【第三章】狐の子

【第三章】1. いたずら

 あかりが一人、とぼとぼと境内を歩いていると、大きな建物の前に出た。

 木造の階段を登った先には賽銭箱があり、拝殿できるようになっている。

 歩き疲れたあかりは、その階段の一段目に腰を下ろした。

 胸に下げたお守りを服の上からぎゅっと掴む。


 お母さんは、どうしてあかりを一人残して消えてしまったのだろう。

 黒猫の言うとおり、心残りがなくなったのだろうか。

 それとも、あかりよりも気になる大事なものがあったのだろうか。

 あかりには、分からない。

 ただはっきりしているのは、あかりは、まだお母さんにお別れを言っていないということだ。


(お母さんをさがさなきゃ……)


 そうは思うものの、足が疲れて動けそうにない。

 喉もカラカラだ。先程、水を飲み損ねた上に、走り回ったのだ。

 手水舎まで戻ろうかとも思ったが、先程の怖い思いをしたのが忘れられず、何となく近づきたくない。


(おじさんは、どこに行っちゃったのかな……)


 一緒にお母さんをさがしてくれると言ってくれた、優しいおじさんの顔を思い出す。

 あかりが顔を上げて、おじさんの姿が見えないかと探していると、少し離れた場所に、こちらをじっと見ている視線とぶつかった。


 浴衣を着て、狐のお面を被った男の子が立っている。あかりよりも少し背が高い。

 あかりは、先程のことがあったので、少し警戒をしながら身体を固くした。

 狐の子は、あかりが自分を見つけたことに気付くと、距離を置いたまま話しかけてきた。


「こんな所で何をしてるの。ここは、神様のいる場所だよ」


 喉が渇て……と、あかりがおずおず答えると、狐の子は、何を思ったのか、無言でぱっと踵を返すと、人混みの中へ消えてしまった。

 何だったのだろう、とあかりが不思議に思っていると、少しして、今度は、すぐ近くから声が聞こえた。


「はい、これあげる」


 あかりが驚いて顔を上げると、思ったより近くで、狐の子がジュースの缶を手にして立っていた。

 ジュースの缶には水滴がたくさんついていて、よく冷えていそうだ。

 あかりのために持ってきてくれたのだろうか。


 狐の子には、先程会った猿のような黒い影は見えない。

 あかりは、ごくりと唾を呑み込むと、狐の子からジュースを受け取った。


「ありがとう」


 あかりが缶のプルトップを開けると、ぷしゅーっと音を立ててジュースの中身が噴き出して、あかりの顔をびしょびしょに濡らした。


「きゃあーっ」


 突然のことに驚き、あかりが持っていたジュースから手を離すと、ジュース缶は、地面を転がりながら、中身を辺りにぶちまけた。


「あははははっ、やーい、引っかかった」


 狐の子は、お腹を抱えて笑っている。

 どうやら炭酸ジュースをわざと振っておいて、あかりに渡したようだ。

 あかりは、ラムネの味がする顔を服の袖で拭くと、怒って言った。


「ひどいっ、なんてことするの」


 それでも、狐の子は、笑い続けている。

 怒ったあかりがすっくと立ちあがると、狐の子は、笑いながら背中を向けて走り出した。

 あかりは、足が疲れていることも忘れて、狐の子を追い掛けた。


 人込みの僅かな隙間をするすると抜けて逃げて行く狐の子を追い掛けるのは大変だった。

 もう少しで見失いそうになるところを、あかりは四つん這いになって追い掛けた。


 走って追い掛けるよりもスピードは落ちるが、これなら他の幽霊たちに邪魔されず、狐の子だけを追い掛けることができる。

 やがて人込みを抜けて、狐の子が鳥居をくぐろうとした時、目の前に誰かが立ち塞がった。

 狐の子は、それを避けようとしたが、その誰かに首根っこを掴まれて持ち上げられる。


「な、何すんだよ。離せっ」


 あかりが追いついて見ると、なんとそこに居たのは、ベニだった。


「またお前か。懲りんやつだな、今度はどんないたずらをしたんだ、ん?」


 ベニが呆れた顔で狐の子の顔を覗き込むと、狐の子は、それには答えず、ぷいっと顔を背けた。


「見つかったのか」


 階段の下から軍服を着たおじさんが顔を出した。

 階段を登り切ってベニに近づくと、期待に満ちた目をベニに向ける。


 しかし、ベニが掴んでいる子の顔を見て、すぐに探していたものとは違うと分かり、肩を落とした。

 その様子があんまり可哀想で、あかりは、怒っていたことも忘れて、おじさんに駆け寄った。


「おじさん」


 おじさんがあかりの方を向く。

 その目が驚きに見開かれ、次の瞬間には、ほっとした安堵の表情へと変わる。


「ああ、良かった。君を捜していたんだよ。大丈夫だったかい」


 おじさんが自分を探してくれていたことに、あかりは嬉しくなった。

 と同時に、これまであった出来事を洗いざらい話していた。



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