06-3 エリックとセリ
海底に沈む一号機セリ・エリック組のコクピット。
深さは定かではないが、ウィングガンの計器上は水深二百メートル前後。幸い、救出に厄介な相模トラフ下に沈むことだけは避けられた。
「エリック、このままでも二日は持つけど、省電力モードに移行したわ」
「しょうがないね、ちょっと暑いけど。ヘパイストスが僕らを見つけるのに、そんなにはかからないんじゃないかな」
二人ともヘッドセットと四点シートベルトは外している。遭難によるお互いのストレスを増さないため、可能な限り平静を装っていた。いくらコクピットが海難事故を想定して堅牢に設計されているとは言え、外は海中の真っ只中だからだ。
「それと、エリック、悪いけど脱ぐわね」
しれっと刺激的なことを口にするセリ。
「ええっ、ちょ、ちょっと待ってちょっと待ってっ!」
動揺するエリックを意に介さず、狭い前席空間に苦労しながらガンナースーツを脱ぎ始める。前席より一段高い後席からは、細くしなやかな腕が踊っているように見えた。
「見ちゃダメよぉ。別に見てもいいけ……どっ」
長い脚をスーツから抜いて一息吐き、両膝を抱えて座り直した。後付けのルームミラーにはセリの艶かしい脚と、淡いグレイのバックウェアが見え隠れする。
「あのねえ、ここは自分ちじゃないんだから」
「下着じゃないから、恥ずかしくない……vってね」
「それ…… どこかで聞いたような気がするけど、気のせいかな?」
エリックはベストの胸ポケットから迷彩柄のバンダナを取り出すと、丁寧に折り畳んで細長い目隠しを作った。その一部始終をセリはルームミラーで眺める。
「あら、エリック、信用してるのに。紳士なのね」
セリが揶揄うと、当のエリックは口をへの字にした。
「そういう問題じゃないのっ! 君はもう子どもじゃないんだから、自覚した方がいい」
「信用してるのは嘘じゃないわ、だって色々『見えてる』んだから」
セリはいつもの調子で、クフフッと笑う。
「時々だけどね。あの赤毛に青い瞳の女の人って、誰?」
その言葉にギョッとするエリック。しばらく沈黙して、口を開いた。
「やっぱり見えるのか。知覚共有中は集中しているつもりなんだけど」
「眼鏡と白衣。ソバカスが可愛い。よく陽が当たっていて…… 学校かな?」
「えーっ、そこまで?」
一瞬、信じられないという驚きの顔。
「しょうがないな。昔、同じ研究室に居た友人で、僕はアルヴィーって呼んでたんだけど、ロシア人のアルヴィナ……アルヴィナ・ブレインズ」
「ブレインズって、あのイ重研の偉い人?」
「そう、養女なんだけどね。元の姓はカレリナって言うらしい」
「へえ。でも、それだけ?」
セリは前席から身を乗り出して後席を覗く。邪魔な異重力マップボードをシート横へ逃し、狭いスペースで強引に腕と脚を組むエリック。
「えーと、婚約者、だったんだけどね。八年前、アストレアに乗ってたんだよ。医療管理官として」
「ははーん、大体把握した。意外とロマンチストなのね、エリックって」
セリの言葉には相変わらず遠慮がない。
「いやいや、僕にはまだロマンじゃない。現実だよ」
「現実?」
「え、ああいや、ロマンチストでいいよ。それより君こそどうなの? ニュクスと」
エリックは組んだ腕を頭の後ろで組み直す。意地悪のお返しだ。
「え、愛してるけど?」
何の臆面もない返事に拍子抜けするエリック。セリは続ける。
「ワタシにも、何か見える?」
「分析官は『覗かれる』側だからあんまりないね。強いて言えば匂い、かな」
「女の子に向かって匂いだなんて失礼しちゃう。香りって言って」
イオに対しては散々な癖に、勝手な言い草ではある。
「ははは、じゃあ香りで」
すると、セリの顔から戯けた表情が消え、真剣な面持ちになった。エリックは目隠しをしているため分からない。
「ワタシは愛しているけど、パートナーが変わってから、ニュクスの気持ちが分からない」
「ごめんね、こんな『おじさん』で」
エリックは自らを指差して自虐する。
