03-1 全裸以外のナニモノでもない

 二一一一年。某日深夜、制御不能に陥ったとされる演算思考体ATiのハッキングにより、某国長距離弾道核ミサイル三発が発射され、目標となった地域の防衛システムをも撹乱する前代未聞の無差別核攻撃事件が発生した。

 うち一発が日本国東京に直撃し、東京都千代田区を中心に半径約十キロメートル圏内が一夜にして消失する、人類史上最悪のATi暴走事件『トーキョーロスト』が起こった。

 当時、首都移転途上だったとは言え、行方不明含む犠牲者数はおよそ三百二十万人に上り、甚大な被害は日本国内のみならず、世界にも大きな衝撃を与えた。

 だが、事件の真相は解明に至らず、演算思考体そのものを危険視し、原因を『行き過ぎたATi開発』と断定。ATiの運用および新規開発を制限。国連主導の許、ATi operation world order(ATiワールドオーダー)として世界規模の規制が行われた。

 超越構造体メタストラクチャーが襲来する五年前のことだ。




***




 イオは何かと言い訳して避けていた健康診断を受ける。受診履歴を見たヘパイストスの常駐ドクター、リウ・ロン医療管理官からの要請だ。

 2F居住区のメディカルルームは艦中央を貫く通路の右舷側、格納庫に近いブリッジの隣に位置する。因みに向かいの左舷側は食堂となる。

 その部屋はブリーフィングルームの次に広く、ニューメディカ普及のおかげで大掛かりな医療機器は見当たらない。いくつかの医療ロボット、縦に畳まれた数台のベッド、端末一体型デスク。奥にはガンナーの神経メンテナンスに使用するチェア型の装置が三台と、長らく使われた様子がない手術室のドアが見える。

 やや殺風景な部屋を満たすピアノ曲、ラヴェルの「水の戯れ」はリウの趣味だ。


「こりゃ、驚いた。六年もアップデートを放ったらかした子は初めて診たよ」


 検査機器を片付けながら、リウは呆れたように言う。


「診断スキャナにエラーばかり出るからおかしいと思った」

「あれ、気持ち悪くなるから嫌なんですよね、特に何にも困らないし。てへっ」


 ちらっと舌を出してウィンク。年寄りにはあざといぐらいが丁度良いと、OL時代に培ったイオの処世スキルだ。


「てへ、じゃないよ君。いいかい? 総合ナノマシンシステム『ニューメディカ』は基本的には健康管理が目的なんだが、ちょっとした怪我なら治癒を早めてくれるし、鎮痛機能もある」


 回転式の椅子ごとイオに向き直り、お小言を続ける。


「癌とか厄介な病気も早期発見、抑制してくれる優れ物なんだよ。簡易の心肺蘇生機能まである。ナノマシン一つ一つは単純な仕事しかできないが、一定数を超えると協調して生き物のように機能する。いやはや大したもんだ」

