01-2 Girl meets downer boy

 リコ・ニュクス組のウィングガン三号機はメタスクイドと交戦を開始。だが、ターコイズの前任者と同じく追い駆けっこを繰り返す羽目に陥っていた。

 都市戦闘では建築物が邪魔をしてウィングガンが得意とする機動速度が出せず、手負いの魔獣をバイブレードの間合いに捉えることができない。

 一方、メタスクイドは三号機を揶揄うのように逃げ回っている。銛状触手を器用に路面に打ち込み、振り子の要領で鼻先を曲げる。少ない労力で方向転換する術を学習したようだ。

 倒壊する高層ビル、爆発と炎上、砕け散るガラス片。外部マイクが拾うサイレン、悲鳴と怒号。混乱の坩堝と化した横須賀市街。

 メインモニタには、避難に遅れて逃げ惑う人の群れが映る。高度を上げてプラズマ砲で射撃すれば一瞬で片付くが、それでは下の人々が高密度プラズマの熱に巻かれて丸焦げだ。

 焦り始めるリコ、呼吸が荒い。


「落ち着いてリコ。向こうもへばってきてるわ、慎重にね」

「うん、わかってる、わかってる、けど……」


 ニュクスは前席のリコに穏やかに声をかける。ガンナーの精神状態に配慮し、冷静を取り戻すことも異重力分析官の仕事だ。対するリコはゴーグルに阻まれ表情は見えないが、その返答から余裕の無さが窺える。

 次に手負いの魔獣が方向転換した先には、着艦ドックに佇むヘパイストスの姿があった。追走劇を続けている間に、目視可能な距離まで近づいていたのだ。


「あっ!」


 リコは即座に視線を移す。ウィングガンのレーザーカメラが視線移動を追尾し、視界同期ゴーグルを通じてニュクスは同じ視界を共有する。動作の遅延は限りなくゼロ。

 メタスクイドは満身創痍の巨体をヘパイストスに向け、怒涛の突撃を開始する。胴体後端から生え出る銛状触手二本を路面に突き立て、弓を放つ要領で加速を増幅した。

 仇敵の存在を理解したかのように。


「あーっと、これは不味いっ、リコっ!」

「ニュクス、フル加速、備えてっ」


 思わず叫ぶニュクス、応えるリコ。加速スラスターを全開、大爆音を背に猛追をかける。

 ヘパイストスはイ重力制御エンジンの重整備を行うためにヨコスカ基地に寄港していた。つまり火器管制システムは通常稼働域に達しておらず、迫り来る脅威に何の対処もできない。


 疾風のごとくヘパイストスに突進するメタスクイド。

 全速力で後を追うリコとニュクスの三号機。

 果たしてセリ・エリック組の一号機は間に合うか。




***




 イオはようやく海上の着艦ドックへと続く搭乗橋に辿り着く。予想外に気温が上がり、汗で不快感が増している。直下は海だが、息が上がって潮の香りどころではない。

 目の前に聳えるのは、ヘパイストスの白い艦体。あと少しだ。


「へげっ!」


 安堵した気の緩みか、二度目の転倒。今度は受け身を取った代わりに右手から杖が離れた。カーボン特有の乾いた音を立てて目の前を転がっていく。


 ――― もうやだ、私、変な声出た。


 辺りを見回し、やれやれと四つん這いのまま杖に手を伸ばす。だがその時、左側から断続する奇怪な重低音。次第に高まる音量。背中に滑り落ちる一筋の悪寒。

 横須賀市街で暴れていた手負いの魔獣、C型メタスクイドだ。


「ええっ、うわああああああああーっ!」


 ――― ま、待て、女の子なら『きゃあーっ』ではないだろうか?


