02-3 WINGS〈ウィングス〉

 ウィングガンは二号機ヒト・イオ組、三号機リコ・ニュクス組の順で帰艦した。

 ヘパイストスは全長の前1/3を占める格納庫より後方がブリッジほか居住区となっている。艦上部の箱型部分、展望室を1Fとして下方向へ2F、3Fと続き、全部で5フロアだ。因みにブリッジは2Fの中央管制室を指し、要するに『艦橋』とは便宜上の呼称だ。

 ヒトとイオ、ニュクスとリコが格納庫からブリッジへと向かう。真っ先にブリッジに向かうのは作戦の経過確認と終了の承認を行うためだ。それが終わればメディカルルームで行う神経メンテナンスが待っている。

 通路の先に待っていたのは、細く長い腕を大きく広げたセリ。


「みんな、おっかえりなさーいっ」


 と、先頭を歩くヒトに駆け寄る。だが、差し出した両腕は虚しく空の弧を描いた。バックステップを踏んで、ひらりとセリを軽やかに躱すヒト。もちろん無言。


「ちょっとヒトっ、いい加減逃げないでよっ、もうっ!」


 イオは先日、ヒトに躱された平手打ちを思い出す。


 ――― ああ、こういうの躱し慣れているのか……


 次にセリはイオを飛ばしてニュクスとハイタッチ。続いてリコを背後からしがみつき、首に左手を回して右手で髪を弄ぶ。リコが嫌がる様子はない。

 イオは任務を成功させた安堵から、それを伝える余裕ができた。意を決して先を行くヒトに声をかける。


「あ、あのさ、杖。見つけてくれたの、ヒト君、だよね?」


 あの時、イオの杖は持ち主と同じく海に落下していたはずだ。


「もう失くさないことだ」


 と、にべもないヒト。朴念仁っぷりは相変わらず。


「えっ、ああ、うん……」


 続く言葉を飲み込み、イオはその場で立ち止まる。空気を読んだのか、ニュクスはイオの肩を叩いた。


「アンタ、やればできるじゃーんっ」

「え、ま、まあ……」


 すると、後ろでリコの髪を弄んでいたセリ。


「あら、できて当たり前よ。ヒトが優秀なだけ」

「ちょっとセリっ」


 少し鼻にかかったハスキー、小鳥の囀りのようなメゾソプラノ。抑揚がなく、嫌味なのか思ったことをただ口にしただけなのか、イオには区別がつかない。


 ――― きーっ、美人は何を言ってもサマになるのが腹たつっ!


 ニュクスは眉間に皺を寄せて苦笑いし、セリに先に行くよう一声かける。終始無言のヒト、不満気なセリと弄ばれるままのリコが立ち去るのを待ち、ニュクスはロッカールームの横に設置された自販機でボトルのドリンクを二本買った。


「ここへ来た時は明るくていい子だったのよ」


 ドリンクの一本をイオに手渡すと、ニュクスは自販機横のベンチに腰を下ろしてボトルキャップを開ける。

 芳しいコーヒーの香りが一瞬だけ鼻につく。目の前を整備クルーと冷蔵庫のようなロボット達が通り過ぎる。ロッカールーム横のベンチは、格納庫を一望できるベストな休憩場所だ。整備作業が始まって僅かに騒がしくなったが会話に困るほどではない。

