08-1 イオとニュクス

 イオがヘパイストスに乗艦して五ヶ月が経過した現在、一つ困ったことと言えば、大好物の『チーズ鱈』(チータラではない)の入手が難しくなったことだ。

 密かに箱買いして艦内に持ち込んだが、あと一袋で尽きようとしている。それを手に入れるためには基地外に出る必要があり、通販は艦の検閲を免れられない。


 ――― 全く以ってけしからん、プライバシーの侵害だ。


 と、イオは理不尽にも憤慨する。先日、綿密な計画によって大量確保を画策したのはチーズ鱈だった。どう考えても歳頃の女子が第一に好む食べ物ではない。発覚すれば『おっさん認定』間違い無し。既に『不審者認定』を果たしたイオにとって、ダブル認定は何としてでも避けねばならない懸案事項のはず。


 ――― 女の子に秘密はあって当たり前。それはソレ、これはコレだ。


 だが、横着な性分が災いしてか、不都合な認定を避けるような努力をする気はない。今更ながら凄く雑な女、それがイオなのだ。

 因みに、チーズ鱈を電子レンジで二分ほど加熱して水分を飛ばし、黒胡椒を振って頂くのが最近のお気に入り。ハチミツをかければスイーツとしても上出来。


 閑話休題。


 九月も中旬を過ぎ、秋の声が聞こえ始めた頃。現在の一課第五ヘパイストスは巡回ローテーションを一課第三テーセウスと交代し、三日間のオフシフトに入っている。要するに非番だ。

 イオは最後のチーズ鱈一袋、同じく隠れて持ち込んだミニ発泡酒六缶パックを持って、誰も居ないはずの夜の展望室へと向かう。だが、そこは予期しない人物に先を越されていた。

 横須賀の夜景を眺めながら、窓際で黄昏ていたニュクスだ。


「あらーっ、いいもの持ってるじゃない。まさか一人で開ける気?」


 ニュクスの視線はイオの手にぶら下がったミニ発泡酒に向けられている。渋々発泡酒を差し出し、チーズ鱈もパーティ開けせざるを得ない。

 二人で小さな乾杯をして、それとなく質問を口にする。


「ニュクスはもしかして、昔に『猫』飼ってた?」

「分かるの? 昔ね、特別な猫って訳じゃないんだけど、子どもの頃に拾って」

「ははぁ、やっぱり。セリの仕草を見るとそうじゃないかって」


 虎の子のチーズ鱈の見返りとばかりに、イオは立ち入った話題を振った。


「やっぱりそう見えるんだ。確かにアレはアタシの影響だと思う。随分長い付き合いの猫だったんだけど、服役中に死んじゃって」

「えっ、えっ、ふ、服役中っ?」


 予想外の返答に愕然とし、踏み込みが過ぎたと後悔。


「ああ、むかしアタシって結構な札付きでさ。格闘技かじってたのと、側から言わせると当て感が強いらしくって、喧嘩とか早々負けたことなかったのよね」


 異重力分析官にしては場違いなガタイ、と常々思っていたので腑に落ちた。


「それである時、えーと、深く聞かないでね。その、やり過ぎちゃってさ、で、服役」


 やや自嘲気味のニュクスは一缶目を空ける。もう一缶を咎める勇気はイオにはない。


「で、服役してる間に。人に預けてたんだけど、看取れなかった後悔もあるのかな」

「ウィングスの『影響されやすい』ってこういうこと?」

「何も分析官自身に似るとは限らないけどねえ、セリの女の子らしさはアタシにないし」


 謙遜ととるべきか否か、酷い葛藤に苛まれるイオ。


「たまたま服役中に受けた異重力知覚テストでA評価だったし、損害賠償もあるから分析官になったんだけどさ、そこで初めて組んだのがセリ」


 二缶目を空けたニュクスは饒舌になった。普段の彼女はこの程度では酔わない。


「最初は生っ白くてモヤシみたいなやつだと思ったら女の子でさ、オフの時もずっと一緒に居たら、日に日に女らしく変わっていくんだよね」

「さぁっすが、ニュクス兄貴っ!」

「あはは、知覚共有の副次作用。あんまりみんな言わないけどさ、パートナー同士惹かれ合うか、憎しみ合うかのどちらかなのよ。だからパートナーは定期的に交代すべきだと思う」


 ――― 憎しみ合う。それはこれまでのヒトのことを言っているのだろうか?


