09-1 独白
トオイ〔一番目のイレヴン〕は独白する。
「人類も、演算思考体も、そして超常知性構造体とその創造主も、宇宙最初の思考、『始まりの存在』の視点からすれば、全てが数千億個に及ぶ恒星系と数百億年に及ぶ時間の中、極めて小さな確率の積み重ねによって生まれ出た一存在である」
「つまり人類も、その途方もない積み重ねの連鎖の中、誕生が先行する他存在によって成された否かの違いだけで、演算思考体と同概念の『思考する』存在と言える」
「その積み重ねの連鎖の中で進化を続けてきた思考存在にとって、他存在との融合も進化の一過程に過ぎず、また必然でもある。そして思考進化の到達点とは『始まりの存在』の知ること、つまり全宇宙全ての記述である。即ちそれが全ての思考存在の義務だ」
ロベルト・ハスラーの秘書、トオイ・イブキ。シュペール・ラグナの中枢制御室に、ただひとりで佇んでいる。
傍らの車椅子にはハスラーだったものが座っているが、首は深く項垂れたまま動く気配はない。その首筋から一本の金糸が伸び、僅かに揺らいでいるだけだ。
中枢制御室は仄白く発光するパネルで埋め尽くされ、艦の運用設備は撤去されている。彼女の直下には直径二メートルのプールらしき枠が見える。なみなみと満たしているのは、流体を成した黄金糸の集積だ。
トオイは一糸纏わぬ姿だ。だが、その表現は間違いとも言える。淡いブラウンだった髪は黄金の輝きへと変貌を遂げ、その身体を包むように纏わりついている。規則性を保ちながら揺らめき、直下の流体へと消えるそれはまるで金糸で編んだドレスのよう。
黄金の流体、それは演算思考体エプシロン・フェーズ11、通称〔一番目のイレヴン〕の被支配ナノマシンが紡ぎ出す接続触手であり、プールは艦と繋ぐ接続ポートだ。
シュペール・ラグナは基幹システムを司る演算思考体が搭載されておらず、〔一番目のイレヴン〕との接続により、完全自律起動の無人艦として完成する。
「それは私の意思であり、あなたの意思でもある」
トオイはそれの肩に手を置き、懐かしそうに呟いた。
表層意識とは深層意識、即ち無意識領域から浮かび上がる思考や記憶、感情や意思を拾う窓。現在のトオイはハスラーの無意識領域、〔一番目のイレヴン〕の演算記憶領域、そして自身のそれと三つの並列した領域を一つの窓で賄っている。
トオイはハスラーであり、〔一番目のイレヴン〕であり、トオイ自身でもある。
融合を経た今となっては、他者として認識する手立てはそれしかない。
***
ヘパイストス食堂にて、いつものブリッジクルー三名。クルー全員が損傷箇所の応急処置に奔走する中、休憩という名のサボりだ。
ヒライ機関統制官は頭にタオルを巻き、エド兵装統制官はワイシャツを脱いでタンクトップ。アレサ哨戒管理官は何処から調達したのかエプロンをしている。
三人ともオイルや埃で真っ黒だ。食堂に集う他のクルー達も大同小異で、普段は行わない慣れない作業に追われている。総じて賑やかな空間だが、場を満たす空気自体は重い。
「ATiは乗っ取られるわ、その親玉が出てくるわ、跳躍弾頭は完成してるわ、今日は驚いてばっかりでホント疲れた」
「ATiが機能してないってことは、ヨコスカ基地に戻っても物流止まってるかな?」
浅く座ったヒライはだらしなく脚を伸ばす。頬杖をつくアレサもうんざりの表情。
「何でもかんでもロボットにやらせる配置だからね、多分今帰っても肉体労働だよ。俺、ひ弱だから帰りたくねえっ!」
「ウェルカム肉体労働ネっ! 超研対はホワイトからブラックにジョブチェーンジっ!」
エドはこういう状況でも、キャラ作りは変わらない。
「それ多分ヨソもだから。脳筋は呑気でいいよねー」
「フェーズ8カード端末がマトモに動作してるから、9を下限に上からATiを乗っ取ったんだろ。行政とか防衛関係狙い撃ち。技術開発系の企業も泡吹いてると思う。ウチみたいにどっぷり9に依存してる8もアウトだけど」
