【第二章】5. 黒猫
黒猫が目を細めて、あかりの胸元を見やる。
あかりは、お守りのことだと気付いて、胸元から紐を引っ張り出して見せた。
紐の先に小さな巾着が付いている。
「このお守りのこと? お母さんが作ってくれたの」
『あんたのオカンは、よほど強い霊力を持っとるんやな。
そんなもん持っとるんやったら、うちの出る幕はなかったやないか』
「そんなにすごいの? このお守り」
『うちが動けんよぉなったんやで。相当強力なもんや。
なんでこんな所に生きとる人間がおるんやと思ったんやけど……納得したわ。
あんたが無事でおられるんは、そのお守りのお陰やろうな』
あかりは、お守りをじっと見つめた。今は鈴の音も聞こえなければ、白い光も見えない。いつものお守りだ。そっと中を開けて見ると、中に小さな鈴が入っていた。
『はよぉ、そのオカンのところに帰りぃ。
ここは、あんたみたいな生きとる人間が来るとこやないで』
そう言って、お尻を見せて今にもどこかへ去ろうとする黒猫を、あかりは立ち上がって呼び止めた。
「あたし、お母さんをさがしているの」
その言葉に、黒猫がくるりと向きを変えて振り返る。
『なんや、迷子か。迷子なら、ケーサツに行き。
生きとる人間は、困った時、ケーサツっちゅうのが助けてくれるんやろ』
あかりは、少し言いにくそうに視線を泳がせると、あのね、と言葉を続けた。
「あたしのお母さんも死んじゃったんだって」
父も祖母も、母は死んだのだ、もう会えないのだ、と言ったが、あかりには、それがよくわからない。 何故なら、いつも自分の傍には母の姿があったからだ。
しかし、どうやら他の人の目に母の姿は見えていないようで、誰もあかりの言うことを信じてくれない。
「お母さん、ここにいるよ」
と言うと、ある者は哀れみの目を向け、ある者は気味悪がった。
あかりの父親は、目を赤くして怒鳴った。
「馬鹿な事を言うな! 母さんは、死んだんだよ。もういないんだ。
……いいね、寂しいからって、そんな嘘をつくんじゃない。
絶対に、もう言ってはいけないよ」
そう叱られてから、母の姿が見えることを口にするのはやめた。
それでも、母はあかりのすぐ傍にいたのだ。
「昨日まではね、お母さんいたんだよ。
いつもみたいに、あたしが寝るまで、絵本を読んでくれてたの。
それで、朝になったら、いなくなっちゃってた……」
黒猫は、黙ってあかりの言葉を聞いている。
「でもね、おじさんも、黒猫ちゃんも、ここにいるみんなも、死んじゃったんでしょう?
それなら、お母さんと同じだから、きっと見つかるよね」
あかりが期待の目で黒猫を見ると、黒猫は金色の目を細めて言った。
『ここにおるもんたちはな、皆何か現世に心残りがあって、あの世に行けんでおるんや。
お盆やっちゅうのに、こんなところで祭りをやっとるのもな、他に帰る場所がなかったり、忘れてしもうたりしとるからや』
提灯の灯りに照らされて、たくさんの幽霊たちが祭りを楽しんでいる。
櫓の周りには、たくさんの幽霊たちが輪になり、音楽に合わせて踊っている。
『あんたのオカンがあんたの傍から消えたんやったら、それは、心残りがなくなって成仏したか、もっと他に何か気にかかるもんがあって、そっちへ行ったか、のどちらかや。
……母親っちゅうんは、自分の子供が一番大事なもんやろ』
それだけ言うと黒猫は、さっと身を翻して、どこかへ消えてしまった。
***
雅弘は、同じマンションに住んでいる隣人たちの家々を訪ねて回った。
「夜分遅くにすみません」
遅い時間だと言うこともあり、驚いた顔をして自分を出迎えた隣人らに、雅弘は、娘が家からいなくなってしまったことを一軒一軒話して聞かせなくてはならなかった。
一本電話を掛ければ済む話だが、雅弘は、彼らの連絡先を知らない。
いつも隣人とのやり取りは、亡くなった妻の管轄だった。口下手で人付き合いの苦手な雅弘と違って、妻は、明るく社交的な性格をしていた。
そのお陰もあって、隣人付き合いは良好で、夜遅くに訪問したことを誰一人として責めることはしなかった。
むしろ、よく見知った隣人の娘さんを一緒に探そうと言いだしてくれる人も少なくなかった。
雅弘は、彼らの好意一つ一つに礼を述べて、まずは自分で思い当たるところを捜してみるので、と丁重に断った。そこまで大事にはしたくなかったからだ。
しかし、同じマンションに住んでいる隣人の内、思い当たる家は全て当たってみたが、結局、誰一人として娘の行方を知っている人はいなかった。
雅弘は、一度自宅へ戻ると、母に経過報告をした。
「どうしようどうしよう。
やっぱり警察に連絡した方がいいんじゃないかね?」
顔を真っ青にして今にも倒れそうな母とは対照的に、雅弘は落ち着いていた。
「もしかしたら、近所の公園へ行ったのかもしれない。
もう少し捜してからも遅くはないよ」
「あんた、そんな事言って……もし、あの子までいなくなっちゃたらどうするんだい!」
雅弘の妻は、つい最近亡くなったばかりだ。
母が心配するのも無理はない。
「それじゃあ、俺が近所を捜してみるから。
一時間経っても連絡がなければ、警察に……」
自分も探しにいく、と母が言い出した時、隣の部屋で眠っていた赤子が泣き出した。
不穏な空気を察したのかもしれなかった。
「母さんは、徹を頼む。
それに、あかりがここへ戻ってくるかもしれないだろう」
母は、雅弘の説得に、しぶしぶ了承し、夜の外へと出掛けて行く息子の背中を見送った。
何事もなければいい、すぐに見つかりますように、と祈りながら。
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