01-3 初出動。そして

 ――― ええい、成るようになるっ、私は異重力分析官なんだからっ!


 イオは出動準備のため、ヘパイストス3Fの女子ロッカールームに向かった。真新しいアイボリーのパネルで統一された内装は一昨年に改装したもの。更新されなかった手摺りやドアノブなども多く、ロッカールームも同様に小傷や汚れが少なくない。

 ロッカーを開けると、保護フィルムで覆われた新品のスーツ。包装を解くと、反慣性繊維の匂いを和らげるハーブの香り。内布代りのバックウェアはコットン製だ。

 さっき着たばかりの制服を脱ぎ、イオ専用に成型されたスーツを合わせる。機体ストライプは淡灰&黄色。ヒトと組むと決まったのは、昨日今日の話ではないと物語る。


 ――― あれ、なんでこう…… ?


 と、スーツの『ある部分』に違和感を覚えるものの、今は無視を決め込むことにする。任務開始時刻は近く、少し慌てなければならない。

 着用手順は研修時のそれと変わらない。上からスーツを着るために軽量薄型を選んだので、右脚の装具は装着したままだ。決して横着がしたい訳ではない、とのこと。

 分析官用ヘッドセット、ガンナー専用の防護ジャケット、NDポートと接続する知覚プラグを確認。右手に杖、左手にヘッドセットを抱え、急いで格納庫へと向かった。


 伸長時二十メートルに届く航空砲撃機を最大五機搭載可能なヘパイストス格納庫は広大の一言に尽きる。焼けた油脂類の甘い匂いと乾燥した空気、待機状態にあるウィングガンの低いアイドリング音がその空間を満たしていた。

 ウィングガン搭乗橋へはヘパイストス3Fからアクセス。設計時はエアロックだった出入口を抜け、格納庫に入ると整備ハンガーに吊り下がったウィングガンが列ぶ。手前から一号機、二号機、三号機の順だ。

 壁沿いの通路を渡って二号機に辿り着くと、T型の機体上面に盛り上がった台形コクピット、その上に鎮座する複合レーザー式メインカメラが見える。コクピットに窓は無く、カメラ後方に備えられたハッチゲートに搭乗橋が伸びている。


 ――― やっぱり訓練機より大きいよね、このロブスター。


 メタスクイドとの比較では小さく見えたが、搭乗橋から見る航空砲撃機も十分に巨大だ。機体の八割を覆う積層装甲には対光学兵器反射素材を含有する特殊塗装が施され、カーボンで汚れた機関部分と相まって、まるでスポーツバイクのカウリングのよう。その見かけを助長するカラーリングは、超越構造体が視覚を持たないため、各運用組織の裁量に任されている。


「あ、ええと、その……」


 ヒトはウィングガン二号機の搭乗橋前で、ぽつんと独り待っていた。視線を宙に泳がせながら、特に待たされて苛立った様子はない。

 先に声掛けしないと不味いと思い、先ずは謝罪の言葉を口にする。


「あの、遅くなって、ごめんなさい」

「時間がかかるのは、了解している」


 彼はイオの右脚のことを言っているのだ。

 不承不承ながら、イオは昨日の出来事を切り出した。


「それで、昨日はその、助けてくれてありが

「先輩の忠告は、聞くべきだよ」


 言葉を遮り、素っ気ない言葉。すぐさま踵を返し、ヒトは搭乗橋へ足を向けた。

 アルミ製の橋を踏む一人分の乾いた音。


 ――― こ、この子、可愛くねえぇ………


 絶句。額に青筋のイオ、幸先が思いやられる。




***




 ヘパイストスに限らず、超研対の出動編成は原則として三機中一機のウィングガンが待機に回る。今回は三号機のリコ・ニュクス組が待機だ。

 一号機のセリ・エリック組に続き、二号機のヒト・イオ組が上部開閉口へ向かう。ふわりと機体を浮き上がらせ、そのまま浮遊して艦外へと出て行く。

 減り張りがない定速飛行は重力制御推進ならではの挙動だ。イ重力制御エンジンの出力は抑えられ、先端に発生する光輪も小さい。


 ――― この子、発艦する時も一言もなしなの?


