10-3 アストレア

「ぎいぃーやぁあああああああああっっ!」


 帰艦後、血まみれのイオを見たアレサが卒倒した。今メディカルルームは混んでいると聞き、後回しにした結果だ。


「ミナミ分析官、あなたは本当に女の子なのか?」


 クライトンの一言にぐうの音も出ない。こっ酷く叱られた後、ヒトに付き添われてメディカルルームへと向かった。


 ――― 失礼だなぁ、女の子以外に何だってと言うの。まさかおっさんとでも?


 その通りだから仕方がない。

 治療はリウ医療管理官がリコに付きっきりのため、医療ロボットが代行する。

 イオのニューメディカは〔三番目のイレヴン〕の擬態だが、ナノマシンの治療能力は限定的で、大きな裂傷には不向きだ。但し、鎮痛機能はよく効き、先の無頓着さもこれに依る。

 医療ロボットは高さ二メートル、幅三十センチくらいの四角柱で白い筐体を持ち、普段はメディカルルームの隅にコンパクトに纏められている。起動すると四角柱の一面が開き、数本のアームがATiの指示に沿って治療する。

 五体あった医療ロボットは全て出払っており、ようやくイオに割り当てられたのは一時間ほど待たされた後だった。


 ——— ああ、随分とやられてしまったんだな……


 ヘパイストスも被弾して負傷者が出たため、メディカルルームに蛇腹カーテンの仕切りが増え、随分と狭くなっている。イオはその一画で細長い施術用チェアに横たわっていた。


 ——— 六歳年下にしのごの言っても始まらない、か。


 ヒトが居るにも拘らず、血だらけになったガンナースーツを脱ぐ。バックウェアは下着のようなものだったが、やむを得ないと居直った。イオは一時的に彼を遠ざけたかったが、それを『拒絶』と誤解されたくなかったため、何らかのポーズが必要と考えたからだ。


「リコの方、気になるんでしょ。あっちの方が大怪我だもん」


 ロボットが傷口の消毒中、頃合いを見計らう。あの無愛想なヒトが、目に見えて逡巡している。彼は責任を感じているからこそ、この場を離れられない。よく見ると顔色もすこぶる悪い。

 イオが三号機撃墜を知ったのは帰艦後のことだ。リコは怪我は左腕と左足首を骨折、いくつかの挫創と火傷。着水の衝撃でガンナープラグが千切れ、NDポートが破損。命に別状はなく意識もはっきりしているが、NDポートは深刻でヨコスカ基地に戻らなければガンナーとしての復帰は叶わない。

 待ち時間の間、カード端末でリコの治療情報を共有サーバから取得をしていた。手術室の方をチラ見した時には、セリとニュクスが治療の終了を待つ姿も目撃している。


「ほら、私のは『自爆』なんだから。さっさと行ってきなさいよ」

「ごめん」


 ヒトは一言だけ口にすると、カーテンの外へ出て行った。

 彼を一時的に遠去けたかった理由。それはイオ自身が三号機撃墜に気づかなかったことが釈然とせず、気不味さを感じていたからだ。


 ――― ああ、私、色々酷いことを言ったような気がするなあ。


 無我夢中だったから覚えていない。そういうことにしておきたいイオだった。

 結果として、アストレアがシュペール・ラグナを追い払って事態は好転した。神経接続の過剰負荷—— あのまま暴走を続けていれば、ヒト自身の肉体に甚大な影響が及んだ可能性がある。だが、イオ自身も三号機撃墜に気づいていれば、同じくパニックに陥って彼を止められなかったかもしれない。そう考えて身震いをしているのだ。


 ――― それにしても、ヒトは益々顔色が悪くなってない? それにあの時、降ってきた血はなに? もしかしてリミッターをバイパスした影響?