「あら、ワタシはエリックのこと、おにいさんって思ってるわ。イオみたいに気が利かない女とは違うの」
「今更ゴマすってもダメだよ。それから、パートナーの交代はへピイATiの提案であって、ニュクスが言い出したことじゃない」
苦笑いのエリック。だが、語気はほんの少しだけ強めた。怒っている訳ではない。セリの疑う気持ちも理解はできている。
「みんなそう言うから、納得はしてる……」
彼女にしては弱気な言葉だ。エリックは空気を読む。
「イオ、でもイオは面白いわ」
セリも同じく空気を読んで、話題を変える。
「そう、彼女なら。彼女なら彼を変えられるかもしれない」
***
結局、ヘパイストスが一号機を発見するまで一日もかからなかった。捜索に出たヒトが上空から発見し、救助用の潜水ロボットが手際良く一号機を引き揚げる。
今でこそメタストラクチャーの降下地点は沿岸付近に集中しているが、襲来初期は遠洋での遭難が多発したため、潜水救助の設備に抜かりはない。
「良かったっ! 一時はどうなることかと思っちゃったーっ、はっはっはっ」
至って上機嫌のニュクス、やや上擦り気味に捲したてた。
艦長、副艦長に報告を終えて、ヘパイストス食堂にて一息つくウィングガンチーム。ヒトは二人のダメな大人と格納庫に戻ったので不在だ。
「ホントに心配、してくれてたの?」
隣りで不機嫌なセリ。人前での彼女の態度が気に食わない。業を煮やすニュクス。
「ちょっとセリ、何が気に入らないっての? アタシャこれでも心配で心配で、ねえ」
ニュクスが大袈裟でわざとらしい言葉を重ねる度にセリの堪に触る。
ウィングガンの損傷具合はへピイATiを経由しておおよそ把握できていたはずで、何より救出現場にニュクスが現れなかったことを根に持っているのだ。
エリックは「やれやれ」と言った顔。
「べっつにっ、どうせワタシは来年ここには居ない子っ!」
「アンタなに不貞腐れてるのっ、子どもじゃないんだし、あの話は納得したでしょう?」
「そんなの知らないわっ!」
「もういい加減になさいっ! アタシの都合もあるんだからっ!」
――― ああ、先日の諍いの種はこれか。
イオは全てを察した。とは言え、救助の解放感からニュクスに甘えている、という見方もできなくもない。普段はひとり大人びて自由気ままなセリだが、子どもっぽく拗ねる姿を隠す気がないのは、自らの意思で生きている証しとも言える。
彼らウィングスに直接の親はいないが、やはり人の子なのだ。
傍らで二人の様子をじっと見ていたリコ、不意に口を開く。
「セリ、大丈夫だよ。ニュクスはセリのこと、だいすきだから」
揃って静止するセリとニュクス。
「だってよく見えるもの、セリばっかり。すごく近くて、やわらかくて、息があら……
『わあああああああああああああああっ!』
ニュクスは大慌てでリコの口を塞ぎ、セリは耳まで真っ赤にして俯いた。
事態を全く理解できず、きょとんとするリコ。
恐る恐るリコを解放すると、ニュクスは周りを見渡した。微妙な空気に沈黙する一同。天井を見上げ、左掌で顔を覆って大きな溜息を吐く。
「え、言っちゃダメなの? セリ、うれしそうだよ?」
「リコちゃん、お姉さんと一緒に向こう行こっか……」
――― ああもう、こっちが恥ずかしくて聞いてられない。
共感性羞恥に耐えながら、リコを引っ張ってこの場を退場する。
***
ヘパイストスブリッジにて。残業中のいつもの大人三名様。
「あれ、やっぱり久々の『進化』だよ。あの腐れイカ、へピイは予測を外すわ、いきなりプラズマ砲だわ、ホントびっくりだ」
ヒライは恨めしそうにぶつぶつと独り言。
「イカくんがスルメになったっ!」
嬉々と茶化すアレサ。今日は割とご機嫌の様子。ヒライ的にはつまらないので聞き流す。
「前に形を変えてきたのは…… 確か二一二七年だから四年前か。イチロクサン(AMD163)からイナイチ(AMD171)に入れ替えたすぐ後だよな」
「オォっ、ジャパニーズスルーメっ、トゥースに挟まるから、ミー嫌いネっ!」
ヒライはエドも無視。苛立ちを茶化す二人が気に入らないのだ。
