05-2 ヒトとリコ

「ここに居て良かったんでしょうか? 恐らく気がついていると思いますが」

「なあに。君のことはブレインズも知っている。どうせ何も話す気はないだろうしね」


 クライトンが恐る恐る口を開く。アンダーソンはさっきまでの苛立ちが嘘のような表情で返すと、徐に立ち上がり、クローゼット下の冷蔵庫からペットボトルのお茶を二本取り出した。


「風情がなくて申し訳ない。さて、本題に入ろう。昔の話ではあるが」


 副艦長にペットボトルを渡す。再び椅子に座ると、用件を切り出した。


「君のお父上であるハワード・コリンズ上級作戦統制官は私の元上官であり、八年前に消失した一課第二アストレアの艦長でもある。…… そして『我々の共犯者』でもあった。言葉は悪いが。ここまで言って何の話か分かるかね」


 そう告げると、ペットボトルに一口付ける。困惑の表情を浮かべるクライトン。


「すべて終わった話だと認識していますが……」

「構わんよ」


 ふと、何かを思い立ったように端末の電源を落とす。アンダーソンは周りを数度見回した後、左の掌を副艦長に差し出した。続けて、の合図だ。


「父が例の、二十年前のあの事件、トーキョーロストに関わっていたのは知っていました。ただ、厳しい人でしたので私には……」


 言葉の途中で言い篭る。ペットボトルには手を付けない。


「君が例の事件が起こる前から横田基地に勤務していたのは知っている。君自身は全く蚊帳の外だった、とは思っているがね」

「超演算思考体反抗ネットワーク、『名も無き賢者』…… ですか」

「そう、我々がかつて騙っていた名だ。君の父、ハワードと私、ブレインズ、そしてドクター・ミナミは同志でもあった訳だ。ハワードがそうだと知ったのは、割と最近だが」


 遠い目をする艦長。伏せ目がちのクライトンに普段の鬼軍曹っぷりは微塵もない。


「トーキョーロストはナノマシン開発企業タウ・ディベロップメント。その三拠点に置かれた全く新世代のATi、孤立型汎用演算思考体フェーズ11同士の議論の結果がもたらした大災厄とも言える」


 先のブレインズのように淡々とした口調だ。


「秘密裏に予見されていた超越構造体の襲来。人類は奴らを制御し回避するのか、または人類は制御し奴らとの融合を目指すのか。その議論を三体のイレヴンは何年も続けていて……」


 クライトンは次の艦長の言葉を待つ。防音が利く艦長室では艦のアイドリング音は届かず、微かな空調の音だけが響いている。


「結果、一体のイレヴンと一部の狂信者が、抵抗勢力を一掃する為に選択した手段が核攻撃、即ちそれがトーキョーロストだ。他は阻止できたが、日本だけは間に合わなかった」


 ある過去を想起するのか、一呼吸置いた。


「たかが個人の排除のために核を使うなどと、もはや人の発想ではない」

「…………」

「当時、我々が東京に拠点を置きながら、お互い顔も知らぬ分散した個人の集合であったがため…… つまり、事件の責任は少なからず我々にも有る。軽く言うことではないが」


 最後は罪悪感、懺悔と取れなくもない。場の空気がただ重くのしかかる。


「六百万人もの犠牲。多くの同志も失い、正直言って忘れてしまいたい過去だ。だが、ここへ来てトーキョーロストに所縁のある者が、四人もこの艦に集まってしまったことになる」

「イオ・ミナミ分析官ですか」

「そう。もう一人は…… まあアストレアの方が近いが」

「それは、八年前のあの事件も……」


 クライトンは喉に通りかけた言葉を飲み込んだ。

 トーキョーロスト、メタストラクチャー襲来、そしてアストレア消失事件が一本の線で繋がっている。事件の当事者ではない自分が関与することか、と躊躇した。


「三体のイレヴンのうち、デトロイトにあった一体は即時解体、東京の一体は核攻撃により消滅、モスクワは不明だ。運命などと非科学的な言葉は信じないが、演算思考体によって既に予見されている未来はあるやも知れぬ」


