03-2 演算思考体と知覚共有

 ヘパイストスブリッジにて、再び残業中の三人の大人達。


「トーキョーロストから二十年だぞ、いい加減ATiの枷を外してくれないかなーっ」


 と同時に「ターンッ」と鳴るエンターキー。ウィングガン二号機のシステムチェック中、ヒライ機関統制官がぼやいた。

 彼だけデスク端末を改造し、自前の物理キーボードを使っている。目的がよく分からない市販パーツを組み上げた一品もので、見栄えは決してよくない。


「ツールとして使うのに、フェーズ9以上はイミないんじゃないノ?」


 エド兵装統制官は横からヒライのディスプレイを覗き込む。本来は彼の仕事だが、演算思考体が絡む仕事はヒライに丸投げしているのだ。


「もうね。手の入れようがないのよ。へピイATiとの同期遅延がどうやっても解消できない。ウィングガン側もへピイに揃えてフェーズ9に上げてしまうと、イジるのに国家資格が要る。面倒だろ?」

「ねえ、『エー・ティー・アイ』って未だによく分からないんだけど……人工知能と演算思考体って、実際、どこがどう違うの?」


 アレサ哨戒管理官がさらに口を挟むと、得意げなヒライが椅子ごと彼女の方を向く。


「えーと、凄く大雑把に言うと人工知能は『在るもの』しか学習できないのに対して、在るものと在るものを組み合わせて『新しいもの』を勝手に学習に加えるのよ。要するに『想像力』を実装したのが演算思考体ATi。でも、闇雲に新しいものを加え続けると現実と乖離して使い物にならなくなるから、ホストATiが構築する先行現実モデルを参照して正気を保たせるわけ」


 謎のスイッチが入るヒライ、早口で。


「それがエプシロン製ならエプシロン本社中枢の最高位ATiフェーズ10。まあ、販促の方便みたいなもんだけどね。実際ほぼ人間だから『知能』じゃなくて『思考』。人工知能に作らせた人工知能だから『人工』じゃないでしょと……」


 一気に捲したてて、缶コーヒーに手を伸ばす。


「エプシロン製つっても、今や世の中の殆どのATiはエプシロンか、論理プラットフォームを共有するOEMしかないけど」

「ごめん、全然分かんない」

「ミーも分かんない」

「君は分かれよエド……まあ、人工知能から劇的に進化したところで、今度はATiの学習能力に見合うインプット、観測技術が追いついてないんだけどさ」

「つまりいくら地頭が良くても、漫画しか読まなかったら賢くならないのと同じ?」


 エドを横目で見るアレサ。含み有る物言い。


「ナニ言ってんのっ! ジャパニーズコミックは我がライフそのものだヨっ!」

「いやまあ、そういうことだけど。つうかへピイに聞けよそんなもの」

「いやよ、へピイったら一々難しい言葉ばっかりでちっとも優しくないんだもん。百科事典を音読してるみたい」

「あの設定はミセス・クライトンの意向だからネっ!」


 背後を見回し、囁くように言うエド。鬼軍曹のあだ名は伊達ではない。


「確かに一般人が運用するならフェーズ8までで十分だけど、ハードパワーが全然違うからね、僕はパフォーマンスを気にしてるんだよ」


 ヒライはディスプレイに視線を留めたまま続ける。先の話題に飽きたのか、アレサはまた髪を弄り始める。エドも端末のリコ専用フォルダをクリック。


「それに観測技術っつうか、メタストラクチャーのデータだって全然足りないしな。未だに収束点観測は分析官頼りだし、参照するデータが無けりゃ演算思考体なんて宝の持ち腐れ。十五年も世界中で戦っているのに。ねえ?」

「そう言えば、あの骨の親玉。なんでいつも可変核で焼いちゃうの? 捕獲とかしないのかな」


 くるくると話題を変えるアレサ。ヒライは少しうんざり。


「昔からやってるよ。でも奴ら、すぐ分離再建するのは知ってるよね。骨だらけでスカスカだから攻撃が届くと簡単にバラけて、自閉形態に入って個々で修復を始める」

「えっと、扁形動物のプラナリアみたいに増えるってこと?」

「そうそう。でね、一定以上小さくなったら自壊するわけ。それが構造崩壊。分子構造まで一瞬で崩壊するからまともなサンプルが採れない。いたずらに増やしても厄介だし、IVシールドの解除時間も三分保たないから、背に腹は変えられなくて焼くと」

