05-1 Hidden things

 イオはプールエリア内を探し回って、ようやくヒトを発見する。彼はラウンジ横の壁の隅にもたれ掛かり、ドリンク片手に突っ立っていた。その表情に普段と変わりは見えないが、超研対の制服は場に沿わないので着替えている。黄色の長袖Tシャツにデニムのハーフパンツ、サンダルだ。


 ――― レンタルだと思うけど、誰が選んだんだろう? なんで長袖?


 よくよく見ると、ヒトの右手の袖から包帯が覗く。ああ、成る程、と納得。


「やあやあ、お揃いだねえ、その黄色」


 ――― もっと小洒落た台詞くらいあるだろう? 私、おばさんみたい。


 声をかけてから、己れの言葉のチョイスに落胆。プールエリアに流れるリバーブの効いたEDMが耳につく。間が開いているのだ。


 すると、二人の横を際どいビキニの女性が通り過ぎ、ラウンジの端末で注文を始めた。ハイビスカスの髪飾りと派手なアクセサリーの所為で、イオには何かのコスプレに見える。横から見るとほぼ裸だ。

 元々、海やプールに縁がないイオにしてみれば、ナイトプールなどメディアの中の話でしかなく、見るもの全てが珍しい。

 つい思ったことが口に出た。


「うわあ、今の凄くない? ……って」


 男の子が大好きなタイサイド、と話を振ってみた。だが、無反応。


 ――― ぬぬ、紐パンだぞ? セリやリコみたいなのと一緒に居ると一般人は眼中にない?


 と、考え耽っていると、ヒトはイオに向き、視線を落とした。


「それ、見せても平気?」


 短く呟く。右脚の下肢装具のことだ。


「えっ、これ? 平気平気。気に入ってるし、高かったから見せびらかしたいくらい」


 現にイオは下肢装具を見せびらかしている。ヒトがもたれ掛かっている壁に手を突き、踏ん張って右脚を持ち上げてみせた。

 腿から足の甲までぴったりと右脚を覆う、明るいブロンズカラーの装具。ヘアライン加工が施された表面に映り込むのはラウンジのネオンだ。


「昔ね、事故に遭っちゃって、少し麻痺が残っちゃったんだけどね」


「ふーん」とばかりに会話が続かないヒト。

 イオはお返しにヒトの右腕のことを聞きたいが、やっぱり怖くて聞けない。だが、弟達と一つしか歳が変わらないヒトとなんとしてでも打ち解けたい。

 しばらくの葛藤の後、己れを奮い立たせた。


「私、双子の弟が居て、事故の時は小さかったんだけど、一生懸命支えてくれたの。おねえちゃん、おねえちゃんって」


 ぽつぽつと語り始める。セリと打ち解けたことが背中を押したかもしれない。


「お父さん、お母さんも亡くして、三人とも辛かったんだけど、お陰で頑張れたの。もちろん一番苦労かけたのは、叔父さん夫婦だけど」


 下肢装具から視線を外し、再びプールへ向けるヒト。


「だからその、この脚は正直面倒だけどね。弟達も真っ直ぐ育ってくれたし、私も頑張れたし、大事な絆だと思ってるから隠したくないの」


 ヒトは一瞬だけ眉を顰め、淡いブラウンの澄んだ瞳に暗鬱な感情の火が灯る。

 イオはそれに気づかない。気持ちが昂ぶると喉から言葉が溢れて止まらない。


「だから、私にとって、この脚も弟達もすっごく大事なの。それでその、私、やっぱりヒト君とも上手く……」

「ボクは、ボクの兄弟を、この右手で『撃ち殺した』」

「え……」


 ヒトは右の長袖を捲り上げ、包帯だらけの腕をイオに掲げて見せた。


「知りたいのは、これのことだろう?」


 ヒトは何物にも染まらない、どす黒い何かを露わにした。

 二人の間で静止する空気———


「言い過ぎた。キミには関係ない」


 ヒトは彼女をその場に置き、足早に立ち去る。もちろん振り向いたりしない。

 イオは口にする言葉が見つからない。


 ――― え、なんで? 意味が分からない。情けない、悔しい、酷く悲しい。


 空気のように満たされていたEDMが全く耳に届かなくなる。煌びやかなネオンも、客達の歓声も、全てが遠い彼方へ消え去った。

 イオはただ茫然と立ちすくむしかない。


 ――― 今はこの場にしゃがみこんで、顔を覆って五分だけ、泣く……




***




 ヘパイストス艦長室。アンダーソンは入口に背を向けてデスクに座る格好だ。右側には古い書籍が並んだ書棚、左側にはクローゼットとカーテンで遮られたベッドがある。書棚の前に置かれた椅子には、クライトン副艦長が手を膝の上で組んで座っている。

