09-3 選択の余地

「じゃあ、ジャンケンしよっか? 右と左で半分こ、前と後ろの方がいい?」


 イオの混乱に気を留めることなく、セリはリコに返事をする。


「え、え、えぇ……」

「イオ、ワタシの裸も全部見たでしょう? これでおあいこ」


 セリはリコの泡をシャワーで流しながら、イオの耳元でクフフッと笑う。仄かに赤みを帯びた柔らかな指先が、硬質なシャワーヘッドに妖しく絡みついている。


「いや、あのそういう、問題じゃなくて……」

「イオ、アンタ落ち込んでるかもしれないって、心配してたのよ? この子達」


 ニュクスはイオの背に声をかけると、手にしたボトルに口をつける。その赤ら顔を見れば、中身は推して知るべし。


「でも、不審者の濡れ衣が解けて、良かったじゃなーいっ」


 弄ばれているイオに視線を向け、アレサは揶揄うように宣った。


「ええ、ま、まあ…… そうですか。そうですねえ……」


 イオはバスタオルも奪われると、すっかり抵抗する気力を失った。


「イオ、これなあに?」


 不意にセリが尋ねる。背中に伝うセリの指先の感触から、質問の意味を理解する。


「あ、それ、昔の事故の跡。まだ分かるかな?」


 それはイオが十年前のビル火災事故で負った火傷の跡だ。普段は殆ど視認できないほど再生されているが、体温が上がると痕跡を露わにする。当の本人が忘れる程度のものだ。


「へえ、そうなんだ。じゃあ大きいのはトドロキ大陸と名付けよう、小さいのはリコ大陸」

「ああ、セリずるーいっ! 自分だけおっきいの」

「分かった、分かった。じゃあこれも半分こ。小さいのはヒトにでもあげよう」

「あ、あの、人の背中を勝手に分割統治しないように……」


 イオはそう言いかけて、ふと強い既視感に見舞われる。事故のリハビリ中、弟達と交わした会話にそっくりだったからだ。弟達が小学校に上がる頃には、一緒に入浴することに難色を示すようになっていたが、介助と称して無理やり背中を流させていた。割りと酷い姉だ。


 ――― こ、これが因果応報ってやつ? いや、あれは…… 私が一度盛大に風呂場で転んだ所為であって、弟達の愛の確認と言うか、その……


 無邪気に戯れているセリとリコ、振り向くとほろ酔いでご機嫌のニュクス、浴槽の縁に頬杖を突くアレサ。イオはそれぞれの顔を眺め、想いに耽る。


 ――― ああ、びっくりするくらい平和だ。どうして明日は平和じゃないの?


「はぁ、明日どうなっちゃうんだろ。ワタシ達」

「残ったこと後悔してる? 鬼軍曹があんなに降りやすいよう、配慮してくれたのに」


 溜息を吐くアレサ、浴槽の縁に溜まった水滴を突いて遊んでいる。対するニュクスは空になったボトル越しにイオを眺めていた。

 明日からのヘパイストスの行動は、基本的には超研対の業務範囲外。よって希望者には退艦命令が出ている。止むを得ず四名ほど整備クルーが退艦した。

 イオは否応なく『当事者』とされたため選択の余地すらない。だが、そこは素直に受け入れた。相対する人類の脅威は変わらず、早いか遅いかの違いでしかない。そもそも危険は覚悟の上での職業選択であり、得体が知れない〔三番目のイレヴン〕の正体を突き止めるには、プライマリコアとの接触が不可欠だからだ。

 セリとリコが「イオが落ち込んでいる」と心配をしたのは、正にイオには「選択の余地がない」からであり、そしてそれは彼女らとて同様。つまり、ウィングス達も自らに課された使命に、何らかの憂いを持っているのだ。

 プライマリコアとの接触を断念すれば、〔一番目のイレヴン〕は襲ってこない。但し、世界中の高位演算思考体は掌握されたままであり、人類はメタストラクチャーに成す術がない。