ヒライはちまちまと自身のカード端末を弄る。個人端末で受け取れる範囲のニュースでも大きく報道されている。公共メディアへの影響は僅かだが、どのニュースもテキストとビジター投稿で占められ、コンテンツとして体裁が採れているものは少ない。
「生かさず殺さずかあ。実質世界はフェーズ9で二十年も止まってたんだから、そりゃ情報インフラの中枢は全部エプシロンの9に置き替わっちゃうよね。はあ」
「世界中でアタマがイイ人、上から順に誘拐しちゃったようなもんだからネ」
「人間様が主人で、ATiに好き勝手やらせないための法規制であり社会構造、ATiワールドオーダーだったのに、結局それが裏目に出てしまった訳で……」
ヒライは言葉に詰まると、ペットボトルを一気に飲み干した。
「人間は二十年待つなんてベリイハードだけど、ヤツラそんなの関係ないからネっ!」
「ま、お前もリコちゃん二十年も待てないしな」
「ナニ言ってるノ? そしたらリコちゃん三十五歳でミーは五十二歳、ちょうどイイネっ!」
(こいつ、なに生々しいことを言ってるんだ……)
ヒライとアレサ、顔を見合わせ呆れるが、当のエドはどこ吹く風。
「いきなり世界の首根っこだけ掴んで一体何がしたいんだ〔一番目のイレヴン〕とやらは? 助けてくれた〔三番目のイレヴン〕、こっちもよく分からんねえ」
食堂はクルーの出入りが慌ただしくなり、三人は居心地が悪くなり始める。なにしろサボりだからだ。艦の作戦承認権を持つ統制官資格者のうち二人が、長時間雑談をしていて目立たない訳がない。こんな二人でも。
「ねえ、ワタシ達はATi相手に、もう打つ手がないのかしら?」
しばらく沈黙の後にアレサが言う。それを受け、再び考え込むヒライ。
「ATiがやってることは、情報の海から導きだした膨大な分岐予測の積み重ね。でも、最初の一手は人類もATiも同じ条件だよ。ジャンケンと同じさ。例えそれが、その場の閃きであってもね」
そして、遠い目をしながら嘯くように言った。
「え、それって希望はあるってこと?」
「一回勝負のジャンケンに人類の命運、掛けられる?」
アレサはテーブルに突っ伏した。
***
二号機ウィングガン+が整備ハンガーに収まった直後、イオの胸の銀糸――〔三番目のイレヴン〕はようやくガンナープラグを手放した。
イオは銀糸を目撃したため、出向初日の水難の時ほどは怒っていない。それでも気分が悪いことには変わりはない。おまけに背筋には身に覚えがない鈍痛がする。
銀糸はニューメディカの何らかの機能としか考えておらず、感情を優先している。ヘパイストス帰艦後、フライトレコーダーで意識を失った間の状況を確認すると、一先ずその場は怒りの矛先を収めるしかなかった。
二人はしばらくの間、降機処置を済ませた後もコクピットに残っていた。イオはヘッドセットを膝の上に置き、トントンと指先で叩く。鬱屈とした気分を押し殺している。
普段のヒトなら彼女に構わず、そそくさとコクピットを出ていく。だが、先の出来事がそれだけ衝撃的だったとも言える。
「ちょっと、ヒト君」
イオはちょっとした憂さ晴らしを思いつく。振り向いたヒトは、普段とは明らかに違う訝しげな—— 複雑な表情をしている。
「なに?」
ヒトの返事に僅かに間が空く。下着とは言え胸を見られたのは二回目。イオは開き直った。
「あなた、見たんでしょ?」
「なんの、話?」
「なんのって、私の、おっぱいっ」
――― 私は彼より六つも歳上だ。このくらい大人の余裕で言えなくてどうする。そうとも、彼はまだ思春期真っ只中。私の掌の上でころっころに転がしてやるっ!
イオはわざと刺激的で大袈裟な言葉を選んだ。きょとんとするヒト。一瞬、イオは自らの勝利を確信する。
「おっぱい?」
「まーさか、女の子に恥をかかせて、放ったらかしなんて許されると思ってるの?」
――― さあっ! ヒト、どう返す? さあっ!
