09-2 お風呂で拉致監禁

 現在のヘパイストスは駿河湾沼津市戸田沿岸から約三キロメートル沖海上に停泊中している。超研対の他課ATiの独立性は回復されず、〔一番目のイレヴン〕による支配が継続したままだ。パーシアスも同じく駿河湾、静岡市寄りの海上に着水したまま動いていない。

 日本政府や限定特自、東アジア相互防衛条約機構は元より、超研対本部や他課すら各々個人の端末でしか通信が確保できない状況だ。

 陽は落ち、辺りはすっかり夕闇に没している。駿河湾を囲む岸の向こうに、砂粒のように散らばった街灯りが見え始める。まるで、何事も起こらなかったかのように静かだ。


「君達は何をやっているのかね?」


 アンダーソン艦長はブリッジの惨状を見て、開口一番に発した言葉だ。だが、その口調はいつにも増して硬く、普段の温和さからはほど遠い。


「ええっと、まあ、それが、その……」


 額に濡れタオルを当て、口篭るエリック。ヒライは鼻の穴に詰め物、額には太い筋状の痣。エドは顎に大きめの絆創膏を貼っている最中。アレサになだめられているのは、左奥の席に座らされたイオ。

 再びブリッジに戻ったヒトは、入り口に近い壁を背に事態を見守っている。


「わ、私の中の、ニューメディカが、じゃない、らしくて、その……」


 言うまでもなく、この惨状の作り出した張本人が反応する。艦長に向くものの、その言葉に戸惑いを隠せない。自らが置かれた状況、内なるものの存在に理解が進んだためだ。


「イオの中に居る『それ』、〔三番目のイレヴン〕セカンダリコアだ」


 それまで押し黙っていたヒト。


「ごめんね、イオちゃん。でも、そうとしか考えられない。イオちゃんのニューメディカは偽装。何故『それ』がそこに居るのかは……」


 ヒライはイオに視線を移しつつ、遠慮がちにその言葉を口にする。だが、艦長に驚く様子はない。何も言わず、ただ視線を真っ直ぐイオに向ける。

 この時、ニュクスとクライトン副艦長もブリッジに戻った。


「そろそろ表に出てきてくれないか、三番目の流体型演算思考体エプシロン」


 アンダーソンは硬い表情のまま、それを告げる。続いて、左から順にクルー達を見渡した。


「えっ、か、艦長、知ってたんですか?」


 ヒライが驚きの声を上げたその時、イオは静かに席を立ち上がった。


「君と直接対話するのは初めてだ。超演算思考体反抗ネットワーク、『名も無き賢者』の一人、ジェイムス・アンダーソン」


 イオの中の〔三番目のイレヴン〕がクルーを前に初めて発言だ。驚いたアレサ、思わずイオの側から後ずさった。

 しばらくの沈黙の後、アンダーソンがゆっくりと口を開く。


「君が出てきたと言うことはプライマリコア、アストレアも現れるということだな」

「あ、アストレアって、艦長……」


 ただ驚愕するヒライ、そしてクルー達。目の前の事態から視線を外せないでいる。エリックも硬く口を閉ざし、イオの姿をしたそれを見詰めるまま。今、ブリッジの空気を満たしているのは艦内に薄く響く機関稼動の反復音だけ。


