Yakuza(暴力団)
ユーディトさんは――ひと目でかなり危険な状態だった。ドラッグストアの外壁に追いやられ、まるで鶏ガラのように不健康に細い男二人に取り囲まれている。
「なぁ、いい加減答えろって。一緒行こうってこんだけ誘ってんだからさぁ」
ゲヒヒ、と、ガラの悪い男二人は笑った。男二人は間違いなく大学には行っていないだろうが大学生ぐらいの年齢で、頭の悪さと育ちの悪さが声に出ているタイプの不良だった。ユーディトさんはそんな二人に囲まれ、化粧水のボトルを胸に抱いたまま、顔を強張らせている。
「ねー、黙ってちゃダメだよぉ? そんな態度、感じ悪いと思わない? はいかイエスかで答えようよ。ドゥーユーアンダースタンド?」
ゲヒヒヒ、と、さっきの笑い声よりももっと下卑た声で男二人は笑った。何故こういうガラの悪い男は、笑うべきタイミングで笑わず、笑うべきでないタイミングでゲラゲラ笑うのだろうか。そんなことを考えつつ、すう、と僕は大きく息を吸って考えた。
『マサムネ。君も男の子ならな、ここぞという時はやるべきことから逃げちゃダメだぜ』――。
僕の脳裏に、懐かしい声が響いた。
『特に君は、人にないものを持って生まれてきた人間だ。だったらその能力は人を傷つけることに使っちゃいけない、人を助けることに使うんだ。男は度胸でも意地でもない。勇気だ。いいか、お姉さんとの約束だぞ』――。
ああ、わかってる、わかってるよ、ジン。
みんなみんな、アンタが教えてくれたことだよな。
僕は短く覚悟を決めた。
ドラッグストアの店員やガードマンを呼んでくるとしても、その間にユーディトさんが拉致同然に連れて行かれてしまう可能性もある。それにあの鶏ガラ二人は、どう見ても社会的正義や常識を大事にするタイプには見えない。それに確定的に頭が悪そうだ。鶴亀算など一生かかっても理解できないに違いない。それが証拠に、頭の悪さが毛穴から滲み出て幾つものニキビになっている。彼女を離せ、と正攻法で説得しても、ユーディトさんレベルには日本語が理解できない可能性がある。
日本語が理解できないなら――訴えるべきものはひとつしかない。
圧倒的な暴力への恐怖だ。
僕は覚悟を決め、ユーディトさんに向かって大声を上げた。
「ジュディ! ジュディ、ここにいたのか!」
僕が大声を出して駆け寄ると、びくっ、と肩を揺らして、鶏ガラ男二人が振り向いた。僕はそんな鶏ガラ二人のことなど目に入らない感じを装い、固まっているユーディトさんに駆け寄った。
「もう、ダメじゃないかジュディ。また逃げ出して。どこ行ったんだって社長がカンカンだぞ。さぁ、戻ろうか」
ユーディトさんが困惑を全開にして僕を見た。鶏ガラ二人は突然闖入してきた僕を見て、事を邪魔された不機嫌さと、戸惑いが綯い交ぜになった表情を浮かべた。やはりその表情には頭の悪さが出ている。こんな馬鹿でも理解できるよう、一発で主導権を取ることが重要だった。
「おい、誰だよ? いきなり現れてなんなんだよ、おめぇ?」
鶏ガラのうち、頭が安い灰皿の色をした方が、不機嫌さ丸出しで言った。想定通りの反応である。僕はそこで初めて二人の存在に気がついたというような表情を浮かべて、あ、と声を上げてから、思い切り不穏な声と表情で訊ねた。
「あの、失礼ですが――お二人はどちらかのお身内の方で?」
お身内。その言葉に、鶏ガラ二人は面白いぐらいに狼狽えた。えっ? と素っ頓狂な声を上げた二人に、僕は淡々とした口調で畳み掛けた。
「あぁ、そうでないならいいんです。あの、お願いなんですが、ここで見たことは何卒、他言無用でお願いしたいんですが……近所で少々ゴタがありましてね。そのせいなんです」
そう言いながら、僕はスーパーの入り口の方をわざとらしく見た。そこには、さっきの厳ついパンチパーマのおっさんが相変わらずの剣幕で電話口に怒鳴り声を上げている。更に僕はダメ押しで、駐車場に止まっている黒塗りのセダンを見つめた。セダンは国産の高級車で、しかも窓がフルスモークだ。如何にもその筋の人が乗っていそうな車である。
