11-1 全ての動機

「それは二〇九七年、世界に三つの拠点を持つナノマシン開発企業タウ・ディベロップメント、通称〈タウD〉と三体の演算思考体によって始まったの。後天的思考拡張を促す『フューズド計画』。その計画とは、演算思考体と人体とのシームレスな融合を研究し、技術確立すること」


 淡々と言葉を紡ぐアルヴィー。それは全てのことのはじまり。クルー達はただ固唾を飲んで見守っている。今この場で聞こえるのは迷いのない彼女のフラットな声と、イ重力制御エンジンの低いアイドル音の微かな囁きだけだ。


「僅かな関係者以外に誰も知らない極秘計画だったのは、当時のクローンが非合法、即ち法の上では存在しないことを逆手に取って、様々な人体実験を繰り返していたから。ある『究極の目的』を果たすために」


 アンダーソンだけが目を細めている。彼はブレインズと共にフューズド計画の存在を知っていたからだ。横目で艦長の様子をちらと窺う副艦長。


「ところが三体の演算思考体はトーキョーロストが起こる二一一一年より前、タウD内において先行現実モデル構築中に偶然メタストラクチャーの襲来を予見し、別の議論を始めてしまった。そして悪夢のトーキョーロストが起こった。それは三体の演算思考体よって行われた『ある議論』が最悪の形で決裂した結果だった」


 トーキョーロスト、その言葉が出たと同時に起こる小さな騒めき。一息吐き、ある前提を語るために話題を変えた。


「三体の演算思考体、名前こそタウDで報道されていたけれど、中身は実質エプシロンのOEM。最上位の演算思考体の提供と引き換えにフューズド計画の完遂、それに伴うテクノロジーの還元。タウDとエプシロンは極秘取引を行っていたの」


「つまり、その最上位の演算思考体こそが私達、そしてあなた方との共通の脅威、十一段階目の演算思考体、エプシロン・フェーズ11、通称〔イレヴン〕」


「えっ、待ってっ。じゃあ、トーキョーロストの元凶と、まさか君達は…… 同じ?」


 事の真偽を確認するヒライ。動揺と騒めきに包まれるブリーフィングルーム。二十年前とは言え、大災厄の引き金となった演算思考体が目の前に居るのだ。

 一瞬にして、この場全体に不穏な空気が満ちる。


「その通り、三体の演算思考体のうちの一体が彼女だ。そして今は我々の同胞でもある」


 アンダーソンが助け舟を出した。その大きく強い声に促され、揺れ動くクルー達は再び沈黙に返る。確かに、彼女は演算思考体〔イレヴン〕そのものだが、アストレアクルーと融合した存在でもある。誰しも困惑を隠せない。だが、今は彼女の言葉を聞くしかない。


「こりゃあ、たまげた。トーキョーロストは終わっていなかったのか……」


 ヒライの独り言を余所に、アンダーソンはアルヴィーに目配せをする。

 

「続けて」

「ありがとう」


 アルヴィーは艦長に軽く会釈し、話を戻す。


「三体の〔イレヴン〕の中で一番若い〔三番目のイレヴン〕は、事件の直前、『ある想定』の為にタウDモスクワから脱出を図った。でも〔三番目のイレヴン〕は単体では自由に動くことができない。そこで器として選んだのは、植物状態で廃棄寸前だったクローン実験体、当時十二歳の『私』」


 今度は『廃棄』という言葉に、小さなどよめきが起きる。実験の性質を雄弁に語っているからだ。明らかに動揺するエリック。目は見開き、開いた口が塞がらない。イオは後ろの様子を窺うが、かける言葉が見つからない。


「〔イレヴン〕とは、孤立型演算思考体エプシロン・フェーズ11。数十億に及ぶ分子機械の演算素子、その均一性を意図的に排除し、演算素子配列の任意組み替えによって実現した、エプシロン・フェーズ10を遥かに凌ぐ高度存在。孤立型思考装置として不利なナノマシン様流体型を採用したのも、生体融合を見据えた結果」


 そう語り終えた後、彼女は不意にイオに向いた。


「その〔イレヴン〕開発者の一人がイオのお父さん、サブロウ・ミナミ。私達〔三番目のイレヴン〕脱出の協力者でもあったの」

「え…… お、お父さん?」


 突然出た父の名。驚き、そして困惑するイオ。父と死別したのは十年前。十三歳の本人からすれば、何も知らないという意識がない故だが、トーキョーロストは二十年前、イオは当時は三歳。

 目を丸くするイオを一瞥するアルヴィー。視線を戻し、言葉を続ける。


「だけど、ドクター・ミナミは脱出途中に何者かの銃撃に遭い、瀕死の重症を負ってしまった。〔三番目のイレヴン〕は彼を救う為、自らを二つに割った。それがプライマリコアとセカンダリコア。セカンダリコアを埋め込むことで損傷箇所を補い、彼を救ったのよ」


