【第五章】4. あかり、道に迷う。
あかりの脳裏に父と祖母、そしてまだ生まれて間もない弟の顔が浮かんだ。
このまま自分がここで死んでしまったら、本当に皆に二度と会えなくなる。
そんなことは嫌だと思った。
思ったから、女将さんのことは悲しかったけど、あかりは、床下を通って、屋敷の外へと出た。
外は、先程と変わらず雨が降っていたけれど、少し雨足が弱まっているように見えた。
遠くで雷鳴が鳴り響き、幽霊たちの叫び声が風に乗って聞こえてくる。
どうやら死に神たちは、ここの幽霊たちをあらかた狩り尽したのか、より多くの幽霊たちが集まる場所へと移動していったようだ。
そして、死に神たちが多くいる場所により多くの雨が降っているようだった。
あかりは、雨足の弱い方へと向かって走り出した。
改めて両手を見ると、自分の身体が透けて向こう側が見えるのがわかった。
雨に濡れることがないのは幸いだったが、それだけ自分が死に近づいているということでもある。
ここへ来た道順は覚えていない。
ただ、狐の子が教えてくれた、自分の行きたいと思う場所を強く念じるだけでいい、という言葉だけを信じて、走り続けた。
でも、本当にこのまま逃げて良いのだろうか。
おじさんや、狐の子、女将さんたちを置いて、自分だけ逃げても良いのだろうか。
そして、何より、死に神に会って、お母さんの居場所を聞き出すのではなかったのか。
あかりの心の迷いは、目の前に続く道に現れた。
真っすぐだった道が突然、目の前で三又に別れている。
あかりは足を止めた。どのみちを選ぶのが正解なのだろうか。
左の道は、大きく左へ曲がっており、今来た道を戻っているように見える。
真ん中の道は、ずっと真っすぐ続いていて、ずっと先の方に小さな灯りが見える。
右の道は、くねくねと蛇行していて、雨足が強くなっているように見える。
「迷っているね」
突然、足元から声がした。
見ると、神社で会った黒猫だ。後ろ脚が一本欠けている。
「あたし、あたし……どうしたら…………」
黒猫は、ふんと鼻を鳴らした。
「そんなこと、うちの知ったこっちゃない。
あんたの道だ、あんたが決めるしかないんだよ」
突き放すような言い方だが、黒猫が本当はあかりを心配して、ここまで来てくれていることに、あかりは気が付いていた。
本当にどうでもいいと思っているなら、さっさと逃げて、こんなところにまで来る必要はないからだ。
あかりの脳裏に、横丁で出会った幽霊たちの顔が次から次へと浮かんでくる。
皆、あかりに優しくしてくれた。中には、怖い想いをした時もあったけれど、やっぱりこのまま放っておくことは、あかりにはできそうにない。
「あたし、死に神に会わなきゃ」
そう言ったあかりの表情からは、迷いが消えていた。
黒猫は、つまらなさそうにしっぽを揺らして背を向ける。
「あたい、人間は嫌いだよ。…………でも、あんたは嫌いじゃない」
それだけ言うと、黒猫は、暗闇の中に溶けて消えて行った。
あかりは、三又に別れた道の一本を迷うことなく選ぶと、駆け出した。
* * *
近所で娘が行きそうな場所は全て見て回ったが、どこにも娘の姿は見つからなかった。さすがに事は深刻だと思い直した雅弘は、そのまま近所の交番に駆け込んだ。
事情を話し、自宅で待つ母の元へも連絡を入れてもらった。電話の向こうから、卒倒しそうなほど動転した母の黄色い声が離れている雅弘の耳にまで聞こえて来た。
警察からは、娘がいなくなった時のことをあれこれと聞かれた。
娘の背や髪型、身体的な特徴から、いなくなった時の服装や、どこか行きそうなところに心当たりがないかなど、だ。
しかし、雅弘は、それらの質問に何一つ自分がはっきりと答えられないことに愕然とした。
(俺は一体、あの子の何を見て、何を知っていたんだ……)
幼稚園で受けた身体測定の結果を確認していたのは、いつも妻だった。
朝、娘の髪を結ってやって、その日に着る服を決めて着せてやるのも妻だ。今は、亡くなった妻の代わりに、それらを全て自分の母にさせている。
捜索は警察が行うので、お父さんは自宅へ戻って連絡を待ってください、と言われて交番を出た後も、雅弘の足は、一向に家へ向かう気にはなれなかった。
「一体、どこに行ったんだ……」
救いを求めるように向けた視線の先には、星一つない真っ暗な空が広がっている。遠くから雷鳴の音も聞こえて来た。雨が降りそうだ。
この真っ暗な空の下、娘が一人で泣いているのではないか、と思うと、雅弘は、胸が痛んだ。何故、自分は、娘の言うことを信じてやらなかったのだろう。今更後悔しても遅い。
雅弘は、娘は必ず見つかる、と自分に言い聞かせて、夜の町へと走り出した。
自宅では、雅弘の母が深夜ニュースを点けたまま、孫息子の徹を寝かしつけていた。
ニュースでは、ちょうど8歳になる息子を殺した、という男が逮捕されていた。その男は、それまでも息子に虐待をしていたらしい。
(なんて恐ろしい……)
子と孫を持つ身として他人事とは思えず、恐ろしいと思いながらもテレビから目が離せずにいた。
そして何より、行方不明となっている孫娘の安否が気がかりで、一人静かな部屋で待っているのも辛く、気を紛らわせるためにもテレビを消すことができない。
ごろごろと外で雷鳴の音が聞こえてきた。予報では、深夜過ぎから雨になるらしい。
ふと、どこかで似たような経験をしたような気がして、古い記憶の扉の先を探ってみた。
思い出せたのは、家出をした息子を探しに出かけた夫の後ろ姿。仕事から帰ってきたばかりで着替えもせず、帰ってこない息子を捜しに出かけたので、仕事着のままだった。まさかあれが夫を見る最後になるとは思いもしなかった。
(お願い、あなたの孫を、あの子を守ってやって……)
孫娘が無事である事をただ祈ることしかできない自分が情けなく、とても悔しかった。
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