04-3 許せリコ、人身御供だ
メタストラクチャーに対応したため、一時ヨコスカ基地に帰還するヘパイストス。食堂に集うウィングガンチーム、そしてアレサ哨戒管理官。
「えっプールなんて有るんですか? ここ」
目を丸くするイオに、アレサは満面の笑みで返す。
「基地にそんな浮かれたものはないけど、近くのホテルにはあるのよ」
基地職員の利用は半額とのこと。ウィングスは勤務二年目で同伴者が居れば基地外への外出が許される。実はイオが仮住まいにしようとして、余りのお値段に断念したホテルだ。
「ここ、エグゼクティブしか使わないホテルだから、行くに決まってるでしょっ!」
一気に捲し立てるアレサ。やや興奮気味で鼻息が荒い。エグゼクティブ…… ここで彼女の言う意味とは、要するに『セレブ』だ。
「ヒト、アナタも来るのよ」
妖艶な口元をさらに妖しく吊り上げるセリ。命令口調だ。そしてリコの背後に周り、両腕をその首に回す。
「あら、お姉さんの言う事が聞けないの? アナタの可愛い妹が寂しいって」
「いもうと?」
キョトンとしたリコ、目の前のヒトと背後のセリを大きく首を振って見比べる。
「わかった」
ヒトは一考した後、了承する。
――― えぇっ、行くのっ?
「じゃ、じゃあ皆さん、楽しんでらし……
と、席を立とうとすると、今度はイオが背後から羽交い締めに遭う。耳元でドスの効いた声を囁くのはニュクスだ。
「パートナーが来るんだから、アンタも来なよ」
「え、え、え、って、ちょっとま、本気っ?」
助けを求めて辺りを見回すが、先まで居たはずのエリックの姿がない。
「お、おじさんの役立たずぅ……」
***
超研対ヨコスカ基地を後にし、ナイトプールに繰り出したヘパイストス御一行六名。ヒトはたった一人男の子だが、それを気にする様子はない。
エグゼクティブ御用達のプールだが、基地の職員らしき顔も見える。学生など大声で騒ぐ若者の姿は皆無だ。総じて落ち着いた大人の空間だ。
イオは流石に水着は断ったが、着替えた四人に少しばかり羨望が滲む。
セリとリコはレーシングバックのシンプルな競泳用だが、防水OEL繊維の動くグラフィックが水着に夏を映し出す。セリは果実でリコは金魚。
緩急折り重なったカーヴを描く見事なトルソー、すらりと伸びる白い四肢。対する小さな身体に併せ持つ少女の可憐さ、溢れ出ることが止まない瑞々しさ。セリの美しさは言うまでもないが、リコの愛くるしさも引けを取らない。
ニュクスは胸元にレースのシースルーが入ったホルターネックの黒ワンピース。大人の意匠と豊かなバストの透け感がマッチョボディに良く映える。
アレサも動くグラフィックが華やかなフレアビキニ。インパチェンスや向日葵、夏を彩る花々が音楽に合わせて切り替わる。
――― 対する私は売店の売り子か。
黄色い無地のTシャツにデニムのショーパン。電子制御ダンパーを内蔵した電動アシスト付き下肢装具は、遠目で見れば凝った柄のストッキングと変わらない。お洒落なブランドロゴで彩られた自慢の装具を見せびらかしたいのだ。
ふとリコに視線を向けると、彼女は何度も辺りを見渡している。水着姿が恥ずかしいのかと思いきや、実はヒトの姿を探していた。
――― ははーん、水着を見せたいんだ。キミはそうでなくっちゃ!