 とにかくヒトは寡黙だ。後席に座るイオとは先から一言も口を利いていない。ただメインモニタに映し出された計器表示に集中している。

 ヒトは機体をロール方向に一度だけ揺らし、イ重力制御エンジンの正常起動を確認。続いて加速スラスターのスロットルを煽る。直後、コクピットは荒々しい咆哮と振動に包まれた。

 慣性制御で抑えられているが決して弱くない加速Gと、コクピット全体を大きく揺さぶる振動を感じながら、イオは訓練機とは違う『本物のウィングガン』を体感した。


 イオは目的地に到着するまで仕事がない。改めてコクピットの観察を始める。

 二号機のコクピットはイオが知る訓練機と大きく変わらない。ガンナーが座る前席に対し、補器類を挟んで後席は一段高い位置に備えられ、前席を見下ろす格好となる。

 コクピット全体の使用感は若干くたびれた印象で、内装のパネルには小傷や緩いチリ合わせが目立つ。一方、コクピット先端から天井まで全天を覆うメインモニタは、最新の製品にアップデートされており、高精細かつクリアだ。 

 前席シートの両脇にマニュアルモード用の操縦桿とガングリップ、同じく左右に振り分けられたタッチディスプレイはほぼ同じものが見える。

 対して後席には異重力マップボードとタッチディスプレイ。その二つは取り付け位置が補器類の後端に変更されている。訓練機では後席のシート横にアームを介して取り付けられていたもので、右脚に不自由を抱えるイオには乗り降りが容易になっていた。

 他に、シートの右肩に黄色いストラップがぶら下げられている。エド兵装統制官が杖を固定する為に付けてくれたものだろう。


 ――― 艦の人はいい人ばかりだ……


 と、ほっこりした気分。但し、目の前に座る朴念仁を除いては。

 イオがあれこれ観察しているうちに、機体は攻撃開始地点に到達。それでもヒトの口は開くことなく、演算思考体へピイATiの平坦な合成音声だけがコクピットに流れる。


《ウィングガン管制システムはヘパイストス演算思考体からガンナーに動作優先権移行、神経接続開始、知覚共有システム起動、プラズマ砲セーフティ解除承認、アンチグラヴィテッド専用電磁投射砲冷却開始……》


 そして、電磁投射砲の反対側、コクピット左後側の専用ケースに収納された『思考装甲』を後方に射出。六つのプレート状の物体がウィングガンを取り囲むように展開した。

 思考装甲とは、機体の周囲を高速旋回しながら護衛する六枚一組のドローン。収納時は折り畳まれ、開くと六角形の装甲となる『自律する盾』だ。

 ピー音と共にコクピット内の全モニタの基調色がブルーからアンバーに切り変わり、ウィングガンは超越構造体ことメタストラクチャーへの攻撃態勢が整った。

 NDポートを介してガンナーと知覚共有が開始されたその時、イオは右腕に身に覚えがない感覚に見舞われる。ざらっとした感触とひりひりする熱。


 ――― なんだろう? この痛痒い感じ……


 研修中、教官相手に知覚共有を何度も経験しているが、分析官側が影響を受けるという話は聞いたことがない。システムの誤作動を疑うものの、これもまた無視を決め込んだ。



 コクピットから下方を覗くと、直下に見えるのはトーキョーエリアだ。再開発の痕跡も認められるが、かつての首都の面影は微塵もなく、寒々とした荒野が広がっている。

 それは人類史上初の大規模ATi暴走事件『トーキョーロスト』の被害地域で、範囲は千代田区を中心に半径およそ十キロメートルに及ぶ。

 事件当時、首都移転計画の途上だったことを割り引いても再開発は振るわず、その忌まわしい記憶から二十年が経過した現在でもほとんど人が住まない。

 言わば『失われた土地』だ。


「遠目で見ると、でっかいタワシ」


 もちろんイオの乏しいボキャブラリーによる比喩だ。

 荒れ果てた元首都に佇む五百メートル級メタストラクチャーの姿を確認する。恐らく高さは百メートルを超え、その大質量はちょっとした『山』だ。

 多様な連結機構を介して時計仕掛けのように作動する『骨』を繰り動かし、硬質な稼動音と地響きを伴いながら漆黒の巨体を前に押し進めている。

 その姿はまるでキネティックアートのよう。但しそれは『人をも喰らう』存在であり、芸術作品の静的情動とはかけ離れた動的恐怖に満ち溢れている。

 加えて、彼らの保守防衛装置ことメタスクイドが、主人の周囲約二キロメートル圏内を付き従うように周回している姿が見える。

 直線的で鋭利な楔型の形状、鱗のように体表を覆う横長六角形のパターン。後方に生え出る六本の遠隔攻撃触手を振り動かす姿は、人工的でも生物的でもある。

 双方共にIVシールド特有の現象—— 水面の映り込みのようにゆらゆらと時空が歪んで見える『像の揺らぎ』は健在だ。


 フォワードが二号機ヒト・イオ組、アシストは一号機セリ・エリック組。メタストラクチャー勢力圏内への侵入角度、速度、開始タイミングなど、へピイATiが提案する作戦プランに沿って行動を開始する。