「それでその…… 私にどういったことを?」


 クライトンの問いに、艦長はその言葉を返す。


「これは何かの予兆であることは疑いようがない。老兵の心残りと言ってしまえばそれまでだが、君には君の最良の選択を願いたい」


 アンダーソンはペットボトルの残りを一気に飲み干した。


「恐らく、そう遠くない日に我々は……」




***




 見えるはずがない、爆ける兄弟の姿がフラッシュバックする。

 ヒトはあの日、へピイATiの指示を無視し、僅かにトリガーを引く瞬間を遅らせた。絶対の自信があった。軽い気持ちで己れの力を誇示しようと思った。

 メタスクイドに追われる兄弟機を救うため、真上から亜音速で降下してギリギリのタイミングで右プラズマ砲のトリガーを引く。

 だが、射線はIVシールドの異重力収束点を逸れ、兄弟機のコクピットを直撃した。

 見たのは遺体だけだ。だが、目の前に現れるのは、右半身が焼けて蒸発していく兄弟の姿。そして、猛烈に漂う死肉の焼ける匂い。


 悪夢にうなされ、汗だくで目を醒ます。身体を起こして右腕の包帯を解く。ベッド横のカウンターに左手を伸ばし、引き出しの中から小さなナイフを取り出した。

 指先で軽く摘んだナイフを右腕の上に滑らせる。まだ傷が無い箇所を探し当て、ゆっくりとナイフを手前に引いた。

 ふつふつと膨れ上がる血の玉を見つめ、時間をかけて息を吐き出す。

 キオ・ソヤギミ。それが兄弟の名。痛みが消えれば、またキオの夢を見る。

 眼差しは傷口に止まったままだ。




***




 イオは目を醒ますと、自室のベッドの上だった。慌てて時計を見ると、平時の時間より早い。目を擦りながら、昨日のことをぼんやりと回想——


 ――― 確かナンパされた後、睡魔に襲われて…… その後、なんだっけ?


 寝返りを打つと違和感。やけに背中がスースーする。肌に直接触れるブランケット。何度も自身の身体を見て触って確認する。下肢装具はもちろん、下着の「シ」の字もない。


 ――― え? もしかしてまた夢遊病? やらかした私? いや、やられちゃった?


 一瞬のパニック。だが、気を取り直して注意深く辺りを見回す。衣類はきちんと畳まれ、下肢装具は傍らで充電中。杖は壁に立て掛けられていた。


 ――― きっと、誰かが送ってくれたに違いない、自分で脱いだことを覚えてないだけ。


 そう自分に言い聞かせ、イオは出勤することにした。


 ヘパイストスの食堂でニュクス達を見つけ、空いている席に着く。すると、アレサ哨戒管理官がテーブルに突っ伏し、何やら物騒なことを呟いていた。


「据え膳食わぬは男の恥だろ、あんにゃろう。次会ったら絶対ぶっ●す……」


 ――― ああ、ここにも大変だった人が居たんだ……


 意外な不運仲間に共感していると、ニュクスがニヤリと笑みを浮かべる。


「あっ、そうそう、昨日アンタおぶって帰ったの、ヒトだからね」


 イオの耳を貫く、衝撃の言葉。


「え…… ははあああーっ? ちょっ、ちょっとぉっ、えっ? えっ!」


 再びパニック。頭の中が真っ白になり、思わずテーブルを叩いて立ち上がる。


「あ、ごめんごめん。着替えさせたの、リコとセリだから」


 察したニュクスは慌ててフォロー。イオは平静を取り戻すものの、腑に落ちない顔。


「だって、着替えって、その、マッパ、でしたけど……」

「は? ちょっとセリ、マッパって、イオが起きたらびっくりするじゃないっ」


 今朝も変わらない美しさ。セリは口元を押さえ、クフフッと笑った。


「あら、ごちそうさまでした。眼福、眼福ぅ」


 ――― え? 眼福?


 セリの隣でリコもニコニコと笑っている。少しずつ昨夜の出来事を思い出す。イオの杖を取り返すために、手を上に伸ばして一生懸命に飛び跳ねる姿。


「えと、ごちそうさまでしたっ、イオ、いいにおいっ!」


 ――― ええっ、じゃあ、二人して私を弄んだのっ? もうヤダこの職場っ!


 また心の中で、イオは泣くしかない——

 と、その時。女子チームが集うテーブルにヒトが通りすがった。まるで何事もなかったようにイオに向く、いつもの彼。


「今日、パーソナルデータの更新日だから、忘れないで」


 ヒトの言葉はパートナーに対してのもの。だがイオは、昨日の今日で返事をする気にとてもなれない。彼に一瞥もしないまま、無言。

 イオの態度を気にする様子はもちろんなく、ヒトは直ぐその場を後にした。


「もしかして、昨日ヒトと何かあったの?」


 ムスッとむくれて明後日の方を向くイオを見て、ニュクスは再び察する。

 イオはしばらく考え、昨日のことを切り出した。


「実は、昨日、その、ヒトと……」


 その場の空気が変わる。


「ごめん、もうちょっと詳しく話しとけば良かった」


 事情を聞き終えたニュクスはテーブルに手を突き、謝罪の言葉を口にした。


「ワタシ、その話キライだから」


 先までの上機嫌がすっかり抜け落ち、セリは憮然とした表情で席を立つ。雰囲気に戸惑いを隠せないリコは、神妙な顔つきをして交互にイオとニュクスに視線を送る。

 気をつかったのか、いつの間にかアレサも席を外していた。

 訥々と話し始めるニュクス。ヒトの増長が原因で起った事故、ヒトの自傷行為。その後、ヒトのパートナーが次々と代わるようになったこと。三人目の分析官は無意識のうちに自傷行為が伝染ってしまったらしい。