 視線を一度イオと交わして、ニュクスは再び口を開いた。


「と、その前に、あの子達『WINGS(ウィングス)』、どんな子達か知ってるよね?」

「えーと、ウィングガンのガンナーとして、卓越した狙撃技能を持って生み出された調整クローンであり、圧縮学習による高い知能と、優れた任務遂行能力を備えた……」


 イオは研修で学んだ教科書の概要をそのままを口にする。三回も試験を受けたので流石によく覚えている。自慢できることではないが。


「そういうことじゃなくって、人間性のこと」

「人間性って、性格?」

「うんそう、性格。人格形成とか」

「極めて合理的思考であり、知的で落ち着きがあって従順……」

「そうなの、最初はみんなそう。でもね、賢くて素直なんだけど、それなりに個性があるのよ」


 いやいや、有り過ぎでしょ――― と、イオは思うも口に出すのは控える。


「でね、普通の人と過ごす時間が長くなると変わるのよ。元が真っ白だから影響され易いの。セリなんか最初は髪も短くて、男の子みたいだったんだから」

「へえー、それはちょっと意外かも」


 イオは話に入り込み始め、ニュクスは格納庫の方へ視線を向けたまま、言葉を続ける。


「それとね、これはあまり研修では教えてないことなんだけど、あの子達って仲間意識がすっごく強いのよ、ホント血を分けた兄弟みたい」

「ああ成る程、それでセリはあんな風に……」

「多分これは他所でも一緒だと思う。で、ヒトのことなんだけど」

「昔はあんなに無愛想で、無神経で、根暗なヤツじゃなかったと」


 イオ、意外と根に持つ。


「あんまり悪く言わないで。あの子があんな感じなのは理由があるのよ」


 対するニュクスは、そのマッチョな容姿から想像できないほど大人だ。


「ヒトはね、まだガンナーに着任して一年目の頃かな。同じウィングスの仲間を自分のミスで亡くしちゃったのよ。どうやら今でも自分を責め続けてるみたいなのね」


 すると、過去の出来事を回想するかのように遠い目をした。


 ――― 本質的に嫌な奴ではないのは分かる。杖も探してくれたし、難しい歳頃だ。私の弟達と一個しか歳が違わないし。


 そう思いながら、渡されたボトルを無意識に麻痺がない左腿の上を転がす。だが、ガンナースーツが遮って温かさが分からない。


「以来すっかり変わっちゃって、分析官とも上手くやれなくなって、アンタで四人目」

「はあ、何となく分かりました……」

「アンタに上手くやってもらわないと困るのよね」


 ニュクスは言いたいことを一通り口にしたのか、再びボトルを一口煽った。イオはボトルを開けるタイミングが掴めない。


「でもあの子、取っつき難いけど、結構モテるのよ」

「モテる? あの唐変木が?」


 重くなった空気を変えようと、ニュクスは違う話題を切り出した。


「リコの髪、実はあれヒトを真似してるの。セリがヘタクソだからアタシが切ってあげてるんだけど、恥ずかしそうに真似してくれって言ってきた時は、萌え死ぬかと思った」

「ほほぉ、それは興味深い……」


 と、そこへクライトン副艦長がブリッジから荒々しい靴音と共に降りてきた。


「さっさとブリッジに顔を出せっ、二人とも!」


 腕を組んで凄む副艦長、見えないところで舌を出すニュクス。


「鬼軍曹きたこれ」




***




 ヘパイストスブリッジにて。各自担当のシミュレーションのため、目下残業中の三名。

 ATi及び運行機関管理担当、テルツグ・ヒライ機関統制官。兵器及び兵装システム管理担当、エド・ブルーワー兵装統制官。哨戒システム管理担当、アレサ・ケイ哨戒管理官。

 主任作戦統制官のジェイムス・アンダーソン艦長、副作戦統制官のミハル・クライトン副艦長の両名は現在オフシフトに入って不在。

 因みに、ヘパイストス基幹システム、へピイATiが提案する作戦計画の実行承認権を持つのは統制官だけであり、一課第五の任務はこの四名の統制官の合議を以って決定が成される。


「いつも思うんだけどさ、ATiワールドオーダーってホント効率悪いよね。要するにATiがやることは全部人間様がケツ持てってことでしょ?」


 唐突にアレサが不平を漏らす。可憐な見かけとは裏腹に。


「ケツってあなた……それで生まれた雇用もあるんだし、我々だって別途に手当、結構貰ってるんだから文句言っちゃいけないよ」


 アレサに一瞥して、ヒライは面倒くさそうに応える。ヘパイストスブリッジの前列は入り口から見て右からヒライ、エド、アレサの順で並ぶ。つまり二人の会話はエド越しとなる。


