07-1 罰

 八月下旬某日、暑さも峠を越した日の午後。超研対一課第五ヘパイストスは三日間の巡回任務を終え、超研対ヨコスカ基地に帰港していた。

 ヘパイストスの隣りには、珍しく一課第四パーシアスも着艦している。彼らの本拠地は名古屋だが、イ重研本部しかできない重整備のためとのこと。

 ヒトはその日、サードパーティの制御装置を旧二号機AMD171から新二号機AMD176ウィングガン+に移植作業の最中だった。

 前席足元のパネルが外され、奥からケーブル類が多数引き出されている。制御装置は掌サイズの箱型で、赤いボディに『Kawakami』のロゴと簡素な物理ボタンが一つ付く。

 ヒトは制御装置とカード端末を接続し、起動テストを行う。端末のディスプレイに立ち上がるダイアログには『Nerve Connective Control』の文字。確認を終えると、パネルの裏側に両面テープで制御装置を貼り付けた。

 外したパネルを元に戻す作業に取り掛かると、カード端末に不審なメールが着信する。送信主を見て眉を顰めるヒト。決して忘れることがない名前、キオ・ソヤギミ。


「イタズラにしては、手が込んでいる……」


 ぽつりと呟いてメールを開く。メールにはヨコスカ基地内の物流エリア、コンテナ集積地のアドレス。今日の日付と時刻が記され、本文は他にない。刻限は一時間後に迫っている。

 ふう、と一息吐き、ヒトは作業を切り上げる。誰にも知られず格納庫の最下層に向かい、共用の黄色いモタードを始動した。




***




 イオはリコを連れ出し、基地近くの業務スーパーへ買い物に出かけていた。二人してキャリーで荷物を引き、リコは右手に大きく膨らんだレジ袋を下げている。

 実はイオ、秘密の『ある物』の調達に成功する。このために彼女を誘ったようなものだ。艦外に買い物となれば、他のクルーの頼み事も避けられない。大荷物になれば『ある物』の大量確保が困難になる。そこでリコだ。


「いやあ、この脚だからさ、一人じゃ無理だから助かった。お姉さん嬉しいっ!」


 嬉々として宣う。半分は本当だが、半分は邪な企み。


「白くて、ほそながくて、角ばったの、たくさん入っているけど、なに?」


 リコは小首を傾げながら尋ねる。彼女が手にするレジ袋に大量に詰められた『ある物』。簡素な透明のパッケージに小さなラベルが貼ってあるだけ。一見何の商品か分からない。

 これもイオの思惑通りだ。


「ふふっ、これはオトナの食べ物。これがないとオトナは病気になっちゃうんだぁ……」


 と、不敵な笑みを浮かべる。もちろん嘘。ある意味で本当と言えなくもないが、それは病気と言うより「ビョーキ!」だ。


「え、子どもはたべちゃ、いけないの?」

「食べてもいいけど、子どもには臭いがキツくて、大好きな人に嫌われちゃうよ……」

「えぇ……」


 リコは眉間に皺を寄せ、動揺の表情を浮かべる。全てはイオの計算通り。彼女がそれを何か知らないからこそ有効な企みであった。

 その『ある物』とは—— 『チーズ鱈』。イオの好物で、酒のツマミだ。



 二人がヘパイストスまで戻ると、着艦ドックの搭乗橋手前で不審人物を発見する。見れば一課第四パーシアス、ライトオレンジ&ブラックの制服を着た若い女性。

 きょろきょろと辺りを見回しては、同じ場所を行ったり来たりしている。手に荷物もなく、どう見ても挙動不審。


「え、あっ、あだーっ!」


 突然、その女性は前に転んだ。転倒を招くものが何もないにも拘らず。おろおろと両手を地に突き、そして「眼鏡、眼鏡……」と落とした眼鏡を探し始める。


 ――― え、なにこの絵に描いたようなドジっ子?


「あの…… 一課第四の方ですよね? 大丈夫、ですか?」


 声をかけると、目に入ったのは制服を前に押し出す豊かなバスト。ちっ、と舌打ちするイオ。よく見ると、左胸の頂にはイ重研のバッジがあった。


「あの、その、ごめんなさい。私エル、えっと、エルザ・エマーソン」


 その女性、エル異重力分析官はしどろもどろだ。


「一課第四の分析官なの。他所の艦、うろちょろしてたら、あ、怪しいですよね……」


 緩いウェーブが入った黒髪に黒縁眼鏡。同じ色白でもセリとは違う内向きな肌。イオより二つ歳下だったが、減り張りの効いたスタイルが大人びて見せている。転んで破けたストッキングが艶かしい—— とは、ベッド下の秘密から得た着想。