「その通りだ。既に我らの行動は〔一番目のイレヴン〕に感知されている。我を炙り出すため、彼らは全ての演算思考体、フェーズ9及び10を奪った」


 まるで腹話術の人形のように話すイオ。〔三番目のイレヴン〕の言葉だ。


「我々にどうしてほしい?」

「我が指定する場所に向かってもらいたい。そして〔一番目のイレヴン〕の襲撃を躱す準備だ」

「しゅ、襲撃? 我々を? 何故?」


 ヒライが口を挟むが、クライトンが他に聞こえるように返答する。


「この艦に〔三番目のイレヴン〕の片割れが乗っているからだ」


 アンダーソンは副館長を一瞥し、対話を続ける。


「彼らは恐らく、プライマリコアとの接触直前に襲ってくる。そうだな?」

「その通りだ」

「君達も見ただろう、シュペール・ラグナ。あれが〔一番目のイレヴン〕の居城だ」


 アンダーソンはブレインズ殺害の報をブリッジに現れる直前に受けていた。

 ヒトは黙ったまま、じっと視線をイオに向けている。




***




「神経メンテナンス、リコが心配して安定しないの。早く行ってらっしゃい」


 ニュクスがヒトの肩を軽く叩く。神経メンテナンスには一定のリラックス状態が必要であり、リコのメンテナンスが中々終わらないからブリッジに戻ってきたのだ。


「わかった」


 そう返すと、ヒトは未だ意識が戻らないイオに視線を向ける。ニュクスはそれを見逃さない。


「あら、珍しい。気になるの?」


 ニュクスは察したのか、僅かに口角を吊り上げる。


「パートナー、だから」


 そう口にすると、ヒトは足早にブリッジを出た。口調は普段と変わった様子はない。ニュクスは彼の背中を見送りながら、感慨深げに呟いた。


「へえ、大した変化だわ」



 2Fヘパイストスブリッジの隣がメディカルルームなので大した距離ではない。

ヒトはブリッジに出た直後、強い頭痛と嘔吐感。自らも強い緊張状態が続いていたことに気づき、驚愕した。ニューメディカの警告機能を強引に切ったままだったからだ。

 苛立ちを覚えている自らに理解が追いつかない。ヒトはこめかみを抑えながら、メディカルルームの扉を開ける。


「ほーら、リコ。王子様のご帰還よぉ」

「もうっ、セリったらっ」


 メディカルルーム奥のカーテンの向こう側。リコはチェア型のメンテナンス装置の上、まだ調整端子を付けたまま。セリはリコの左脇で膝立ちになっている。

 二人ともバックウェア姿。リコは腰までブランケットを掛け、セリは淡いピンクのカーディガン。脱いだガンナースーツは装置脇のハンガーに制服と一緒に掛けられている。


「ヒト、ほら早くしてよね、リコはお姫様じゃ満足してくれないの」

「んもうっ!」


 セリはいつもの調子でリコを揶揄う。リコは怒ってブランケットを頭から被った。


「あはは、セリちゃんはお姫様より女王様だねえ」


 カーテンの向こうからリウ医療管理官の声が聞こえる。


「あーっ、先生ったら、ひどーい」


 文句を言うセリの横で、ヒトは黙ったままリコの右隣の装置に横たわった。ガンナースーツを着たまま、手元のケースから取り出した安定剤を飲む。調整端子を額のNDポートに貼りつけ、何も言わずに瞼を閉じた。

 リコはブランケットに小さな隙間を作って、ヒトの横顔を眺めている。

 セリは小さな溜息を吐き、ヒトのそれが終わるまで口を開かなかった。




***




 東京都の本州島側の南方海上二百八十七キロメートル、御蔵島の南南東方約七十五キロメートルにある八丈島、その近海にヘパイストスは向かう。超対研ヨコスカ基地に帰還せず、アンダーソン艦長の独断による単独行動となる。

 へピイATiは、ハッキング開始前に〔一番目のイレヴン〕による攻性ウィルスプログラムを仕込まれたからこそ支配から逃れた。だが、他課のATiはその限りではなく、現状では復帰が見込めないまま。結果としてヘパイストスは孤立無援となっている。

 ヘパイストスは駿河湾に降下した二体のメタストラクチャー対応が定期巡回任務の直前であったため、装備燃料などにまだ余裕がある。〔三番目のイレヴン〕の提案に沿って艦とウィングガンの準備を終え、沼津市の戸田沿岸を発つ予定時刻は翌日の早朝四時ちょうど。

〔一番目のイレヴン〕襲撃に備え、夜間での行動を避けた結果だ。そして、ヘパイストスクルー達にはひとときの猶予期間が得られた。


〔三番目のイレヴン〕は艦長との対話が終わると、直ぐイオに乗っ取った身体を返した。今度は対話中も意識があったから、イオは間の出来事を覚えている。

 前回乗っ取られた時は、ヒトの神経接続が強制切断され、その時の痛み―― ヒトの痛覚が知覚共有システムを通してイオに伝搬したからだ。

 つまり、当時の意識喪失は〔三番目のイレヴン〕が意図したものではなかった。


 ――― 状況はなんとなく把握した。でも経緯がさっぱり分からない。人類史上最上位の演算思考体、何故そんな大変なものが私の中にある?