「…… 大きな進化の前に必ず行動に変化が現れる。先の空中静止もそれか?」
「スルメと言えばスルメスメル。そう言えばブリッジ、最近なんか匂わない?」
「え……」「オゥ……」
ハッと顔を見合わせるヒライとエド。
「なーにが膠着状態だよ、前だって滅茶苦茶だったんだぞっ、現場は苦労してんだよ。なあっ、アレサちゃんっ!」「ヘイっ、アレサチャンっ!」
「えっ? ワタシ、フツーのOLだからっ!(うわぁ、おっさんくせー)」
「あ、今、おっさんって思っただろ、ねえ?」
先日の酒盛りの露見を恐れ、ヒライはアレサにウザ絡みする。
「ひーっ、北米とかヨソにそれっぽい報告は上がってないから、多分ウチが初物っ!」
「一応、奴らヤル気あるみたいだな、今回も凌いだけど。ウィングガン+様々だわ」
「それにしても、随分のんびりし過ぎじゃないの? あの骨の親玉」
「ビッグボス・ボーンっ!」
「奴らはここ十年とか百年とか、そんなスパンで存在してる訳じゃないのは確かだからね、人類
の時間の尺度とは根本的に違うんだろうよ」
ヒライは缶コーヒーを手に取る。「あ、冷めてる」
「はっきり分かる変化があるってことは、何者かの意図が存在するってこと?」
「そりゃ『超越』構造体って呼んでるくらいだからね、いくら何でも突然変異にしちゃ都合良過ぎだわ」
「デウス・エクス・マッキーナっ!」
エド、ほんと煩いよ、という視線を送るヒライ。
「知性って言うくらいなら、いつか人類とお話しできそうなものだけど……」
「学習して生存に生かすって意味で『知性』って呼んでるけど、犬猫にだって知性はあるからね。でも人類は犬猫とまともに意思疎通できてるって言える? 『ゴハンをあげる』は理解してくれても『お昼にゴハンをあげる』は中々理解してくれないから」
「ニャーンっ!」「にゃーんっ!」
相手にしてもらえず拗ねるエド、真似をするアレサ。
「にゃー、あ、いや何者かに作られたものだとしてもさ、さっき言った時間の尺度も大きく違う可能性があるから、万に一つくらいなんじゃないかな、理解し合えるのって」
「うーん、それよく分かんない。どういうこと?」
「例えばの話、体感時間に極端な差があったら無理だよなって。人類が頑張って認識できる範囲ならともかく。何しろ奴らは、万年とか下手すりゃ億年スパンだ」
唇の下に人差し指を当て、眉をハの字にするアレサ。
「んんん? まだよく……?」
「えーと、そうだな、腐れイカ共はだいたい四年のインターバルで進化するけど、奴らにしてみれば明日明後日くらいの感覚かもしれないってこと。ドゥーユーアンダスタン?」
ヒライは冷めた缶コーヒーを一気に飲み干した。頭を捻りに捻るアレサ。
「ううーん、じゃあ例えば、キッチンに現れたゴキブリさんは彼らなりの意思疎通手段で、一瞬のうちに色々訴えてるかもってこと? 殺さないでーっ、帰ればお腹を空かせた妻や子どもがーっ、家のローンがーっ、とか」
アレサの喩えにジト目を向ける二人。
「ローンって…… 嫌な発想をするよね。ま、体感時間の違いってそういうことだけどさ」
「ヒィーっ、ミーはゴキブリ大嫌いネっ!」
「奴らからすりゃ人類は取るに足らない存在かもしれない。実際、俺たちが相手をしているのは、異星人の兵器なのか、それとも外宇宙の怪獣なのか、未だよく分かってないしな……」
「ニャーン……」
「にゃーん……」
エドとアレサ、ハモった。
***
血の匂い。
思わずヒトは右腕に視線を向ける。今朝替えたばかりの包帯に血が滲んだ跡は見当たらない。鼻の奥に何か温かいものが伝う感覚、そして鈍痛で初めて理解した。
鼻血だ。
誰かに見られていないか確認してトイレに駆け込む。ウィングガン+の過剰な
左手で血を拭って顔を洗う。鏡に映った彼の顔は、薄く笑みを浮かべていた。
「ウィングガン+が、ボクを壊してくれる」
ヒトは鏡の自らに呟いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます