【第六章】3. 心残り

 それを聞いたあかりは、むっとした顔で言った。


「死に神さんだって、あたしの話は聞いてくれるじゃない」


「それは、お前が完全にこっちの住人になるのを待っているんだ。

 死に神にも掟っていうのがあるんでね。

 一応、生きている人間を狩るのは、ご法度なんだ」


 あかりが目を丸くして死に神を見る。


「あたしのことも狩るの?」


「狩って欲しいのか?」


 この鎌で、と死に神が鎌を軽く持ち上げて見せた。


「お前の心残りをぶった切ってやることもできるぞ」


「あたしの心残り……」


 あかりは、胸元からお母さんにもらったお守り袋を取り出した。

 これを身に着けていると、不思議と勇気が湧いてくる気がする。

 あかりは、これが最期の問いになるとわかって、聞いた。


「私のお母さんを知らない?」


 死に神は、すぐには答えなかった。

 何かを思い出そうとしているのか、じっとあかりの顔を見つめている。

 フードに隠れて目線が見えないのではっきりとは分からないが、たぶんそうだろう。


「俺は、知らないな。

 この鎌で魂を狩ると、そいつの思念ってやつが鎌を通して俺にも伝わる。

 数えきれない程の魂を狩ってきたから、その全部を覚えているわけじゃあないが、お前の様子から見て、母親が亡くなったのは、ここ最近の話だ、違うか?」


 あかりがこくりと頷く。


「母親っていうのはな……どんな最低な母親でもだ……その魂を狩る時に見える思念の中に必ずと言って、僅かでも我が子への想いが残る。

 それがどんな感情でも、だ。母親というのは、そういう生き物らしい」


 死に神は、話を続けた。


「ここ最近、俺が狩った母親の思念の中に、お前のような子供がいた覚えはない。

 ……少なくとも、俺はな。死に神は一人じゃないんだ。

 俺以外の誰かがお前の母親を狩っていたとして、それを知る術は俺にはない」


 あかりの目から力が抜けていく。つまり、


「もう、お母さんには、会えないの?」


 口にすると何ともあっけない。それなら自分は、一体何のためにここまでやってきたのか。ふいに女将さんの言葉があかりの脳裏によみがえった。


『ここは、心残りがあって死ぬに死にきれない魂だけが来られる場所。

 きっとあの人にとって、私のことは、心に残しておくほどの存在ではなかったということなのかもしれない』


 お母さんは、あかりのことが心に残しておくほどの存在ではなかったということなのだろうか。意気消沈として肩の力が抜けたあかりを前に、死に神が鎌を掲げた。


「てっとり早いのは、お前の魂を狩って、天界へ行くことだが……まぁ、天界も魂で溢れかえってるからなぁ。

 運良くお前の母親に会えたとしても、お互いにそれと気付けるかどうか……」


 試してみるか、と死に神が問う。


 ――死んだら、お母さんに会える?


 甘い蜜のような誘惑があかりを誘う。それを選ぶことは、とても楽なことのように思えた。


 しかし、ふと先程、黒い闇に捉われて息ができなくなった時のことを思い出すと、恐怖で身体がぶるりと震えた。足がすくむ。少し前までのあかりなら、迷わず「うん」と言っただろう。


 でも、今のあかりは、生まれて初めて死ぬことを怖いと思った。


 その時だった。突然、あかりの視界が何か大きなもので塞がった。半分向こうが透けて見えるけれど、もう見慣れた軍服姿の大きな背中。


「この子に手を出すな。狩るなら、私の魂を狩るといい」


 おじさんは、大きく手を広げて、あかりを守るように死に神に向き合った。


「おじさん! 駄目だよ、まだ捜しもの、見つかってないんでしょう?

 私は、死んでも、お母さんに会えるなら……」


 そう言いかけたものの、無意識に恐怖から尻すぼみになる。

 おじさんは、そんなあかりの言葉を遮り、一喝する。


「軽々しく死ぬなど、口にするんじゃないっ」


 おじさんの気迫にあかりは気圧されて、口を閉じた。


「私はいいんだ。もう、私の時間は終わったのだから」


 少し口調を和らげて言うおじさんの横顔は、何かを達観した者の顔だった。

 そんな二人のやりとりを少し離れた場所から見ていた死に神は、小馬鹿にするように笑った。


「時間の問題だ。あと少しで夜明けがくる。

 そうしたら、お前はもう完全に死人となり、俺に魂を狩られるんだ」


 死に神が見せつけるように鎌を振って見せる。大きく黒い鎌の刃が鈍く光っている。

 それを見ると、あかりの心は、恐怖で足がすくんだ。

 でもその前に、と死に神が鎌を振る手を止めた。


「お前の魂は、狩る」


 言うが早いか、死に神が鎌を振りかざして、おじさんを目掛けて飛んでくる。


「やめてっ」


 あかりが叫んだ。

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