「はあ…… 成る程」


 ヒライが一息吐くと、エドが無理やり何か言う。


「そうだネ、アレの解析がもっと進めば、ボクのリコチャンもラクになるのに……」

「おまわりさーん、コイツでーす」

「おまわりさーん、コイツでーす」


 呆れる二人。ヒライは手指を組んで上に伸びをし、独り言ちた。


「はあ、ATiの世代交代もダメ、完全無人兵器もダメ。もう二十年、何やってんの人類」




***




 アンチグラヴィテッドの調律シミュレーションは、ウィングガンに搭載された仮想動作モードで行うため、ガンナースーツを着用する必要がある。スーツは軽量化が進んだとは言え、一般的な衣類よりまだ重い。実戦に限りなく近い反復訓練に必要なことと理解しつつ、イオは面倒くさいと不平を漏らざずにいられない。

 いくつかのセットを繰り返した後、休憩に3Fの女子ロッカールームに向かう。前にニュクスと話し込んだ場所だ。すると、エリックに居合わせた。

 彼がそこに居るのは、4Fの男子ロッカールームには自販機がないため。同じくスーツを着ていることから、同じくシミュレーションの最中に一息吐いているのだろう。


「やあ、イオちゃんもシミュレーションかい? 結構結構」


 エリックは手にしたドリンクを掲げる。その掠れ声は格納庫全体に反響した。すぐ横を整備クルーとロボットが通り過ぎる。全体的には閑散として、艦外から入り込むイ重力制御エンジンの稼働ノイズが微かに聴こえるだけだ。


「えーと、まだマップボード触ってないと落ち着かないんで……おじさんもシミュ?」


 着ること自体には慣れたとは言え、まだガンナースーツが気恥ずかしい。エリックとは親しいだけ余計に決まりが悪い。


「はは、この格好でおじさんは止してくれよ。シミュはやらないと鈍るからねえ」


 ずっと慌ただしかった所為で、彼と落ち着いて話をする機会がなかったと気がつく。

 イオにとってエリックは強く父を連想する存在だ。と言っても「父性」という意味ではない。元々父の助手だった所為もあるが、雰囲気がよく似ている。

 実際、二人はウマが合ったらしく、父は彼をよくミナミ家に招いていた。かれこれイオが十歳の頃からの付き合い。但し、全てにおいて印象が良かった訳ではない。

 何処と無く頼りないが、一つのことに拘り始めると他のものは目に入らない。正に類は友を呼ぶ…… 叔父さんとはまた別の「おじさん」なのだ。


「で、もう慣れたかい? ヘパイストス」

「うん、ヘパイストスは慣れたけど、おじさん、知覚共有って……」


 ふと、知覚共有について口にする。ここ最近の引っかかりの一つだ。


「分析官は基本的に『異重力知覚』だけ、ガンナーに『貸している』んだよね?」

「基本的にはそう。双方向ではないはず。僕自身はセリちゃんからも前の子からも、特に何かを感じたことがないからピンとこないけど。何かしら個人差はあるみたいだけどね」


 エリックは大学の研究室を出て、異重力分析官になって六年。現在のパートナーであるセリの前任者は、他の艦に移動してヘパイストスを去っている。

 ふと「おじさん」の言葉を茶化そうと思い立つ。


「へえ、『前の子』って、なんだかカノジョ取っ替え引っ替えしてるみたい」

「イオちゃん、馬鹿言わないのっ、僕はおフィアンセさま一筋だよっ!」


 ――― あっ、しまった…… 不味い話題を振っちゃった。


 八年前、エリックはある未解明事件で婚約者を失くしているのだ。だが、彼自身は全くそう思っておらず、周囲からは腫れ物になっている。

 扱いは行方不明で亡くなったと決まった訳ではない。だが、八丈島沖さらに南方数十キロ付近で発生した曰く付きの海難事故。八年が経過した現在でも何の手掛かりも無ければ、生存を信じる者は少ない。