 動転して場違いな思考が過ぎる。危機的状況に理性が警笛を鳴らすものの、身体が固まって動かない。気持ちだけが目一杯に空回った。

 すると、今度は上方から見覚えがある機影。メタスクイドと異なるパルス矩形の重低音、加速スラスターから降り注ぐアイドリング状態の熱気。

 ヘパイストスの死角から現れたセリ・エリック組のウィングガン一号機だ。

 多関節アームで機首をガードした一号機は、強引に逃走者の進行軌道に侵入。結果、重力制御の低減質量状態により両者はゴムボールのように弾かれた。

 姿勢制御を失った魔獣がドック手前の路面に落下する瞬間、背後に到着した三号機、リコ・ニュクス組のバイブレードが捉える。

 時空歪曲防壁IVシールドが作り出す『像の揺らぎ』が最も薄い部分、異重力収束点。三号機は超高速で振動する刃を突き刺し、一気呵成に両断した。

 硝子が軋むような耳障りなノイズ。メタスクイドの割かれた巨体におびただしい亀裂が走る。構造崩壊が始まった合図だ。最後は悲鳴に似た高周波を放って四散した。

 だが、巨大物体の衝突が起こした突風に煽られ、イオは搭乗橋から直下へと——


「え? ええええっ、おっ、落ちっ、わぁっ!」


 実はイオ、泳げない。必死にもがくも混乱して方向が分からない。ねっとり纏わりつく衣類の抵抗が増し、大量の海水が鼻や口に流れ込む。苦い、痛い、苦しい。そして暗い。

 遂には肺の中の息が尽き、思考が混濁を始める。


 ――― 嫌だ私、こんなところで死ぬの? 困る、困るよ、弟達、に……


 すると、何処か近く、イオは名を呼ばれた気がした。


 ――― だ、れ……


 イオは意識を手放した。




***




「ああーっ! イオちゃん、海に落っこちたっ!」


 ウィングガン一号機のコクピット。後席のエリックは艦の監視カメラが捉えた転落するイオの姿を発見し、盛大に泡を食っていた。


「直ぐに戻れないのにっ、あーっ、どうするどうするっ!?」


 と、その時、メインモニタに外部通信のアイコン。


『ボクが行きます』


 十代後半と思しき少年の声。間髪入れず、オフロードバイク—— 黄色いモタードが搭乗橋の袂に乗りつける様子を同じく監視カメラが映し出した。

 少年は黒々と路面にタイヤマークを刻んで停車。白いヘルメットとコバルトブルーのジャケットを脱ぎ捨て、何の躊躇もなく海の中へと飛び込んだ。

 幸い、イオはそう深くないところ—— 打ち捨てられていた古いロープに引っかかっていた。少年は意識不明のイオを左腕で抱えると、モタードが停まる搭乗橋の袂に急いだ。

 脱力している上に衣類はたっぷり海水を吸っている。いくら女子とは言え、人ひとりを陸に揚げるのは容易ではないが、少年が苦労する様子は微塵もなかった。

 横たえたイオの呼吸と脈拍を確かめ、頰を軽く叩くがもちろん反応がない。上着のジャケットを脱がし、首元や腕周りに『何か』を探し始める。

 すると、透けたブラウスの胸元に三角形のプレートのようなものを発見した。


「仕方ない、な」


 少年はイオのブラウスのボタンを外し、胸元をそっと広げる。正中線上の鎖骨の下十センチ辺りにそれはあった。直径二センチほどの角が丸い三角形のプレート、通称『NDポート』だ。

 イオの上半身を起こして頭を後方に曲げ、顎を挙げて気道を確保。そして、自らの額にある同じ三角形のプレートをイオのポートに押し当てた。

 NDポートとは総合医療機器企業ニュークシーが開発し、十二年前に普及を開始したナノマシン型身体管理システム『ニューメディカ』。その管理用外部接触ポートのことだ。

 瞬く間にNDポートは接続を開始。少年は視界に介入するイオ側の管理メニューを開き、緊急用個人コードを入力。続けて『強制心肺蘇生』モードを選択、起動する。


『どんっ』「げふっ」


 鈍い音と共にイオは瞬く間に蘇生した。身体をくの字に折り曲げると激しく咳き込み、同時に飲み込んだ海水を吐き続ける。


「うぇ……」


 酷い頭痛、鼻と喉の強い痛み。大量に飲んだ海水のせいで気持ち悪い。だが、体内のナノマシンが回復処置を開始し、身体の状態をじわじわと正常に戻し始める。

 少年はイオのそばに屈み込み、頃合いを見計らって声をかけた。


「自分の名前、分かる?」


 肩で息をしながら視線を上げる。初めて己れを助けた—— 同じく濡れそぼった少年の姿を見た。淡いブラウンの瞳に同じくブラウンの短めの髪。弟達と同じ歳頃に見える。ノースリーブで肩から露わになった腕は、何故か右腕だけ包帯が隙間なく巻かれている。