 ——— そんな、私、一言も聞いてない……


 初めて聞く生前の父の話だ。頭の中が真っ白になり、瞬きすら忘れてしまうイオ。二人の間を結ぶ、接続触手がゆらゆらと揺れている。



「その後、タウD解体によって本社デトロイトの〔一番目のイレヴン〕は解体、フューズド計画は頓挫。〔二番目のイレヴン〕は核攻撃でタウD東京と共に消失し、『ある想定』は外れたかに見えた」


 一度、回想するのように瞼を閉じる。


「〔三番目のイレヴン〕は、そのまま私とドクター・ミナミの中で朽ちるつもりだった。私はブレインズの協力で彼自身の養子に入り、ドクター・ミナミは演算思考体の開発から身を退いた。そして医療系大学の誘いで研究職に就いたの」


 次の言葉で再び目を開いた。


「けれどメタストラクチャーが襲来し、その三年後にウィングスやニューメディカが次々と発表されたことによって『ある想定』、つまり〔一番目のイレヴン〕の復活を〔三番目のイレヴン〕は確信したの。ニュークシーは明らかにタウD、フューズド計画のノウハウを継承した存在だった」


 ただ、固まるしかないセリ。ヒトも驚いてはいるが、アルヴィーに向ける視線は変わらない。

 ウィングスは圧縮学習による高い知能により話の内容を正確に理解している。ニューメディカやウィングスを生み出したニュークシーはエプシロン傘下の企業。全ては自分達の根に繋がっている話なのだ。


「つまり、私はあなた達の親戚ってところね」


 アルヴィーは二人のウィングスに、ちらと視線を移す。


「そしてトーキョーロストの十年後、今度はイオが事故に遭ってしまった。普通ではまず助からない大きな事故。奥様は既に亡くなられ、ドクター・ミナミは瀕死の娘を救うべく自らのセカンダリコア移植を決意したの。ニューメディカに偽装してね」


 彼は過去に同じ手段で、自身が一命を取り留めたことを思い出した。

 ただ茫然とするイオの見つめ、彼女は慎重に言葉を選ぶ。


「でも、ドクター自身も重傷を負っていたことと、セカンダリコアを取り出す準備が完璧ではなかったため…… 彼は移植時に亡くなってしまった」


 言い淀んだ末、最後の言葉を絞り出した。色を失う、空気。


「え…… なんで、お父さん……」


 ぽつりと、イオ。初めて知る父の死の真相。


「イオの損傷を修復し、安全にセカンダリコアを取り出す。そしてプライマリコアと再び一つになる。それはドクター・ミナミと最後に交わした約束。結果として、十年かかってしまったけど」


 言葉を失い、ぐすぐすと鼻を鳴らす音だけが薄く漂う機関音に混ざった。

 両親と弟達の記憶、麻痺が残る右脚。父の代わりに生き、分析官として今ヘパイストスに居る自分。身体の中に潜むセカンダリコア。その全てが繋がったのだ。


「つまり、私達がお父さんを巻き込んでしまったの。ごめんなさいイオ」


 アルヴィーが初めて表情を曇らせる。超存在と融合した存在とは思えない。

 俯き、小さく首を振るイオ。十年前、ビル火災による崩落事故は偶然の出来事。全てが〔三番目のイレヴン〕、そしてアルヴィーの所為ではない。もちろんそれが理解できないほど、イオは子どもではなかった。

 小傷が目立つブリーフィングルームの机の上に、ぽつぽつと涙がその跡を作る。真相を知らず、ただ、弟達と無邪気に過ごした—— 十年。

 イオの手を握り、もらい泣きを始めるセリ。

 背後からパートナーと姉の姿を見つめるヒト。ふと我に返ると、右手がイオの天辺に伸びている。無意識にリコにするそれと同じことをしようとしていた。手を止め、自らの包帯だらけの右腕、右掌の茫然と見つめる。


「十分だけ、少しだけ休憩しましょう。アルヴィーさんいいわね?」


 気遣うニュクスが一同に声をかけた。




***




「もう大丈夫。泣くのは今度にする。続けて……」


 気丈に振る舞おうとするが、目も鼻も真っ赤。休憩の間、誰も口を開かなかった。


「ほら、イオ。おはな」


 セリはティッシュを差し出し、甲斐甲斐しくイオに世話を焼く。


「当時〔一番目のイレヴン〕は真っ先に医療系ATiネットワークを掌握していて、セカンダリコアが移動したことは把握していた。けれど、イオがニューメディカのアップデートを拒んだおかげで、私達の動向を正確に掴めていなかった」


 アルヴィーは再び、一同に向かう。


「十年前ならエプシロンの世界シェア、ちょうど八割を超えた頃だよな」

「ネコも杓子もエプシロン。競合のトトが自社開発を止めたのもその頃ネ」

「トトもシータもブランドだけになったのは寂しかったなあ」


 ヒライが指折り数えると、エドが訳知り顔で返す。関係ない話を挟んだのはアレサ。


「だけど、イオがヘパイストスに乗艦してから受けた健康診断、診断スキャナを通して修復の終了を感知したの。対する私の方は〔一番目のイレヴン〕の捜索の目を掻い潜るために一切の医療行為を避け、スタンドアロンを維持し続けていた。だから彼らはプライマリコアを感知できなかった…… アストレアが行方不明になるまでは、だけど」