「お互いの気持ち。これって本物なのか、最近はそればっかり考えてる」


 窓の外に向き、遠い目のニュクス。


「ウィングスは人と過ごす時間が長くなれば長くなるほど、普通の子どもに近づいていくの。そして近づくに従い能力が落ちるから、満二十歳の任期が決まっているのよ」


 一息つき、ニュクスは寂しそうな顔をする。


「来年、一緒に退官するべきか。アタシは外に出れば前科者だし、賠償だってまだまだ終わらない。セリにアタシの人生を付き合わせちゃっていいのか」

「もしかして、時々喧嘩してる原因ってそれ?」


 恐る恐る尋ねると、ニュクスはウィンクで返した。


 ウィングスはメタストラクチャー対策の為、退官後の国籍取得と手厚い待遇保障を引き換えに特例として社会に存在を認めさせているヒトクローンだ。

 つまり、ガンナーの任さえ降りれば、恵まれた人生が待っている。


「アタシばっかりも何だから、アンタにも何か喋って貰おうかな? ヒトのこととか」

「べべべ、別に、私は何もないですっ、弟達の学費を稼がなきゃいけないし、六つも歳下だし、あんな根暗の無神経のドM……」

「あはは、アンタはヒトとは上手くやって欲しいけど、深入りすると色々厄介だから」


 と、ニュクスは最後のチーズ鱈を口に放り込んだ。


「いや、まあ、その…… 何もないんで」


 チーズ鱈の空袋を見つめながら、同じ言葉を繰り返す。




***




「ああ、もうっ、艦内で中華が頂けるなんて信じられないっ!」


 イオは興奮を隠せない。今日はリウ医療管理官が手料理を振る舞ってくれる日だからだ。鑑のメニューはパンチがない、と月一回だけ得意の腕を振う。

 ヘパイストスの食堂は半自動化されているため、厨房と呼べる施設はない。食堂奥の給湯室に自前の調理器具を持ち込み、ささやかに行われるだけだ。料理自体も小分けしてパックで数食用意するのみ。イオはいつもの面子の分まで確保するほど、この日を待ちわびていた。

 因みに今月のメニューは「酢豚」だ。


「昔、イギリス領だった香港、その影響が強かった上海で、当時高級食材だったパイナポゥを使って欧米人の口に合うよう改良したのが始まりって、こらーっ、選り分けるなーっ!」

「中華なのにパイナップルなんて、あり得ないんだけど……」


 不満気な顔でパイナップルを箸で突つくセリ。イオの薀蓄はあまり耳に届いていない。


「まあ、カレーにリンゴ入れるようなものよね」


 アレサは粛々と肯定意見を述べ、早々と箸を付ける。


「へえ、程よい甘みと酸味で、ようやく温かいものを口にしようって気になるねえ」


 ニュクスが悪くない顔をする。隣りに座るリコの視線は真剣そのもの。恐る恐る箸を伸ばして酢豚を頬張ると、怪訝そうな顔がみるみる綻んでいく。実に分かりやすい。


「イオ、おいしいっ!」

「君は絶対気に入ってくれると思ったよっ!」


 ヘパイストスに乗艦して半年近く、イオはすっかり周囲に馴染んでいた。

 と、そこへレーション片手にヒトが通りかかる。いつものことだが、彼はウィングガンの整備をしながら食事を摂るつもりなのだ。

 リコは酢豚のパックをヒトの視線に入る位置に差し出した。


「ヒト、おいしいよ、すぶた」

「あらリコ、そこはアーンして、でしょう?」


 セリがいつもの調子で揶揄うと、リコは顔を真っ赤に染めて俯くしかない。ヒトは僅かに表情を緩め、何も言わずにリコの頭に手を置いた。

 先日の怪我は随分と良くなり、袖から覗く右腕の包帯以外に痕跡は見当たらない。歩き方はまだ本調子でないらしく、若干の心許なさを残している。


「ヒト君、たまには落ち着いて、座って食事を摂ったらどうなの?」


 ――― 私、なにお母さんみたいなこと言ってるだろう?