イオは心の中でサムズアップした。
昼間はフィットネスジムが使っている大プールは五十メートルはある。南側の壁面と天井の半分がほぼ窓。満天の星空を臨む空間は開放感に溢れ、ライトアップされたヤシの木とラウンジのネオン、気の利いたEDMがリゾート感を盛り上げている。
ビーチチェアに荷物を置くと、セリとニュクスは一目散にプールに駆けて飛び込んだ。歓声と共に高く上がる水飛沫。アレサも続いて後を追う。
二人は変わらず仲が良い。先の諍いは早くも片づいた様子だ。
――― 昼間は出動だったのに、なんでそんなに元気なの……
はしゃぐ彼女達を見て、そう思わずにはいられない。ふあ、と出る欠伸。昨夜は昨夜で大して眠れなかったことを思い出す。何故に私はブリッジ前を歩き、食堂で目を覚ましたのか——と、ぼんやり考えていると、先の上機嫌がすっかり消えたアレサが戻った。
「ぐぬぬ、あの二人、目立ち過ぎだろ、ど畜生……」
可憐な容姿に似合わない汚い言葉。どうやらアレサは周囲の反応がお気に召さないらしい。
だが、
「こんなこともあろうかと、セリに頼んでリコを拉致っといて正解だったわ」
「アレサ、らちって、なに?」
アレサは状況をよく理解してないリコの手を掴んだ。要するに客寄せパンダだ。
――― 成る程、そのためにヒトまで誘ったのか……
ヒトが居ればリコは絶対に断らない。リコも行くならヒトは十中八九断らない。ならばと、セリ達は『先に』ヒトを誘ったのだ。
「え、えっ? あのっ」
もちろん困惑するリコ。但しそれはヒトを見つけらないから。
イオは流石に気が咎める。
「ウィングス、あんまり外の人と関わらせちゃダメじゃないの? それにリコは未成……
「目立てばいーのっ、リコは半分幼女だからっ、ここの人達はリコは対象外だよっ!」
「は、半分幼女って…」
「はんぶん、ようじょって、なに?」
リコは小首を傾げながら、罪深いワードを口にする。
――― キミ、それ知らなくていいからっ!
「じゃ、イオも来る?」
「ええっ、それは、その……」
「なあに、いざとなったら、ヒトを呼ぶからヘーキヘーキ!」
焦るイオを尻目に得意満面のアレサ、強引にリコを引き摺っていく。もちろんセリとニュクスが遊んでいる場所とは違う方向へ。
ふと、研修で教わったことを思い出す。
――― ウィングスの並外れた動体視力と身体能力なら、並の一般人では太刀打ちできない。そもそも莫大な予算が掛けられた彼らだ。要人警護用と同じ護衛ドローンが隠れて張り付いている。心配が必要なのはアレサ哨戒管理官の方だろう。
「許せリコ、人身御供だ……」
イオ、何気にヒドい。
二人を見送った後、イオはビーチチェアにやれやれと腰を下ろす。
――― 身体能力と言えば、軽量級のボクサーみたいな身体だったなあ。
と、ヒトの身体を思い出した。何しろ三回も確認したのだ。脳裏に焼き付いているのは言うまでもない。
「イオ、何を惚けているの? よだれ出てる」
一息入れに戻ってきたセリだ。イオの右隣に腰を下ろすと、水に濡れた白い脚が下肢装具に触れる。装具のセンサーはその感触を正直に伝え……
「え、え、何でもないよ! あははは、や、やだなあっ」
全力で恥ずかしい妄想を打ち消し、急いで口元を拭う。
「イオ、遊ばないの?」
濡れた髪が纏わりついた顔は妖艶さを増し、僅かに左に傾けてイオを覗き込む。遅れて戻ったニュクスが三人分の飲み物を抱え、チェアの反対側に腰を下ろした。流石に三人は重いのか、ビーチチェアは不満げな軋み音を立てる。
「やっぱり不味かった? 除け者にしたくないし、浸かるぐらいなら平気かなって」
ニュクスはボトルを二人に手渡す。セリだけ色が違うのはノンアルコールだからだ。
「えっ、あ、いや、学生時代はずっと見学してたと言うか、これ幸いと言うか……」
「ん、これ幸い?」
イオは事故に遭う前から『浮き輪が要る人』。もちろん恥ずかしくて言えない。
「……脚、気にしてるの?」
セリの白魚のような指が、イオの右腿にそっと触れる。下肢装具の縁に沿わせ、装具ではない柔らかい部分を優しく指で押し下げる。
「え……」
「あ、この子ね、馴れると見境いなく触りたがるから、嫌ならイヤって言ってね」
「え、あー、うーん……」
セリは美しい顔のまま、眉をハの字にしてイオをさらに覗き込む。切れ長の目に透き通る虹彩の瞳、仄かに上気した頰、果実のようにぽってり紅い唇。
焦るしかないイオ。動揺。動揺。動揺。
「い、いや、別に、その、女の子だし……」
そう言った瞬間、セリはイオの両腿に薄い身体をペタンと折ってしがみつく。はしゃぐセリの濡れて冷えた水着、見た目よりふくよかな胸。
「やたっ!」
「え…… っと、あの、その、えぇ……」
嫌われてないと判明したものの、言語化できない奇妙な気分に苛まれる。本来べたべたする側で、その被害者は弟達だったからだ。
ふと、セリの距離感の無さに、イオは猫のそれを連想した。
ボトルを飲み干した二人は再びプールへと駆け出した。ありがとね、と小さな囁きが聞こえたから、そう悪い気分にはなれない。
――― ところで、ヒトはどこだ?