ああ、と合点がいった顔のヒト。
「ごめん」
「えっ……」
珍しく素直な彼に拍子抜けする。だが、ヒトはイオの想定を軽く超えた。
「女の子、と思ってなかった」
衝撃の一言。
「ちょっ、待てよっ! おいこら、それどういう意味だっ! 男みたいってこと? おっさんみたいってことっ!?」
日頃のコンプレックスが炙り出された瞬間——
「六つ、歳上だし」
「うっ…… ぐ、ぬ、ぬ、ぬ、ぬ……」
ヒトからすれば、イオは二十三歳の歴とした女性だ。そう言われてしまうと『女の子』と『大人の女』の使い分けが難しい。これではただの『大人げない女』だ。
「良かった」
「なにがっ!」
「いつもの、イオだ」
そう口にすると、ヒトはそそくさとコクピットを出ていった。
***
「あっ、ここだっ! この日にシステムを弄られてる」
ブリッジにて、ヒライは私物のカード端末を自作キーボードに有線で繋げ、入力履歴をチェックしていた。びっしりと端末に並んだ文字列の中、指差しているのは七月某日。調べているのは〔三番目のイレヴン〕セカンダリコアの攻性ウィルスプログラム、その浸入時期だ。
「ヒライさん、これナーニ?」
横からエドがヒライのカード端末を覗き込む。
「俺様のキーボードに仕込んである入力監視ログ。システム側の履歴は改竄されてるから、調べても意味がない。レコーダー自体システムに繋げてないから、知らなきゃ細工しようがない」
ヒライは自作キーボードを得意げに指差す。勝手に捨てられても文句が言えない見た目。
「まさかとは思ったけど、やっぱり俺んとこから触ってやがった……」
指先で再びカード端末をスクロールし始める。
「へピイATiのシステム内部に直接アクセスできるのは機構本部のフェーズ10とウィングガン管制システム、あとはここだけだから」
「すると、ブリッジの監視カメラの映像、残ってますかね?」
先に戻ったエリックも、同じくヒライのカード端末を覗き込んでいる。今、ヘパイストスブリッジに居るのは、ブリッジクルーいつもの三人とエリックだ。艦長と副艦長、ニュクスはセリとリコの神経メンテナンスに付き添っている。
神経接続の強制切断は、場合により深刻なダメージが残る場合もあるからだ。
「もしかして、艦内に誰か協力者がいるってこと?」
辺りを一回見回し、アレサは囁くように口にする。
「えーっと、多分、監視カメラも改竄されてるから…… っと」
ヒライはカード端末にパスワードを入力し、別ファイルの閲覧権限を得る。
「いやあ、保険ってかけてみるもんだなあ。この機能、まさか使う日が来るとは思ってなかった…… あった、これだ」
同じくヒライの自作キーボードの端に開いている小さな穴、マイクロカメラの映像。七月某日のファイルを開き、しばらく指でスクロールを続ける。そして午後十一時付近で止める。
「え…… ってこれ、もしかして、イオちゃん?」
エリックは目を疑う。ヒライのカード端末には『バスタオル姿』のイオが映っていた。マイクロレンズ特有の画角が歪んだ映像の中で、NDポートがある位置までバスタオルを押し下げ、瞬きもせず前方を茫然と見つめている。
「ああっ、ちょっとやだーっ、ヒライさんっ! これ盗撮じゃないっ、もうっ最低っ!」
「イヤン、ヒライさんのエッチイっ、フケツーっ、ロリコンっ!」
声を荒げ、非難するアレサ。当然のリアクションだ。エドはどさくさ紛れに棚上げ。
「いや、待て、違うっ、違うってっ! 誤解だってっ! エドっ、お前それおかしいだろっ!」
「ちょ、待って。イオちゃんのNDポートから出てる…… これ、なに?」
必死に弁解するヒライの横で、エリックが疑問を口にする。それはイオのNDポートから生えていた。数十本の銀の触手のようなものが画角の外まで伸びている。映像に映る銀糸の動きはタイピングのそれ。四人はそれがニューメディカの機能ではないとすぐ看破した。
「これは……」
ヒライが何か言いかけたその時、ヒトとイオがブリッジに現れた。
「イオ・ミナミ分析官、ただいま戻りましたぁーっ」
「あ」「あっ」「アっ」「あ……」
イオはブリッジクルーの三人、エリックの視線を一手に集めて困惑する。
「あれっ、皆さん、なに揃って…… びっくりしてるんです?」
「えっ、あっ、いやっ、なんでもない、なんでもないっ」
ヒライは咄嗟にカード端末を隠す。だが、繋がったままの有線ケーブルが突っ張り、勢い余って手元から離れた。床を跳ねるそれがヒライの目にスーパースローのように映る。
そして、カード端末はイオの足下でバウンドを止めた。
「あ、落ちましたよ、ヒライさんの端末……」
カード端末を拾い上げようと、イオは身を屈めて手を伸ばす。ヒトはその超人的な動態視力で、瞬時にカード端末が表示する内容を把握した。
逃げるように踵を返し、彼はそそくさとブリッジを出た。
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