「あ、いや、そうそう知覚共有の話、やっぱり何かあるんだ」


 と、慌てて話を戻す。当のエリックも察しているので深追いはしない。


「うん、個人差ね。例えば触覚とか嗅覚や味覚。他の知覚に変えて発現するみたい。痛覚とか」

「温度とか、匂いや味ってこと?」


 エリックの言葉に沿って返す。「痛み」は避けた。


「ガンナー側もあるらしいけど、あっちは受け取る異重力知覚の情報がずっと大きいから、大して気にしてないらしいよ」


 エリックはそう口にすると、怪訝そうな顔をした。


「もしかして、ヒト君のことかい?」

「えっ、あ、いや、私、他にも覗かれちゃってるのかなって……」


 ――― まだ確信した訳ではない。今は口にするのは止そう。おじさんは何か知っているかもしれないけど、他人のナイーヴな部分に不用意に触れるべきではないし。


 つい先ほど、後悔したばかりだ。


「ははあ、分かった。イオちゃんが隠れて何か食べてるとか?」

「はっ? おじさん、ひっどーいっ!」


 ――― ああ、確かにそれも気になるな。私の秘密の……




***




 ブリッジの真上に位置する展望室。ヘパイストス上部に屹立する箱型部分で、かつてブリッジだった場所。六人掛けの長テーブルと椅子が置かれただけで他は何もない。

 前方の防護壁を解放しており、容赦ない強い陽射しが侵入している。現在の艦の高度では、僅かな雲と下方に広がる蒼い海面しか見えない。

 エリックは窓辺に立ち、外を眺めている。そしてもう一人、ヘパイストス艦長のジェイムス・アンダーソン。短く刈り込んだ白髪に顔は深い皺を刻んでいるが、背筋が通った姿勢は老人と呼ぶには相応しくない。温和な表情を持つ元軍人だ。

 二人ともサングラスを掛けている。


「君がここに来たのは、確か二一二五年だったかね」

「ええ、早いもので六年も出向していることになりますね。相変わらず平社員ですが」


 先に話を切り出すアンダーソンにやや大声で返す。展望室は防音が甘く、風切り音が邪魔をする。

 

