【第四章】4. 涙

「嘘をつくなって? 嘘じゃないのに?

 酷い父親だね。そんな家、帰ることないじゃないか」


 口を挟んだ狐の子を女将がしっと口に手をやり黙らせた。

 おじさんは、何か難しい顔をしてじっと畳を見つめている。


「でも、消えちゃった。見えなくなっちゃった。

 それで、あたし……ここまでお母さんを捜しに来たの。

 ここになら、お母さんがいるかもって、それで……」


 あかりは、その質問を女将にするのが何故だか怖いと思った。

 この横丁のことなら何でも知っているという女将。

 もし、あかりの期待する答えが返ってこなかったら、そう思うと、次の言葉を口にするのがためらわれた。膝の上でぐっと小さく握られた拳が震えている。

 その手に、女将がそっと自分の手を乗せた。


「それは辛かったわね。

 こんなに小さいお嬢ちゃんが一人で、こんなところまで来て、大変だったでしょう。

 よくがんばったわね、えらいわ」


 女将の優しい手が、あかりの頭を撫ぜる。

 決して触れることはないその手が、あかりの心を優しく撫ぜてくれるようだ。


 あかりの目に涙が溢れた。喉の奥からこみあげてくる熱い波が堰を切ってあふれ出す。


 気が付くと、あかりは声を上げて泣いていた。それまで耐えてきた想いが一気に溢れ出して止まらない。

 誰もあかりを信じてくれようとはしなかったのだ。お父さんも、おばあちゃんも、友達も先生も、誰も本当のあかりを見てくれようとはしない。


 でも、お母さんだけは特別だった。いつでも、あかりの味方でいてくれた。そんなお母さんがずっと傍にいてくれたから、あかりは辛くても耐えられた。

 お母さんの姿が見えなくなった時、あかりの胸にぽっかりと穴が開いた気がした。お母さんを捜さなくちゃ、とそれだけを考えてここまでやって来た。


 一人で出かけたことなんて、今まで一度だってない。

 怖くて寂しくて、どれだけ心細かったか。

 何度も同じ質問をしては、期待した応えは得られず、黒猫の冷たい言葉に傷つきながらも、涙を堪えてここまで来たのは、全てお母さんにもう一度会うためだ。


「どうしたんだい、お嬢ちゃん」


「大丈夫? 迷子になったのかえ?」


 周りにいた他の幽霊たちがあかりの周りに集まってくる。

 狐の子とおじさんは、おろおろとした様子で、どうしてよいのかわからない。


「おい、その子供を黙らせろ。うるさいったらありゃしない!」


「どうして、その子は泣いてるの?」


「お母さぁ~ん、おかぁさぁ~ん……」


 泣き止まないあかりを見て、狐目の女は、扇を手に舞を踊って見せた。

とっくり男は、再び腹を出して踊り出す。三味線や小太鼓を持った演奏家たちは、踊りに合わせて楽しい音楽を奏でる。


 それでも、あかりは泣きやまない。


 次第に、周りにいた者達にも、あかりの悲しみが広がり、泣き出す者が現れた。お母さんを呼んで泣く小さな女の子を見て、その場にいた誰もが切なさに胸を痛めた。

女将も前垂れで目元を拭っている。


 すると、みんなの泣き声に驚いたあかりが顔を上げた。


「どうして、みんな泣いてるの?」


「お嬢ちゃんが可哀想でかわいそうで……」


「つい、もらい泣きしちゃったよ」


「辛いだろうに」


 涙の大合唱が始まった。演奏家たちは、悲しい旋律を奏ではじめる。


♪~

 死んだら終わりさ 何もかも

 会いたい人にも会えないし

 やりたいことも 何もない

 命あっての物種さ

 死んだら終わりさ 何もかも

~♪


「みんな泣かないで。もうあたし、泣かないから」


 ぐいっと涙を拭うと、今度は、あかりが皆を励まそうとした。


「それじゃあ、笑っておくれ。お嬢ちゃんの笑顔を見せておくれ。

 そうしたら、私達も笑える」


 皆がじっと見つめる中、あかりは、無理矢理笑って見せた。

 でも、それがあまりにも変な顔だったので、皆ぷっと吹き出した。


「なんだい、そりゃあ変な顔だねぇ!」


「それじゃ、ただの我慢大会だよ!」


 辺りにどっと笑いの渦が巻き起こる。

 狐目の女は、明るい舞を、とっくり男は、楽しい腹芸を踊る。

 演奏家たちは、楽しい曲を奏で、皆で歌いはじめた。


♪~

 死んだら終わりと言うけれど

 俺たちゃここに 生きている

 やりたいことも ないけれど

 命なくても なんとかなるさ

 死んだら終わりと 言わないで

~♪


狐の子も、音楽に合わせて箸で茶碗を叩いている。

怖い顔をしていたおじさんも、笑顔で手拍子を合わせる。

いつしかあかりも声を上げて笑っていた。

もう誰も泣いている人はいない。


しくしくしく……


そこへ、ただ一人泣いている女がいた。

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