〔一番目のイレヴン〕に対抗をするためにはプライマリコアとの接触が必要となる。ヘパイストスのクルー全員に共有された認識——


「あの人が残るって言うんだもん、ワタシだけ降りられない」


 アレサはイオを一瞥した後、その言葉を囁くように口にする。


「へえ、あの人って誰?」

「ひみつっ!」

「はーん、じゃ、この後よろしくするんだ」

「あはは、まだそんなんじゃないわ。でも名案かも」


 成すがままに洗われながら、イオは浴槽の二人の会話に聞き耳を立てている。


 ――― 私、そっちの方はご無沙汰だなあ。そんなこと考えている場合じゃないけど。私にとってヘパイストスはマグロ漁船だから。


 と、イオがマグロを連想したところで、セリがとんでもないことを口走る。


「こんなに楽しいんだったら、ヒトも誘えば良かったーん」

「「それはダメだよセリっ!」」


 セリを除く一同。




***




〔三番目のイレヴン〕は自らとへピイATiが連携することで、〔一番目のイレヴン〕の主要機動兵器と予想されるAMD176ベースの自律ウィングガンに対抗を提案。

 予想戦力差を考慮し、一号機セリ、三号機リコはヘパイストスの護衛に専念。二号機ウィングガン+のヒトは遊撃に回る。本来、メタストラクチャー対応でなければ分析官は必要としないが、二号機には〔三番目のイレヴン〕の搭乗も提案された。

 ウィングガン+はヘパイストス所属機体の中では最大の機動力を誇るが、対シュペール・ラグナ、即ち同じ巡航艦相手となると攻撃力、防御力、持久力に欠け、残存確率は決して高くない。だが、〔一番目のイレヴン〕を欺くため、敢えての選択が成された。

 最悪の場合、二号機単独でアストレアとの接触を図る。つまり、ヘパイストスを囮にするという意味でもある。〔三番目のイレヴン〕は二号機を直接支援して残存確率を嵩上げする。結果としてイオも二号機に搭乗することになる。



 イ重力制御エンジンの先端に煌めく六つの光輪。海面に映り込むそれが目立つのは、まだ辺りは暗く、夜明けは始まったばかりだからだ。

 ヘイパイストスは一路八丈島に艦首を向け、海上高さ十メートルほどの低空を時速三百キロメートルほどで巡行している。

 高度を上げないのは海中からの襲撃可能性が低いからであり、相手はヘパイストスと同型発展型、イカロス・インダストリー製の強襲揚陸艦シュペール・ラグナだからだ。

 左舷の遠空に明るさが増し、少しづつ夜闇は退き始めた。

 このまま進めばあと三十分もかからないうちに目的地に着く。


 ―――とうとう、朝がきてしまった。


 二号機ウィングガン+のコクピットの中、増設されたガンナープラグに繋がったイオは、ただ押し黙って待機するほかなかった。

 前席のヒトが寡黙なのは普段通りだが、今回は分析官としての仕事がない上に知覚共有も行う予定がない。行動を開始すれば〔三番目のイレヴン〕が仕事をするだけだ。


 ――― ずっとすることがない。そわそわして落ち着かない。疑問は何も解決していない。


 聞き慣れたイ重力制御エンジンの稼働音が、酷く煩わしく聞こえる。


 ――― 無性に居心地が悪い。何の役にも立てないのに私はウィングガンに乗っている。ヘパイストスが囮とはどういうこと?


 昨日とは打って変わり、強い無力感に捉われていた。事態の中心に居るのに、イオ自身には何も求められていない。座り慣れた後席で、ただ大人しく座り続けることだけ。


 ——— これではただの容れ物。何故、私なのか……


 と、その時、珍しくヒトが口を開く。


「イオ」

「?……え」


 不意に声をかけられ、少し慌てた。ガンナープラグを増設する急場凌ぎのアダプターが、カシャッと小さな音を立てる。イオはずっと俯いていたのだ。


「セリと、リコが」

「え、え、なに? ど、どうかした?」


 急いで目尻を指で拭う。少しだけ指先が濡れていた。泣きそうになっていたのがバレると癪に触る。急いで平静を装った。


「お風呂、また一緒に入ろう。伝えてって」

「あ…… あはは、昨日のことね」

「随分、気に入られたんだ」


 ヒトの言葉は相変わらず抑揚がなく、会話の先が読み取れない。


「いや、まあ、その、オモチャにされただけのような……」


 と、昨日のお風呂でのことを思い出す。あんな事とかこんな事とか。※もちろん割愛


「良かった」

「え、えっ、なに? なにがいいって?」


 ヒトは再び貝のように押し黙り、イオは半端に終わった会話に困惑する。ふと気がつくと、先の無力感は何処かへ飛んでしまっていた。


 ――― ちぇっ、マグロめ。どういう風の吹き回しだ。


 イオは左のつま先で、遠い前席の背面をほんの少しだけ小突いた。




***



 