 その時、カーテンの向こうでセリとニュクスの声が上がる。リコの治療の終了したのだ。胸を撫で下ろす反面、ヒトがこの場に居ないことに僅かな苛立ちを覚える。


 ――― 自分で追い出しておいて、何を考えているの?


 つい首を傾げてしまい、医療ロボットの警告音が鳴る。パネルには赤々と『Don't move, please』の表示。まるで、イオの身勝手を咎めるかのように。




***



 アルヴィーは一糸纏わぬ姿だ。だが、その表現は間違いとも言える。赤く長かった髪は黄金の輝きへと変貌を遂げ、その身体を包むように纏わりついている。規則性を保ちながら揺らめき、まるで金糸で編んだドレスのよう。だが、隙間から覗く左腕と両脚は人のそれではない。


「あの、ごめんなさい…… 服を、貸していただけないかしら?」


 ヘパイストスの搭乗口に姿を現した時、アルヴィーが開口一番に口にした言葉だ。一番に出迎えたエリックは、再会の喜びもつかの間、驚きの声を上げる。


「え…… そ、その身体は?」


 エリックは一先ず自分のジャケットを脱いで手渡した。アルヴィーの左腕は二の腕まで、右脚は膝下、左脚は腿の中辺りまでが金色の糸—— 接続触手の集積でできていた。

 アルヴィーは背伸びをしてエリックの顔を覗き込む。研究室時代からの癖で当時は目が極端に悪かったからだが、今は眼鏡をかけていない。


「驚かないわけないよね。私、一度は彼らに取り込まれちゃったの」


 表情一つ変えず、しれっと大変なことを言う。


「ええっ、と、取り込まれたって……?」

「彼らにね、メタビーイング。再生が間に合わなかった」


 エリックの愕然とした顔を眺めながら、ふふっと笑うアルヴィー。手渡されたジャケットを急いで着る気がないのは、二人が婚約する仲だからだ。


「今更だけど、降りろって言ったのは、この姿を見られたくなかったから」


 アルヴィーは不満げに口を尖らせると、彼に背を向けてジャケットに袖を通す。直前、纏りつく金色が自発的に身体から離れたように見えた。


「ご、ごめん……」


 再びエリックに向くアルヴィー、その口から出た言葉はとびきりの意地悪。


「そうやって乙女心を解せないから、いつまで経っても私に拘っちゃう」

「ええっ、そりゃ違うよっ! アルヴィー?」

「冗談よ、エリック。会えて嬉しいわ」


 困惑するエリックに彼女は戯けてみせ、二人は強く抱擁を交わす。アルヴィーは彼の胸の中で囁やくように呟いた。


「ずっとこうしていたいけど、時間がないから早くクルーを集めて欲しい」




***




 鏡を見ると、大きな絆創膏がほぼ左眉を隠している。


「我ながら酷い顔だ。嫁入り前の娘なのに……」


 柄にもない独り言。ダブスタが服を着て歩いている。

 メディカルルームのカーディガンとスリッパを借り、リコのベッドに顔を出す。カーテンを開けて踏み入れると、手前には蝉のようにリコにしがみつくセリ。リコを挟んで向かいに立つニュクス、そしてヒト。複雑な視線をイオに向ける。


「セリったら、わたし、もう平気だから……」


 リコはそう口にするが、イオの目にはどう見ても平気には見えない。ブランケットとセリの所為で首から下が確認できないが、顔と右手指以外は包帯が覆い尽くしている。その姿はまるで例の事件後のヒトのよう。NDポートの破損の酷さは額に巻かれた包帯からも見て取れる。