 一課第四パーシアスと言えば、以前に駿河湾南沖で共同作戦を行なった間柄だ。自己紹介した後もエルはそわそわと辺りを気にしている。早熟な容姿とは裏腹に不安げな面持ち。あまりよろしくない事情を抱えているように見える。


「実はここに寄港した途端に、行方が分からなくなって……」

「えっ、迷子ってこと?」


 イオが尋ねると、エルは小さく首を振った。


「いえ、あの、パートナーを、ウィングスの『カイ』を探してるんです」

「もしかして、あの、『双子のカイ』?」


 リコはその名を聞いた瞬間、事態を把握した。




***




 コンテナ集積地のとある路地。ここからはヘパイストス、パーシアスともに見えない。高く積み上げたコンテナの所為で、空は小さく辺りは薄暗い。静かで誰も気に留めない、忘れられた場所。ヒトが使った黄色いモタードは、路地の外の通りに停められている。


「へえ、ボクの顔を見て驚かないんだ」


 一課第四の制服を着た少年、カイ・ソヤギミは意外そうに軽い驚きを浮かべる。

 カイはヒトによく似た背格好と年ごろの少年だが、同じ淡いブラウンの髪は眉に掛かる程度に長い。その下の眼光は強く暗い意思を湛えている。手には一メートルほどの鉄パイプを持ち、一方を肩に載せていた。


「駿河湾沖で、何度か殺気。一号機はキミだろう?」


 ヒトは質問を質問で返す。その態度が気に入らないのか、カイは僅かに語気を強め始める。


「ボクは『プラズマ砲』をオモチャにしたりしないからね」


 ヒトは眉を顰める。バイブレードを好んで使う一課第四のガンナーはカイだった。


「なぜキオのカード端末、持ってる?」

「簡単だよ。ボクとキオはウィングスでも珍しい『本当の双子』だから」


 僅かに驚きの表情を見せるヒト。右の眉を吊り上げる。


「キミが知らないのも無理はないよ。ボクは一年遅れで、キオとは別の施設だったから。双子はレアだから他のウィングス達とは扱いが違うのさ」


 そう告げ終わると、カイは薄く笑う。


「おかげでこっちの施設に移った時も、随分と気味悪がられたもんさ」

「よく喋る。何がしたい」


 ヒトは普段と変わらない眼差しを送る。カイは肩に預けた鉄パイプを不意に降ろす。地面に「ごっ」と先端が当たる鈍い音。


「滅多にないチャンスだ。でもボクは殺したりはしないよ、『キミとは違うから』ね」


 カイの頭上に、光学迷彩を解除した護衛ドローンが現れた。


「このまま何もしないのは、ボクには耐えられない」




***




 カイがキオの双子の兄弟だとリコは噂で知っていた。だが、事件の関係者は徹底的に伏せられ、ほとんどのウィングスが知ることはなかった。

 ただでさえ同族意識が強いウィングス、双子なら尚更だ。彼らは確かに合理を優先するが、一度タガが外れれば普通の子どもと変わらない。無断で行動をする目的は明らか。

 ヘパイストスの外で散歩していたエドに声をかける。血相を変えたリコの頼みを断る訳もなく、ピックアップトラックを出してもらう。

 買い物した荷物は荷台に積み込み、リコは助手席でイオとエルは後席に乗り込んだ。


「リコチャンのためなら、たとえ火の中、水の中ネっ! ……これってイングリッシュで言う『チューズデー、ウェンズデー』のこと?」


 リコに頼られたのが嬉しいのか、エドは目に見えて浮かれている。


「あの、エドさん? 一課第四の方も居るんで変なボケは控えた方が……」

「えっ『マーズでもマーキュリーでも君のためなら行ける』って意味では……ああっ、ジャパンにはなんてロマンチックな慣用句があるんでしょうっ!」


 突然、エルが目を輝かせて宣った。つい先程まで重く沈んでいた割には変わった人物だ。


「えぇ……、えっと、意味的には近いんじゃないかな……」


 ――― もしかして、色々おかしいのはヘパイストスだけじゃないのか?


 説明し難い微妙な気分に苛まれる。だが、心に棚を持つイオに自身を省みることはない。


『ヘパイストスの中にヒトは居ないわ、ドローンも付いてない』


 リコのカード端末に入ったセリからの連絡。ドローンを携行していないということは、ヒトは基地の外へは出ていない。


「あっ、…… あの子、ホント危なかしくって。ごめんなさい、私の監督不行き届きで……」


 エルは再び悲痛な顔に戻り、膝上で両手指を組んで俯いた。


「ええまあ、ウチもたいがい問題児なんですけどね……」


 エルに言葉をかけながら考える。


 ――― もしかして、私もヒトを監督しなくちゃいけないんだろうか? 