 一通り話を聞き終えたイオは、己れに問う。


 ――― ヒトが言った「ボクを気味悪がる」とはこのことだった。朝から重い話で気が滅入る。だが、どうする? 確かに彼はムカつくが、決して悪い人間ではないし、どうしても嫌いにはなれない。何よりヒトは、弟達と一つしか変わらないのだ。


 黙って両掌を膝の上に置く。スカートから覗く生脚の左膝、下肢装具に覆われた右膝。遮るものがない左膝には微かな熱の感触。


 ――― 私が逃げてどうする。




***




 リコは新しい射撃シミュレーションの合間に、階段を降りるヒトの姿を見た。ガンナースーツのままコクピットを降り、走ってヒトを追いかけた。

 下りとは言え、格納庫は四階建ビルほどの深さがある。いくら十代のリコでも一気に駆け下りればスーツの重さで息が切れる。

 最下層まで降りるヒト。リコは肩で息をしながら左の手を伸ばし、包帯だらけの右手を掴む。ヒトは一瞬だけギョッとするが、破顔してリコに合わせて身を屈めた。


「どうしたの?」


 ふと気づく。右腕の包帯、昨晩つけた傷の辺りに薄く血が滲んでいる。


「ヒト……」


 上がった息がまだ収まらないリコ。額には薄っすらと浮く汗。


「どうしたの?」


 ヒトは同じ言葉を繰り返す。何か言いたげなリコを遮り、左の掌でリコの頭を撫でる。

 リコはまだヒトの手を離さないし、ヒトは絶対にリコの手を振り解いたりしない。


「大丈夫だよ、何も問題はない。心配も、要らない」


 ヒトはじっとリコの目を見つめながら、どこか空々しく、うわ言のように囁く。


「ボクは罰を、受けているだけだよ」



 ニュクスの話は初耳だった。リコにとっては自分だけのヒト。だから誰にも聞けない。

 ウィングスの一人が事故で亡くなったと同じ兄弟達の噂話で知っていたが、その加害者がまさかヒトだとは知る由もなかった。

 ニュークシーでの養成期間を終え、運良く配属が決まったヘパイストス。胸いっぱいで来てみれば、リコが知るヒトは居なかった。

 人一倍引っ込み思案だったリコを常に構ってくれたこと。シミュレーションが更新される度にウィングガンの扱いに戸惑い、夜通しでコツを教えてくれたこと。そしてようやく上手くできた時、一番に褒めてくれたこと。

 自信に満ち溢れ、よく笑いよく戯けたヒト。今のリコが笑えるのは、全て彼のおかげだ。ウィングスの兄弟達は優しかったが、リコにとってヒトは特別だった。

 何故ヒトが変わってしまったのか腑に落ちた。

 でもリコは、自分はまだ子どもだからきっと何もできない、と考える。


「どうしたらいい?」


 その言葉を、今この瞬間も飲み込んでしまう。




***




 ヘパイストスブリッジにて残業中のいつもの三名、そしてエリック。

 ヒライ機関統制官とアレサ哨戒管理官、各々のシミュレーションを黙々と繰り返している。

 姿が見えないエド兵装統制官はフロア下に潜り込み、物理メンテナンスの真っ最中。足下から絶え間なくガサゴソと音がする。

 いつにも増して機嫌が悪いアレサ。ついにキレ出した。


「ああもうっ、来る日も来る日もシミュとメンテの繰り返しっ、発狂しそうっ!」


 自慢の清楚ヘアがクシャクシャだ。触れると厄介な地雷の可能性が高い。


「俺たちの仕事は戦術ATiの精査と承認。シミュレーションに些細な見落としがあっても、それだけで査定に響く厳しーいお仕事なの。その努力の蓄積こそが人類の平和に繋がってるんだからさあ」