 イ重力制御エンジンが奏でる低い稼動音、加速スラスターの断続的な爆音を織り交ぜ、メタストラクチャー勢力圏内に突入した。


 ヒトが駆るウィングガン二号機は時速およそ八百キロメートルを維持。進行軌道を変えないまま縦横無尽にロール方向に回転、三百六十度の全周囲にプラズマ砲の閃光を放つ。その特異なマニューバは既存の航空力学に捉われない重力制御の為せる技だ。

 轟々と大気を焦がす燃焼音。高速飛行中のため緩い放物線を描く光の弾道。

 ヒトは機体を急旋回させ減速、下方から接近する漆黒の魔獣に向けプラズマ砲一射。異重力収束点を貫かれ、粉々に砕け散る保守防衛装置がメインモニタに映し出される。


 磁界殻密封型プラズマ砲――― 高密度プラズマを磁界殻と呼ばれる粒子容器に封入し、連射速度毎分五千発の超高熱弾が対象を破壊する。有効射程約千二百メートル、収束点狙撃を可能とする最大知覚距離約六百メートルをフォローする対メタスクイド専用熱破壊兵器だ。


 次にヒトは二号機をメタストラクチャー目がけて舵を切る。衝突間際で機体をぐるりと転身、加速スラスターを全開にして急上昇。直下に追い縋るメタスクイドを背面カメラで捉え、毒蛇の群れのごとき銛状触手を巧みなロール回転で全て躱した。

 さらに錐揉み旋回、横薙ぎのプラズマ光弾が着弾。その身を砕かれ絶命する魔獣を尻目に、ヒトは一号機の位置を確認する。そして再び加速を開始した。


「えっ、凄い……」


 視界同期ゴーグルを通じて見るヒトの戦闘センスにはただ驚くしかない。


 ――― そう言えば「ウチのエース」って言ってたっけ。


 あまりに事無さげに仕事をこなす様子は、まるでプロゲーマーのデモプレイのよう。ヒトは彼らの銛状触手による攻撃を一切寄せつけず、既に二体を撃破した。保険の思考装甲はまだ一枚も失っていない。

 もちろん一号機のセリ・エリック組も負けていない。一体を撃破し、二体目を追尾中だ。


 メタスクイドは収束点狙撃で直接撃破可能だが、アンチグラヴィテッドの使用は強力な自己再建能力を持つメタストラクチャーに限られる。

『盾に空いた穴』こと異重力収束点はIVシールド外周を定移動しており、周回して移動コースと速度を観測、垂直入射が可能な軌道を探る必要がある。即ちそれが狙撃軌道だ。

 へピイATiのメタスクイド出現予測は必中ではなく、常に想定外に備えなければならない。だが、ヒトにそれを警戒する様子はなく、機体の姿勢を数度修正しただけであっさりと狙撃軌道を確立、ウィングガン二号機を固定した。

《Get in Sniper Orbit》のテロップがメインモニタ下端に流れる。


「イオ、アンチグラヴィテッド、狙撃シーケンスに入る」


 この日、二号機に搭乗して初めてヒトから出た言葉だ。


 ――― やっと? 言われなくても分かってるよっ!


 そう心の中で呟きながら、手前に異重力マップボードを引き寄せる。

 IVシールドは個体別に異重力変動パターンが異なるため、異重力位相変換弾頭の『調律』を行なわなければならない。調律は分析官の異重力知覚を以って観測、マップボード上に現れる基本マップの各パラメータ値に修正を加えて完了する。

 つまり、IVシールドを消失させるアンチグラヴィテッド狙撃は、『知覚共有による収束点観測』と『ガンナーによる精密狙撃』、そして『分析官による弾頭調律』、この三条件が揃わなければ、成り立たない手段なのだ。