お身内、近所でゴタ、パンチパーマのおっさん、黒塗りの高級車――それらが鶏ガラ男二人の頭の中で勝手に結びつき、これは圧倒的暴力の世界の入り口なのだと、勝手に誤解されていく。しかもユーディトさんは金髪の外国人美少女だ。留学の事実を知らなければ余程の訳アリだと思うに違いない。当然の事実だが、自分の頭で物事を考えられない馬鹿は実にちょろい。どう見ても普通の男子高校生でしかない僕をヤクザの使い走りかなにかと勘違いしてくれているらしい鶏ガラ男二人は、えっえっ? と、年齢に相応しい声で怯え、じりじりと僕らから遠ざかろうとする。
「カタギの方に迷惑がかかるようなことがないようにと、社長からも言われておりまして……決して悪いようにはいたしませんので、何卒このことはお二人の胸の中にしまっておかれますように……」
こちら、と、背後にいるのだろう何者かの影を匂わせながら慇懃に頼み込むと、鶏ガラ二人は真っ青な表情でぶるぶると首を振り、何も答えずに早足で去っていった。
その姿が十分に遠ざかった辺りで……ふう、と僕はため息をついた。
「ユーディトさん、もう大丈夫だ」
がっくりと全身から力を抜いたユーディトさんが壁に背を預け、額の汗を拭った。初めての異国であんなガラの悪そうな連中に恐喝まがいだ。怖くなかったはずはなかった。
「怖かったよね? 大丈夫?」
「ち、チヨダ君……あなた一体、何者なの?」
ユーディトさんは怪物を見るような目で僕を見た。
「私にはよくわからなかったけれど……何? 今のどうやったのよ?」
「簡単だよ。ユーディトさんをジャパニーズ・ヤクザのお姫様ってことにしたの」
にっ、と僕は微笑んだ。
「まぁ、十中八九引っかかってくれるだろうとは思ったけれど……運がよかったな。これでダメだったらと思うと俺も心配だったよ」
「そうでなくとも、よくあの状況で咄嗟にそんな嘘がつけるわね……あなた、恐怖心はないの?」
「そりゃ怖かったとも。でも俺の口先はどんな暴力よりももっと怖い」
僕は自分の口を指で示した。
「喧嘩はゲンコツでやるもんじゃない。頭と、口でやるもんだ」
僕が言うと、ユーディトさんがしばし無言になり……それから野太いため息をついた。
「チヨダ君。あなたへのイメージを改めなきゃね」
「イメージ?」
「私、ハッキリ言って、あなたのことを今まで自堕落で変わった人だと思ってた。けれど――予想より怖い人だわ、あなた」
「自堕落、は当たってるよ」
ユーディトさんが呆れたように笑った。僕も苦笑してしまうと、ユーディトさんがようやく立ち上がり、僕の腕を取った。
えっ!? と驚くと、ユーディトさんが僕の腕を抱き寄せるように身体を寄せた。
「あの、ユーディトさん……?」
「黙って」
ユーディトさんが鋭く言い、僕の顔を見つめ、ニヤリという感じで笑った。
「助けてくれたお礼と、嘘でも私をジャパニーズ・ヤクザのお姫様にした罰。このまま歩きなさい」
この表情と声で言われたら、それは実質的な命令だった。ユーディトさんはまるで匂いを擦り付けるかのように僕の肩に頭を寄せた。僕は途端に倍速で動き出した心臓の音をうるさく思いながら歩くと、スーパーの入り口から出てきた春樹と秋が目を丸くした。
「ユーディト、マサムネ、この短時間でどうした?」
「聞いてよタニフジ君、さっきのチヨダ君、凄くかっこよかったのよ!」
「ゆ、ユーディトさん……!」
「あぁ……なるほど。マサムネ、アンタまたなにかやらかしたのね?」
秋が呆れたように笑った。流石はこの二人、僕のことを完全に理解している。
「じゃあ、アパートまで帰る間に、ユーディトからマサムネの武勇伝を聞くか。行こうぜ」
春樹の言葉に、うん! とユーディトさんは弾けるような笑みで答えた。
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