「え、ええ……知ってます、知ってます」


 イオの処世スキルは玉砕。心肺蘇生は先日お世話になったばかりだ。


「ニューメディカのおかげで社会保障費も圧縮されて、一昨年から保険料も下がったくらいだ。ある意味国民の義務だよ。ちゃんと給与明細は見とるかね」

「はぁ……」

「毎年ちょっとずつ便利になってるしな。次のアップデートは……えっと、なんだっけ? 余分な脂肪分を分解するとか何とか」

「えっ、ホントですか? 何気に凄いことになってますねっ!」


 俄然食いつくイオ。問診の脇で医療履歴の更新を行なう看護士の女性が笑っている。


「まあ、さすがにお嬢ちゃんの脚やワシの薄毛は治してくれんけどな。あっはっは」


 ――― そういう返答に困るジョークはほんと勘弁して欲しいなあ。


 と、リウの寂しい生え際をチラ見する。


「それにしてもおかしいねえ、最後のアップデートが六年前。本当に何も困らなかったのかい? 体調を崩して熱が下がらないとか。アラートも出るはずだが」

「えええ、そう言われましても。インストール以来、脚以外は健康そのもので……」


 イオは言葉を濁らせる。アップデートを放置していたのは事実だが、アラートも一切出たことが無い。不審に思うこともあったが、更新作業の不快感には勝てなかった。

 弟達に言われて、何度か更新センターに行ったフリをしたのは内緒だ。


「確かにアップデートは私も好きにはなれないが、そんなに嫌がる子も初めてだよ。相性でもあるのかねえ?」

「はぁ、そうですねえ……」


 リウは診断スキャナを眺め、しきりに首を傾げては独り言ちる。そうまで気にされると、流石のイオも気にせざるを得ない。


「まあ、今は色々と変わってるから、今度こそアップデート受けなさいよ」

「ふえーい……」


 イオが渋々返事をすると、リウは次の用件を思い出す。


「ああそうだヒト。次はヒトを呼んできてくれるかな」

「えっ! ヒ、ヒト?」


 思わず声が裏返り、頭からアップデートの件が消失した。




***




 2Fメディカルルームから二階下った4Fがいわゆる男性居住区。格納庫側から見て右側一番奥がヒトに割り当てられた部屋だ。

 借りたジャケットを返しそびれていたイオは渡りに舟と引き受けた。3F女性居住区の自室に立ち寄り、もう一階下に降りる。鬼軍曹こと副艦長の目もあって、そう気軽に立ち寄れないのが男性居住区だ。


 ――― わぁ、男の子の部屋だ。


 と、少しだけ心を弾ませ、コールボタンを押す。やや間を置いてドアが開くと、目の前にヒトが現れた。何の色も帯びない視線と表情。だが、首にタオルを掛けているものの、その下は一糸纏わず。要するに全裸だ。

 彼の顔から足の先まで順に視線を下げ、目を疑いつつもう一回事態を確認をする。


 ――― どう見ても全裸だ。全裸以外の何者でもない。これは一体どういうことだ。


 念のため、もう一回(三回目)確認した上で声を上げた。


「な、な、な、なんでっ、なんで素っ裸なのっ!」

「シャワー」


 タオルで体を拭きながら背を向けるヒト。イオは念のために後ろ確認すべきか葛藤する。念のため、便利な言葉だ。


 ヘパイストスの居住区は男女共に個別の入浴設備を備えていないが、ウィングスに与えられた部屋には特別にシャワーのみ備えられている。

 現在のウィングガン管制システムと神経接続を行う手段はNDポートで統一されているが、初期のウィングス達は背中に繊細な接続端子が露出していたため、一般クルーと入浴設備を共用させられなかった。要するに旧仕様の名残りだ。


「ちょ、ちょっとっ、服着るぐらい待つよっ、なぁんで素っ裸で出てくるのよっ!」


 そう言いつつ、ちゃっかりヒトの部屋を覗き見る。ベッドと小さなカウンター、クローゼット。ヒトと出会った時のヘルメット。ヘパイストスの個人居住区はあれこれ物を置けるほど広くないが、余りにも物が無い。まるで引越し先の部屋を確認しに来たかのよう。


 ――― ウィングスの子達って、みんなこう無執着なの?


 一瞬、セリとリコの顔が過ぎる。合理を優先する彼らであれば、そうであってもおかしくはない。だが、他の二人もヒトとは少し違うように思える。


「べべべ、別にっ、み、見慣れてるんだからねっ!」


 と、訊かれてもいない返事をして恐る恐る視線を戻す。その時、初めて『それ』に気がついた。縞模様のように無数の切り傷が刻まれたヒトの右腕。同様の傷は左腕には見られない。


「あ、あのっ、その右の腕って……」


 見るからに痛々しい、異様な『それ』。


「用は、なに?」


 イオに向き、ぼそりと呟く。顔色一つ変えない、全く疑問に応える気がない態度に、イオは少し苛立ちを覚える。


「あのっ、リ、リウ先生が健康診断に早く来いってっ…… あとこれ、ありがとっ!」


 手短に用件を伝え、投げつけるようにジャケットを渡す。イオが踵を返すと、すぐさま背後のドアが閉まった。更に腹を立てたイオは、わざと杖を鳴らしてその場を離れる。


「もうっ、なにドキドキしちゃってるんだろう? 私、こんなイベント要らないっ!」


 イオは誰も聞いていない文句を口にするが、ふと、思い出して脚を止める。

 初めてヒトと出会ったあの日。


 ――― そう言えば、あの時も右腕に包帯……




***




 自室に戻ったイオは数々の私物に見渡した。最小限に留めたつもりであるものの、ヒトの部屋に比べれば物がある。クローゼット一杯の服と自ら持ち込んだ収納ケース、小物用の小ボックスにシューズラック。そしてベッド横のカウンターには両親と弟達、二組の写真立て。万一に備えて薄い本はベッドの下だ。