「え……っと、ミ、ミナミ、イオ……」


 そう口にした時、イオは広げられた胸元に気がついた。肌に合わせて擬色するマスキングポリマー製のブラ。ブラウスの下はそれしか付けてない。

 無惨にも、隙間から盛ったパッドがその姿を晒している。


「えっ、な、な、なんなのよっ、これぇっ!」


 頭にみるみる血が上り、胸を隠すより先に手が出る。だが、少年は平手打ちをスウェーで軽く躱すと、自らの額を無言で指差した。先の強制心肺蘇生で使用したNDポートだ。

 NDポートの設置位置は特に指定がなく、大抵の人は手首や首筋を選ぶ。イオのポートが胸にあるのは、十年前の事故の際、治療効果を高めるため緊急でニューメディカをインストールしたことと、ほぼ無傷だったのは胸周りだけだったから。つまり本人の意思ではない。


「え………」


 今度は驚きのあまり、続く言葉が出ない。


「こっちの方が、簡単だから」


 少年はそう告げた後、後ろポケットからカード端末を取り出す。どこかに連絡を済ませると脱ぎ捨てたヘルメットとジャケットを拾いに向かった。


「迎えが来るから、そこを動かないで」


 少年は自らのジャケットを濡れ鼠のイオに掛ける。茫然としたイオの耳には、モタードが走り去る音しか聞こえなかった。

 その場にぽつんと一人残され、ようやく周囲に意識を向ける。目前には白い巨壁のようなヘパイストス。すると、青い顔をしたエリックが艦体横の搭乗口から現れた。

 ガンナースーツのまま搭乗橋を駆け下りる姿が、スキューバダイバーのように見える。


 ——— まさか忠告を無視した皮肉だろうか? そんなワケないか。


 釈然としないながらも、身に降りかかった不幸を振り返る。


「イオちゃん大丈夫かい? どこか怪我は? ホントにもうっ、君にもしものことがあったら、叔父さんに申し訳なくて云々……」


 心配するエリックの声が遠い。身の回りを確認すると、大事なものが見当たらない。


 ――― そうだ、杖。一緒に海に落ちたのかなぁ、もう最悪。


 げんなりするイオ。エリックの肩を借り、ヘパイストスの初乗艦を果たす。ふと借りたジャケットを見ると、襟に小さく『WINGS』と刺繍があった。




***




 翌朝、イオはヘパイストス2Fのブリーフィングルームに集合した。一部を除き同じ制服を着たクルー三十数名が会した光景を見て、ヘパイストスに乗艦したことを改めて実感する。自らも着る胸の超研対一課第五ストライプが誇らしい。

 一課第五の制服はコバルトブルーをベースに襟や袖、肩口にマットブラックをあしらったデザイン。男子は無論パンツだが女子はパンツとタイトミニが選べる。イオは下肢装具を隠す気がないので、選ぶのはもちろん可愛い方。因みに失くした杖は艦の備品だ。

 その部屋は艦の中で一番広い多目的ホールとなっており、壇上には大型ディスプレイとマイクが一体となった操作パネルを備える。

 だが、壇上に立つ女傑の声はマイクが要らないほど大きい。ミハル・クライトン作戦統制官・副艦長は、冷ややかな表情で一同を見渡す。私語をする者は誰も居ない。


「昨日、東京湾は横浜市磯子区付近に降下した五百メートル級メタストラクチャーは一課第三テーセウスが対応するも突然沈黙。本日早朝に再び活動を開始した。川崎区付近から上陸後、現在は『トーキョーエリア』に入り、品川方面に向けて時速約十キロメートル程度を維持しながら移動中とのこと」


 一息吐き、特徴的な鎖付きの眼鏡を僅かに人差し指で持ち上げる。


「現在、一課第三テーセウスは所属ウィングガンの三機中二機が稼働不能に陥ったため、本日一課第五が代行出動し、これに対応する。ヘパイストス演算思考体が予測するメタスクイドは四体。これは昨日の一課第三との交戦で半数以下に減らされた結果である」


 昨日の災難から一夜明けたイオだったが、メタストラクチャー対応の任が下っていた。出向二日目にして初出動。イオは自らを奮い立たせる。


 ――― 実機シミュレーションは他人の三倍やった。異重力分析官の仕事はアンチグラヴィテッドの調律、異重力知覚をガンナーと共有するだけ。実際に撃つのはガンナーだ。


 繊細さに欠ける分、一度腹を括ると豪胆なイオ。それにも増して昨日のことを思い出すと、腹の虫が収まらない。


 ――― 転ぶ、落ちる、失くす、辱められる。ハレの日が台無し。ほんっと腹たつぅ……


 溺水事故から救われたことは有り難く思っている。だが、他の選択肢もあったはず。その引っかかりが、理不尽にもイオの機嫌を損ねている。


 ——— 別に、人工呼吸の方が良かったワケじゃ、ないけどさ……




 ブリーフィング終了後、エリックはイオに改めてウィングガンチームに紹介する。昨日ヘパイストスクルーには一通り挨拶を済ませていたが、ガンナー達は出動後の神経メンテナンスの真っ最中で、要は不在だったのだ。


