「鉄血の令嬢」と呼ばれた超カタブツのドイツ人美少女留学生・ビスマルクさんをコタツに入れてあげたら、うっかりコタツと俺なしでは生きていけないカラダにしちゃったラブコメ
佐々木鏡石@角川スニーカー文庫より発売中
コタツ
Erdbeben(地震)
ゴォ――という、遠く、重く、残酷な音がした。
地球が回る音だった。
この地球という惑星が、僕一人を置き去りにして回る音だった。
もちろん、そんな馬鹿げたことは誰にも言えない。僕が真剣な表情でこの話を誰かにしたとしても、それは僕が住まうアパートの近所に走っている国道を走る車たちが奏でる騒音だ、地球が回る音なんか聞こえやしないんだと、と誰もが笑うことだろう。
だけど、聞こえる。
それは地球に置いていかれつつある者にしか聞こえない音だった。
そういう時、僕はいつもキーボードを叩くのをやめてベッドに横になり、まるで胎児のように身体を丸め、音が遠くに去ってゆくのを待つことにしていた。
僕はいつも入り浸っている電子掲示板のウィンドウを閉じることなくパソコンの前を離れ、いつものようにベッドに潜り込んだ。あとはこのまま頭を抱え、音をやり過ごすべく布団をかぶってしまえば全てがシャットアウトされるはずだった。
だが――その日だけは違った。
地球は僕と闘る気だった。
かなり真剣に――僕と闘る気だったのだ。
結論から言えば、その重苦しい嘶きは地球の回る音ではなかった。
それはその日、僕らが住む街の遥か地下――のたうつマグマに横っ腹を突き上げられた地殻が上げた悲鳴だった。
数秒後――ドン、という衝撃が付き上がって来て、僕は短く悲鳴を上げた。
慌てて天井を見上げると、蛍光灯のヒモがぶらんぶらんと大きく揺れていた。柱が軋み、本棚から埃が落ちてきて、安普請のアパートはギシギシと景気よく揺れ、地鳴りの音が街全体を揺らした。
震度五弱。僕はそう結論した。
結論してから、いそいそとパソコンの前に戻る。
やることは決まった。
実況である。
「地震キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!」などと書き込み、顔も名前も知らない画面越しの連中と、短い間であるが一方的な一体感を感じるのだ。
僕が素早くマウスを操作し。Web掲示板の中の実況スレッドを立ち上げ、キーボードを叩こうとした、その瞬間だった。
ドバーン!!! という、戦艦の砲撃音のような轟音がアパートの廊下に響き渡り、うわっと僕は再びの悲鳴を上げた。
しばらく硬直したまま、僕はその音の正体を考えた。
今の音は――少々ヤバくないだろうか。
内覧の時、不動産屋は百年に一度の地震が来ても大丈夫だと調子のいいことを言っていたが、本当だろうか。まるで世界を支える木の幹がへし折れてしまったかのようなその轟音は、アパート全体を揺らしたような気がしたのだった。
今の音は――としばし考えて、僕は今の轟音がアパートのドアを勢いよく開いた時の音だったと気が付いた。
おそらく、うたた寝でもしていたアパートの住民が地震に驚き、慌てて外に飛び出したに違いない。
わかってしまえば、その音に驚いてしまった自分も情けなかった。部屋の外に出てみようかとも思ったけれど、このパソコンの向こうの連中と一瞬の連帯感を感じる方が先決のように思われた。僕がキーボードとディスプレイに向き直り、実況を再開しようとしたときだった。
ドンドンドンドン! という、これまだ戦艦の対空射撃のような轟音が部屋を揺らし、僕は驚いて座ったまま飛び上がった。
なんだ、一体何なんだと半ギレになりながら驚いて、ようやっと部屋のドアを拳で叩かれているのだと気がついた。
一瞬、なんでそんなことをされているのか、よくわからなかった。まるでヤクザが借金を取り立てに来たときのような、太鼓の達人ならフルコンボ確実なこの乱打。一体何者がやってきたんだという恐怖と、こんな夜中に少々遠慮がなさすぎじゃないのか、というムカつきの思いが綯い交ぜになり、僕はしばらく叩かれ続けているドアを他人事のように眺めていた。
