【第五章】3. 半分だけの死
一度も死んだことのないあかりにとって、死ぬという事を実感することは難しい。何より、あかりには死んだ人の姿が見えるし、話をする事も出来るのだ。
「死ぬって、とても怖い事なんだよ。
ぼくは、ぼくは……そう、黒い大きな陰に、殺されたんだ!」
身体を震わせながら狐の子が叫んだ。あかりが驚いて振り向く。
「殺されたの? 一体、誰に?」
「わからない……でも、でも僕、とても怖かった。
何度もお父さん、お父さん、って助けを呼んだんだ」
「お父さんは、来てくれなかったの?」
「わからない……でも、でも僕、それで死んだんだ。
きっと、通り魔とかいうやつだよ。それか、誘拐されたのか……」
狐の子の身体から黒い負の気が満ちていく。
「ねえ、僕と一緒にここで暮らそう。ずっと一緒に、きっと楽しいよ」
あかりは、自分に差し伸べられた手に何故だかうすら寒いものを感じた。
その時、突然部屋の中が白く照らされた。真っ暗だった空が白く光り、大きな爆発音が鳴り響いた。雷だった。つい先程まで出ていた筈の白い月は、すっかり黒い雲に覆われて見えなくなっていた。
と同時に、真っ暗だった空から雨が降り始める。しんと静まり返った広間に、雨の音だけが鳴り響く。
誰かが言った。
「死に神が現れるところは、必ず雨が降るんだ……」
あかりがどういうことが聞こうとした時、再び空が白く光った。
すると、白い空の中に黒い人影がくっきりと浮かび上がる。鋭い鎌のようなものを手にしているのが見えた。
「し、死神だぁあ!」
その叫び声は、雷の轟音と重なって聞こえた。
その場にいた幽霊たちが一斉に方々へと逃げ出す。部屋の奥へと駆け込み、入口から逃げ出す者、縁側から飛び降りて逃げようとする者、部屋の一室に隠れてやり過ごそうとする者……しかし、黒い人影は一人ではなく、次から次へと現れて、彼らを狩っていく。
先程まで腹踊りをしてくれていたとっくり男も、あかりの前の前で、死に神の鎌によって身体を裂かれて消えてしまった。
あっけに取られて動けないでいるあかりの手を誰かが掴んだ。
「しっかりおし。お母さんに会いたいのでしょう。
ここで彼らに捕まったら、もう二度とお母さんにもお父さんにも会えなくなるのよ」
女将さんだった。優しい顔を一変させて、厳しい顔であかりに現実を突き付ける。
まだ茫然としているあかりの手を引き、隣の部屋へと連れて行く。
幾つか引き戸を開けた先に、小さな物置部屋があり、後ろ手で扉を閉めた。
部屋の中は、真っ暗で何も見えないが、幽霊の女将さんの身体だけが青白く光って見える。扉の向こう側でたくさんの叫び声が聞こえている。
あかりは、やっと我に返ると、自分がおじさんと狐の子を置いて逃げて来てしまったことに気が付いた。
「おじさん、狐くんも……みんなは」
慌てて閉じた扉にすがろうとしたあかりを遮り、女将は、今から言うことをよくお聞き、と言った。
「死に神は、生きている人間の魂を狩ることもできる。
特にお嬢さんは、もう半分こちら側の人間になりかけてる」
どういうことかあかりが尋ねるよりも前に、女将さんは、あかりの足元を見るように言った。真っ暗で見えない筈の自分の足が青白く光って見える。まるで目の前にいる女将さんのように。
「あたし、死んじゃったの?」
「半分ね。でも、今ならまだ間に合う。
夜が明けるまでに、この横丁から逃げるのよ。
ここは、幽霊たちの思念でできているのと同時に、生きている人間の生気も食らう場所でもあるの。
これ以上、この場所に留まり続けていたら、お嬢さんの身体も本当に死んでしまうのよ」
あまりに突然の話に、あかりの頭がついていかない。
自分が本当に死んでしまう?
そんなこと、本当の本当になるとは思っていなかったのだ。
女将さんは、部屋の床板を剥がすと、あかりにそこから外へ逃げるように言った。
「女将さんは」
やっとの思いで絞り出したあかりの声は、自分で思っていた以上に震えていた。
女将さんは、あかりを安心させるように笑って見せた。
「私はね、ここである人を待っていたの。ずっと。
でも、これだけ待ってもあの人には会えなかった。
ここは、心残りがあって死ぬに死にきれない魂だけが来られる場所。
きっとあの人にとって、私のことは、心に残しておくほどの存在ではなかったということなのかもしれない」
女将さんが悲しそうに俯く。
「だから、もうあの人は、死に神に連れて行かれたんだって思うことにした。
わかってはいたのだけど、諦めきれなかった。
せめて、この宿屋に私を頼りにしてきてくれるお客さんがいる限りは、がんばろうって。
幽霊になったら、時間の流れを感じなくなるものなのよね。
あなたに言われるまで、私も考えまいとしていたのよ」
でも、もう潮時ね、と女将さんは寂しそうに笑った。
「さあ、早く帰りなさい。あなたのことを待っている人たちのところへ」
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