Roshidere(ロシデレ)
おにぎりひとつで、ユーディトさんと秋はとてもよい友だちになった。金髪のユーディトさんと日本人形みたいな髪型の秋が会話していると、まるで西洋人形と日本人形が命を得てお茶会をしているかのようだった。校内での男子人気を二分していた彼女たちが、コンビニのスイーツや日本の芸能人やドイツのサッカーの話などをしてクスクス笑い合っているのを、男子生徒も女子生徒も何だか尊いもののように眺めた。一人いるだけでも癒しになる美少女が二人、しかもキャッキャウフフとはしゃぎ合っているのである。癒やされないはずがなかった。
「ユーディトさんと田中舘さん、いつの間に仲良くなったの?」
やっと復学した本川君は、仲良くおしゃべりに興じているユーディトさんと秋を眺めながら驚いたように言う。自分が学校を休んでいた一週間のうちにこれだけ世界が変化すれば誰でも驚くには違いない。しかも僕ら世代は日本がどんどん傾いていっている時代に生まれた世代だ。ポジティブな変化というのに根本的に慣れていない。
「まぁ、色々あったんだよ。ちょっときっかけがあったんだ」
「きっかけって?」
「ユーディトさんがおにぎりを食べた」
「はぁ?」
「いや、嘘じゃない。本当にそうなんだよ。それで仲良くなった」
「よくわかんないけど……なんだか変な感じだね」
復学した本川君は失恋のショックで変わり果て、ガリガリに痩せこけ、目が落ちくぼんで頬が秀で、白髪だらけになり爪も髪も幽鬼のように伸び放題になり、時々オエッと意味もなくえずき、目の焦点は常に飛んでいた……というのは嘘だけど、一週間のうちにだいぶ窶れたように見える。秋にフラれて高熱を出したのだ。まだショックは癒えていないに違いないが、楽しそうに笑う秋を見ていれば自分も暗い顔のままでいる事はできないと思ったのだろう。
「でも、なんか今の方がいいよね。ツンツンしてるユーディトさんよりもさ」
「そりゃそうだ。人間の人生は短い。いくら笑えたかで価値が変わる」
本川君の言葉に、僕は一息に言った。
「念仏ってあるだろ念仏。念仏を唱えれば誰でも極楽に行けるっては言うけど、死んだ後にその念仏の重さを地獄で計られるらしいからな。それと同じかも知れない。いくら笑ったかで人生の意味の重さや軽さが変わるとしたら、今の方がユーディトさんは極楽に近づいていると言えるな」
「相変わらずチヨダは悟ったようなこと言うなぁ。どっから持ってくるの、そういう言葉?」
「殆どが受け売りだよ。まぁ、俺の思いつき自体が間違ってるかもしれないけどね。もともと念仏の重さに軽重があるなんて話は親鸞の弟子である唯円が『歎異抄』の中で否定してるから……」
僕はそんな事を言いながら、本川君に長々と『歎異抄』の内容と、仏教に於ける地獄と極楽の違いについて説明した。ちなみに、僕は『歎異抄』など、読んだことはなかった。更に説明している方の僕自身も仏教のことなんか何もわかっていなかった。ただのハッタリ的な知識である。
仏教が想定している最下層の地獄である無間地獄には堕ちるだけで二千年かかるのだ、というようなことを説明していたときだった。「あら」というごく短い言葉とともに、ユーディトさんが本川君の前で止まった。ユーディトさんの目には本川君のお気に入りであるライトノベルが、表紙を上にして置いてあった。
「その本、今アニメやってるわよね? この間テレビをつけたらやってたんで観ちゃった」
ユーディトさんが言うと、本川君が感電したように硬直し、緊張した面持ちになった。
「う、うん、アニメやってるね」
「途中から見たからよくわからなかったけれど、キャラクターは可愛いわよね。特にあの時々ボソッとデレるRussischのヒロイン。髪の毛の色が綺麗よね? 綺麗な銀色で」
「あ、ああ、そうだね、あのヒロインは僕も好き。ユーディトさんも興味あるの?」
「その本は小説? 漫画?」
「小説だよ。ライトノベルっていう、日本の、漫画寄りの娯楽小説だね」
「小説か……日本語の勉強代わりに読んでみてもいいかもね。モトカワ君、もしよかったら何冊か貸してくれないかしら?」
「あ、ああ、もちろん! 結構巻数があるから時間はかかるだろうけど僕はもう読んだから気にしなくていいよ! 明日持ってくる!」
「やった! 言ってみるものね。じゃあ明日はよろしく!」
ユーディトさんは実に爽やかな感じで本川君に本を借りる約束を取り付け、しゃなりしゃなりという感じで自分の席に戻っていった。
本川君の顔は――蕩けていた。まるで血の池地獄で仏に会ったかのように、その顔はぽーっと呆けて、血色の悪かった顔には赤みが戻っている。ああ、と僕は納得した。本川君、今確実にユーディトさんのこと好きになったな。
なんだかなぁ、と思いつつも、僕は奇妙に納得もしていた。よい変化というものは確実に、周囲にも影響を及ぼす。ユーディトさんぐらい美人で存在感がある人ならなおさらだ。それに、本川君だってずっと秋にフラれた男のまま生き続けるわけにも行くまい。なら新しい恋を初めた方が、おそらくずっといいのだ――そんな事をそこまで考えて、僕はちょっと驚いてしまった。
僕が変化を受け入れている――それは僕自身にとって非常な驚きだった。サスティナブルな青春、持続可能な人生、その人生を送る上で肝心なことは変化のなさなのだ。
変化というのは必ずしもいい方向に変化するわけではない。就職などしてしまえば、人生は学生であったときよりもおそらく何倍も悪い方向に変化する。だったら変化そのものを取り除けばいい。変化すること自体がギャンブルであるなら、ギャンブルそのものをやめてしまえばいい……そんな感じでシケていた自分が、今やユーディトさんという要素を通し、自分の人生や周囲が変化することに疑問も抵抗も抱かなくなっていたのだ。
これはいいことなのか、悪いことなのかと真剣に考えていた僕に……本川君が浮かれまくった笑顔で言った。
「チヨダ、ユーディトさん、ラノベに興味あるって。意外だよね!」
弾んだ声だった。その声に、僕は曖昧に笑った。笑ってしまった。
おそらく――いいことなのだ、変化を受け入れるということは。何しろ、そう思わざるを得ないほど、本川君の顔は希望に満ち溢れ、新たな恋の予感に全力で酔いしれていたのである。こんないい笑顔を誰が否定できるのだろうか。
「ああ、意外。明日は忘れちゃダメだぜ、第一巻」
僕がそう言うと、うん! と本川君は元気いいっぱいに頷いた。
僕らの世界は、ユーディトさんを中心に少しずつ変化を続けていた。
やがて、月日は流れ、二月十五日がやってきた。
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