 デスク上には片遅れのデスク端末。ディスプレイは斜めに彼に向き、クライトンからは見えない。そして、それに映るのは、アダム・ブレインズだ。


「ふう……む」


 アンダーソンは各国のメタストラクチャーとの交戦記録、ウィングガンの更新履歴や分析官登録スケジュールを見比べ、端末の向こうのブレインズに問いかける。


「何故こうも、奴らとは一進一退、状況が釣り合うのかな」


 アンダーソンの口調は強い。戦況の停滞が何年も続いていることに疑問を呈している。


「奴らの都合が分からないのはしょうがないが、我々もそれに合わせて進歩を小出しにしているとしか思えない。データがそう言っている」

『我々は我々のホストATiの提案を協議した上で、できることをやっているだけだよ』


 ディスプレイの中で淡々と返すブレインズ。


「先代の第二世代ウィングガン、現行の第三世代の登場が予告された時と、今回の第四世代、ウィングガンプラスとでは状況が余りにも酷似している。このまま行けば、奴らは一ヶ月以内にまた大きく手を変えてくる」


 指先で端末をこつこつと叩き、苛立ちを露わにするアンダーソン。対するブレインズに相手の機嫌に構う様子はない。


『小出しにしている、と言うのは確かに間違ってはいないがね。エプシロンもイ重研も大元は一企業に過ぎないし、メタストラクチャー対策は世界から委任を受けて代行している立場だ。我々のテクノロジーを何処か一国に偏らせる訳にはいかない。ま、お互い牽制はしているよ』


 ふぅ、と溜息ともつかない息を吐く。


「それにメタストラクチャー、超越構造体の巣がいまだに特定できないのも腑に落ちない。エプシロンは本当は知っているんじゃないのかね」


 普段の柔和な表情は影を潜め、語気が荒い。


『超越構造体を密かに観測していたタウ・ディベロップメントと演算思考体は、トーキョーロストの責を負って例の計画ごと解体されてしまった。今となっては痕跡の追いようがないが、裏でエプシロンのリソースが入っていたのは内々で確認が取れた。我々もそれは疑っている』


 ブレインズは眉ひとつ動かさない。しばらくの沈黙。


「トーキョーロストにタウD。例のフューズド計画。君は本当に終わったと思うかね」


 何かを諦めたかのように、忌々しくその名を口にする。


『人類は演算思考体の可能性に大きな縛りを課した。自分達には扱い切れない過ぎたものとして。それが二十年経っても、超常の存在に脅かされるようになっても、頑なに守られている。禁忌を破る気がない以上は、終わったとしか言いようがない』