 女の子なんだから当たり前—— と無理やり納得するも釈然としない。つい先日乗艦したばかりのイオと違い、ヒトは現在十七歳。ウィングス養成機関からヘパイストスに配属されて既に三年以上が経過しているからだ。


 ――― はぁ……


 前回出動から二週間ほど経過したが、新たな彼らの出現は観測されていない。

 イオは異重力位相変換弾頭の調律シミュレーションとウィングガンのメンテナンス—— と言っても自身が行う訳ではなく、ロボットが行うメンテナンスの承認作業。他にも座学に艦の雑用と、それなりに慌ただしい日々が続いている。

 出向とは言え元が同じ組織のため、異重力分析官の仕事だけ取り組めば良い訳ではない。但し、アンチグラヴィテッド調律における異重力マップ作成は、正確性と速さが求められる特殊技能のため、反復訓練に多くの時間が割かれている。

 因みに座学とは、過去十五年に渡る人類と超越構造体との戦いの歴史、それに付随する組織の成り立ちを学ぶ。だが、研修中に学んだ内容と全く同じため、流石にそれを三回繰り返した身には苦痛でしかない。その座学もあと一ヶ月ほどで終わる。

 最初の一ヶ月は無我夢中だったが、最近は色々と考え耽るようになった。


 イオは回想する。自分はなぜ、ヘパイストスに乗艦することになったのか。

 今から十年前、十三歳の時に起こった古いビルの火災事故で、崩落したビルの直下に偶然居合わせてしまったのが、イオとその両親だった。

 まだ幼い双子の弟達を叔父夫婦に預け、久しぶりに大学から戻った父と母と三人、買い物に出かけた矢先の出来事。意識を取り戻した時に既に両親は亡く、泣くことしかできない弟達の姿だけはよく覚えている。

 幸い、事故の記憶はほとんどなく、目覚めると世界の全てが変わっていたのだ。

 研究者らしくない何処か抜けている父、頭が良くて気の強い母。優しい両親だったが、ある日突然居なくなった。葬儀にはもちろん出られず、病院から外出が許される頃には二人とも墓の下だったから実感など湧く訳がない。

 その後、叔父夫婦に引き取られ、従姉妹と一緒に分け隔てなく育てられた。そしてイオが、弟達の学費まで世話になれないと考え、選んだ仕事が異重力分析官だ。

 最初はイ重力研究科学局に一般OLとして入局したが、その時に受けた異重力知覚の能力テストで特Aだったことと、世間的に見ても法外な報酬に魅力を感じたからだ。

 だが、資格試験に二回も落ちてしまった。結局、学費は叔父に助けてもらったが、半分意地で粘った結果が現在のイオだ。


「なあに、五年も働けば返せる。分析官なんてマグロ漁船に乗ったようなものだ」


 ――― と、嘯いてヘパイストスに乗ったはいいが、そこで引き会わされたのが本当にマグロ(のような奴)だったのは一体何の冗談だろうか?


 異重力知覚。エリックから初めて話を聞いた時、怪しげなオカルトかと思った。

 イカロス粒子発見によって人類に重力干渉が可能になった当時に再発見され、メタストラクチャー対策で注目を浴びるようになった知覚。二十一世紀中頃まで実際にオカルト扱いされていた『霊感』と呼ばれていたもの。

 エリック曰く「元々誰にでも備わっていて、絵を描くとか速く走るとかそういった才能と同じ。人によって強いか弱いかだけ」。

 そうは聞いても、幽霊など一度も見たことがなく半信半疑だった。だが、異重力知覚の能力テスト環境下では見るもの全てに『わなわなと猛烈に揺れる何か』がよく見える。

 見える――― という表現は適切ではないが、イオには見えた。かくして能力評価、特Aの元、異重力分析官の道を歩むことになる。


 ——— 私の人生って、幸か不幸かどっちだろう……


 いつ果てるとも知れぬメタストラクチャー対策。不謹慎ながら、弟達の学費返済が終わるまで続いてもらわなくては困る仕事だ。

 もちろん人類には放置が許されない絶対的な脅威には違いない。場合によっては命に関わることも承知している。だが、返済が終われば二十八歳。


 ――― アラウンド・サーティ。わかっているけど、厳しいなあ。


 いつも頭の中をぐるぐると巡らせ、弟達を思い出して一区切りつく。だが、ここ最近は他に考えることが増えた。そう、ヒトのことだ。そして彼女らWINGS(ウィングス)。

 エプシロン・テクノロジー傘下の総合医療機器企業ニュークシーが、ニューメディカと同じく製造および養成を手掛ける調整クローン。

 航空砲撃機ウィングガンを操り、超人的技能により航空速度からの精密狙撃を可能とする。遺伝子編集と神経改造によって生み出された『兵器の子ども達』。


 ――― 普通の子ども達、弟達と変わらないではないか。この後ろめたさは何?