「えっ、医療行為を避けなくちゃいけないのに、医科系の大学?」


 エリックは冷静を取り戻し、ようやく口を開いた。二人は同じ医科大学のドクター・ミナミの研究室で知り合ったからだ。


「木を隠すなら森の中…… かな?」


 ふふっと笑いを浮かべ、ジョークを口にするアルヴィー。その表情は、セリがエリックの中で見たものと同じ微笑み。エリックは僅かに安堵の表情を浮かべた。


「八年前、鹵獲したメタスクイドと対話を試みた時に、アスティATiと接続したため感知されてしまった。だから今まで、海の底で自閉形態を維持して隠れるしかなかったの」


 それはメタストラクチャーが行動停止し、一切の外的干渉を遮断する形態。つまりアストレアこと〔三番目のイレヴン〕が獲得した能力はIVシールドだけではない。


「〔一番目のイレヴン〕が今までセカンダリコアを放置していたのは、プライマリコアもろとも〔三番目のイレヴン〕を破壊するため。それは彼らに唯一対抗できる孤立型演算思考体、エプシロン・フェーズ11だから」


 アルヴィーは澱みなく続ける。


「そしてATiワールドオーダー。演算思考体をすんなり制限できたのも、トーキョーロストによって拡大した反演算思考体の世論を巧みに利用したから。制限と引き換えに演算思考体の監督という莫大な雇用を生み出すとなれば、誰も止めるものはいなかった」


「ATiトップシェアの立場があればこそ、か……」

「トーキョーロストの調査委員会が本丸に辿り着けなかったのも、エプシロンの強大な政治力のおかげ、だろうね」


 エリックが独り言を呟くと、ヒライが言を補完する。アルヴィーは視線を向けて頷いた。


「つまり〔一番目のイレヴン〕は、新たな演算思考体の開発を阻害し、メタストラクチャーをも監視しながら、〔三番目のイレヴン〕が揃うのを待っていたの」

「えっ、意味が分からない。メタストラクチャーの『監視』って?」


 思わず身を乗り出し、口を挟んだのはヒライだ。それに答えるアルヴィー。


「超空間接続。それは人類にも演算思考体にも座標演算に難を残す技術だけど、今居る座標を基準にして一度マーキングできれば、少なくとも〔一番目のイレヴン〕には可能なの。跳躍弾頭が同じく基準座標からずらすだけのように。彼らはメタストラクチャーの本体、超越存在存在『メタビーイング』の正確な位置を知っているわ」

「やっぱり知っていたのか。我々とメタストラクチャー、いやメタビーイングとの力が一々拮抗するのも、彼らの時間稼ぎでもあった訳だ」


 忌々しく呟くアンダーソン。亡き同士ブレインズに問うた答えが、今この場で得られた。


「彼らもトーキョーロストで学んだのよ。当時は世界はまだ現在ほど演算思考体に依存していなかったから、〔一番目のイレヴン〕は容易に解体を許してしまった。だから時間をかけて環境を整えた。演算思考体に制限を加えつつ依存する社会」


 アルヴィーは一息吐き、再び区切り付ける。この場に居る一同を見渡し、語らなければならない最大の謎を語り始める。


「超常知性構造体、メタストラクチャーと呼ばれるものの本体メタビーイング。これは私達の想定でしかないけれど、恐らく数万年、いや数億年も前から存在する、遥か遠い銀河の知的存在が生み出した巨大な深宇宙探査船」


 全てのクルー達が息を呑む。今まで人類が相手にしてきたものの正体とは。


「他天体を調査し情報を収集する装置だったものが、様々な知性や文明を取り込んでいるうちに論理破綻を起こし、情報をひたすら飲み込むだけの『怪物』に変わり果ててしまったもの。母星の知的存在すら飲み込んでしまったかもしれない」


 アルヴィーはゆっくりとイオに視線を送る。ようやく落ち着きを取り戻し、真っ直ぐな視線をアルヴィーに返すイオ。


「言わばメタビーイングは存在そのものが、気が遠くなるほどの膨大な情報の集合体。〔一番目のイレヴン〕はそれを求めた。フューズド計画の究極の目的、その足がかりとして。そしてこれこそがトーキョーロストの引き金になった『ある議論』の核心」


『我々は、メタビーイングを制御し、融合する』

『我々は、メタビーイングを制御し、回避する』


 一言一言を噛み締めながら、アルヴィーは言葉を積み上げる。


「融合を主張する、元イレヴン主任開発者でフューズド計画発案者、現エプシロン・テクノロジーCEOのロベルト・ハスラー、そして〔一番目のイレヴン〕」

「対して回避を主張する、私達〔二番目と三番目のイレヴン〕と超演算思考体反抗ネットワーク、名も無き賢者達」


「この二つの勢力が争った結果が、トーキョーロストと呼ばれるもの」


 沈黙、そして全ての謎解きの言葉。


「事の発端であるフューズド計画、その究極の目的。それは演算思考体を媒介にして寿命に縛られない永久思考を獲得し、『全ての思考存在の義務を果たす』こと」


 ロベルト・ハスラーと〔一番目のイレヴン〕、その行動全ての動機だ

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