Aufstehen(起床)

 明くる日。僕は地球の回る音で目を覚ました。

 

 こうやって僕のことを馬鹿にしてくる地球に起こされるのは甚だ不本意なのだけれど、目が覚めてしまったのは仕方がない。僕は上半身をもっくり起こし、ふぁぁ、などと欠伸をしながら背伸びをして、それからコタツの方を見た。


 何度か、夢うつつの中で、ユーディトさんのことを考えていた。


 ユーディトさんは眠れただろうか……と思い、ベッドを降りてコタツに近寄ると――ユーディトさんが仰向けで寝息を立てていた。


 昨日はでんでんむしのように完全に全身をコタツの中に入れていたけれど、今は首から上がコタツの外に出ていた。余震が治まってきたことで安心したのか、なんとか眠れたようだ。


 気配を殺して、僕はユーディトさんの寝顔を観察した。


 校内外にその名を轟かせる美少女の寝顔は――それはそれは安らかな顔だった。思わずじっと見つめてしてしまうと、ユーディトさんの形の良い唇がむにゃむにゃと何事か動き、ちろり、と舌先が唇を舐めた。


 それを見た僕の背筋に、人生で一度も感じたことのない、妙な震えが走った。


 千年の間、城の中で眠りについていたオーロラ姫を発見したときの王子様の気持ちがわかるような気がした。王子様もきっと、今の僕のような気持ちでいたに違いなかった。僕は三十秒ぐらい、じっくりと、『鉄血の令嬢』と呼ばれた美少女の寝顔を観察した。


「ぉが――?」


 と――ユーディトさんの表情が動き、うっすらと、目が開いた。

 あ、と思わず声を上げてしまった僕をじっと見つめたユーディトさんは――それが夢でないとわかるや、ぎょっとした表情を浮かべた。


「うぇ――!? な――何!?」


 一瞬、ユーディトさんは昨晩、自分がどこでどうなってここで寝ているのか思い出せなかったらしい。コタツ布団を跳ね飛ばし、バネ仕掛けのように起きたユーディトさんに向かって、僕は「おっ、落ち着いて――!」と声をかけた。


「ホラ俺! 千代田政宗! 昨日この部屋に来たの覚えてるでしょ!? 地震!」


 僕が思いつく限りの単語を並べると、ユーディトさんは「地震」のところでハッとした表情になり、瞬時下を向いて、何事かブツブツと口にした。


「あ――じ、地震――! そうだ、私、昨日わけもわからず部屋を飛び出して――」


 再びユーディトさんは何事かブツブツと呟き、それから額に手をやって、僕を見つめ、あー、と声を上げた。


「そうだった……ここはチヨダ君の部屋――!」

「そ、その通り」

「あーもう、何やってるのよ私……」


 ユーディトさんは顔を手で覆い、情けない声を上げた。


「もう本ッ当にごめんなさい……あんな時間に転がり込んだ挙げ句、寝るところまで貸してもらって……! 風紀委員が聞いて呆れる不貞行為よ、これ……」

「いやいや、しょうがないよ。昨日の地震、デカかったもの。俺だって初めての体験なら一人でいられないよ」

「それでもやりすぎよ、昨日の私……。ああ、ごめんなさいチヨダ君、迷惑よね? すぐ出ていくから――!」


 ユーディトさんはもちゃもちゃの金髪を手櫛で二、三度乱雑に整えると、バタバタと立ち上がった。


「あ、いいよ全然慌てなくても! まだ六時半だよ!」

「ダメよ、これ以上チヨダ君に迷惑かけられないもの! それにこんなところ誰かに見られたらふしだらな娘だってバッシングされちゃうわ! 日本ってそういう陰湿な国なのよね!?」

「そ、それはたぶん凄い偏見だと思うんだけどなぁ! ま、まぁ帰るっていうなら止めないけど……!」


 僕の方も慌てて立ち上がるや、騒音とともに部屋の玄関に向かったユーディトさんに追随して――あっ、とあることを思い出した。




「ゆ、ユーディトさん! そういえば昨日裸足だったよね!? どうやって帰るの!?」




 僕の言葉に、玄関の壁に手をついていたユーディトさんがハッと僕を振り返った。その後、なんとなく気まずいような表情を浮かべたユーディトさんに、僕は先回りした。


「そんな顔しなくても、ちゃんとそこのサンダル貸すから。履いて帰ってよ」


 僕がそう言うと、ユーディトさんがくるりとこちらに向き直り、ペコペコと頭を下げた。


「本当に何から何まで迷惑をかけて申し訳ないわ……サンダルありがとう、ちゃんと洗って返すわね」

「いいよそんなちゃんとしてくれなくて。ユーディトさんの部屋はすぐそこなんでしょ?」

「これは私の気持ちの問題なのよ……お願いだからそれぐらいはさせて。あと、後で必ずお礼はするから……」

「本当に気にしなくていいよ。困ったときはお互い様って、日本ではそう言うから」


 僕が咄嗟にそう言うと、ユーディトさんの沈んでいた表情が少しだけもとに戻った気がした。


「素敵ね――」

「えっ?」

「困ったときはお互い様、って。私、そういうの好きよ。人間の優しさを感じる言葉だわ」


 ユーディトさんは少し熱っぽいように感じる視線で僕を見つめた。


「日本人は行き過ぎて集団主義だって言うけれど、昨日の地震でそうなる理由がよくわかったわ。ああいう災害が起きた時に助け合うために、苦しい時を一緒に乗り越えるために、きっとそんなことからそうなったのね――」


 じーん、と効果音が聞こえそうなほど、ユーディトさんは何かに深く、静かに感動しているようだった。僕を見つめる目は僕ではなく、僕の背後、いやもっと遠くを見ている気がした。

 

 やっぱり昨日の地震はあまりにもインパクトがデカすぎて、彼女の中のなにかのダイアルを回してしまったらしかった。あはは……と僕はなんとも言えない笑いを返し、気をつけて帰ってね、という言葉を別れの挨拶にした。


 一度だけ、ユーディトさんは僕を振り返った。自分の部屋に入る前、僕を体ごと振り返り、じーっと音がしそうなほど僕を見つめた。僕がその視線に戸惑っていると、ユーディトさんは何かを諦めた表情になり、小さく、ほんの小さく頭を下げて部屋に入っていった。

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