「ええっと、はじめまして。イオ・ミナミです。異重力分析官としてイ重研から出向となりました。よろしくお願いします」


 ぺこりと頭を下げ、一端の社会人らしく型通りの自己紹介。そして改めて見るウィングガンチームの女性陣は壮観だった。


「アタシ、ニュクス。ニュクス・ジョーンズ。デカいけど怖がらないでね」


 ニュクス異重力分析官、二十七歳。ブロンドの巻き毛に褐色の肌、筋肉質でグラマラス。確かに大柄な体躯は相対的にエリックを貧弱に見せている。


「あら、はじめまして。セリ・トドロキよ。ヒトをよろしくね」


 続くガンナーのセリ、十九歳。ストレートの長い髪に透き通るような白い肌。整った顔立ちに切れ長の目。雑誌のモデルのように長身で、明らかにこの場で浮いている。


「よろしくね、イオ。わたし、リコ・カシワギ」


 同じくガンナーのリコ、十五歳。ショートウルフの短い髪にくりっとした大きな瞳。イオより低い背丈と、舌足らずなおっとり口調が一々可愛いらしい。

 二人の少女は共に瞳も髪も淡いブラウン。角が丸い三角形のNDポートも揃って額に設置され、前髪を短く切り揃えているからよく見える。その時、イオの脳裏に既視感。


 ――― んん? この子達、たしか何処かで……


 すると、リコが紹介を終えた直後、背後から大きく野太いかけ声。


「L・O・V・E ! らっぶりいーっ、リッコチャアアアーンっ!」


 ――― は?


 振り向くと、壇上近くに陣取っていた男性二名と女性一名。昨日に紹介を済ませていたヘパイストスのブリッジクルーだ。


「お前さあ、恥ずかしいからそういうの止めろよ、どこで覚えたんだよ」

「エッ、ニホンの自己紹介のお約束じゃナイノ? 地下劇場のお友達だヨっ!」

「エドのアイドルだもんね、リコちゃん大迷惑だけどぉ」


 呆れているのは一見バンドマン風のおじさん、テルツグ・ヒライ機関統制官。野太いかけ声の主はアフリカ系アメリカ人、エド・ブルーワー兵装統制官。くすくす笑っているお嬢様風ミディアムヘアの女性、アレサ・ケイ哨戒管理官。

 因みに当のリコは眉をハの字にして困惑中。


 ――― 私、大変な職場に来てしまったのでは……


 と、一抹の不満を覚えるものの、気を取り直してウィングガンチームに向き直る。チームは既にガンナースーツを着用しているが、イオが研修時に着た分厚く重いそれとは異なり、薄くタイトで軽そうな最新モデルだ。

 白地に淡灰のツートン。右二の腕と左腿の白い部分にそれぞれ機体ストライプが入っている。リコとニュクスは淡灰&黄緑、エリックとセリは淡灰&青だ。


「あの、ところで、私のパートナーって、どなた、でしょう?」


 そう口にした時、大柄なニュクスの影に隠れていた人物に気がついた。


「それと、彼がヒト。ウチのエース」


 エリックが手招きをすると、その人物はイオを一瞥した。但し、無言。


「えっと、キミは……」

 

 三人目のガンナーのヒト・クロガネ、十七歳。スーツの機体ストライプは淡灰&黄色。憮然とした態度で視線を合わさない…… と言うよりも上の空。イオに関心を示す様子はない。


「ミナミ分析官は、ヒトのパートナーとしてウィングガン二号機に搭乗すること」


 横から現れた鬼軍曹、ぴしゃりと冷たく言い放つ。


「……は? え?」


 驚きのあまり瞬きを忘れる。目の前の少年こそ落水事故から救い、『ある不都合』を晒した張本人だからだ。もちろんクライトンは昨日の出来事など知る由もない。


「ほ、ほんと? って、えぇ…… なんで? なんでっ!」


 ウィングガン操縦士、WINGS—— 超越構造体と戦うために造られた存在。

 イオはこの日、教科書の中でしか知らない『兵器の子ら』と出会った。

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