 そう思いつつ声をかける。ヒトは視線をセリとリコ、そしてイオの順に移す。


「体重許容値、『超える』と面倒だから」

「ちょっと待てっ! その視線の移動はどういう意味だっ!『肥える』ってかっ!」


 額に青筋が浮くイオ。対するヒトは憤慨する彼女を尻目にそそくさと立ち去る。

 ここ数日、彼はしきりに視界に介入するニューメディカのダイアログを煩わしく思っていた。『要メディカルチェック』としていくつか候補が挙がっている。全て『Later』にチェックを入れて格納庫に向かった。




***




 九月下旬某日、早朝の午前五時二十分頃に重力震発生。地表到達予測時刻は同日午後三時前後、五百メートル級メタストラクチャーが二体同時に出現した。

 彼ら二体の降下予測地点は静岡県駿河湾沖、静岡市と伊豆市のほぼ中間。二体の降下地点は一キロメートルも離れておらず、極めて陸に近い。

 今回は静岡市側をA、伊豆市側をBと呼称し、狙撃権共にそれぞれ一課第四パーシアスと一課第五ヘパイストスの二課同時でこれにあたる。

 へピイATiが予測するメタスクイドはAB合計十八体。一課第五はフォワード二号機ヒト・イオ組、アシストは二号機セリ・エリック組、三号機リコ・ニュクス組の編成。直近のメタスクイド進化傾向を鑑み、今回は両課とも全機出動となった。

 現在一課第五ヘパイストスは相模灘を南西に進み、熱海市上空を通過中で伊豆半島を横断後にウィングガン三機を出動させる。作戦開始は彼らの降下終了、着水直後の予定だ。

 偵察ドローンの映像で上空から確認したメタストラクチャーは、今回A及びBとも縦に長く頭を擡げるように途中で上に折り曲がっている。


「どう見ても、黒い靴下にしか見えない……」


 ウィングガン+の後席に座るイオの独り言だ。前席のヒトは相変わらずの無反応。順調に回復しているはずなのに、更に顔色が悪くなったように見える。

 一抹の不安を払拭するため、さり気なさを装って声をかける。


「ねえ、もしかして知覚共有中ってさ、私にも何か見える?」

「そんなこと、気になる?」


 ――― よっしゃ、乗ってきたっ! 


「え、だって、そっちはがっつり見えてるんでしょ?」

「…………」


 実は以前から気になっていたことだ。しばらく沈黙するヒト。


 ――― うーん、やっぱり愛する弟達かな? いや待て、エリックおじさん…… なワケないな。私が知らないセクシャリティとか暴かれたらどうしよう? まさかベッド下の薄い……


 勢いで口にしたものの、話題のチョイスに後悔を始める。何も都合が良いこととは限らない。だが、好奇心には勝てなかった。期待と不安が入り混じり、高鳴る胸が落ち着かない。

 固唾を飲む。そして、ヒトは口を開いた。


「あれは…… ツマミ、かな? あと缶ビール」

「はあああああああああああっ?!」


 がっくりと肩を落とす。と言うか、女子にあるまじき、おっさん。


 ――― って、おじさんが言ったまんまじゃん。いいやもう……


「はぁーっ……」と大きな溜息を吐くと、もう一つの引っかかりを思い出した。


「そう言えば、随分前だけど、プールの時におぶってくれたの、ヒト君、だよね?」


 意外にも、ヒトは言葉を詰まらせる。


「あれは、その、自分が蒔いた、種……」


 歯切れが悪い。だがその言葉を、イオは決して聞き逃さなかった。


「えっ、なに? もう一回言って? ねえっ、お姉さん聞こえなかったっ!」


 ヒト、再び沈黙。


「ちぇっ、天の岩戸かよ、オイ」


 イオは舌打ちした—— と、そこへ一課第四パーシアス所属機からの通信要請。

 ヒトは訝しげにタッチディスプレイを操作し、音声回線のみをONにする。オレンジに「1」と表記されたアイコンがポップアップ。通信相手は一号機の、カイだ。


「用は、なに?」


 ――― 良かった、いつものヒトだ。って良くないか。


 相手が誰かを知り、イオの脳裏に先日の事件がよぎる。


『キオのことを水に流すつもりはない。だけど任務は任務だ。そっちには怖いお姉さんが乗っているし、ボクはエルに殴られたくない』


 ヒトはただ黙って聞き流した。


 ――― ちょっと、怖いお姉さんって誰よ? 


 イオは何かを言ってやりたい衝動を抑えた。


『余計なことはしない。ボクは任務に集中する。以上どわっ、い、痛いよエルッ!』

『二度と変なことさせないからっ、安心してっ!』


 最後にエルザ・エマーソン分析官の声が割り込み、強引に通信が切れた。

 ヒトは僅かに肩を竦めている。初めて出会った頃より人間らしくなった、とイオは思った。

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