしれない。そうなったら全くサスティナブルでない。悪くすれば一撃であの世に――。
「チヨダ君、チヨダ君ってば」
どんどん、と胸を拳で叩かれて、僕はハッとした。
目の前には、ユーディトさんの不安そうな表情があった。
昨日、コタツの中で震えていたときと同じ表情だった。
「あ、ああ……なんでもない」
適当な言葉でごまかした後、僕は心の中で嘆息した。
悩んだ結果は――疲れただけだった。こんな馬鹿なことで必死に悩んで疲れるより、デートに付き合うことの方がマシに思えた。そりゃ多少噂にはなるかもしれないが、もとよりこの鉄血の令嬢が特定個人に靡くことなど有り得ないし想像もできないのだ。根も葉もない鬱陶しい噂はすぐに消えてくれるだろう。それにこれを断れば部屋に火をつけられるかもしれない。そうなれば僕の日常は破壊される。総合的に考えて、このデートに乗った方がサスティナブルな気がした。
ということで、僕は曖昧に頷いた。
「まぁ、そういうことならいいよ。帰り道にホームセンターあるから、そこで買って帰る、それでいいね?」
その申し出を承諾すると、ユーディトさんの表情がパッと笑顔になった。
「ありがとうチヨダ君! 後で必ずお礼はするわね! 何がいい? フランス料理でもご馳走する?」
「あ、いいよいいよそんな豪華なものは! もうとりあえずお礼のことは今は気にしなくていいからさ」
「随分無欲ねぇ。もっとふっかけてもいいのよ? ただでさえ昨日はあんなにお世話になったんだしね」
ユーディトさんはニコニコと、まるでガラガラを与えられた赤ん坊のような、実に満足気な笑みを浮かべていた。この触れれば切れそうな美貌を持つ美少女が浮かべるには少々あどけなさすぎる笑顔が目の毒だった。僕は目をそらし気味にしてなんとか耐えた。
「さぁ、そうと決まれば早速その、ホームセンター? とやらに行きましょう! コタツ! コタツを買うのよ!」
金髪の天使は弾んだ声で言い、さっさと階段を降りていってしまっていた。
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