 ブレインズはネクタイを緩めながら、変わらぬ口調で続ける。


『君も僕も若くないのだから、本当に終わったかどうかは若い人達が決めることだ』

「我々は『老兵』かね?」


 アンダーソンの自嘲にブレインズは一瞬だけ考えた。


『ただ消え去ってしまうのは無責任だが、友人として忠告するなら潮時と言っておく』

「久しぶりに話せて良かったよ。せっかくだが、記録に残せないな、これ」


 ディスプレイ越しのブレインズは、僅かに口角を吊り上げた。




***




 プールエリアの外の化粧室。五分のつもりが三十分近く経っていた。鏡を覗き込むと目も鼻も真っ赤だ。化粧は軽くしかしないから、メイクで隠そうにも手持ちがない。

 メールを入れて先に帰ろう、そう決めてイオは化粧室を出ると、プールエリアへと続く通路で声をかけられた。振り向くと見知らぬ二人の男達。

 匂いと顔の様子から酔っているのが分かる。


 ――― 高い天井、豪華な照明、ふかふかのカーペット。ヘパイストスとは全然違うホテルの廊下。私は一体何をしているのだろう……


 イオはぼんやりと考える。


「ちょっとキミ、彼氏と喧嘩かい? どうしたの」


 ヒトと離れてしゃがみこんだ辺りから、男達は様子を伺っていたのだ。

 不覚、とイオは自らの隙を悔やんだ。


「え、ええと、別に、彼氏とかじゃないんで……」


 イオはそう口にするも、喉元で引っかかって上手く声が出ない。


 ――― 頭が今ひとつしゃきっとしない。昨夜から一体どういう日なんだ。良いことと悪いことが両極端で疲れた。おまけに眠い……


 イオは再びぼんやり考える。


「それじゃ、僕たちと飲み直さない? 外で楽しいお店知ってるんだ」


 男達の格好は場所柄に合っているが、あまり誠実な印象は受けない。その口調から、何となく基地の外の人だとイオは思った。


「あの、そういうの、間に合ってますんで……」

「いやいや、このまま帰っても面白くないでしょ? 車で来てるし、ちゃんと送るよ」


 ――― これは不味い。ナンパは初めてではないが、今そんな気分じゃない。


 頭のスイッチを急いで入れ直す。すると、男に左側から腰に腕を回され、もう一人に杖を取り上げられてしまった。


「えっ、あっ、ちょっとっ!」


 下肢装具をフルロック。脚に体重を掛ける時に関節を固定するモードだ。だが、力の限り抗ってみたものの、男達は体育会系らしく回された腕はびくともしない。

 想定外の抵抗に男はムキになり、腰に回した腕で強引にイオを引き寄せる。イオは咄嗟に右手を振り上げるも、今度は手首を掴まれた。不意のため男は手加減を忘れる。


「痛っ、もうっ、痛いってばっ!」

「ねえっ、いいじゃん、僕らそんなに悪いやつらじゃないってっ!」


 左腕は男との間に挟まって動かせない。一瞬で両腕の自由も奪われ、万事休す—— と、その時、何処かから名を呼ぶ声がする。


「イオっ!」


 それは聞き覚えがある鈴鳴り。だが、声の主が見当たらない。


「なに、やってるのっ、イオをはなしてっ!」


 ――― え、え? どこ? どこ?


 ふと視線を落とすと、水着の上に白いパーカーを羽織ったリコだ。


「ちょっとっ! その杖もかえしてっ!」

「えっ、えっ、なに、小学生? え? 何処から来たの?」


 ――― あ、今、さらっと酷いこと言った。


 置かれた状況から乖離したイオ。対するリコは顔を真っ赤にして怒っている。


「んもうっ、イオの杖っ! かえしてったらっ!」


 リコは必死に杖に手を伸ばすも、もう一人の男は逃すように杖を上へと振り上げる。ピョン、ピョン、ピョン…… と、いくら飛んでもリコは杖に届かない。


 ――― あっちゃー…… その発想はなかった……


 そう思った瞬間、リコの背後から近づくペタペタとした足音。全力で走り来る黄色の長袖T、デニムのハーフパンツ。サンダルを脱いだヒトだ。


「リコ、一歩下がれ」


 ヒトは壁の縁の僅かな突起を足場に大きく跳躍、空中でもう一人の男が手にする杖を奪う。そのままイオと男の頭上を越えると、体操選手のように前転して着地した。

 あり得ない身体能力に、言葉を失うイオと二人の男達。そしてリコ。


「は、はい?」


 目の前で起こったことに理解が追いつかず、もうしばらく沈黙。


「お、お、おいっ、て、てめえっ!」


 男が我に返ったと同時に、ヒトは手にした杖の先端を頭上に向ける。


「これ、ニュースで観たことくらい、あるよね」


 光学迷彩を解いて姿を現したのは、イ重研製ウィングス専用の護衛ドローンだ。ベンタブラックのそれは、ぽっかりと空中に空いた穴のように見える。ヒトの頭上、五十センチくらいの位置で音もなく静止し、赤い起動ランプが禍々しい輝きを放っている。


「キミたちは、テロリストに見えないから、銃撃はしない、けど」


 ヒトの感情がない淡々とした口調。言葉を失う男達。


 と、そこへ……


「はーい、そこまで。そこの二人、このまま大人しく帰ってくれると嬉しいな」


 ヒトが現れた方向、男達の背後から今度はニュクスが現れた。ポキポキと指を鳴らし、水着から露出する筋肉がパンパンに張っている。後ろにはリコと揃いのパーカーを着たセリ。


「お、おい、あれって昔、例の店を一人でぶっ潰したヤツじゃねえの?」

「きょ、狂犬ニュク……」

「おいっ、変な二つ名で呼ぶなっ! レディーに対して失礼だな」


 ――― は? ぶっ潰す? 狂犬? これって映画か何かの話?


 不穏なワードが頭の中でくるくる回る。


「は、は、あははは、し、失礼しましたはーっ」


 男達は慌ててイオを解放すると、小走りで非常階段へと消えていった。そして、あまりの出来事の連続に、その場にへたり込むイオ。


「イオ、ねえ、大丈夫? ねえ?」

「イオ、ねえ、大丈夫? ねえ?」


 リコとセリがハモって駆け寄る。ヒトは二人の後ろに立ち、黙ってイオに視線を降ろした。通路の照明が逆光になり、座り込んだイオに彼の表情は見えない。


「災難だったわね。どうしちゃったの? イオ、捜したのよ?」

「う、うん、大丈夫。ごめんなさい。なんでもない、大したことない……」


 意識が朦朧とし始め、言葉がおぼつかない。重りが付いたように瞼が重い。


「アンタがそう言うなら、それでもいいんだけどさ。それとヒト。ドローンなんか表に出して、ここも出禁になったらどうするの?」

「言いつけ通り、誰も傷つけて、ない」

「いやまあ、そうだけどさあ……」

「……」「……」


 再び睡魔に襲われ、皆の声がどんどん遠くなっていく。イオ、暗転。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る