 先に姿を現したのはシュペール・ラグナの方だった。高度一万メートル上空の雲間から顔を出しているのが目視できる。ほぼヘパイストスの真上だ。

 ジャミング—— 欺瞞波電子妨害の所為でレーダー類は役に立たない。ヘパイストスは〔三番目のイレヴン〕の提案の通り行動を開始する。

 ウィングガン一号機と三号機を先に出し、艦から百メートル離れずに護衛させる。続いて、ウィングガン用とは別の全ての思考装甲十二枚を艦の周囲に展開。高速旋回する思考装甲の輪が二重となってヘパイストスに付き従った。


「しっかし、よくこんなにイナロクを調達できたもんだ。どんな手を使ったんだ?」


 シュペール・ラグナの戦力予測を見て、感嘆の声を上げたのはヒライだ。

 へピイATiが持つデータベースを通して〔三番目のイレヴン〕が予測したシュペール・ラグナの自律行動ウィングガン投入数は四機。

 これはパーツサプライヤからイカロス・インダストリーに納入される部品調達履歴を追跡した上で、シュペール・ラグナの公開諸元から推測されるウィングガン運用能力、ヘパイストス襲撃後の彼らの行動予測を加味して予測したもの。

 ウィングガンそのものの製造履歴を参照しない理由は、組み立てを全てロボットが行うため、幾らでも改ざんが可能だからだ。

 アストレアが出現すればさらに四機追加が見込まれ、シュペール・ラグナ内には自律ウィングガンがヘパイストスの倍、最大十機の搭載が可能と予測している。


「オカシイと思ったんだよネ、変にヨソの入れ替えが進んでナイから……」


 何かを恐れるように言葉を濁すエド。因みにイナロクとは、ヒトも乗るAMD176ウィングガン+を指す。


「ウチのやつは言ってみりゃロールアウト直前の広報モデル。チミもまあレアなもの調達できたよねえ、ねっ、エドちゃんっ!」


 口角を吊り上げたヒライ、座席ごと隣席に移動してエドの肩をばんっと叩いた。


「チョ、ちょっとヒライさん、ソノ、その話はココでは……」


 大柄な彼が妙に縮こまっているのは、表沙汰になると困る話題。


「エドは趣味と実益兼ねてるもんねえ、だーれかさんと一緒だけどっ」

「誰かって誰だよ。俺しかいねーじゃん」


 アレサが不貞腐れているのは、ジャミングにほとんどの仕事を取り上げられたからだ。ヘパイストスに限らず、超研対の艦艇はメタストラクチャー対応に特化するため電子戦は不得手。おまけに頼りの偵察ドローンも早々と落とされた。


「エド・ブルーワー兵装統制官、その話、事が済んだらゆっくり聞かせてもらおうか」


 音も無く背後に立つクライトン。右肩を掴まれ、じわりと力を加えられるエド。


「ヒィーっ!」

「でも逆に、世界を支配する戦力としては控えめな気がするけど、こんなもの?」


 アレサが首を傾げているのは、同じ戦力予測を見ての感想。


「今の世の中って全部、人間はATiの提案を精査して承認するだけ。つまりその気にさえなりゃ、いつでも人間を締め出せるのさ。大袈裟な武器は要らないのよ、奴らは待つことを苦にしないんだから」


 ヒライは座席を後ろに引き、エドの向こう側のアレサに丁寧に返す。いつもの三名のお喋りに少しだけ付き合うクライトン。


「世界を支配する、彼らはそんな陳腐なことは望んでいない。障害を排除したいだけだ」


 やがて、ヘパイストスの上空一万メートルの高度から、シュペール・ラグナは紅く染まった自律ウィングガンを四機、次々と夜明けの空へと放つ。

 そして、猛禽類が獲物を狙う機会を伺うように、旋回待機を始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る