「ATiがやらかしたら誰の責任って、二十一世紀から続いてる議論だけどさ」

「それならもっといい格好しなさいよ。何そのヘビメタTシャツ?」


 不機嫌なアレサの理不尽な物言い。ヒライのワイシャツの下に透ける「KING CRIMSON」の文字。


「ヘビメタじゃねーよっ、プログレッシブロック! クリムゾンはメタルの元祖だけど。ロックミュージックは大英帝国の偉大な遺産だっ!」

「ちっがーうヨっ、ロケンローッはアメリカ発祥ダヨっ、ジョニビグーっ!」


 エドは自席から立ち上がると、渾身のエアギター。


「そう言えばジョニーBグッドは、二十世紀の宇宙進出時代に異星人へのメッセージとして選ばれた、唯一のロックミュージックなんだそうな」

「その異星人で思い出したけど、あの骨の親玉(メタストラクチャー)、実際どうやって地球くんだりまでやって来るの?」

「なに藪から棒に。んなもん超空間接続でどっかのクッソ僻地からに決まってるだろ」


 アレサの唐突な話の飛躍にヒライは憮然として答える。

 エドのエアギターはまだ終わっていない。


「へえ、超空間接続ってワープみたいなもの? なんかSFって感じ」

「人類だって一応理屈の上では可能だよ。流行ってないけどね」

「えっ、人類にもできるの? じゃ、なんでやらないの?」


 アレサは意外とばかりに食いつくと、ヒライは少し考えて口を開く。


「えーと、イカロス粒子のおかげで人類に重力干渉が可能になったのは知ってるよね」

「発見者が小洒落た名前を付けたんだよね。イカロス粒子干渉重力、略して『イ重力』って」

「イカロスの神話って蝋の翼だろ? 意味深な名前だと思うけどねえ。んで、何らかの干渉力によって、性質が変えられた重力の総称も『異重力』って呼ぶんだから紛らわしい」

「異重力とイ重力、発音が一緒だもんね」


 いじゅうりょくといじゅうりょく、確かに紛らわしい。


「あ、話が逸れた。で、正しくは『異重力干渉制御』の延長技術が超空間接続なんだけど、凄く簡単に言うと、入口を開けても出口が何処に繋がるか分からない」

「えっ、どゆこと?」


 アレサは大袈裟に首を傾げ、それを横目にヒライは続ける。


「よく紙に点と点を描いて、二つに折って点同士を重ね合せるってやつ。あれを目を瞑ってやるようなもん」

「ワームホールとか、超光速航法の原理の説明で出てくるやつ?」

「そうそう、要するに出入口の座標計算が大変なのよ。例えば静止してるようで地球は時速千六百キロメートルくらいで自転してるし、太陽の周りを時速十万八千キロメートルで公転してる。太陽系まで話を広げると、なんと時速八十六万四千キロメートル」


 懇々と説明を続けるヒライ、対してアレサは「ふーん」と話半分。ひとりエアギターに飽きたエドは、端末からリコとのツーショット画像を開く。


「別々に運動する入口と出口、二つの座標を割り出すのに莫大な計算資源が必要なのよ。出入口の運動を正確に把握できなきゃ話にならない。現状で数万キロの誤差とか馬鹿過ぎる」

「えー、ワタシ達、そんなに動いてるの? メタストラクチャーって意外と凄いんだ」

「クッソでかいエネルギーも要るし、手間ひま掛けた割に結果が芳しくなけりゃ誰も出資してくれない。だから流行らない」


 指先でクルクルと髪を弄び始めるアレサ。こちらも飽き始めたらしい。


「そんな面倒な超空間接続なんだけどね、入口を基準にして、ちょっとずらすだけだったらなんとかなるらしいのよ、演算思考体ならね。五、六年前から噂に上っては消える『跳躍弾頭』ってのがこの技術の応用なんだけど、いまだ完成してないっていう……」


 ヒライ、そろそろ仕事に戻りたい。少し喋り疲れた。


「IVシールドを飛び越すんだから、収束点狙撃なんて要らないし、ウィングスの子ども達も分析官も危険な仕事から解放されるんだけどさ」

「そしたらリコちゃんを独り占めできるナリっ! ワッハハーイっ!」

「せんせー、ここにロリコンがいまーすっ!」

「やだキモーいっ!」

「ワ……」




***




 ふとイオが目を醒ますと、自室前の通路に壁に向いて丸まっていた。

 時刻は午前零時を過ぎ、辺りを見回しても人の気配はない。平時シフトのため、非常灯を除き消灯している。遠くから聴こえる低周波の機関音以外は静かだ。


 ――― へ? なんで私……こんなところで寝ているの?


 目を擦りながら訝しむものの、何かが分かる訳もない。硬い床に寝転がってせいので、あちこち身体が痛む。そのまま深く考える気になれず、大きな欠伸をして自室に戻った。


 ――― ちぇ、なに? もう。


 同時刻、エリックは自室でノート型情報端末に向かい、ひとり報告書を書いていた。

 ふと横を向くと、ぼんやりとした人影。水面の映り込みのようにゆらゆらと揺れ、境界がはっきりとしない。内側からほんのりと明かりを灯したように薄く光を放っている。


「こんばんはアルヴィー、今日もご機嫌だね」


 人影に声をかける。まるで旧い知り合いのように。

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