***
一方、ヘパイストスブリッジ。残業中のヒライ機関統制官とエド兵装統制官。あと、何故かエリック。
「ゥァアアアアァァァァァーンっ!」
「うるせえよエドっ!」
ヒライ、本日五回目の怒声。
「ミ、ミーもプール行きたかったナリーっ、リッゴヂャーンっ!」
「予想した通りの展開……」
「静かに大人のトークしようと思ってたのにようっ、うるさくてかなわん」
苦笑いのエリックだが、実はアレサの席に座らされている。ブリッジの前列三席、入口から見て右からヒライ、中エド、左がアレサの席だ。
エリックは背を丸めて端末に向かうものの、慣れないのか時々指先を泳がせている。
「あはは、僕もあの子達を上手く躱したと思ったら、仕事を押しつけられちゃって」
「艦長も、クライトン女史も、アレサもいねーんだぜ? 羽根伸ばそうよ」
ヒライが不敵な笑みを浮かべ、引き出しから小さな酒瓶と紙コップを取り出した。
「クスン、しょうがないナリ、アレサ工作員からの秘密のメールを待つナリ……」
テーテーッ、テケテ、テッテーッ♪ と着信音が鳴る。※惑星大戦争のテーマ
「キターーーーーーっ」
「ちょっ、おいっ、待てっ」
早々と離席し、背後からエドのカード型端末を覗き込む他二名。
しーん。静まり返る一同。
「んぉほおおおおぉぉぉぉぉっ!」
「リッコチャーンっ、ベェリィーっキューっ!」
席に戻ったエリック。やれやれという顔。
「そう言えば今回、へピイATiは珍しく『イカくん』とか色々外しましたよねえ」
「我々のシミュレーションも同じ結果でプランを承認したんだから『我々も』だよ」
ヒライは酒瓶の中身を紙コップに注ぎ、次にツマミの『いかくん』を取り出す。こちらも空いた紙コップに開けた。いかくんの匂いに満たされるブリッジ。
「いやまあ、久しぶりにウチから思考装甲を買ってくれるんだから、毎度アリなんですが」
「あー、やだやだ。人類の平和を守る公務員の中にセールスマンが居るよ」
エリックの出向元であるイ重研は、元は超研対への兵器供給を担うイカロス・インダストリーの研究機関であり、現在も人・組織共に協力関係が続いている。
つまり、エリックが言う『ウチ』とはイカロス・インダストリーを指し、思考装甲の調達先は同社以外にも存在することを意味する。
「ヘパイストスは他に比べて、しみったれな方だから、こんな時こそ頂かないと」
「それ、優秀ってことだろ」
「そうそう、優秀な公務員に、優秀なサラリーマン」
「ゼニカンジョウしてるうちは立派な経済活動ネ」
自分のいかくんを確保し、ぶつぶつ呟きながら自席に戻るエド。いかくんを咀嚼する音を隠さないヒライ。女性陣が居ないからお構いなしだ。
「奴らがやって来た時、こんな悠長なこと言ってる場合じゃなかったけどなあ」
ヒライは酔いが少し回り始める。
「ところで銭勘定って死語ですね、今二十二世紀なんですが」
「しみったれはもっと死語だよ、出向者が出向先に対してケチだなんて酷いよなあ」
そして、暑苦しい男どもの夜は更けていく。
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