「次、あっち、さがしましょう」


 トラックが超研対ヨコスカ基地の全ての物流倉庫を回った後、次にリコは左側に見えるコンテナ集積地を指差した。指示する声が硬い。普段のおっとりしたリコからは考えられない。

 その時、エルがぽつりと溢した。


「あの子、カイはその、ドローンも持ち出しているから……」

「「ええっ!」」


 驚く一同。イオはその可能性をすっかり忘れていた。護衛ドローンは基地の外に出なければ携行許可が下りない。つまり、基地内での持ち出しは用途外使用が目的。

 コンテナ集積地の周りにトラックを走らせていると、リコが声を上げた。


「あっ、あのバイク!」


 指差した先、見覚えがある黄色いモタードが停まっている。


「この辺りで別れて探しましょうっ!」


 そう言うとイオは、エドにトラックを路肩に寄せさせた。

 護衛ドローン付きでは何が起こるか分からない。流石にイオも軽口を叩く気分ではなくなった。いくらウィングスが常人離れしていても、相手もウィングスならイーブンだ。

 暴徒鎮圧用のスタンガン、直径二ミリの極小マグネシウム弾を撃ち出すコイルガン。イ重研製ウィングス専用護衛ドローンは威嚇以上の制圧効果を持つ。

 イオはふと、雲行きが怪しく明るさを失いつつある空を見上げる。すると、数羽のカラスが不吉な鳴き声を発しながら飛び立った。


 ――― って、なにこの不吉なフラグ。


 独り言を呟いた。




***




「どうした? もう立てないのか?」


 寝転がったヒトの腹を蹴り上げ、ヒトは呻き声を上げた。かなりの暴行が加えられ、試合後のボクサーのように顔が腫れ上がっている。足下に転がされた鉄パイプに使われた痕跡はない。つまり、ヒトは最初から一切の抵抗をしていないのだ。


「仮にキミを殺してしまっても、ボクも死ねば問題はない。ウィングスの代わりはいくらでも居る。退官するまでボク達は戸籍がない『存在しない人』だから…… ねっ」


 カイは屈んでヒトの髪を掴み、頭を引き起してヒトの顔を地面に叩きつける。


「キミ……キミは、何か勘違い、して、ないか?」


 ヒトは身体をゆっくり起こしながら、言葉を絞り出す


「勘違いじゃないさ。社会はウィングスの存在は知っていても、誰が居るかまでは知らない。でなければ、キミがこうして何の罰も受けずに生きているはずが…… ないっ」


 カイはまたヒトの横腹を蹴り上げた。


「罰……」

「なに笑っているんだ、気持ち悪いな」


 カイが再び右脚を振り上げたその時、ヒトは聴き覚えがある音を耳にする。


「ちょっと何してるのっ! あんた達っ!」


 イオは在らんばかりの大声を張り上げた。甲高い杖の音をコンテナの外板に響かせ、急ぎ足で二人の許へ向かう。だが、目の前に護衛ドローンが立ち塞がり、手前一メートルほどで静止した。二人との距離はあと六メートル。


