【第四章】2. 余興

 あかりが顔を上げると、そこには、赤い花柄の着物姿に頭を日本髪に結った女の人が立っていた。白粉で化粧された顔は白く、閉じているのか開けているのか分からない細い狐目であかりを見下ろしている。

 ぽかんとした顔であかりが答えないでいると、何かを勘違いをしたようで、くいっと首を傾げた。


「あら、もしかして、前にどこかで会っているのかしら。

 ごめんなさいね、幽霊になってからすっかり物覚えが悪くなっちゃって」


 狐目の女は、つとあかりの背後に目を向けると、目を細めた。


「あら、あなたもどこかで見たような……」


「はじめまして。

 子供がここへ入り込んでしまったようで、挨拶もせず、お邪魔させて頂いてすみません」


 おじさんがやけにはっきりとした口調で答えた。


「あら、いいのよ。気にしないで。

 誰でも、いつでも上がっていいのよ。ここは、そういうところだから」


 狐目の女が首を傾げて笑うと、頭に刺した簪の飾りがしゃなりと音を立てて揺れた。


「ここは、だれのお家なの?」


 あかりが尋ねると、狐目の女は、立っているのも何だから、座っておしゃべりしましょう、と二人に手近な席を進めた。

 あかりとおじさんが空いていた座布団の上に座ると、狐目の女は、その斜め向かいに腰を下ろした。


「ここはね、元は女将さんが始めた宿屋さんだったの。

 そう、幽霊専門の宿屋さん。

 ここの女将さんはね、とんでもなく人の好いお方で、何ていうの、聞き上手って言うの、お客さんたち皆の話を一つ一つ些細な事から何でもよく聞いてくれるものだから、ここに泊まった客は皆、翌朝には、女将さんのことが大好きになっているのよ。

 お客も最初は一晩だけ泊まるつもりが、もう一晩、もう二晩……と続いていって、いつの間にか、こんなにたくさんの人たちが集まっちまったってわけさ」


 狐目の女は、そう言って腕を広げた。その先には、広間に集まるたくさんの幽霊たちがいる。

 そうさ、と突然、誰かが口を挟んできた。浴衣姿の男が濃い顔で、酒の入ったとっくりを片手にくいっと中身を飲み干した。


「わしが何で死んだかって?

 よくぞ聞いてくれた!」


「聞いてないわ」


「あれは、今日みたいな暑い夜だった……」


 狐目の女の突っ込みが聞こえなかったように、とっくり男が話を続けると、またか、と周囲から溜め息が漏れた。どうやらここにいる皆には、耳タコな話らしい。


「わしは、町の岡っ引きじゃった。

 毎日、毎日、町の平和を守るため、日夜働いておった」


 岡っ引きって何? とあかりが首を傾げると、傍で一緒に話を聞いていたおじさんが、昔の警察みたいなものだ、と教えてくれた。


「その日の晩、いつものようにわしが町を見回っておった時のことじゃ。

 月のない晩じゃった。真っ暗な夜道に、猫いっぴきおらん静かな夜でのぉ。

 いやーな風が吹いておった。そういう晩は、必ず何か事件が起こるんじゃ」


 なんだか難しそうな話が始まったぞ、とあかりが思った時、ふと視界に狐の面が飛び込んできた。一体今までどこにいたのだろう。


「そして、わしの鼻が事件の匂いをかぎ取った。何かが燃える匂いじゃ。

 見ると、一軒の屋敷から火の手が上がっておった。

 わしは、すぐに大声を上げて火消しを呼びに走ろうとした。

 じゃがそこで、何かが視界をよぎったのじゃ」


 狐の子は、とっくり男の背後から近づくと、ごそごそと後ろで何かをやっている。

あかりは何だろう、と首を伸ばして視ようとしたが、とっくり男の身体が右に左にと揺れているのでよく見えない。


「真っ暗闇の中、誰かが慌てて逃げていくのが見えた。

 わしは、こいつが火事を起こした犯人に違いないと、すぐに分かったね。

 わしの岡っ引きのとしての勘じゃ。

 火事場の傍にいる奴なんざ、ただの野次馬か、火事を起こした犯人しかおらんからな。

 野次馬なら、逃げる筈がない。だから、わしは、そいつを追い掛けた」


 とっくり男がすっくと立ちあがる。

 すると、何故か帯が緩んでおり、はらりと捲れた浴衣の間から、立派に飛び出た腹と真っ赤なフンドシが現れた。フンドシには天狗の顔が描かれている。

 とっくり男は、自分の武勇伝を話すことに夢中で、それに気付いていない。

 周囲からぷぷぷと笑い声が漏れた。


「わしは、普段からいざという時のために身体を鍛えておる。

 着やせして見えるたちじゃが、わしが脱いだらすごいぞお。

 まぁ、おなごのおる前で脱ぐような下賤なことはせんがな」


 ふはは、と自信満々に腹を突き出して笑うとっくり男。

 本当にすごい腹だ。とても犯人を捕まえられそうには見えない。

 あかりが目を丸くして驚いていると、とっくり男の後ろから狐の子が顔を出した。

 どうやら帯を緩めたのは、彼の仕業らしい。

 隣にいたおじさんも気付いたようで、困った顔であかりと目を合わせた。



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