【第一章】不思議なバス

【第一章】1. バス停で

 一人の小さな女の子が夜の街を彷徨い歩いていた。

 とうに子供が起きている時間は過ぎている。辺りは、煌びやかなネオンに彩られた店舗が立ち並び、明らかに子供の訪れるような場所ではない。


 通りすがりの人たちが女の子を見て眉根を寄せた。

 どうしたのだろう、とは思っても、声を掛けようとはしない。関わりたくないと思うのか、誰もがその場違いな女の子を見て見ぬふりをしていた。


 女の子は、はぐれた母親を捜しているようで、時折その名を口にした。

 しかし、歩き疲れた声はか細く、夜の喧噪に掻き消されてしまう。女の子は、少し前まで一緒に居た母の言葉を思い出す。


『あかり、あなたの名前は、みんなを明るく照らしてくれる強い光という意味があるのよ。

 だからね、ひとりで不安な時や、寂しい時は、灯りを見つけて。

 きっとあなたを導いてくれる。

 そして、思い出して。あなたの中にも、その光があることを……』


 その言葉の本当の意味を理解するには、あかりは幼すぎた。ただ母の言うとおりに、灯りのある方へと向かって歩き続けて来たのだった。


 それでも、一向に母は見つからず、ついにその歩みを止めた。歩き疲れてじんじんと痛む足は、もう一歩も動きたくないと泣き叫んでいる。何度も転んだのであろう膝小僧からは血が滲み出て、赤いワンピースも汚れていた。


 それまで堪えていた涙があかりの頬に零れた。

 そして、とうとうその場にしゃがみ込んでしまう。


「どうしたの」


 頭上から降ってきた優しい声音に、あかりがはっと顔を上げると、そこには見知らぬ老婆の顔があった。ベンチに座ったまま、こちらを心配そうな顔で見下ろしている。


「お母さんをさがしてるの」


 声の主が母親ではない事に落胆しつつも、あかりは涙を拭って言葉を絞り出した。


『簡単に諦めちゃダメよ』


 母は、いつもそう教えてくれた。


「そう、小さいのに偉いねぇ」


 老婆は、感心したように何度も頷いた。

 あかりが自分の母を知らないか聞こうと口を開いた時、一台のバスがやって来た。気が付くと、傍には古びたバス停の標識が立っている。


 バスは、二人の目の前に止まると、体の真ん中に取り付けてある扉を内側に向かって大きく開けた。

 あかりが口を開けたままそれを見つめていると、いつの間に並んでいたのだろう、一人、また一人と、たくさんの人たちが列を成して、バスの中へと乗り込んで行く。

それは、まるで大きな怪物が食べ物を呑み込んでいるように見えた。


 いつの間にか周囲の喧噪もネオンの光も消えてしまっている事に、あかりは気が付かなかった。


「じゃあ、お婆ちゃん、もう行かなきゃ」


 あかりに声を掛けてくれた老婆がベンチからゆっくりと腰を上げた。


「どこに行くの」


 とっさにそう聞いたのは、どこかで似たような言葉を聞いた事があるような気がしたからだ。

 でも、それをどこで聞いたのか、誰が言ったセリフなのか思い出せない。


「お迎えがきちゃったからね」


 老婆は優しくも少し寂しそうに笑った。


(そうだ、お母さんも同じようなことを言っていた)


 ずっと一緒にいてくれるよね、とあかりが尋ねると、母親は、目尻を下げて困ったように笑った。


『ごめんね。迎えがきたら、いかなきゃいけないの。

 でも、あかりは強い子だから、大丈夫』


 あかりは、母親のいない未来を想像して泣きたくなった。幼い子供がいやいやをするように首を振って、母の言葉を否定した。


『まだもう少し……迎えがくるまでは……』


 そう宥めるように繰り返していた母の言葉を思い出し、あかりは、目の前のバスを見つめた。

 母は、迎えとやらが来たから、行ってしまったのだろうか。

 もしかすると、このバスに乗れば、母親に会えるかもしれない。

 そう思ったあかりは、老婆の後に付いてバスの中へと乗り込んだ。



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