 リコの胸に顔を埋めて嫌々するセリ。そしてぼそっと呟いた。


「リコと…… ヒトを二人っきりにさせない作戦」

「んもうっ! セ……」


 と、怒って声を上げようとした時、イオの来訪に気がついた。


「あ、イオ、その顔、どうしたの?」


 タイミングを推し量っていた合間に先に声をかけられる。リコは目を見開いたが、傷に触って僅かに顔を顰めた。


「ええっ、ああ……これは、えーと、転んだっ!」


 そう返した瞬間、ヒトの片眉が吊り上がる。セリも振り向き、その端正な美貌を歪ませた。

 その時、ある予感が閃いた。イオは身体を右に大きく一歩移動。直後、両手を前に差し出したセリが勢いよくイオの左脇を通過した。ばさっと顔から蛇腹カーテンに突っ込んだセリ。


「ちょっとイオっ、なんで避けるのっ!」


 だが、セリは挫けない。今度は後ろに回ってイオを羽交い締めにした。どさくさ紛れにイオのうなじを目一杯、すぅーっと嗅ぐ。


「リ、リコちゃん、大変だったね。大丈夫…… じゃないよねえ」


 身体の自由を奪われ、困惑しつつもリコへの言葉を口にする。くんくんとセリはまだ匂いを嗅いでいる。いたく満足げだ。


「ううん、見た目ほど、いたくないよ。ニューメディカ、がんばってるから」


 イオには彼女が強がっているようにしか見えない。次に何と言おうかと考えを巡らせていると、背後のセリが口を開いた。


「さあて、イオも来たことだし、我々も撤収しようニュクス」


 言い終えると、イオを羽交い締めのまま後退を始める。


「へ? 私、今来たとこ、なんだけど?」

「ああ、そうね。ここから先は『王子様』と水入らずで」


 イオの訴えは無視。ニヤニヤと笑いながらセリに同調するニュクス。ヒトは難しい顔をしているが、押し黙ったままだ。


「えええっ、にゅ、ニュクスまでっ!」


 包帯の隙間を真っ赤にしたリコ、ぽんぽんと右の掌でブランケットを叩く。今の彼女にできる精一杯の抗議だ。


「また来るわ、リコ。王子様とごゆっくりぃ」

「あはは、ご、ごゆっくりぃ……」


 セリとニュクス、為すがまま引き摺られるイオ。ヒトを残してリコのベッドを後にした。

 羽交い締めを解いたセリがイオに向く。


「二人っきりにしちゃったら、中に入れなくなっちゃうから。ごめんね」


 彼女はイオのために時間稼ぎをしていた。ヒトと二人っきりになってしまえば、リコは気を張っていられないと踏んでいたのだ。

 ふうっと小さく溜息、セリは通路の真ん中にしゃがみこむ。


「んん…… ワタシも、もう無理。ニュクス、肩貸してくれない?」

「ああ、いいよ」


 ニュクスはそう返すと、彼女の膝裏に腕を差し入れ軽々と抱え上げる。セリの自称に合わせてお姫様抱っこだ。


「ニュクス、それはやり過ぎ」

「あはは、イオ、十四時にブリーフィングルーム集合だから」

「りょ、了解……」


 3F女性居住区まで降り、二人はセリの自室に入った。自室に戻ったイオが時計を見ると、まだ午前八時前。目覚ましを正午十二時にセットし、バックウェアのままベッドに倒れ込む。睡魔に襲われ、考える気力を失った。




***




 ヘパイストスのブリーフィングルームに残った二十二名のクルーと来客一名が集う。

 壇上にはイスが三脚用意され、左からクライトン副艦長、アンダーソン艦長、そして超研対一課第五の制服を着たアルヴィーが座っている。

 六人掛けの最前列には左からブリッジクルー三名、ニュクス、セリ、イオが右端。イオの後ろにはエリック、そして右側には壁を背にするヒト。以降は他が続き、リウ医療管理官と看護師一名にリコ他、負傷者四名はメディカルルームだ。