「我々だってただの公務員だよ。便宜上、戦争と言っているが、相手は人じゃない」

「そうですねえ、怪獣退治であって外交手段じゃない。大きな兵器を扱っていても、戦争屋じゃないから気が楽ですよ」


 エリックに顔を向け、同じく声を張り上げる。当の本人は外に向いたままだ。


「今となっては害獣駆除だ。怪我でもしたら恩給じゃなくて労災だが」

「ヤケにスケールの大きい害獣駆除ですね、そう考えると割に合わない気もします」


 口元は笑っているが、サングラスが邪魔して表情の判別ができない。


「ええっと、何の話だったかな。そうそうあの事件から、アストレアが消えて八年か」

「ええ」

「何か見つかったかね?」

「え? いや、あの……」


 意外な問いかけ。エリックは艦長に向いた。


「ドクター・ミナミのお嬢さんがこの艦に乗ってきたから、もしやと思ったんだがね」

「あれは僕も想定外でした。二回も落ちたから諦めるとばかり…… 調べたんですか?」


 口調に硬さが増す。雲が増え陽射しが弱まると、アンダーソンはサングラスを外した。


「調べたというか教えてくれたんだよ。ブレインズが」


 風切り音が弱まる気配はない。アンダーソンは天気の話でもするかのよう。


「ドクター・ミナミ、いやミナミ教授の助手だったんだろう? あともう一人、ブレインズの…… いやそれは止そう。アストレアを探しているのは君だけじゃない」

「脅し…… ですか?」


 エリックはゆっくりとサングラスを外す。顔に笑みを浮かべ、再び窓の方へ向く艦長。


「なあに、ブレインズからの伝言だ。彼は古い戦友だからな」

「公務員なのに?」

「ああそう、違う戦争。私はリアリストじゃないから、君の動機は理解できる。止めやせんよ」


 老兵は自嘲気味に笑う。


「隠していてもしょうがない。情報は共有した方がメリットはあると思うがね。それを望んでいるのはブレインズ個人だ」

「それは…………」

「それに、君はミナミ教授が亡くなられた十年前、お嬢さんの手術に立ち会っているね。警戒をするということは『あれ』を知っているのだろう?」


 硬く沈黙するエリック。ごうごうと艦体が風を切る音が残る。


「少なくとも我々は『あちら側』ではない…… 演算思考体を探しているのは同じだが」


 エリックは含みある口ぶりに愕然。


「まさか、トーキョーロス……

「まあ待て、今日明日でどうにかなる話ではないからな。考えてくれればいい」


 その言葉を遮ると、アンダーソンは目尻の皺をさらに深く刻ませた。


「恐縮です……」


 胸を撫で下ろし、再び視線を窓の外へ。艦長は先にブリッジに降りた。




***




「ほう、あれがヘパイストスか。八年も経つのに気にしたことがなかった」


 エプシロン・テクノロジー横浜本社ビル近くのホテル、最上階のスイートに宿泊するロベルト・ハスラーCEOの呟きだ。

 窓の下方に広がる横浜市の煌びやかな夜景と、漆黒の闇がせめぎ合う境界線が見える。その線に沿うように飛行する六つの光輪、六基のイ重力制御エンジンが作り出す輪。

 ヘパイストスは現在、巡回航行の途中で東京湾を出て相模湾を回った後、超研対ヨコスカ基地に帰港する予定だ。


「それだけ、お忙しかったんですよ」


 ロベルト・ハスラーの秘書、トオイ・イブキはそれに答える。


「しかし、見すぼらしい艦だな、名前通りだ」


 ヘパイストス—— ギリシャ神話に登場するオリュンポス十二神、炎と鍛治を司る神の名。醜い容姿で生まれたため一度は母親に捨てられたが、成長後に次々と神器を作り上げ、優秀さが認められて改めて十二神に加えられたと伝えられている。


「元は技術開発用の実験艦と聞いています。慌ててアストレアの代わりに仕立てたと」


 窓際のハスラーは車椅子、それを押すトオイは共に白いバスローブ姿だ。痩せこけた身体に青白い顔の老人と淡いブラウンの髪と瞳の若い女。祖父と孫ほど年齢に差がある。彼女の前髪の隙間にはNDポートがちらりと覗く。


「例の……ミナミ教授のご息女が乗ったと聞いたせいかな」

「そうですね、例の」


 彼女は同調するが、続く老人の呟きは僅かに熱を帯びた。


「偶然か作為か。彼らの手際にしてはいささか非合理だ。なぜ超研対など」

「それは分かりません。メタストラクチャー対策が危険な仕事だったのは過去の話ですし、それについてご尽力なさったのはCEOご自身じゃありませんか」


 トオイは薄く笑いながら答える。車椅子の方向を変え、ベッドに向けて押し始める。


「結果的にな。世界は新しい演算思考体を必要としないのだから、まあ繋ぎだ。我々エプシロンは図体だけはでかい。端末だけでは食っていけない」


 ハスラーは介助されながら、バスローブのままベッドに横たわる。溜息ともつかない深く長い息を吐き出した。


「いい職場でしたよ、テーセウスは。それとも、そんな危険な場所に私を預けたんですか?」


 意地悪な問いに、老人は口角を吊り上げて返す。


「ほほお、言いおる。可愛い我が子には旅をさせろ、言うからな。我が子ではないが」

「ふふ、お目をかけていただいて、光栄です」


 トオイはベッドのカウンターに置かれたケースに手を伸ばす。取り出した錠剤と予め用意していた水を老人に差し出した。彼女のバスローブの合わせ目から覗くふくよかな胸元。

 ハスラーは長らく続く経営戦略会議のため私邸には戻らず、トオイと共にホテル暮らしを続けていた。彼女は老人が落ち着いたことを確認すると髪留めを外して髪を下ろす。そして灯りを消し、バスローブを脱いだ。


「君のやることに口を挟むのは何だが、やはりそれはやり過ぎではないか?」


 外から入り込む光は僅か。薄灯りに照らされた瑞々しい肢体。


「最高経営責任者に若い秘書の女。お側に居るには記号が必要でしょう?」


 肢体を老人に預け、耳元で囁く。長いブラウンの髪がハスラーの顔をくすぐる。


「まさかこの身体で、色惚けの誹りを受けるとは思わなかった」


 苦笑いを浮かべ、不平を口にする。


「ご不満ですか? それはあなたがそうお作りになったから」

「報酬系の一部を拡張しただけだ。成長すればそれも薄れるはずだった」


 トオイは老人の胸に顔を押しつけ、すぅと匂いを嗅ぐ。


「あとどのくらい、君は残っているのかね」


 不意に彼女に訊く。


「私は最初から器、そして器は満たされてこそ。全ては我々の義務を果たすため」


 トオイはうわ言のように呟いた。


「それは私の意思であり、あなたの意思でもある」

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