【第六章】4. 生きて

 死に神は、あっと言う間におじさんの目の前に来ると、その頭上目掛けて鎌を振りかざした。

 咄嗟にあかりは恐怖を忘れて、前へと足を踏み込んでいた。あかりの身体がおじさんの身体をするりと抜けて、死に神に向かい合う形になる。

 死に神は、それに気付くも、咄嗟のことで鎌を止めることが出来ない。あかりのすぐ目の前に鎌が迫り、あかりは思わずぎゅっと目を閉じた。


 ――りーーん……。


 その時、周囲を包み込むように鈴の音が鳴った。

 死に神の鎌が動きを止める。何かが邪魔をしているように先へ進むことができない。あかりの胸元が白く光っている。お母さんのお守りがあかりを守ってくれているのだ。


「そうか、お前は、あいつの……」


 死に神が何か呟いたが、鈴の音にかき消され、最後まで聞くことができなかった。


 ――りーん、りーん……。


 鈴の音が、その場の重苦しい空気を浄化するように鳴り響く。

 静寂を破ったのは、おじさんの苦し気な声だった。


「……逃げなさいっ」


 金縛りにあったように動くことができないおじさんが、それでも必死に声を絞り出す。

 あかりがはっと目を開けて、おじさんを振り返る。


「おじさんも一緒だよ」


 おじさんがそれに何か答えようとした時、遠くからバイクのエンジン音が聞こえてきた。

 それは徐々に大きくなると、すぐ傍まで来て止まる。


「早く乗れっ」


 ベニと、〈幽生団〉の仲間たちだった。バイクに乗って助けに来てくれたのだ。

 あかりがおじさんの手を取ると、不思議とおじさんの身体が動くようになる。ベニの後ろにあかりが、おじさんは、他の仲間のバイクの後ろに乗せてもらうと、一目散にその場を後にした。

 あかりが後ろを振り返ると、ずっと離れた場所で死に神がよろよろと動き出すのが見えた。追ってくるのも時間の問題だ。


「どうしてここがわかったの?」


 あかりが尋ねると、ベニは、にやっと笑った。


「お嬢ちゃんがピンチだって、教えてくれたやつがいたんだ。

 お嬢ちゃんは、一人じゃないってことさ」


 あかりは何となく、あの黒猫が伝えてくれたのではないかと思った。

 〈幽生団〉とあかりたちを乗せたバイクは、幽霊横丁をまっすぐ入口へと向かう。

 お母さんを訪ねて一軒一軒歩いて回ったお店が流れるように後ろへと過ぎ去って行く。

 まるで、映画を巻き戻しで再生しているようだ。

 安心したのも束の間、〈幽生団〉の一人が後方を見て叫んだ。


「死に神が追い掛けてくるぞぉ!」


 あかりが振り向くと、真っ暗な空に尚黒く蠢く集団が見える。

 死に神は一人ではなかった。

 何十人、何百人……と、数えることもできない数で押し寄せてくる。

 思わず声を上げそうになったあかりに、ベニが叫んだ。


「前だけ向いてろ。あんたは、生きなきゃだめだ。

 あたいらの分まで生きるんだよ」


 あかりは、答える代わりにぎゅっとベニの背中にしがみついた。

 バイクは、けたたましい音を立てて速度を上げていく。

 死に神は、すぐ背後まで迫ってきている。

 前方に、二対の大きな招き猫の石像が見えて来た。背中をこちらに向けている。

 あれを見た時がずっと昔のことのような気がする。

 そんなことを考えている内に、どんどん招き猫の背中が大きくなり、あっと言う間に、あかりたちを乗せたバイクは、招き猫の横を抜けて行った。

 それでもまだ死に神は追ってくる。

 何もない真っ暗な空間に白いビロード状の帯のような道が続いている。

 そこを〈幽生団〉たちのバイクが走り抜ける。

 背後から何人かの叫び声が聞こえてきた。

 死に神に魂を狩られたのだ。死に神がすぐそこまで迫ってきている。

 おじさんは大丈夫だろうか。

 あかりが後ろを振り返りかけた時、ベニが叫んだ。


「振り返るな。生きていたけりゃ、前だけ見てろ。

 帰りたい場所を心に強く想うんだ。まだ間に合う。

 あんたは、まだ生きてるんだから」


 あかりは、後を振り返りたくなる気持ちをぐっと堪えて前を見た。

 お母さん、と叫びたくなる心を抑えるように、服の上からお守りを握りしめた。

 あかりは、ずっとずっと考えていた。

 何故、自分にだけ死んだ人の姿が見えるのだろうか。

 何のために?


「君のお母さんは、君が生き続ける限り、君の中で生き続ける。

 私たちのことも……君が覚えていてくれる限り、決して消えることはないんだ」


 バイクのエンジン音に負けないよう、おじさんの叫ぶ声があかりの耳に届いた。

 それを肯定するかのように、あかりの胸の鈴がちりりと鳴った。

 死んだ人達が望むこと。

 それは、自分が生きているうちにやり残したことや、会いたい人に会うこと、再び生きたいことだったり……それらの気持ちを知ることが出来たのは、あかりが死んだ人の姿が見えて、話ができるからだ。

 あかりは、みんなと出逢えて、本当に良かったと思った。

 突然、バイクが止まると、ベニが言った。


「ここから先に、あたいたちは行けない」


 前方には、白く光る道が真っすぐ続いている。ずっと遠くに見覚えのある町の景色と、薄っすら明るくなりかけている空が見えた。

 もう時間がない。


「あいつらは、あたいたちが引き付ける。

 だから、あんたはここから一人で行くんだ」


 あかりはバイクを降りた。ベニの顔を見て、大きく頷いて見せる。


「逃げろーっ!」

「私達の分まで、生きて!」

「ちゃんと飯食えよー!」


 〈幽生団〉の人たちが叫ぶ声を後ろに聞きながら、あかりは逃げた。〈死〉から。

それが正しい事なのかどうか、迷いはあった。


 だが、本能で逃げ出していた。

 〈生〉に向かって。必死に生きようとした。

 あかりが必死で〈生〉にしがみつこうと走れば走る程、〈生〉は遠のいていった。真っ暗だった空間は、いつしか真っ白に変わり、道と溶けて上下すらわからない。どこを走っているのか、どこへ向かって走っているのか、前へ進んでいるのかもわからない。それでも、あかりは、ただただ真っすぐ走った。


 ――あかり……あかり……。


 誰かが自分の名を呼ぶ声が聞こえた。そのまま声のする方へと走って行く。


「あかり」


 あたたかい光に包まれ、あかりは目を閉じた。

 そして、次に目を開けた時、汗だくになってあかりを揺り起こす父の顔があった。


「おとう、さん?」


 父は、泣いていた。

 あかりは、父が泣くのを初めて見た。

 父は、あかりが無事だと気づき、力の限り抱きしめた。


「良かった……このまま目が覚めないかと……ああ、無事で、本当に良かった……」


 父の力強い腕の中で、あかりは〈生〉を確かめた。父の鼓動が鋼のように早く聞こえた。


 ああ、これが生きている、ということなのだ。

 それは、〈死〉を実感した時の凍えるような寒さ、恐怖とは違い、とても暖かだった。安心と疲れから、あかりは眠りに落ちていった。

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