 ヒライは端末に向かったまま、鬱陶しそうに言う。はぁっと大きな溜息をつくアレサ。


「そう言えばさ、前に言ってた『ほぼ人間』ってどういうこと?」

「またその話? 例えば俺や君から見て、それが人間かATiか区別つかないってこと」


 やれやれとばかりにヒライは応える。気晴らしの相手もチームワークだ。


「いまいち意味分かんない。それ観測側の話?」

「えっ、君の口から『観測』なんて言葉が出てきたから、おじさんビックリしちゃった」

「酷いなあ、一応大学は出てるんだけど…… ってなにその顔っ!」

「あ、あはは、そういや『驚く』とか喜怒哀楽の感情もないね。『半分人間』に訂正しよう」

「ハヤくニンゲンになりたーいっ!」


 エドの床下から響く声。どうやら手が離せないらしい。


「あいつよく統制官になれたな…… そうそう観測側、客体の話。哲学的ゾンビみたいなもん。主体のATi側からすれば違うんだけどね」

「学習して、学習じゃ得られない『想像力』もある。他に足りないもの?」


 アレサ、うーんと首を右に傾げる。


「意思…… 自由意思、ですかね?」


 たまたまブリッジに居合わせたエリックが会話に割って入った。彼は時折ブリッジクルーの雑談に混じっているが、決して暇な訳ではない。


「そうそれ。『これが好き』とか『あれは嫌い』とか自由な意思。特定の価値観に依存すること。これと認知を統合する意識が発生すれば自我と言っていい」

「ミーはリコチャンがダイスキーっ!」

「ちょっとは黙ってろ、オモシロガイジン枠っ!」

「ジャァアアァァァァッッップっ!」


 エドは雑談に混じりたくて仕方がない。ヒライは彼の反応を少しだけ楽しんでいる。


「まあ、そんなものまで獲得しちゃったら、『ほぼほぼ人間』と言っても言い過ぎじゃねえなあ」

「うーん、そうなったら…… 人権とか、発生しちゃうのかな?」


 アレサはしれっと呟く。エリックとヒライは顔を見合わせた。


「いきなり凄い話に持っていくよね。そっちは規制云々がややこしいからパスで」

「ははは、俺もパスで。でも、もし仮に自由意思を獲得したら……」

「人類が完全に手に負える代物ではなくなるでしょうね。まあ、現状の汎用型でも人類が手に負えているとは言えないですけど」


 エリックの言葉に、ヒライはディスプレイに視線を戻し、話の向きを変える。


「じゃあ今度は、当の彼らは自由意思なんか欲しがるのかって言ったら、また別の話だよねえ」

「保守機能さえあれば、彼らは寿命に縛られない訳だから、より豊かにとか、より幸せにとか、経験として必要とは思っても特定の価値観に依存なんかしないと思いますけど」

「依存するとしたら…… 自らのより原初的な機能に基づいたもんじゃない? 合理の塊だもん、寄り道なんかしねーよってね」


 ふーむ、と考えるエリック。ヒライも同様だ。


「でも実際、ATiが自由意思を獲得するなんて、実現可能な話だと思います?」

「うーん、人は脳の無意識に干渉する技術まで獲得したけど、意思が発生する仕組みはまだ解明できてないからね。実現しようにも意思の定義が定まらないうちは難しいんじゃない? でも、客体として、見せかけだったら今直ぐにでもできるけど」

「恐ろしいことを言いますねえ。確かにそこに何者かの作為があっても、現在のATiなら誰も見抜けない。もし仮に自由意思が偶然発生したとしても、それを意思だと認定する術がない……」


 と、思考の迷宮に陥るエリック。結びの言葉を思いつかない。


「ま、今となってはATiの不正を見抜くのもATiの仕事だから。ATiを作るのもATi。人間様はそのATiにお墨付きをあげるだけの簡単なお仕事…… ってね」


 会話のまとめに入るヒライにアレサが噛み付く。


「それ、さっき言ってたことと違くない? 厳しーいんじゃないの?」

「えぇ……って、そこ突っ込むの?」


 困惑するヒライをよそに、アレサは大きな伸びをした。


「あーあっ、つまんない。『ほぼ人間』だったら、男は別にATiでいいじゃんって」


 すると、床下からエドの囁き。


「今日のイチバン恐ろしーい話ネ」




***




 再び現れた人影。自室で一人、エリックはそれの来訪を待っていた。ぼんやりと宙に浮かぶ光は像を結ばず、ただ水辺の波紋のようにゆらゆらと揺れている。


「そうやって煙にまくのは君の悪い癖だよ、肝心なことは何も教えてくれない。一体、何を伝えようとしてるんだい?」


 親しげな言葉でその人影に語りかける。

 迷いを帯びたその指先は宙に何かを描こうとして、はたと途中で止めてしまう。

 そして寂しく、ふふっと笑った。

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