 と、考えたところで出動アラートが鳴った。




***




 五月中旬某日、午後三時二十分。千葉県鴨川沖南四十キロメートル地点に暴走状態のメタスクイド三体を確認。半年前の出動時に取り逃がし、長らく海中にて潜伏していたと思われる。

 当該方面は超研対一課第三テーセウスの管轄エリアだが、同課は現在オフシフトのため一課第五ヘパイストスが代行対応する。

 セリ・エリック組、リコ・ニュクス組が出動。二号機のヒト・イオ組は待機だ。


 メタストラクチャーの活動で目的が判明していないものの一つに『自閉形態』がある。それは降下後、一定時間活動すると突如停止し、同じく一定時間後に再び活動を開始する。摂取したものの『咀嚼状態』と推測されているがいまだ定かではない。

 停止中はIVシールドを全方位三六〇度に完全展開。つまり穴がない『完全な歪曲時空』に自らの巨体をすっぽり没するのだ。自閉形態中は通常視認が不能となり、異重力知覚で感知こそ可能なものの、収束点狙撃は不可能。その代わり、彼らも何もすることができない。

 以前、東京湾に現れたメタストラクチャーが一時沈黙したのもこの自閉形態であり、今回の暴走メタスクイドも例に漏れない。


 それが五月病なのか分からないが、イオはすっきりしない日が続いていた。報を受けて思わず張り切ってみたものの、生憎の待機組だ。

 メタスクイドなら異重力位相変換弾頭はお呼びではなく、出現場所は対応が難しい陸部ではなく海上となる。へピイATiが予測する追加出動確率はゼロに近い。

 意気消沈しながらガンナースーツを着用し、ウィングガン二号機に向かった。


「ねえ、自分達だけ出ないのって、そわそわしない?」


 待機中一言も話さないヒトに痺れを切らし、人類を代表してマグロに対話を試みる。


「あの二人なら、すぐ終わる」

「へえ、信頼してるんだ」

「ボク達ウィングスは、歳の差以外、みんな同じだ」


 ――― おお、珍しく食いついてきたな。


「あなたは違うって、みんな言ってるよ」

「キミと前任者ほど、差はない」


 ――― きーっ、なんてムカつく子っ! 記録では、確かに前任者は優秀……


 心の中で悪態をつき、狭いコクピットで強引に脚を組む。対するヒトはタッチディスプレイを備えた左右アームレストに腕を置き、着座姿勢を崩した様子はない。視界同期ゴーグルは二人共降ろしたままだ。

 メインモニタには複数のウィンドウが開かれ、偵察ドローンによる一号機および三号機の姿が映し出されている。


「えーえー、悪うございましたっ、どうせ私は他人の三倍かかったよっ!」


 ――― ちくしょう、弟達だったら問答無用で引っ叩いているところだっ!


 それを『二十二世紀の瞬間湯沸かし器』と弟達は呼んでいた。すると、


「キミは、ボクのこと、気味悪がらないんだ」

「そりゃ、口が悪いのは弟達で慣れてるからねっ!」


 勢いで口にして、はたと違和感。


 ――― あれ? もしかして今、話、噛み合ってない?


「キミは『よく見える』から、撃ちやすくていい」

「それって、もしかして褒めてくれてるの?」

「あまり、自信を失くされても、困る」


 ――― もうっ、この子ほんと腹立つっ! ……って待て。気味悪がるって何?


 と、言いかけたところで、最後のメタスクイドを三号機が片づけた。メインモニタの下端、黄緑のウィングガンアイコンが軽やかな電子音と共に表示される。


『ウィングガン三号機、リコ。さくせん終了、きかん、します』


 リコの辿々しい通信を聞いた直後、ヒトはヘッドセットに繋がれたガンナープラグを外し、そそくさとコクピットから出て行く。ヒトは当然振り返ることなく、イオは黙って彼を見送るしかない。

 うーむ、と考えて、何か別の違和感。


 ――― あぁっ、こいつシートベルトしてなかったっ!(考察時間三分)

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