しばらく眺めていると――ふと、応対に出てみようかという気になった。
ゆっくりと立ち上がり、ドアの前に移動しかけて、ふと、これが暴漢だったらどうなるだろう、と僕は考えた。
おそらく包丁とか棍棒とかブラックジャックとかチェンソーとか拳銃とかフォークとか、そういうもので出会い頭に襲いかかられたらひとたまりもないに違いない。ドンドンドンドン、といまだに鳴り止まないノックの中でしばらく考えて、僕は結局、部屋の中で一番武器になりそうなものとして、暇つぶしに買ったナンクロの雑誌を丸めて手に持った。
僕はナンクロの雑誌を慎重に手で丸めながら、ドアノブに手をかけ、そしてドアを一息に開けた。
ドアを開けた瞬間に見えたのは――視界を埋め尽くす金色だった。
何だ? と僕がぎょっと目を瞠った途端、金色は視界に長く弧を描いて床に吸い込まれ――ビターン! という、物凄い音が部屋を揺らした。
一瞬、呆然としてしまってから――僕は床に這いつくばった金髪を見た。
どう見ても染めたものではない、天然であろう色素の薄い金髪を土埃が舞う玄関先に無造作に投げ出して――その人物は僕の部屋に突撃を果たした。
よく見ると、確定的に女性だった。
黒いニットセーターにデニムという、まるでユニクロのモデルのような格好の女性は、ひと目見てわかるぐらい、ガタガタと震えていた。それに、まるで引きつけを起こしたかのように、ひゅーっ、ひゅーっ、というか細い呼吸音が聞こえた。
一瞬、色んな想像が僕の頭の中を駆け巡った。
おそらくこの人は外国人で、まだ日本に来て日が浅いのだろう。海外、特にヨーロッパでは地震は滅多に起きないと聞くから、今の巨大な一発で相当に慌てたはずだった。いても経ってもいられずに外に飛び出した彼女は、とりあえず目についた人間の灯りを求めてこの部屋のドアを叩いた――と、そんなところだろうか。
この闖入者の背景をなんとなく想像した僕は、その場面で一番適当だと思われる声をかけた。
「あの――大丈夫ですか?」
女性は答えなかった。まだ壊れた笛のような呼吸音が聞こえ続けていた。
その時気がついたことだが、女性は裸足だった。
「あの、すみません。救急車とか呼びましょうか?」
そう言って肩を揺すってみたけれど、女性は答えない。相変わらずガタガタと震えているだけだ。もしかして日本語が通じないかもしれなかった。アーユーオーケィ? と僕は妙な発音で訊ねてみたのだが、それでも女性に変化はなかった。
何よりも、女性の呼吸音が心配だった。この苦しそうな呼吸では、そのうち過呼吸になってしまうかもしれなかった。
僕はとりあえず強めに身体を揺さぶり、しっかりしてください、と日本語で話しかけて、遠慮がちに女性の肩を掴んだ。とりあえず、呼吸が楽にできる体位を確保しなければならないと思ったのだ。
女性の肩に触れた瞬間、人生で一度も嗅いだことのない、華やかな芳香を感じた。その甘さに妙な気持ちになる前に――僕は全身の力を総動員し、女性の上体を抱え起こし、玄関の壁に持たれかけさせた。
瞬間――もちゃもちゃにほつれた女性の金髪の向こうで、不思議な色の瞳が僕の目を見た。
青でも、灰色でもない、ブラウンと
驚くべきことに、その顔に、この瞳の色に、見覚えがあった。
あっ、と僕が声を上げた途端、女性の方も僕を見て、僅かに目を見開いた。
この不思議な色の瞳。
この美しい金髪。
これは天使か妖精かというような、愛らしく整った顔。
けれど天使にも妖精にも似つかわしくない、まるで氷のように峻厳な性格と口調の。
ツン、と生意気に尖った鼻が如何にもその気の強さを主張する、そう、それは『鉄血の
「ユーディト――」
僕は思わず、その女性の名前を呼んだ。
「ユーディト、ビスマルクさん、だよね……?」
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