 異重力マッピングはイオの得意科目だ。ヒトの才能に感化されてか、異重力知覚に見えるまま感じるままに小気味良く各パラメータを埋めていく。

 一号機のセリ・エリック組が最後のメタスクイドを撃破し、遂に狙撃の邪魔は居なくなる。同時に異重力マップデータも完成した。


「アンチグラヴィテッド調律完了っ!」


 イオの返事を聞くほぼ同時、ヒトは電磁投射砲に異重力位相変換弾頭を装填した。

 大質量の金属が噛み合う音。ヴン……と微振動がコクピットを包み込む。マグネトロンキャパシタが始動した合図だ。続いて手元のタッチディスプレイからセーフティ解除。

 ジリジリと電磁投射砲の砲身が帯電する。ヒトは呼吸を止め、視界に介入するターゲットポインタに集中する。IVシールドの前では誘導兵器は役に立たない。誤差一%未満の垂直入射を可能とするには、共有された異重力知覚と『造られた子ども達』の腕に掛かっている。

 黙ったままトリガーを引く。

 甲高い擦過音と共に発射されたアンチグラヴィテッドは、歪みのない一直線の軌跡を描きながら異重力収束点に着弾した。


 鈍く低い金属の打突音。

 だが、『像の揺らぎ』はいつまで経っても収まらない。


「え……」


 収束点狙撃は成功するも、IVシールドは消失せず。

 事態が掴めず、イオは混乱するしかない。


「え……え? なんで、意味分かんないっ、当たったよね? ねえっ!」


 必死の訴えにも関わらず、二号機コクピットのモニタサインが《Forward》から《Assist》に切り替わった。続いて、メインモニタ下端に青い通信アイコンがポップアップ。


『こっちでなんとかする』


 一号機を模したアイコンから続くエリックの言葉は、まるで結果を予測していたかのよう。つまり、イオの調律には何らかの入力ミスがあったのだ。

 セリ・エリック組は二号機が確立した狙撃軌道に乗り、再びアンチグラヴィテッド狙撃シーケンスを開始。そして、容易く狙撃は成功した。

 IVシールドは着弾点からゆっくりと消失を始め、報を受けたヘパイストスは一発の『対メタストラクチャー限定出力可変核弾頭』を艦後部のミサイルスロットより発射する。

 轟音と共に放物線を描く白い軌跡は強大な熱火球を生み、怒号の大爆音と共に彼らは構造崩壊を起こして消滅した。


「な、なんで………」


 メインモニタに映る一部始終を、ただただ茫然と見届けるイオ。


『イオ、いいこと教えてあげる。一発一億円なの、アンチグラヴィテッド』


 再びポップアップする青いウィングガンのアイコン、得意げなセリの通信が入る。声だけ聞けば惚れ惚れするその内容は、過酷な現実そのものだ。


「い、い、い、いっぱつ、いちおくえん……」


 イオは無駄にした異重力位相変換弾頭のお値段を復唱する。


「二号機ヒト、作戦終了により帰艦します」


 ヒトは短く通信を入れると、ヘパイストスへと機首を向けた。




***




 ヘパイストス帰艦後のブリーフィングルーム。


「なるほどぉ、だから三年かかる訳ね」

「ちょっとセリっ! アタシだって二年かかったよっ」


 セリは美しい顔そのままに、痛烈な皮肉を口にする。

 ニュクスは気を遣ってセリを咎める。


「えっと、えと、こんな時のための、税金……だよね?」

「フォローになってないよ、リコちゃん。僕たち一応準公務員なんだから……」


 リコはもじもじしながら無理やり何か言う。

 エリックはちりちり髪の頭を掻き、視線を宙に泳がせる。

 ヒトは特に何も言わず、そそくさとブリーフィングルーム退出——

 目一杯居た堪れない空気、針の筵のイオ。

 さらにはクライトン副艦長から『損失報告書』の提出を仰せつかった。


「当たり前でしょって、赴任二日目にして、そ、そ、損失報告書って……」


 夜も更け、自室で泣く泣く損失報告書を書く。前職では書く機会がなかったからスラスラと進む訳がない。いつしか疲れてデスクに突っ伏し、そのまま眠りに落ちた。

「IO MINAMI」と書かれた黄色い付箋―― 即席の名札が貼られた部屋。その前にヒトが現れる。昨日に続き、頭からずぶ濡れだ。

 彼はドアに「IO」と刻まれた杖をドアにそっと立て掛けると、踵を返した。

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