 アルヴィーの左手と足先が目立たないように、ルームの照明は落とされ、幾つか間接照明が壇上に点けられただけだ。

 イオはもちろんアルヴィーとも顔馴染みだ。再会の喜びを分かち合いたかったが、状況を考え我慢することを優先した。それはエリックも同じと考える。


「シュペール・ラグナ、〔一番目のイレヴン〕は私達の能力を正確に評価できているとすれば、再び襲撃を選択することは無いでしょう」


 アインカムを付けたアルヴィーは座ったまま語り始めた。


「恐らく別のプランを実行に移すはず。それはある『究極の目的』のためメタストラクチャー襲来拠点、超空間接続ゲートに向かうこと」


 一瞬、場を沈黙が満たす。誰も口を開いていないことを確認し、アルヴィーは続ける。


「私達に時間は無いけれど、あなた方には選択して貰わなければならないの」


 するとアルヴィーは、前列右端のイオに向いた。


「その前に、一旦セカンダリコアと共有するわ。イオ、くすぐったいけど我慢してね」

「え? う、うん……」


 イオが頷くと、アルヴィーの左掌から一本の金糸が伸び始める。呼応するのように、イオのブラウスの隙間から銀糸が一本だけ顔を出した。するすると伸びる髪のように細い糸。ナノマシンの集積が紡いだ〔三番目のイレヴン〕の接続触手だ。

 ふわふわと二メートル近い距離を漂って空中で交わり、両の糸が薄っすらと発光を始める。アルヴィーのプライマリコア、イオの中のセカンダリコアの共有が始まった。一瞬、イオは自らの身体に、小さな火が灯るような熱の感覚。


「先ずは今の私たち、一課第二アストレアがどういう存在か、お話ししますね」


 アルヴィーは薄暗いるルームをゆっくりと見渡す。聞こえたのは艦長の咳払いだけ。


「八年前、ここよりさらに南八十キロほど先、超研対一課第二のアストレアはメタストラクチャー対応で出動し、一体の暴走状態のメタスクイドの鹵獲に成功したの」


 淡々として、だが耳触りのいいアルヴィーの声質。


「そして当時、医療管理官としてアストレアに乗艦していた私、〔三番目のイレヴン〕はアストレアATiとハワード・コリンズ艦長とともに対話を試みた」


 ……… え、対話って、どうやって?

 ……… イカ野郎は独立した知性を持っているのか?

 ……… そもそも〔三番目のイレヴン〕とアストレアの関係は?


 僅かに起こるどよめき。構わず続ける。


「コリンズ艦長はある繋がりから、私の正体を知っていたの」


 アルヴィーは艦長に一瞥し、艦長は浅く頷く。構わない、という意思表示だ。


「だけど、その対話は結果的にアストレアクルーもろとも『融合』という事態を招いてしまった。今の私たちはアストレア艦本体にクルーとメタスクイド、〔三番目のイレヴン〕の存在が同時に重なりあった状態とも言えるの」


 再び静寂に包まれるブリーフィングルーム。


「その存在を維持したまま、量子状態まで分解されて混じりあった状態だから『融合』。その表現が適切とは言えないけれど、言葉としては一番近い」


 イオは黙ってアルヴィーと二人を繋ぐ接続触手を見つめている。

 隣に座るセリやニュクスも同様だ。


「つまり、あなた方の目の前にいる私は便宜上、アルヴィナ・ブレインズ個人を『窓』として形成しているけれど、アストレアクルーであり、メタスクイドでもある」


 アルヴィーはここまで告げると、一呼吸置いてクライトンに向いた。


「あなたのお父さんもここに居るけれど、『窓』は私に固定されているので、直接は会わせてあげられないの。ごめんなさいね、クライトンさん」


 クライトンはただ愕然とするしかなかった。アルヴィーとは軽い自己紹介をしただけだ。仮に父から親族を聞いていたとしても、姓が変わっているため直ぐ気づくとは思えない。イオの後ろに座るエリックもまた驚いている。だが、これはまだ序の口だ。


「でも、ここで立ち止まる訳にはいかない。ことの始まり。長い話になる」


 アルヴィーはそう口にすると、再び一同に向き直った。

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