「こんなもの持ち出して、ただで済むと思ってるの?」

「用意したんだから使わないとね。誰にも邪魔されたくなかったし」


 冷淡さを失わないカイ。その発言から絶対的な状況を計画していたことが分かる。


「ほっといて、くれ……」


 ヒトが拒絶の言葉を口にした後、イオは大きく深呼吸する。


「あっ、そう」


 イオは右に一歩分だけ身体を移動する。すると、護衛ドローンは同じ距離だけ右に移動。今度は左に一歩分戻ると同様に戻るドローン。後ろに一歩下がると一歩分前に詰める。

 ふーむ、と少し考え、意を決したイオはずんずんと前進を開始した。護衛ドローンは彼女に合わせて下がり続け、遂にはカイの頭上で静止した。

 目の前に立つイオに初めて困惑を露わにするカイ。


「え、え?」


 口角をわざと吊り上げ、不敵な笑みを浮かべるイオ。


「来る前に調べた。イ重研製の護衛ドローンはイ重研関係者を撃てないってっ!」


 威勢よく啖呵を切ると、燦然と輝く胸のバッジを指差した。イオやエリックの出向元、イ重力研究科学局のバッジだ。因みに今日も曲がっている。


「伊達に生意気な弟達と渡り合ってないからっ。で、カイ君だっけ? 事情は理解できるけど、私もパートナーを壊されると困るよっ!」


 イオが言い放った直後、次にこの場に駆けつけたのはエルだ。


「カイっ! もうっ、なんで……」


 と、エルは最後まで言い終わる前に、正面からまた綺麗に転んだ。転んですっ飛ぶお約束の眼鏡。ちょうどカイとエルの中間辺りにそれは落ちて転がった。


「ああっ、眼鏡っ、眼鏡……」

「えーっ、エルっ! なんでっ、なんで……ここへ?」


 転んで四つん這いのエルにカイは慌てて駆け寄った。彼女はようやく眼鏡を探し当て、正常な視界を取り戻す。だが、ぐったりと横たわるヒトの姿を見て、大わんわんと大声で泣き喚き始める。


「なによこれぇっ! 何度も何度も、報復なんて止めろって言ったじゃないっ、あなた私を見捨てて死ぬ気なんでしょうっ!」


 エルは泣きながらカイの頰を三往復、計六発殴った。バックハンドでも殴っていることから、普段から殴り慣れていると分かる。正直、見ている方も痛い。

 カイは流石に辛くなって、七発目でエルの手を止めた。


「な、なんでよっ! どうしてっ、私の言うことを聞いてくれないのっ! ねえっ」

「えっ、ち、違うよ、そこまで…… ってそうだけど、いやいやそうじゃなくってっ!」


 カイは喚き散らすエルの勢いにすっかり毒気を抜かれていた。一先ず黙らせようと、抱きしめるように彼女の顔を自らの胸に押し付ける。

 エルは「んがんご、もごもご……」と口を塞がれるも、これまでの不安をぶち撒けるかのように「ズッ、ブーッ」と鼻をかんだ。


「え、えぇ…… ちょっと、なにこれ……」


 愚図り続けるエルを見て、イオは呆気に取られるしかない。しばらくして、リコとエドも現場に辿り着いた。一目散にヒトの傍らへと駆け寄るリコ。


「ヒト、ねえヒト、だいじょうぶ?」


 リコはその小さな身体でヒトを抱き起こすと、血だらけの顔をハンカチで拭う。エルにつられて、リコも今にも泣き出しそうな顔をしている。

 ヒトは言葉を口にすることができず、右の指でリコの眼に溜まる涙を指先ですくった。

 エドはポケットからカード端末を取り出し、ヘパイストスに『問題は片づいた』とだけ連絡を入れた。カード端末の向こうで大騒ぎをしている声が聞こえる。


 ――― ったく、なんなのよ、このモテモテマン二人っ


 イオは心の中で悪態を吐く。

 リコは僅かに震えながらカイに向き、ゆっくりと口を開いた。


「カイ、ヒトは、ヒトはあのとき……」


 カイの背中に向け、訥々と言葉をかける。


「ぜったい、ぜったいに、あんな結果を、のぞんでなかった、と思う……」


 カイは何も応えなかった。




 イオはエドと顔を見合わせ、先ずはこの場を離れることにした。もちろん一課第四の二人は置いていくしかない。


「ヒト、この件、報告するナリか?」


 トラックの後席にヒトを乗せ終わったエド。普段の戯けた調子とは明らかに異なる口調。それを訊くということは、エドも事情を把握しているということだ。

 長い沈黙の後、ヒトは腫れた顔をさらなる痛みで歪ませる。


「ボクは、バイクで、転んだ、だけ……」


 そう口にすると、ヒトは意識を失った。エドは黙ったままヘパイストスに戻る指示を車載ATi端末に出す。ヒトの隣に寄り添うリコは、包帯巻きの右の手を握りしめた。

 カイは一課第四のガンナーであり、ウィングスは兄弟同然の彼らだ。カイが他と違う特別な感情を持ち合わせていたとしても、同じ『兵器の子ら』である事実は変わらない。

 結論は目に見えている。


 ――― しょうがないなあ、これだから男の子は。


 一段落したところで、ふと今日の買い物のことを思い出した。振り返ってトラックの荷台を覗くと『ある物』—— チーズ鱈のレジ袋だけが、無い。


 ――― あれ? なんで無いの?


 窓から車外を見回すと、二羽のカラスが地面に落ちたレジ袋を忙しなく突っついている。トラックが停車している間に攫われたと見て間違いない。よりによって、それが。


「んはあああああああーっ! なあああーんでえええええええーっ?!」


 耐え難い理不尽。イオはただ叫び声を上げるしかない。発車したトラックの車窓から、みるみるそれが遠くなる。見事フラグを回収した瞬間であった。

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