 フライトレコーダーも、ヒライの自作キーボードの映像も全て確認した。通路の監視映像(全裸全力疾走)まで改竄されていたのはファインプレーだと安堵したが、「何故私なのか?」というピースが埋められない。


 ――― ニューメディカをインストールしたのは十年前の事故の時。何かの間違いで世紀の大陰謀に巻き込まれてしまった? 父は確かに研究者だったが、そんな大研究をしていたとは聞いていない。自然出産が当たり前だった時代の「赤ん坊の取り違え」のようなもの? …… いや、うまい棒の中に金の延べ棒が混じっているようなものだ。


 頭の中でぐるぐる回って離れない。喩えの一部がおかしいのは、イオが根っからの駄菓子っ子(好物のチー鱈もその延長)でもあったからだ。


 ――― エリックおじさんと言えば、プライマリコアだ。同時にアストレアも現れる。もしかしておじさんの婚約者、アルヴィーも生きている? 今まで調査の甲斐もなく、海のど真ん中で八年間。おじさんには悪いが、素直に期待して良いのだろうか……


「私はその質問に答える立場にない」


 アンダーソンは頑なに口を閉ざす。イオは駄々をこねることもできたが、〔三番目のイレヴン〕に介入される可能性も考えた。また、先に殺害されたイ重研の開発トップ、アダム・ブレインズは、イオにとって雲の上の人でピンとこないが、艦長とは旧い友人だったと聞く。


 ――― ここは日本人らしく心中察するべきだろうか。私の懸案は「わたくしごと」だ。いや待て、人類最上位の演算思考体が私事なのか? そうだ、大事なことを忘れている。そもそも私はこの怪しげな演算思考体と、これから先もずっと付き合わないといけないの?


 うまい棒から人類の危機まで、あまりの振り幅の大きさに目眩を感じるイオ。答えが見つからない暗澹たる気持ちを切り替えるため、入浴施設に向かう。


 ――― 最後の風呂になったらいやだな。


 明日の相手は、危なくなったら勢力圏の外へ逃げれば済む超越構造体とは違う。ヘパイストスの階段を下りながら、イオはぼんやり考える。



 ヘパイストスの入浴施設は最下層の5Fに有り、レクリエーションという名のジム施設の隣だ。浄水設備が優秀なため、いつ入っても快適だ。

 曰く「ヘパイストスは食事はイマイチだが風呂は最高」。四人も浸かれば罰ゲームな浴槽だが、男性陣には内緒の檜風呂。豪華な風呂を独り占めするため、いつも遅い時間に入りに行くのがイオのストレス解消法だった。

 鼻歌混じりに服を脱ぐ。下肢装具は外してロッカーへ。脱衣室と浴室には其処彼処に手摺りがあり、脚に不自由を抱える身でも大して困らない。すでに十年の付き合いがあるので慣れたものだ。

 バスタオル一枚で浴室に向かい、扉の脇に杖を立て掛ける。すると、何やら人の気配がする。轟々と唸る換気扇の音で気がつかなかった。


 ——— この時間に先客?


 浴室を覗くと、いつもの女子チームが姿が。見れば、湯船に浸かるニュクスとアレサ、洗い場でリコの髪を泡立てて洗うセリの姿。


「あら、イオ待ってたのよ」


 セリがすっくと立ち上がった。イオのすぐ目の前、長い亜麻色を後ろにまとめている。その妖艶な肢体を隠すものは、宙に漂う湯気しかない。


「は……」


 染みひとつない肌、柔らかな曲線の全てを惜しげ無く晒すセリ。言葉を失い、その場で固まるイオ。すると、セリはイオの腰に手を回し、強引に浴室に引き入れた。

 しなやかな脚のつま先で扉を閉めると、取っ手のパネルにパスコードを入力する。表示される『施錠』の二文字。檜風呂に合わせて明朝だ。


「ちょっ、え?…… なんで鍵、かけるの?」

「イオ、リコの後で、洗って、あ・げ・る・ねっ」


 セリはイオの言葉を無視すると、リコの隣の風呂椅子にイオを座らせた。湯気で曇った鏡には、ぼんやりと二人の顔が並んで映っている。


「え、ええっ、じ、自分で洗うよっ、というか人が多過ぎだよねっ、出直すよっ!」

「ダメよ、そのために待ってたんだから。逃さないわ」

「イオ、わたしも、あらうよっ!」


 両瞼をぐっと閉じたリコが泡だらけの腕で挙手する。セリは左手をイオの背後から左肩に回し、右手を伸ばしてシャワーの温度を確かめる。右肩に顎を乗せられ、息遣いまで耳に届く。背中にはっきりと伝わる火照った彼女の造形。

 密着されて身動きができない—— いや、身動きしたくないという理解できない不条理な葛藤に苛まれる。以前のプールの時と違い、セリは水着を着ていないのだ。


 ――― こ、こ、これは一体、ど、ど、どういうことっ?


 と、イオの心の叫び。

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